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世界中の本好きのために

青山裕企

Profile

1978年生まれ、愛知県出身。 筑波大学人間学類心理学専攻卒業。 20歳の時に自転車で日本を縦断し、その道中で写真を撮り始める。24歳の時に世界2周の旅の道中で写真家になる決意をして帰国。 2007年にキヤノン写真新世紀優秀賞受賞。 『スクールガール・コンプレックス』(イースト・プレス)では女子高校生、『ソラリーマン』(ピエ・ブックス)ではサラリーマンなど、“日本社会における記号的な存在”をモチーフにしながら、自分自身の思春期観や父親像などを反映させた作品を制作している。 8月17日より、写真集を原作とした映画『スクールガール・コンプレックス~放送部篇~』が公開。

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人生を決めた、グアテマラの朝


――なぜ世界1周ではなく、2周だったのでしょうか?


青山裕企氏: 1周目は、自分のコンプレックスである人見知りをどうにかするという、「人見知り克服ツアー」です。なるべく陸路で、人とコミュニケーションせざるを得ない環境に自分を置くという修行ですね。僕は普通に旅行していると、なるべく人と話さない方向に行くんですよ。でも、例えばシベリア鉄道に乗ると、1週間電車の中で相部屋になるので、しゃべらないわけにはいかないわけです。モンゴルでホームステイもしました。英語も通じにくい国をあえて選んだ。そうすると、1周した後、いい達成感があったんですよ。そして2周目で、いよいよ旅先で自分の人生を決めようって思ったんです。
でも2周目では、旅自体が苦しくなって、空虚感に包まれていたんです。いざ旅に出たものの、ルートをなぞっているだけというか、国は違うんだけど、1周目とやっていることは一緒のように感じてしまって。しかも、人見知り克服といっても、1周したらガラッと人当たりがよくなるわけでもなく、旅先で外国人に積極的に声を掛けて写真を撮れるわけでもないんですね。日本ではキャラもできたので、友達の写真を撮ることでコミュニケーションもとれるんですけど、そういうものも海外では一切できなくなる。2周目は写真も全然撮らずに、旅にも全く魅力を感じなくなり、日本で引きこもったのと同じようにホテルに引きこもってしまいました。で、ずっと読書です。その時は村上春樹さんの『海辺のカフカ』が出たころで、ハードカバー上下巻を持って行っていたので、ずっと読んでいました。そこから何かを得たいというより、ただ読んでいた。生まれてはじめて不眠症になったりもして、旅に出て失敗したかな、と思っていました。

――その状況をどう打開したのでしょうか?


青山裕企氏: このまま旅をしても仕方がないから、1つの都市に滞在してみようかなと思って、中米のグアテマラに行きました。そこで人生のターニングポイントになる瞬間があったんです。朝、シャワーを浴びていて、小窓から朝日が差したのを見て、急に「写真の道で生きて行こう」と決めたんです。なんて言うと唐突なんですが、当時は本当に啓示だと思って、そこで旅を終わりにして帰ってきたんです。海外に行って、写真を全く撮れなくなったことでストレスがたまって「好きなことを仕事にしていいのか」とか、そんな悩みがどうでもよくなったんだと思います。好きで写真をやっているんだから、写真で生きていく以外ないじゃないか、とシンプルに決められたんだと思います。当初は、2周目の旅を終えた時にパッと将来が見つかるというイメージで、もし見つからなければ3周目に行っていたかもしれない。典型的なモラトリアムですね。だけど、その時は旅を止めてまで決意したので、その覚悟は絶対的なもので、今でも全くブレがないんです。



――帰国して、大学には復学されたのでしょうか?


青山裕企氏: 写真家になると決めたので、心理学の道で生きていくことはないから大学はやめようかなと思ったんです。でも、写真以外の選択肢を全部捨てようと思った時、もう心理学の道には絶対にいかないから、あと2年しか勉強する機会がないと、むしろ心理学に対するモチベーションが上がったんです。心理学が写真にも活きてくるのではないかとも思いました。それで、写真の学校とダブルスクールになりました。何事も写真につなげていこうという気持ちでいたので、非常に前向きでしたね。心理学に関する本も、いろいろなものを大量に買って読みました。

フリーランスでやっていける確信があった


――大学卒業後はどのようなお仕事をされましたか?


青山裕企氏: 自分の力で生きて行こうと決めていたので、就職せずにフリーランスになったのですが、いきなり稼げるわけではないので、バイトしながら、写真家としての名刺を作って、いろいろな人に写真を見てもらって徐々に仕事を増やしていきました。少しずつ自分の好きな写真を仕事に変えてゆく努力をしたうえで、結果として写真で好きなように生きていくというイメージを鮮明に持っていました。例えば、お金は月に15万ぐらいあれば生活できるとして、最初はバイトで15万稼いで、写真は好きなように撮ってお金にはならない。でもちょっとずつ、写真で2万円稼いて、バイトでは13万円みたいな感じで、写真の割合を増やしていくんです。ある時、まとまったレギュラーの仕事をいただけて、ギリギリで生活できるぐらいにはなったので、バイトはフリーになって2年ぐらいで辞めたんです。その後、レギュラーの仕事はすぐになくなったのですが(笑)、バイトには戻りませんでした。バイトをしていればそれなりに生きていけるのですが、これからは写真だけで行こうと決意しました。正直に言って、当時お金はキツかったです。

――キツい時に、なぜ頑張ろうと思えたのでしょうか?


青山裕企氏: やっぱり、グアテマラでの決意があったからですね。別に才能があるという自信があるわけではないのですが、続けていけばなんとかなるという確信はあるんですよね。今も、そこだけでやっているようなものです。

――ご結婚されたのもちょうどそのころですか?


青山裕企氏: そうですね。将来的には家族を養わなければいけないと思っていて、そのころは一番お金がない時だったので、結婚するつもりは全然なかったんです。でもその頃出会った妻が、すごく理解があるというか、応援してくれていました。僕にお金がない時も自分が頑張ってなんとかするという考えで、支え合うというイメージが共有できたんです。もともと僕は一人で生きて行こうという意識が強かったのですが、この人と一緒にいれば、なんとかなると思えました。経済的に大変でしたが、心理的な安定がすごく得られましたね。結婚するなら、貧しい時や自分が大変な時に一緒になった人の方がいいと思います。例えば僕が成功してお金持ちになったとして、そこで近づいて来る人よりも絶対にいいですよね。内面をちゃんと見てくれてると思うので。

著書一覧『 青山裕企

この著者のタグ: 『旅』 『海外』 『心理学』 『写真』 『自転車』 『写真家』 『サラリーマン』 『きっかけ』

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