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辰巳渚

Profile

1965年福井県生まれ。お茶の水女子大学文教育学部地理学科卒業後、株式会社パルコ、株式会社筑摩書房にて雑誌・書籍編集者として勤務。その後フリーのマーケティングプランナー・ライターとして独立。著書『「捨てる!」技術』(宝島社新書)は100万部のベストセラーとなる。2008年から家事塾主宰、2013年6月から、南青山にて「辰巳渚のくらしのこと学校」がスタートする。近著に『人生十二相~節目を生きる日本の知恵~』(イーストプレス)。
【HP】http://tatsumi-nagisa.com

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マーケッターとして「伝えること」を学んだ


――大学卒業後は、パルコに就職されて、マーケティング雑誌『月刊アクロス』の編集に携わられましたね。


辰巳渚氏: パルコは当時、元気で面白そうな企業でした。セゾングループの中でも少し特殊で、文化的な香りも高いし、自由奔放なところがあったのです。本当は入りたい文芸系の出版社がいくつかあったのですが募集がなかったので、なんとかして入ろう、とまではジタバタしなかったんですね(笑)。月刊アクロスにはたまたま配属されたのですが、アクロスでの2年間の時期が私を作ったと言えるぐらいに大きい経験でした。

――具体的にはどのような部分で成長したと思われますか?


辰巳渚氏: 大学では、板書をきちんとノートに取るような勉強の仕方で、何かを学ぶこと、知ることの本質は教わってこなかった気がします。でも、パルコで携わったマーケティングは、社会学的・考現学的な立場と言うか、自分の目で見て不思議に思うことや、面白いと思うことを入り口にすればよかったんですね。経済学や歴史学など、すでに確定した学問を使って現状を分析することはできても、私たちが現在生きているフィールドからのつなぎ目がない限り、机上の空論だけになってしまう。逆に、体で感じたことを入り口に意味付けをしていけば、必ずそこに体系的な学問や理論につながるなんらかの道筋がある。そんな「考える」姿勢を初めて学びました。それと同時に、「何を言ってもいい場所」というのを初めて体験したんです。

――「何を言ってもいい」というのは、どういったことでしょうか?


辰巳渚氏: 例えば企画会議、いわゆるブレストを、当時はみんなタフでしたから徹夜でやるんです(笑)。その時、私がどんなことを言っても、「つまらない」とか「何の意味があるの?」というようなことを言わないで、「あ、面白いね」と受け入れた上で、「それはどうして?」と聞いてもらえたり「私はこう考える」と相手も意見を言ったりと、必ずリアクションがあるんです。それによってまた自分が考えていく。そのような場を初めて体験して世界が開けたんです。私はまあまあ勉強はできたので、そこそこテストの点は取れるのですが、世の中の仕組みも人の気持ちも、ほんとうのところ腑に落ちていないというか、わからなかった。自分のリアルな生活や感情と、そういう仕組みや人の気持ちとが、どうつながるのか、どこがフックとなりうるのか、わからなかったんです。けれど、既存の論から始めるのではなく、自分の目や耳や感情が動いたことから論を立てていけばいい、と教えてもらって、全ての感覚にかかっていた膜が取れた感じでした。なおかつ、『月刊アクロス』という雑誌は評価が高くて反響があるので、自分が考えて書いたものが、自己満足だけではなく実際に周りから評価されるということが自信になりました。共感してくれる人は必ずいるんだと思いました。

私には、編集者の適性がなかった


――その後は筑摩書房で書籍の編集者をされますが、どのようなお仕事でしたか?


辰巳渚氏: 最初は書き下ろしのシリーズ本に携わり、一時文庫に移った時期もありましたが、筑摩にいた期間は3年と短いんです。本に関わる仕事がしたいと思っていて、その意味では夢の仕事だったはずなのですが、やってみたら適性が全然違って、いわゆる編集者としての能力が備わっていなかったんです。よく、「著者は頭が悪くてもいいいけど編集者は頭が良くないとできない」と言われるんですけど、編集的な頭の良さや緻密さ、全体の進行を調整していくなど、あるいは著者とお酒を飲むとかコミュニケーションの面も含めて、全く能力がなかった。パルコでは「辰巳の考えることは面白いね」って言われていたのに、筑摩では企画がほとんど通らない。
最後の方でやっと分かってきたのは、当たり前のことですが、編集者は人に自分の言いたいことを言ってもらう仕事ではなくて、著者を伸ばすのが仕事だということでした。私が世の中に対して言いたいことを、誰かの口を借りて言わせようというのは傲慢ですよね。著者こそが表現者であって、編集者はその周りを、あらゆる面でサポートしてあげる。私はそうはなれなかったし、要は私はサポートされたい方だったということです(笑)。会社も、私のことを持て余したと思います。向かないことをしていたので、体調を壊したり、上司とケンカしたり……。退職したのも、独立ということでもなく、辞めざるを得なくなった感じです。会社も、引き留めてはくれましたけれど、多分ホッとしたのではないかと思います。

――会社を辞められてから、フリーとしてどのように仕事を取っていったのでしょうか?


辰巳渚氏: 食べていくために何でもしなきゃいけない中で、できることはライターの仕事、あとはマーケティング雑誌をやっていましたから、広告代理店とのつながりもあって、マーケット分析の仕事でした。それで、マーケッターとライターとの2本立てで食べていく道を探しました。仕事の依頼なんてもちろんないので、自分から売り込みに行きました。マーケティングの分析の方は、比較的評価されていたけれど、ライターの仕事はほんとうに売り込みばかりでしたね。それで、企画を立てて人に提案するという頭の回路が当たり前にあるので、私は今でも企画を立てて持ち込むというスタイルを取っています。

――驚異的なベストセラーになった『「捨てる!」技術』をはじめ、暮らしや家事について様々に論を展開されていますが、家事に目を向けられたのはなぜなのでしょうか?


辰巳渚氏: 別に私に主婦志向があったわけではないんです。私の親は過保護で、しかも私がぜんそく持ちですから、「お手伝いもしなくていい、勉強していればいいわよ」、という家庭で育ったんです。私も、家は好きだけど家事なんてお母さんの仕事という感覚でいました。でも、仕事のストレスで体を壊した時に家に閉じこもっていたことがあって、その時に、「ああ、この家で家事をしていることこそが自分を現実につなぎとめてくれるんだな」ということを、つくづく感じたんです。私も含めて、多くの人は、家事に対する意味付けを学んできていませんね。社会に出ることの方が価値が高くて、家にいるのは我慢しているとか、つまらないことのように思われています。私が家事をすることなしに育ったことで、逆に価値に気が付かされたという面があるのではないでしょうか。

著書一覧『 辰巳渚

この著者のタグ: 『ライター』 『考え方』 『価値観』 『マーケティング』 『独立』 『フリーランス』 『家事』 『違和感』

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