「僕を見てくれ」と数字が呼ぶ
――今後の展望をお伺いします。

玄田有史氏: 岩手県の釜石で、2006年から「希望学プロジェクト」を手がけています。一生かかわる約束を、震災前にしているんです。「震災後、釜石へ何回ぐらい行ったんですか」とよく聞かれますが、実はワンシーズンに1回行くか行かないかくらいです。研究は一生やらないといけないと思っていますので、釜石にはこれからも行き続けるわけですから、焦ってやることはないと思っています。今度、福井編の「希望学」の本が出ますが、希望の研究は、出来れば死ぬまでやりたいです。研究の結果を本にして、希望を追い求めている人の物語をいろいろな人に伝えることが出来ればいいと思っています。
ニートやスネップについては、世の中にこんなに苦しい人がいることをお話してはいるのですが、一方で実は僕は1人のニートも、スネップも直接救ったことがない。自分の無力さもつくづく思い知りました。こうした執筆をすることは、差別やレッテルを貼ることに繋がるというバッシングもありますが、それを是正するためにも考えていかなければならないことだと思っています。一番良くないのは、存在しないかのように無視することです。そういう意味では、世の中には存在するけど存在していないかのように扱われているものが、山ほどあると思います。それを、言語化して共有化することで、みんなが気付くこともあるかもしれません。
――希望学や労働経済学に焦点を当てようという風に思われたきっかけはなんですか?
玄田有史氏: 僕が大学院に入った90年代頃はバブル経済崩壊前で、日本はそれほど悪くない時でしたので、格差や貧困、非正規問題などは、全く注目されることがなかった。亡くなった師匠の石川経夫は「実は裏で不平等の問題が起こっているんじゃないか」ということ、当時からずっと研究していたんです。労働経済を始めたのも、たまたま師匠がやっていたからで、ほかにあまり人がやってなかったから、それで食べていけた。若者問題を研究するようになったのは、90年代末以降、不況になった時に、若い人の失業やフリーター問題が「若者の意欲や能力が下がったから」と言われることに違和感があったからです。経済学で学んだことは、問題が起こった時に、水戸黄門のように悪い人と良い人に分けるような単純な理解はまちがっているということ。だから、若い人の意欲が下がったのではなく、そういう風に見えてしまう社会のシステムに問題があると、きちんと言わなければいけないと思ったんです。
――研究し続ける中で、希望学やニート、スネップなどのテーマが頭に浮かんだのでしょうか?
玄田有史氏: 研究テーマとは、出会うものです。数字を見る時に、ある数字に「僕を見てくれ、ここにいるよ」と、呼ばれることがあるんです。そうやって呼ばれてしまったらしょうがない。「また暗い話題か」と思ったりもしますが、無視は出来ません。
――より多くの人に、見えない存在を見せたいということですか?
玄田有史氏: そうですね。ですから、本にしてもある程度の商業的な成功は必要だと思っています。まだ見つかっていないものを見つけて、読んでもらえる形にして、より多くの人が共有できればいいと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
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