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世界中の本好きのために

青山裕企

Profile

1978年生まれ、愛知県出身。 筑波大学人間学類心理学専攻卒業。 20歳の時に自転車で日本を縦断し、その道中で写真を撮り始める。24歳の時に世界2周の旅の道中で写真家になる決意をして帰国。 2007年にキヤノン写真新世紀優秀賞受賞。 『スクールガール・コンプレックス』(イースト・プレス)では女子高校生、『ソラリーマン』(ピエ・ブックス)ではサラリーマンなど、“日本社会における記号的な存在”をモチーフにしながら、自分自身の思春期観や父親像などを反映させた作品を制作している。 8月17日より、写真集を原作とした映画『スクールガール・コンプレックス~放送部篇~』が公開。

Book Information

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好きなことをしているから、ブレるはずがない



青山裕企さんは気鋭の写真家。アイドル、芸能人の写真集のほか、スーツ姿のサラリーマンや制服の女子校生を被写体にした諸作品で、日本社会において彼らや彼女らが持つ記号性を捉え直し、明るく際立たせる独特の世界観を築き上げています。青山さんの原点は、悩みと迷いに満ちた青春時代。写真との運命の出会いに導き、自らの未来をフォーカスするきっかけを作ったのは「旅」、そして「本」でした。

「本にこだわる写真家」のルーツ


――早速ですが、青山さんのお仕事の近況を伺えますか?


青山裕企氏: 写真家として作品を作るということがメインで、今は『ソラリーマン』というサラリーマンがジャンプしている写真と、『スクールガール・コンプレックス』という顔の見えない女子校生の写真をテーマとしています。それらを展覧会などで発表したり、書籍として出版したりしながら、雑誌・ウェブなどで、アイドルや芸能人などを撮影する仕事もしています。写真家、カメラマンの中で自分が変わっているのは、おそらく、書籍を結構な頻度で出版しているところですね。

――書籍は何冊出版されていますか?


青山裕企氏: 紙媒体では今のところ24冊です。7月以降も継続的に出版が決まっています。その中の何冊かは電子書籍になっていて、最初から電子書籍ベースの写真集も取り組んでいます。写真集や書籍を継続的に作れる環境に、喜びを感じています。

――青山さんは、小さなころはどのようなお子さんでしたか?


青山裕企氏: 僕は非常にインドア派と言うか、運動が苦手で、3歳ぐらいから公文式をはじめ、勉強ばかりしていました。読書には偏りがあって、漫画はほとんど読んでいないんです。小学校低学年ぐらいまでは、ジャンプなどを近所の友達と回し読みしていたんですが、その子が転校してから読まなくなって、それから今まで、漫画は『ドラえもん』ぐらいしかまともに読んでないんです。でも読書自体はすごく好きで、小説など、文字のものはずっと読んできました。

――幼少のころはどのような本を読まれていましたか?


青山裕企氏: 子どものころは、『ズッコケ三人組』とか、あとはファンタジー系の小説ですね。『ロードス島戦記』や『フォーチュン・クエスト』など、まだラノベとは言われていない時代ですが、中学、高校でも冒険小説を好んで読んでいました。

――冒険小説がお好きというのは、後の世界旅行に通じるものがあるのではないですか?


青山裕企氏: そうかもしれません。子どものころの夢が世界一周だったんです。幼少のころ、テレビ番組の「アメリカ横断ウルトラクイズ」の全盛期で、海外に対する憧れがすごくありました。あとはゲームをよくやっていて、ドラクエやファイナルファンタジーなど、冒険物が好きでした。でも僕自身はあまり外に出る遊びはせず、主に本を読むことで好奇心を満たしていたんだと思います。

大学受験のころから、自分の将来に悩み始めたんです。部活もやらず、勉強ばかりしていて、自分が何をやりたいかということが分からず、情熱を注げるものが見つかりませんでした。悩んだ結果、心理学を勉強してみようと決めました。極度の人見知りだったので、人の心を知りたいというところもありました。そのころから、心理学関連の本や、自己啓発系の本を読み始めました。『7つの習慣』は、当時バイブルのように読んでましたね。

旅のきっかけは、ふと手に取った本


――大学では、どのような学生でしたか?


青山裕企氏: 大学に入ってすぐ、校内の雰囲気に違和感を覚えて、絶望してしまったんです。心理学も最初は概論など、教科書を読むだけの授業が多くて、大学に行かなくなり引きこもってしまいました。そのころ読んでいたのは、小説だと村上春樹さんですね。今でも、新刊は必ず読んでいます。あとは五木寛之さんの『青春の門』も深く読んでいました。

――どういったところに感銘を受けたのですか?


青山裕企氏: 『青春の門』の主人公も、どう生きていくか悩み続けるような人なんです。ただ自分とは全然性格が違う。気性が荒くて、暴力沙汰をたくさん起こして、ヤクザな世界に足を突っ込んだりする。悩みの種類は似ているけれど、自分にはできないような行動をやってくれるという魅力があったんだと思います。村上春樹さんは、多くの方が感じていると思いますけど、自分の世界に対する考え方がシンクロするんです。

小説の登場人物など、他者の人生を追体験できるのが、引きこもりな自分にとっては、とても魅力的でした。僕は映画もそんなに観ないんです。映画は2時間のうち、ここで感動させようというヤマ場があると思うんです。もちろん本にもあるんですが、自分のペースで読めて、文字しかないので想像力も広げられる。例えば魅力的な女性が出てきたら、その人を自分の好きなタイプの女性に変換できますよね。僕はあまり外国の人が好きではないので、ハリウッドの映画などを見ても自己を投影できないんです(笑)。



――大学在学中に、自転車で日本を縦断する旅に出たそうですね。


青山裕企氏: 旅をしようと決意したきっかけは、本屋だったんです。引きこもりといっても本屋には行ってたんです(笑)。今はAmazonなどで本を買うことも多いんですが、本屋はそれぞれ置いてある本が違うので、何か新しい本に出会えるかもしれないと期待して行って、特に都心の大型書店だと何フロアもあるのですが、あてもなく全フロアをまわって見たりして、気になった本を買っていたんです。それでたまたま『自転車旅行をはじめよう』という本を見つけて、それまで自転車が特に好きだったわけでもないのですが、急に旅をしよう! と思いたったんです。

――なぜ自転車で旅をすることに興味を持たれたのでしょうか?


青山裕企氏: 大人になればどうってことないんでしょうが、当時は運動が苦手で、体力に自信がないことにコンプレックスがあったんでしょうね。全く自分に自信が持てなかったんです。自分の足で北海道から沖縄まで旅をすることで、コンプレックスを打ち砕こうとしたのだと思います。

自信のなさを「ジャンプ」する瞬間


――写真はいつごろ始められたのでしょうか?


青山裕企氏: まさに自転車で日本を旅していた時に写真を撮り始めたんです。最初は記録用として普通のコンパクトカメラを持って撮っていたのですが、北海道の景色の雄大さに感動しながら自転車をこいで、思わず写真を撮るんですけど、それをプリントしてもそのときの感動が写っていないという。旅先で知り合った人が一眼レフカメラを持っていて、一眼レフだとこんなにきれいに撮れるんだということを教えてもらって、僕も旅先で買いました。撮りはじめの頃は人見知りということもあって、人は全く撮っていませんでした。旅の記録として自分自身を撮るんですが、もともと自分に自信がなくて旅をしていたわけで、写真に写る自分はいつもさえない感じで。そこで、思いつきで自分がジャンプしている写真をセルフタイマーで撮ってみたら、写っている自分の跳び姿がヘンテコで、思わず笑ってしまったんです。こんな自分でも面白く写ることができるんだな、と感じたんですよ。

――現在の「ソラリーマン」に通じる気づきがあったんですね。旅を終えた後は、それまでの自分と比べて何か変化はありましたか?


青山裕企氏: もう一度大学でちゃんと勉強ながら将来を考えようと思って、復学しました。自分で跳んでいる写真を友達に見せると、「俺も撮ってよ」と言われて一緒に撮りに(跳びに)行ったりするようになりました。それまでは人見知りを悪い意味で発揮してしまっていたのか、人を撮る時、どう話していいかわからなくて、相手を緊張させてしまっていたんです。でも、跳んでもらえば相手も構えられないので、緊張させることもなく、いい顔、いい動きになるんです。

――旅を通じて、様々な面で人生が開けていったんですね。


青山裕企氏: 自転車で旅に出ることは、小学生でも夏休みにやっているようなことで、別にたいしたことないと言えばないんですが、ずっと家に引きこもっていた自分にとってははじめての大冒険で、何もかもが新鮮で感動的だったので、高まる気分のなかで、きっと写真に出会えたんだと思います。

写真を撮る自分を「キャラ」にする



青山裕企氏: 写真を撮りはじめて良かったのは、ひとつのキャラクターを獲得できたことなんです。「青山は写真を撮っていて、なぜか人を跳ばせるヤツ」というキャラができると、大学のなかの居場所ができるわけです。自分には何も個性ないから自信がないと思っていたんですが、写真を撮るようになって、人とも話せるようになって自分に自信が持てました。今、写真を撮りはじめて15年が経ち、なんとか生業としていますが、こうして人前で自分の話ができるのは、写真と関わってきた自分があるからなんですよ。
今でもカメラがなければ人見知りです。元々人当たりがよい人だと、どこまでも相手に踏み込んでいけるんでしょうが、僕は常に一歩引いた目で見ているところがあるんです。そんな人との距離感が、自分らしい写真になるんだなということに気づきましたね。

――写真を職業にしようと考えたのはいつ頃でしょうか?


青山裕企氏: 大学時代にとにかく写真にはまって、毎日楽しくなって、自分に自信もついてきましたが、それを仕事にしたいという気持ちにはフタをしていたんです。というのは、好きなことを仕事にしたら、好きでなくなってしまうのではないかと恐れていたからです。仕事だと、やっぱり要求されたものを撮らなくてはならなくて、それは必ずしも自分がやりたいことと一致するわけではない。だから、写真を職業にしたい気持ちはあったけれどフタをしていた。その中で、将来何をして生きていこうかというのを決めるために、世界2周の旅に出たんです。自転車の旅から帰ってきて、2年間学生をしたのちに、また2年間休んで、半年バイトして残り半年で世界を1周するというのを2回やるというプランを決めました。

人生を決めた、グアテマラの朝


――なぜ世界1周ではなく、2周だったのでしょうか?


青山裕企氏: 1周目は、自分のコンプレックスである人見知りをどうにかするという、「人見知り克服ツアー」です。なるべく陸路で、人とコミュニケーションせざるを得ない環境に自分を置くという修行ですね。僕は普通に旅行していると、なるべく人と話さない方向に行くんですよ。でも、例えばシベリア鉄道に乗ると、1週間電車の中で相部屋になるので、しゃべらないわけにはいかないわけです。モンゴルでホームステイもしました。英語も通じにくい国をあえて選んだ。そうすると、1周した後、いい達成感があったんですよ。そして2周目で、いよいよ旅先で自分の人生を決めようって思ったんです。
でも2周目では、旅自体が苦しくなって、空虚感に包まれていたんです。いざ旅に出たものの、ルートをなぞっているだけというか、国は違うんだけど、1周目とやっていることは一緒のように感じてしまって。しかも、人見知り克服といっても、1周したらガラッと人当たりがよくなるわけでもなく、旅先で外国人に積極的に声を掛けて写真を撮れるわけでもないんですね。日本ではキャラもできたので、友達の写真を撮ることでコミュニケーションもとれるんですけど、そういうものも海外では一切できなくなる。2周目は写真も全然撮らずに、旅にも全く魅力を感じなくなり、日本で引きこもったのと同じようにホテルに引きこもってしまいました。で、ずっと読書です。その時は村上春樹さんの『海辺のカフカ』が出たころで、ハードカバー上下巻を持って行っていたので、ずっと読んでいました。そこから何かを得たいというより、ただ読んでいた。生まれてはじめて不眠症になったりもして、旅に出て失敗したかな、と思っていました。

――その状況をどう打開したのでしょうか?


青山裕企氏: このまま旅をしても仕方がないから、1つの都市に滞在してみようかなと思って、中米のグアテマラに行きました。そこで人生のターニングポイントになる瞬間があったんです。朝、シャワーを浴びていて、小窓から朝日が差したのを見て、急に「写真の道で生きて行こう」と決めたんです。なんて言うと唐突なんですが、当時は本当に啓示だと思って、そこで旅を終わりにして帰ってきたんです。海外に行って、写真を全く撮れなくなったことでストレスがたまって「好きなことを仕事にしていいのか」とか、そんな悩みがどうでもよくなったんだと思います。好きで写真をやっているんだから、写真で生きていく以外ないじゃないか、とシンプルに決められたんだと思います。当初は、2周目の旅を終えた時にパッと将来が見つかるというイメージで、もし見つからなければ3周目に行っていたかもしれない。典型的なモラトリアムですね。だけど、その時は旅を止めてまで決意したので、その覚悟は絶対的なもので、今でも全くブレがないんです。



――帰国して、大学には復学されたのでしょうか?


青山裕企氏: 写真家になると決めたので、心理学の道で生きていくことはないから大学はやめようかなと思ったんです。でも、写真以外の選択肢を全部捨てようと思った時、もう心理学の道には絶対にいかないから、あと2年しか勉強する機会がないと、むしろ心理学に対するモチベーションが上がったんです。心理学が写真にも活きてくるのではないかとも思いました。それで、写真の学校とダブルスクールになりました。何事も写真につなげていこうという気持ちでいたので、非常に前向きでしたね。心理学に関する本も、いろいろなものを大量に買って読みました。

フリーランスでやっていける確信があった


――大学卒業後はどのようなお仕事をされましたか?


青山裕企氏: 自分の力で生きて行こうと決めていたので、就職せずにフリーランスになったのですが、いきなり稼げるわけではないので、バイトしながら、写真家としての名刺を作って、いろいろな人に写真を見てもらって徐々に仕事を増やしていきました。少しずつ自分の好きな写真を仕事に変えてゆく努力をしたうえで、結果として写真で好きなように生きていくというイメージを鮮明に持っていました。例えば、お金は月に15万ぐらいあれば生活できるとして、最初はバイトで15万稼いで、写真は好きなように撮ってお金にはならない。でもちょっとずつ、写真で2万円稼いて、バイトでは13万円みたいな感じで、写真の割合を増やしていくんです。ある時、まとまったレギュラーの仕事をいただけて、ギリギリで生活できるぐらいにはなったので、バイトはフリーになって2年ぐらいで辞めたんです。その後、レギュラーの仕事はすぐになくなったのですが(笑)、バイトには戻りませんでした。バイトをしていればそれなりに生きていけるのですが、これからは写真だけで行こうと決意しました。正直に言って、当時お金はキツかったです。

――キツい時に、なぜ頑張ろうと思えたのでしょうか?


青山裕企氏: やっぱり、グアテマラでの決意があったからですね。別に才能があるという自信があるわけではないのですが、続けていけばなんとかなるという確信はあるんですよね。今も、そこだけでやっているようなものです。

――ご結婚されたのもちょうどそのころですか?


青山裕企氏: そうですね。将来的には家族を養わなければいけないと思っていて、そのころは一番お金がない時だったので、結婚するつもりは全然なかったんです。でもその頃出会った妻が、すごく理解があるというか、応援してくれていました。僕にお金がない時も自分が頑張ってなんとかするという考えで、支え合うというイメージが共有できたんです。もともと僕は一人で生きて行こうという意識が強かったのですが、この人と一緒にいれば、なんとかなると思えました。経済的に大変でしたが、心理的な安定がすごく得られましたね。結婚するなら、貧しい時や自分が大変な時に一緒になった人の方がいいと思います。例えば僕が成功してお金持ちになったとして、そこで近づいて来る人よりも絶対にいいですよね。内面をちゃんと見てくれてると思うので。

電子書籍で写真表現の幅が広がる


――こちらにも大きな本棚がありますが、やはり青山さんにとって本の存在は大きいのですね。


青山裕企氏: 本がすごく好きなんです。買っただけで何か得た気がする「積ん読」も多いです(笑)。本棚には本があふれて、奥の方の本は二度と読まないんじゃないかという状態になっています。なので、実はいま、電子化にすごく興味があるんです。もちろん本の良さは絶対的にあるし、この世からなくならないとは思うのですが、読むということに関しては、どんどん電子化した方が読めるような気がするんです。自分が興味があって買う本は、なるべく自分の近くに置いておきたいので、電子化してすぐに読めるようにしておきたいですね。

――写真集などの分野では電子書籍の可能性はどう見ていますか?


青山裕企氏: 写真業界全体では、紙に対する愛着がやはり強いですね。例えば電子書籍と紙の写真集だと、紙の写真集を出版したいという人が圧倒的に多い。というのも、文字は、紙で読もうが電子で読もうが同じなんですけど、写真は色が全く変わってしまうんです。だから紙の種類や色を細かく調整したり、いろいろこだわるわけです。電子だと画面に依存するところがあるので、ある程度どうしようもない。だから電子はイヤだというタイプの人が、写真家の中には多いんですね。ただ僕はその点はあきらめがついていて、電子書籍ならではの新しい見せ方もできると思っています。例えば拡大や縮小ができたりしますよね。紙の写真集だと写真のサイズは決まっていて、拡大するというと顔を近づけるしかない。紙をアップで見ると、点々(網点)になってしまいますけど、電子だと解像度が高ければ拡大してもクリアに見えるので、紙では表現できない部分まで表現できる。写真集よりも圧倒的に多くの情報を見せることができます。逆に言うと、そこまで見せたくないからあえて紙にするという選択肢も出てくるでしょうね。

――つまり、それぞれの特性を活かしながら共存していくということですか?


青山裕企氏: そうですね。紙が淘汰されてすべて電子化されるのではなくて、共存する形になると思います。写真業界だと、フィルムからデジタルへという流れがあって、フィルムはほぼ淘汰されてしまったんです。僕も写真を15年前にはじめて、はじめはフィルムで、途中からデジタルに変わりました。でも本もすべて電子化する流れにはならないと思います。紙でも出版し続けるし、電子書籍だけで発表する作品も出てくるでしょう。僕自身は、今後は電子書籍しか作りませんということにもならないし、また電子書籍は気に入らないから紙だけでということもないでしょうね。

紙と電子を両立する写真家を目指す


――写真集などの本の作り方も変わってくるのではないでしょうか?


青山裕企氏: 写真集というジャンルは基本的に売れないので、出版するのは大変なんです。だけど、電子書籍だと出しやすいからOK、という考え方はどうかなと僕は思います。写真家の人も、電子なら編集者を使わなくても、自分で出すこともできるんですが、むしろ電子書籍だからこそ編集までちゃんとしないといけないのではないかと思います。読者の見方としては、本だったらサイズも固定されて、ページも順番にめくらざるを得ないのですが、電子書籍は回転しても読めるし拡大もできるし、検索もできるわけですよね。だからこそ、そのことを踏まえた編集をしないといけないので、編集者の役割は大きくなるはずだと思っています。でも現状を見ると、電子は手軽とか、安くできるという風潮ですよね。編集が重視されなくなる風潮にもなっているのかもしれません。

――青山さんにとって、理想の編集者とはどういった人ですか?


青山裕企氏: いろいろな方とご一緒させていただいているのですが、ダメな編集者っていうのはほとんどいないんです。ただ理想を言うと、作者の意見を尊重したうえでのバランス感覚がある人だと思います。あとは単純に、本が好きかどうか。編集者という仕事は本が好きな人が多いと言うか、好きじゃなければやっていけないと思いますが、僕は写真家なので、もちろん写真が好きな人が編集をしてくれるのがいいですね。才能がある編集者もたくさんいると思いますが、才能だけある人と情熱だけある人だったら、情熱だけある人の方がいいような気がします。僕はパッと見は情熱的な感じじゃなくて、淡々としているように見えるみたいですが、本当は情熱的なんですよ。松岡修造さんみたいに情熱を表に出していないというだけです(笑)。

――最後に、これからの書籍の構想など、展望をお聞かせください。


青山裕企氏: 紙を出し続けるというのが大前提ですが、電子書籍も両立してやっていけたらと思います。今はウェブの連載もやらせていただいていまして、ウェブで見せることを前提にセレクトしたり、写真を作ったりしていて、ウェブ内で完結するものを作ろうと考えています。この内容だったら電子書籍に適しているということを踏まえた上で、新しい作品を作りたいと思います。上手くいけば、紙以上に多くの人に見てもらえると思いますし、紙で売れたものを電子化して、一定数を売るという発想だけではなくて、電子書籍やウェブ連載から火がついて紙にする、みたいな流れもあると思います。写真だと特に、Googleなどで検索すれば、無料でなんでも見られるという側面もあるので、写真というメディアを使っていかにビジネスモデルが構築できるかということも、まだまだ試行錯誤しながらやっている段階です。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 青山裕企

この著者のタグ: 『旅』 『海外』 『心理学』 『写真』 『自転車』 『写真家』 『サラリーマン』 『きっかけ』

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