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世界中の本好きのために

浅野健一

Profile

1948年、香川県高松市生まれ。72年、慶応義塾大学経済学部卒業、共同通信社入社。編集局社会部社会部記者、ジャカルタ支局長、外信部デスクなど歴任。94年から同志社大学社会学部メディア学科・大学院社会学研究科メディア学専攻博士課程の教授。2002~03年、英ウエストミンスター大学客員研究員。人権と報道・連絡会(連絡先:〒168-8691 東京杉並南郵便局私書箱23号)の世話人。『抗う勇気』(ノーム・チョムスキーとの対談、現代人文社、2003年)『メディア「凶乱」』(社会評論社、2007年)『裁判員と「犯罪報道の犯罪」』(昭和堂、2009年)『記者クラブ解体新書』(現代人文社、2011年)など著書多数。
浅野ゼミHP http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/index.html

Book Information

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共同通信に入れば四国新聞に名前が載る


――浅野さんご自身の幼少時のお話も伺わせていただければと思いますが、ご出身はどちらですか?


浅野健一氏: 僕は四国の高松市生まれ。当時は香川郡一の宮村。本当に田舎で、僕が小学校4年生の時、村から初めて東大に受かって、皆でちょうちん行列をしたのを見たことがありましたね。「健ちゃんも東大行け」って言われましたね。

――東大に行くことを期待される秀才だったということですね。


浅野健一氏: いや、すごい田舎ですから、当時あまり勉強する子がいないし、勉強するような時代でもないですから。大体友だちの家に遊びに行っても、本とか雑誌はなかった。うちは、両親が中学と小学校の教師だったし、わりと本とかがあって、いとこにも大学に行く人も多かったんです。

――本を読むことも自然に小さいころから身に付いたのですか?


浅野健一氏: 僕は中学校、高校の時に本当にいっぱい本を読みましたね。主に文庫と新書ですね。岩波新書と中公新書にはお世話になりました。あとは、先生に岩波文庫の古典を読めと言われて読みましたね。高松高校の世界史の先生の影響も大きいですね。授業はフランス革命だけずっとやるんですよ。で、「ルイ14世はインキンタムシで苦しんでいた」とか「ベルサイユ宮殿にはトイレがなかった」とか、面白い話をいっぱいしてくれる先生でした(笑)。あとは、広島大学に行ったいとこが、夏休みに小田実の『何でも見てやろう』(講談社文庫)を読んでいて、「これは面白いよ」って、貸してくれたんですよ。中3だったかな。これがめちゃくちゃ面白くて、自分も四国を出て海外に行きたいと思った。

――ジャーナリズムを意識したのも小田実さんがきっかけでしょうか?




浅野健一氏: 小田実さんの影響もありますけど、あとは中学校は香川大学付属高松中学校だったんですけど、電車下りて学校までの間に四国新聞本社があったんですよ。これがまた平屋みたいなボロボロの新聞社で、まだ活字を1つ1つ拾っていたわけですね。それで、僕は不思議だったんですよ。こんなボロボロの新聞社で、「王がホームランを打った」とか、どうやって取材してるのかなって思ったんですよ。で、色々調べていったら共同通信からニュースが配信されてるんだって分かって、共同通信に入ったら僕の名前が「浅野共同特派員」って四国新聞に載るなと思って、共同通信って良いなと思ったことがありますね(笑)。実際、1989年から92年までジャカルタ特派員になってよく名前が出ました。

ケネディ暗殺を日本で最も早く知った高校生!?


――学校の勉強では何の教科が好きでしたか?


浅野健一氏: 中1から英語が始まりますよね。これがすごい不思議だった。ローマ字で書いてるのを見て、何だろうと思って。あ、日本語とは全然違う言葉があって、この英語っていうのをやると何か色んなことが分かり、世界が広がるんだと。それで英語はすごく好きになって必死で勉強しましたね。高松に栗林公園っていう名園があって、そこに外国人観光客がよく来ていたり、キリスト教の教会の日曜学校に行くと牧師さんがただで英語を教えてくれたりしたので、出掛けていったりしていました。教会のアメリカ人のご夫妻がいて、その生活が日本と全然違う。欧米の雰囲気に触れた。あとは、岩国市にFEN(Far East Network)があって、今はAFN(American Forces Network)ですが、アメリカの軍人のために英語で24時間放送しているのを聞いたり、Voice of Americaとかも短波で聞いていましたね。ビートルズとか、最新の音楽を聴けますからね。高校1年生の時に、尊敬していたジョン・F・ケネディ米大統領が暗殺されたのですが、朝3時ごろそれもラジオで聞きました。

――それはもちろん生放送で。


浅野健一氏: 生ですね。FENにAPネットワークニュースっていうのが流れて、「President Kennedy assassinated」「Kennedy was shot in his brain」って興奮した声でリポートしてる。で、僕はassassinateって言葉が分からなかった。辞書で「ass」というのがあり、おしりの穴とある。これはちょっと違うだろうと。「assassin」という単語があり、殺人者ということを知り、ああ、暗殺されたんだって。朝、起きてきた父親に、ケネディ大統領が暗殺されたみたいだと伝えた。その日の朝、NHKと毎日放送がアメリカから初めての衛星テレビ中継をやったんです。NHKの特派員がね、「この日米同時中継の、初めての放送で最も悲しいニュースを私たちはお伝えしなければなりません。ジョン・F・ケネディアメリカ大統領が今朝、ダラスで暗殺されました」ってやったんですよ。それを僕は知っていたから、父親が「お前はなぜ死んだって知ってたんだ、すごいな」って言われましたね。恐らく僕、ケネディ大統領が死んだっていうニュースを日本で最初に知った10人位の中の一人だと思うんです。共同通信の夜勤の記者と、NHKの職員くらいでしょう。共同の記者がもし居眠りしていたら、聞いていませんからね(笑)。それで、そのAPの記者の中継を聞いて、「ジャーナリストは世紀のニュースの現場に行け、世界にニュースを発信するなんてすごい」と思って記者になりたいと思った。

アメリカの高校でジャーナリズムへの思い強まる


――高校時代には留学もご経験されているそうですね。


浅野健一氏: 英語が好きだったので、海外に行きたかったんです。それで、高校の時にアメリカのミズーリ州の田舎に留学したんですよね。AFSという米国から始まったNGOの国際奨学金制度がありまして。竹内まりあが後輩ですけど。あと、広島の秋葉忠利・前市長とか、猪口邦子議員、川口順子元外相もそうですね。日本全国から年に110人位、ただでアメリカに1年間留学できた。その時は四国の4県から6人受かった。卒業が1年遅れるので、東大を受ける生徒は受けないんですよ。入試に不利だから。まず、アメリカで1年遊ぶともうパッパラパーになってね、帰ってきたら漢文とか忘れてるし、日本史とか全然だめになるという心配があったようです。

――外国で生活すると、外国語で思考していることに気づく瞬間があると言われますが、英語に自信がついたのはどのくらいの時でしたか?


浅野健一氏: 3ヶ月くらいですね。夢を英語で見るようになったらもう勝ちなんですよ。英語でけんかできたら良いんです。あとは、ガールフレンドとデートができればいい。面白いのは、留学すると3ヶ月から半年で、外国人の顔を日本の友達の誰に似てるって思うようになる。白人の子の顔やアフリカ系の顔を、外国人と意識しなくなりますね。それから普通の付き合いができる。

――アメリカの高校の授業で印象に残っている内容はありますか?


浅野健一氏: 高校の3年生の時に、アドバンスコースみたいなのがあるんです。例えばミュージックという科目は1年生からあるんですけど、その次に、コーラスをやりたいとか、楽器をやりたいとかがある。それと同じように社会科系もあって、僕はジャーナリズムとサイコロジーという科目を取ったんですね。ジャーナリズムの先生も、多分記者の経験があるんですね。それでキャンパス新聞があって、そのクラスで作るんです。僕はキャンパス新聞のメンバーになって、日本のことを色々紹介する記事を書いたりしました。高校にジャーナリズムのクラスがあるんだ、すごいなと思いましたね。アメリカは大学に行ったら日刊紙があるし、FMラジオ局も持っているんです。カリフォルニア大学バークレー校とか、ハーバードもイェールももちろん、コロンビア大学にも日刊紙があります。APが大学新聞には記事を全部ただで提供するんですよ。いわゆるアカデミックユースという無料サービスです。マイクロソフトにもあるあの考え方ですよね。

――ジャーナリストになるという気持ちはそのころには既に固まっていたのですか?


浅野健一氏: はい。僕が通っていた県立高松高校では教師が東大とか京大に行けって言うんですよ。僕はもうジャーナリストになるって決めていたから、マスコミに行きたいんで、早稲田か慶応に行くと言いました。それで最初はNHKの特派員になりたいなと思ったんですが、大学に行ったら、本多勝一さんがNHKのサイゴン特派員が現地の権力者や米大使館幹部などを招いて派手なパーティーをやっているとか、ベトナム戦争の真実を伝えないということを書いていて、受信料を払うべきではないと訴えているのを読んだら、もうNHKに行く気がなくなりました。共同通信、朝日新聞、毎日新聞に絞りました。TBSにもちょっと行きたかったんだけれど、昔は有力6社の入社試験が同じ日だったし、毎日とTBSは72年度の入社試験がなかった。しょうがないから共同と朝日、どっちにしようかなと思って、海外に強い共同を受験したんですよ。

著書一覧『 浅野健一

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