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世界中の本好きのために

鹿島茂

Profile

1949年生まれ、神奈川県出身。東京大学文学部仏文学科卒業。共立女子大学助教授・教授を経て現職。19世紀フランスを専門とし、幅広い分野での評論活動を行っている。フランス文学の研究翻訳を行っていたが、1990年代に入り活発な執筆活動を開始。『馬車が買いたい!』でサントリー学芸賞受賞、『子供より古書が大事と思いたい』で講談社エッセイ賞、『パリ風俗』で読売文学賞受賞。古書のコレクターとしても有名で、「NOEMA images STUDIO」では、書庫を貸しスタジオ兼貸しギャラリーとして一般開放している。

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無駄の中にこそ、知の可能性がある



フランス文学者の鹿島茂さんは、バルザックやユゴーら、フランスの19世紀の作家に関する著述を中心に、様々な社会事象への言論活動を展開。特に書評の名手としてその発言が注目される存在です。また古書や美術品のコレクターとしても著名で、私蔵するコレクションは定期的に美術館で公開されています。研究・評論、そしてコレクションのために大量の文献にあたる鹿島さんの仕事観、また電子書籍へ望むことなどをお聞きしました。

読書は、遠くにある場所を想像させてくれる


――群馬県立館林美術館で、鹿島さんのコレクションである『バルビエ×ラブルール展』が開催されていますね。


鹿島茂氏: 去年もやりましたが、前よりも大規模なレベルで展示してます。美術館もすばらしいです。見渡す限りの緑の中にアバンギャルドな建物が建っている。その建物を見るだけでも価値があります。7月14日からは、練馬区立美術館で第3回鹿島茂コレクションとして、19世紀から20世紀初頭のファッションプレートの展示も始まります。

――展示されるのは全て鹿島さんのコレクションなのでしょうか?


鹿島茂氏: 完全に個人コレクションですね。僕はお金持ちだったら、多分、何も書かなかったと思います。コレクションしている方が楽しいですから。貧乏コレクターで、仕方ないから教師をしたり、物書きをしたりしているんです。



――小さなころから古書などはお好きだったのですか?


鹿島茂氏: 家は酒屋をやっていたんですが、子どものころは本らしい本が1冊もなく、雑誌くらいしかない家でした。テレビもないし、何も娯楽がないから、やっぱり活字に対する飢えというのが強くなったようです。だから今だに雑誌は好きです。集めてるのも19世紀の雑誌みたいなものですから。

――小さなころはどのようなものを読んでいましたか?


鹿島茂氏: 漫画ですね。それを読み終わったら何もないから、新聞を読んでました。子どものころから日経新聞の『私の履歴書』などを読んでました。活字は遠いところを志向するという本質があります。話し言葉だと近くしか目が向かないけど、活字だと見も知らぬ遠くの人と会話して、ますます遠くに行きたいという思いが強くなります。小学校の時は、地図帳で、適当に分かりにくいような地名を出して「ブダペストってどこにあるんだ」とか、探しっこするというようなゲームを自分たちで編み出してやっていました。

全部読みたい、全部観たい


――本はどこで読まれていましたか?


鹿島茂氏: 学校の図書館は、利用したくなかったんです。なぜかというと、僕には昔から図書館に行くのは優等生で、先生の言うことをよく聞く嫌なやつだというのがあったからです。本を読んだのは、家の酒屋の隣にあった雑誌を置いている店で、その店にある雑誌を全部読んでました。中学生になった頃から、月1回、日本の文学全集、世界文学全集が配本されてきたので届く度に読んでいました。高校生の時が一本を番読んだと思いますが、そのころよく読んでいたものや、良いと思ったものは今でも変わっていないです。

――当時はどのような本を中心に読まれていましたか?


鹿島茂氏: 日本文学や世界文学の全集も、何を読めばいいかよく分からないから配本された順に読んでいました。サルトルの『嘔吐』に著者のABC順に読む「独学者」が出てくるんですが、僕もそういう感じで濫読をしたおかげで、後にためになったことはいっぱいありますね。ただ、もう少し高校生のころに理科系の勉強をしとけば良かったなと、今になって後悔しています。あれは先生が悪かったんだと思います。理科でも数学でも受験のために最初に数式を手っ取り早く教えられるのが、非常に苦痛でした。数式がどういう風にして出てきたのかというところが面白いところなんですがね。

――大学時代は、映画をたくさんご覧になったそうですね。


鹿島茂氏: 年間400本から500本は観ていました。ビデオもない時代に、3本立てとか観て、時間はあるから、安く観る方法もいろいろ考えました。駿河台下へ降りてくるとユーラン社という招待券の販売所が今でもありますが、そこで株主優待券とかを売っていましたので、大分買いました。

――多くの映画を観ることは、何に突き動かされたのでしょうか?


鹿島茂氏: シリーズものの全部観なければいけないという感じで、ほとんど義務という感じです。そういうところにも若干コレクター的な気質があるんだと思います。例えば、やくざ映画で、『網走番外地』などシリーズもので、1本だけ観てないと、何か気持ちが悪いので全部観たいと思うわけです。

仕事の面白さは、やってみないと分からない


――学生のころから将来は大学で教えたいと思われていましたか?


鹿島茂氏: 大学院に行きながらも、教師になることはあまり考えていませんでした。自分は何か違う道に、合わないところに進んだんじゃないかと思っていたんです。僕が学生だった当時は、構造主義などが流行っていて、頭の良さの競争をせざるを得ない。それはどうも僕には向いていないなと思っていました。僕は道楽労働という言葉を使いますが、仕事が道楽にならないといけないと思っていましたので、苦痛でしょうがなかった。仏文学を選んで良かったなと思いだしたのは、教師になってからです。

――鹿島さんの講義はどのようなものですか?


鹿島茂氏: 講義はその時の出たとこ勝負。今日は何を話すかなという感じです。何を話すかもどこに進むかも分からないから、漠然としたイメージで、前回の学生の質問に答えたりしながら、「今日は貨幣の価値論について話します」とか、そんな感じです。

――疑問を感じながら始めた教師のお仕事に、楽しみを見出したんですね。


鹿島茂氏: パスカルが、「人間は、基本的にどんな仕事にも向いている」、「向いてないのは部屋の中に1人閉じこもってじっとしていることだ」と言っています。仕事の面白さは、やらないと分からないんです。学生にいつも言っているのは「疑問の立て方を学べ」ということです。自分にとって関心のある疑問はどんなところでも立つから、その疑問を解くことが仕事になるのがベストで、まずは疑問の立て方を学ぶことが重要です。

どんな仕事でも、自分の仕事を展開していく上で、サラリーマンとして与えられるのではなくて、自発的に考えなければつまらない。最近、文藝春秋で実業家の名言をピックアップする仕事をしたのですが、松下幸之助はずっと小僧をやっていて、電灯会社か何かに入ってから町に出て電灯の検査をする仕事に就くようになって、自分の裁量で何事かをなし得る喜びっていうのを初めて味わったんです。それで、「一生懸命社員に働いてもらって、良い会社にするためには、人が命令してやるのではなくて、自由裁量に任せて自発的に仕事を喜びにさせるしかない」というようなことを言っていて、僕もその通りだと思います。

――「道楽労働」という言葉もありましたが、若者が職業を選ぶ時点では、その仕事に楽しみがあるかどうかが分からないことにジレンマがあるような気がします。


鹿島茂氏: 自分が面白いだろうと思うということは、その時々のレベルに応じて違うわけです。若い人に楽しいことをやりなさいと言うと、漫画を読んだりアニメを観たりするのが楽しいから、それを仕事にしたいと言い出すことが多いんですが、そうではないんです。まず、自分が変わる可能性を考えなければならない。その上で、自分にしかできなことは何だろうと考える。皆、オリジナルなことを考えようとして、結局同じことをやるんです。それは、自分に対する批判精神がないということです。自分のやっていることは、非常にユニークでオリジナルなものだろうと思っていても、凡庸なものかもしれないですから。

古書の価値を持った電子書籍を


――鹿島さんは電子書籍についてはどのようにお考えですか?


鹿島茂氏: 今、電子書籍はダウンロードの数というものを第一に考えています。そうするとダウンロードの頻度の高いものだけを並べれば良いという結論になりますが、それでは、だめなんです。電子書籍の本来の良さは網羅性であって、どこの図書館にもないけど、電子書籍にはある本が大切です。極端に言えば値段は高くても良い。普通の本が千円だったら希少本は1万円にしたって構わない。そうしたら1回ダウンロードしてくれたら、10冊分の金が入ってくる。
今電子書籍が狙っているのは新刊市場だけです。でも古本の価値観というものも取り入れて、古本で高いものを書籍化するっていう風にした方が僕らにとっては非常に良い。本当に必要な資料は、なかなか見つからないのだけど、ないと仕事が始まらないということもある。例えば、今ランボーのことを書いているのですが、ランボーの翻訳は小林秀雄しかいない。他の翻訳、特に中原中也の翻訳が必要なんですが、なかなか見つからない。それが青空文庫を探すと一発で出て、「良かった、良かった」という感じなんです。
最近の図書館はどこも網羅性を考えてないから、ないとなったらどこにもないんです。国立国会図書館では本によってはコピーさせてくれませんから。電子書籍で、国会図書館の様なものを構想する形にしなきゃいけない。それこそバベルの図書館みたいなものにならなければ、本当に良いものにはならないですね。

――電子書籍の登場で編集者の役割も変わるでしょうか?


鹿島茂氏: 紙の本でも電子書籍でも、書かれたものをリーダブルにする作業が必要なことは変わらないですよね。僕はブログをやっていますが、誤植もよくあります。そういうのはやはり、編集者の目が必要ですので、電子専門の編集者が誕生しても良いと思います。人から預かった原稿を校正者としてチェックして出す。僕は、そういうのは出版社を退職した人がやればいいと思っています。アメリカのAmazonでは、ど素人が書いたものがいきなりベストセラーになるということがありますが、そういうことを編集者を介してやれば良いんじゃないかなと思います。

背表紙、挿絵、紙の本の美しさ


――紙の本は物としての美しさもありますが、こちらの本棚も本がきれいに並べられていますね。




鹿島茂氏: フランスの本屋の並べ方を倣っています。並べてみると分かるけど、フランスの本は大体色が決まっていて、深緑と赤と黒と茶色の4色しかない。それは皮なめしの皮の色がその4色しか出なかったからで、それによって統一感が出ています。逆に日本みたいにどんな色も出ると、「目もあやに」なんて言葉にすれば良いけど、でたらめになっている感じもあります。

――こちらの本棚は美しいだけではなくて、大量の本が収められるように工夫してあると感じます。


鹿島茂氏: 工学的に散々工夫した挙げ句、最大表面積を獲得するには、ラジエーター型がベストだという結論に達しました。こことは別に、書庫として借りた部屋があるんです。息子がカメラマンで、この引きがあればスタジオに使えると言われまして、そこは一般に開放して、写真スタジオにしているんです。僕は商売屋の生まれですから、元を取るために本に家賃を稼いでもらおうと(笑)。

――ところで、本の美しさという点では、鹿島さんの本は奥様が挿絵を担当されていますね。


鹿島茂氏: 彼女はごく普通の主婦だったんだけど、僕が書いていた本に挿絵を入れる必要が生まれた時、あまりに安い値段だったので引き受ける人がいなかったんです。それで彼女が「私がやってみる」って言って始めました。岸リューリが彼女のペンネームですが、今は僕の書いている本は、大抵彼女のイラストです。僕がぎりぎりに書くから、すぐ近くにいる人間じゃないと無理なんです。「これじゃ描けない」とか「この文章は良くない」などいろいろ批判されます。彼女が最初の読者です。

文学・歴史・科学を縦断する大著を構想


――鹿島さんご自身は本をどのような想いで書かれていますか?


鹿島茂氏: 僕は基本的には自分が読みたい本を書くということしかないんです。人がやったことを水増しすれば、簡単かもしれないけど、面白くないし、意味はないと思いますね。

――鹿島さんの書かれるテーマは非常に幅広いですね。アイデアはどのように出るのでしょうか?


鹿島茂氏: 一番いけないのは、白紙を前にすることなんです。無から生じるものは無だけです。自分の書いたものを批判しながら進むのが一番良くて、まず、何でもいいから書けば「ここはこうじゃない」というのが必ず出てくる。これは、全ての仕事のコツです。後は、完全にやりきってしまうと燃え尽きて次が続かない。懸垂でも腕を伸ばしきってしまったらできないでしょう。まだやり残しがあるぞという感じでやった方が次の仕事につながります。

全然関係ない仕事でも取り合えず受けてみることがいいんです。そうすると仕事の範囲が広がる。私の専門じゃないからできませんって最初から断ってしまうのは良くない。全くマイナスだけでプラスなしっていう仕事は存在しないということは経験則で言えます。逆に全部プラスでマイナスなしっていう仕事もない。例えばサラリーマンが地方に飛ばされて、鬱屈をため込むことがあっても必ずプラスになることはあるんです。

本も、100パーセント良い本というのはまれです。むしろ何か書く場合に100パーセント使えるような本を集めるとろくなものにならない。たった1行が必要なために買うというようなことをしないと、本当に良いものにはならない。河盛好蔵さんという僕の恩師は、「歴史とか文学の研究をしようと思ったら、資料集めに10年かけろ」と言っていました。大した資料が集まらないと良い研究にはならない。要は「無駄をいとうな」ということだと思います。無駄の中にいろいろなヒントがあるんです。あまりに合理性を追い詰めていくと、煮詰まってしまった時に、出口が見えない。無駄を残しておくとその無駄の中に新しい可能性が出ることありますからね。

――最後に、鹿島さんの今後の展望をお聞かせください。


鹿島茂氏: 文学とか歴史、科学を縦断した壮大な本を書きたいと思っています。最近、いろいろ考えた挙げ句に出した結論が、人間の進歩を加速してる原因は、3つしかないということです。1つは、面倒臭いことは嫌いだという合理主義。もう1つは、自分のやりたいことをやるという個人主義。それからもう1つは、最終的に人から褒められたいっていう認知願望。人間は不思議なもので、たった1人だけでも良いから、自分がやったこと認めてくれる人がないと虚しくて何もやらない。その認知欲動が満たされないことによって、現代の様々なフラストレーションが起こってくる。全ては最終的に人間の心理に行き着いてしまう。そういうことを書きたいと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 鹿島茂

この著者のタグ: 『大学教授』 『アイディア』 『漫画』 『教育』 『美術』 『無駄』 『コレクション』

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