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世界中の本好きのために

山川健一

Profile

1953年生まれ、千葉市出身。早稲田大学商学部卒業。在学中から執筆活動を開始、1977年、大学内での内ゲバ殺人に題材を採った「鏡の中のガラスの船」で『群像』新人賞優秀作受賞。以降『壜の中のメッセージ』、『水晶の夜』、『ロックス』、『安息の地』などロック世代の小説の旗手として活躍。『ニュースキャスター』、『ジーンリッチの復讐』では新たなエンターテイメント小説の創造に挑戦した。興味の対象は、車、バイク、ロックンロール&ブルース、環境問題、車、など多岐にわたる。

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良質な「レーベル」の出現で電子書籍は革命になる



山川健一さんは、作家、評論家として、またロック・ミュージシャンとして社会に自らの声を届け、影響を与え続ける表現者です。また、表現活動の主要媒体である本への想いは強く、東北芸術工科大学芸術学部文芸学科の学科長として作家や編集者を志す後進の育成にあたるほか、大学出版局の設立・運営にも携わっています。未来の本のあり方に一石を投じる山川さんのお考えを伺いました。

芸術史の教科書制作に奮闘


――早速ですが、山川さんの最近の活動について伺えますか?


山川健一氏: 作家とミュージシャンの活動を継続してやっていて、ライブをやったり新作の小説の原稿を書いたりしています。それと、2年前に東北芸術工科大学で、小説家などの書き手志望の人たちと編集者志望の人たちに応える文芸学科の設立に携わって、その流れで、同じ徳山詳直理事長のもとにある姉妹校の京都造形芸術大学と共通の出版局を作ろうということで、昨年の10月位に芸術学舎出版ができました。まだ本は出していないんですけれども、基本的にこの出版局で本を作って、流通は幻冬舎さんにお願いするという形で出版活動も始めます。

――大学の出版局を設立されたきっかけはどういったことですか?


山川健一氏: 理事長とお話ししている中で、いわゆる商業出版とは別の、意味のある出版局が必要だという話になって、僕がやることになりました。大学に来る前に、サイバーエージェントの子会社としてアメーバブックス新社というのをやっていましたが、大学の方に時間を取られて、両方は無理だという事で解散したんです。それまではサイバーエージェントと幻冬舎が資本参加して、流通は幻冬舎にお願いするというスタイルでやっていましたが、出版局であれば大学の中でやれるだろうという事で、芸術学舎へ移行しようということになりました。

――芸術学舎ではどのような本を制作される予定でしょうか?


山川健一氏: 今やっているのが、大学の授業の教科書です。通信教育で芸術史の講座が開講するんですけれども、その教科書を作っています。とりあえず8冊、最終的には30数冊になる予定です。アメーバの時は、芸能人ブログが多くて、ブランドの名前がいっぱい出てくる本が多かったのですが、今は芸術史を体系的に勉強しないといけなくて、知恵熱が出そうです。絵画だけではなくて立体、日本でいうと埴輪から扱って、造園、文学、全部をカバーしているので、なかなか大変です。

――出版の活動をされることには、どのような使命感がありますか?


山川健一氏: 今、ちょうど時代が転換期だと思うんです。ブックスキャンさんのような会社ができたことからも分かるように、時代はものすごい勢いで動いていて、その転換地点にわれわれがいる。過去の文学には良いものがたくさんありますが、それが一気に失われそうな面もあると思っています。
小説を書くというのは特殊な技能で、大学で教えられるようなものではない職人技が脈々と伝えられてきた。それこそ菊池寛から横光利一へというような、あるいは『群像』とか『文學界』などの文芸誌に名物編集者がいて、僕も若い時はそういう人たちに文学を習ってきた。そういう伝統が一気になくなってきて、売れれば何でもいいというような時代があり、今は本が売れないと言われている。このままだとたぶん、出版文化は衰退の一途をたどってしまう。そこで色々な手を打たなければいけないのですが、一人では無理なので大学をベースに広げていって、出版文化に貢献できるような活動をしていきたいと思っています。

芸術で平和を実現する「藝術立国」の思想



山川健一氏: 僕だけではなくて多くの出版人、作家たちが感じていると思いますけど、本当に本が売れなくて、エンターテインメントはともかく純文学というのは初版部数がどんどん減ってきています。このままでは作家として自分の生活を支えていくことさえ不可能になってしまう。
僕の時代は本が売れる時代だったので幸運だったと思いますけれども、今の若い人は非常に苦しいだろうと思います。シーンそのものを変えていかないことには、もうどうにもならない。それで準備をしていたら東日本大震災があり、原発事故があり、原発事故をめぐる報道が全部でたらめだった。いわゆる日本語の価値というもの、あるいはテレビ等で流される映像の価値というのが下落していって、若い学生の皆さんが言語や映像に対する信頼感を失ってしまっている。
ここを巻き返すのはものすごく大変だと思うんですけれども、いま頑張らないと本当に後悔することになります。これまで出版文化が危ないぞという感じだったんですけど、もうここに至っては国が滅びそうな勢いです。

――大学教育と出版をリンクさせることに特別な想いはありますか?


山川健一氏: 僕がライターをやった、徳山詳直理事長の『藝術立国』という本がありますが、藝術立国というのは簡単に言ってしまうと、道端に咲く一輪の花を美しいと思う子どもの気持ちが、必ずや平和を実現するに違いないという信念なのです。この藝術立国という思想に従って芸術学舎が設立され、京都に文明哲学研究所という脱原発について考察する研究所が設立されたんですね。その文明哲学研究所の活動も書籍にしていこうと思っています。



売れれば何でも出すんだという出版社ではなくて、土石流のような流れに何とかあらがえないかということをやる出版局であり、研究所です。自分はその末席に位置していて、できることは全部やろうと思っています。藝術立国というと、国家の概念がすごくあいまいなのに芸術で国を建てるなんて古いという人もいます。でもこれはジョン・レノンの『イマジン』なんです。並びがいいから藝術立国になっているだけで、日本を一流の国にしようとかいうことでは全くない。理事長はもう83歳なのでイマジンなんか聞いたことないと思いますけれども。僕ももう59歳ですから決して若くはないのですけれども、まあ理事長に比べればだいぶ若いので、幻冬舎の見城徹社長を含めてわれわれが次の世代にバトンを渡していこうということです。

――山川さんが抗う流れというのは、例えば積極的に発言されている原発の問題などでしょうか?


山川健一氏: 僕は反原発、脱原発のTweetを散々して、TPPに関しても発言しています。普通の大学であれば解雇だと思います。でも東北芸術工科大学と京都造形芸術大学は大学として初めて脱原発を宣言した大学なんです。文明哲学研究所というものができる時に、理事長がはっきりそうおっしゃった。だから許されているのだろうと思うのですね。大学は人数が多いので、全部が全部そう思っているかどうかは分かりませんけれども、2つの大学は脱原発を宣言し、研究所を作り、芸術学舎という出版局を作った。そういう場所にいられることを、誇りに思ってます。

「ロック」し続ける作家の原点


――山川さんの考え方のルーツはどういったところにあるのでしょうか?


山川健一氏: 僕は中学生まではごく普通の子供でした。高校に入った時がちょうど、学園紛争のまっただ中で、高校2年の時に1970年の安保があって、高校1年の時に図書館がバリケード封鎖になったんです。全国の高校としては初めて機動隊が導入され、騒乱になって逮捕者が出るというような状況になった。それで「何なんだこれは」とショックを受けた。ついこの間まで田舎の中学生だった僕が、自己否定とか造反有理って何だと考えて、自分にとっては大きな体験になった。
それとそのころ、文学でいうとランボー、ロックだとローリング・ストーンズ、それからオートバイの免許を取って、何か自分のコアができたんです。自分自身で物を考えて行動しないと何も始まらないんだ、親や学校の先生に言われて勉強して、いい大学に行っていい会社に行ったって、そんな人生には意味がないんだっていうことが一瞬のうちに見たんですね。ブルース・スプリングスティーンに「学校の授業なんかよりも一つの曲からはるかにたくさんのものを得た」っていうフレーズがありますけれども、まさにロックからたくさんのものを学んで、僕の知性の95パーセントは多分ロックから、あとの5パーセントが文学ですね(笑)。

――ロックは単に音楽ジャンルではなく、思想というか、行動指針のようなものだったんですね。


山川健一氏: よく「ロックしようぜ」って言いますけど、それは自分自身であり続けようっていう意味です。僕らはそういう中で育ってきたんです。ロックを聴いていたおかげで、レコード会社はミュージシャンを散々食い物にするんだっていうのが分かるわけです。
僕は作家として大学4年の時に『群像』という雑誌でデビューしましたけれども、ほかの作家と少し違ったのは、群像は講談社っていう大資本から出ていて、講談社は取り次ぎの大株主だよなという意識があったことだと思います。文芸誌は作家を囲い込むんですね。『群像』から出るとほかの雑誌に書かせない。『文學界』に書いちゃだめだとか。それどころかロック評論なんかも書くなという姿勢でした。でもそれで育つ作家は10パーセント程度で、あとの9割は10年後にはもういなくなっているっていうシステムです。
もう23歳の時にそれが分かっていたので、僕は『野性時代』や『海』、『文芸』や『すばる』など他の文芸誌にも書きました。本当に嫌なガキだったと思いますけど、僕の作家生活はそういうふうに始まったんです。

――出版社の意向に背くことに葛藤や迷いはありませんでしたか?


山川健一氏: 資本の論理だから別に相手が悪いという訳じゃないわけです。僕の担当編集者の方はものすごく優しい知性のある素晴らしい方だけれども、この人はこの組織にいるんだから、そういう風に動く。だから、自分の身を守るのは自分しかいないし、自分が表現したいものを表現するためには自分が動くしかないということがデビュー直後から身に染みていたんです。
結局本にいくら価値があっても文芸評論で褒められても、売れなきゃ次の本は出してもらえないわけですから。売るためにはロック評論も書いた方がいいし、女性誌のインタビューも受けた方がいいし、他誌にも書いた方がいい。多分、村上龍さんなんかもそういうタイプだと思うんです。そういう作家があの時代に何人か出てきたんだろうという風に思います。

本音をぶつけることで同志ができる



山川健一氏: その頃ロックから得た考え方は全く変わっていないです。忌野清志郎さんは僕の2つ上で、お世話になった大先輩なんですけど、1988年にRCサクセションの「COVERS」というアルバムが発禁になったころ、一緒にライブをやって話したんです。「もうレコード会社はどうにもならない」と言っていて、「こんなことをやっていると、必ず俺のようになる。だから悪いこと言わないからサッサと自分の出版社を作れ」って言うんです。僕も反原発の小説を書いてましたからね。その時僕は驚いて、さすがロックミュージシャン、というか忌野清志郎はスケールが大きいなと思ったけど「清志郎さん、いくらなんでもそれは無理だよ」と言ったんです。でも清志郎さんのその言葉が僕のどこかにインプットされたんでしょうね。
その後サイバーエージェントの藤田晋社長と話している時に清志郎さんの言葉がよみがえって、「藤田さん、ブログもいいけど出版社を作ろうよ」って言ったら、二つ返事でアメーバブックスができたんです。多分、清志郎さんの一言がなければ僕の中に出版社を作るという発想はなかっただろうと思います。あの一言でアメーバブックスっていう会社ができて、10年やりましたけど、とても勉強になる10年間でした。アメーバブックスがあったから、いま出版局と文芸学科と両方が可能になっているんだろうと思います。

――理解者がいるからこそ、活動に力を与えられるわけですね。


山川健一氏: 自分が本当に思ったことを言う事は大事だと思います。清志郎さんとも本音で話したから向こうはそう言ってくれたんだし、藤田社長にも本音でそう言ったから応えてくれたんだろうと思う。
幻冬舎の見城徹社長は40年の付き合いで、実の兄貴以上に兄貴みたいな存在です。いつも怒られてばっかりですけど。僕は大学の組織にいますから、組織人として上司がたくさんいるわけですけれど、本当の上司は2人しかいない。個人的には自分の兄貴は見城徹、親父は徳山詳直と決めています。
ごく最近、見城さんから「お前には清濁併せ飲むところがない」と説教されたんです。純粋なのは分かるけど、そんなことでは出版局はまわらないと言われたんですね。見城さんに説教されて3日後に、徳山理事長と会った時に、「味方だけの組織では反対意見が出ないから弱い。敵を入れた組織の方が強いんや。あんたはまだ青い」って言われたんです。「理事長、それは清濁併せ飲むっていう事ですか?」と聞いたら「まさにそうや」と。3日前に見城さんに言われたのと同じでした。親父と兄貴に同じことを言わたので、これは本当にそうかなと(笑)。
原発の事でとんがってて、首相官邸前に言ってスピーチしたりデモに行ったりしたけど衆院選で大敗したので、落ち込んでいたのを2人は見ていたんでしょうね。まだお二人が本当に何を意味してそうおっしゃったのか良くは分かっていないんですけど、全然ポジションの違う2人が同じことを言うんだから、そうなんだろうなという風に思っていて、それは今後の課題です。

言葉の力を復活させるムーブメントを


――山川さんにとって本を出すことはどういうことですか?


山川健一氏: 1冊の本を出すという事は、作家にとっては商売なんですけれども、商売ということを超えて1つのムーブメントを起こすということだろうと思います。作家は自分が出した本に責任を負わなければいけない。それは1冊だけではなくて、今回出した本が次の本を呼び、また次の本を生むという風に継続していく。作家というポジションは国家資格があるわけでも何でもない。新人賞をとってもそのまんま終わる人はいっぱいいます。「作家になりたい」と多くの学生が言いますけれども、作家という職業はなくて、意志を持続して次々に作品を書いていく事が作家活動なんだということを言っています。
だから僕にとっては小説の方が価値があってエッセイは価値がないということもなく、これは等価です。僕は芸工大の教員仲間である竹内昌義さんやマエキタミヤコさんと毎週月曜日に脱原発言論という一般の方に開放したシンポジウムをやっているんですけれども、そこでしゃべったりすることも全部等価なんです。今日ここでインタビューを受けてているのも等価なんです。それは大きなムーブメントの1つのピースということですから。

――目下山川さんが起こそうとしているのはどういった「ムーブメント」でしょうか?


山川健一氏: マイノリティーでも住みやすい社会、原発のない社会で暮らせる方向へ向かいたい。国家そのものを売り渡すようなTPPに、「気持ち悪いよね」って思う人を増やしたい。そういう大きな目的のために1つ1つの活動があるんだと思います。
福島第一からはいまだに高濃度の汚染水が垂れ流しになっていて、空気中にも出ている。4号建屋の土台であるコンクリートの壁も相当危ないらしい。この間、初めて東電が外部の人間をそこに入れて調査をして、大丈夫だったという報告があった。しかし入ったのは一人で、しかも氏名は非公開であった。こんなもので大丈夫だと言われて果たして信用できるだろうか。魚の汚染具合も調べていますけれども、調べているのは東電です。
六ヶ所村からも高濃度の汚染物質が放出されていて、パイプで相当沖の方で捨てていると言っているんだけれども、海流に乗って世界を汚染し続けているという現実があって、今の技術では収束しようがないわけです。除染と言いますけれども、除くことはできない。あれは移染であって除染じゃないわけです。
言葉のマジックがあって、日本語の力がおびただしく弱くなっている。そういう中で自民党政権は参院選が終わったら全国の原発を再稼働するだろう、TPPのテーブルに着くだろう、という絶望的な状況の中で、われわれはどうすればいいのかということを僕ら1人1人が自分の頭で考えないと本当に取り返しのつかないことになるだろうと思います。

電子書籍で本のヒエラルキーを逆転させる


――山川さんは電子書籍のご利用はされていますか?


山川健一氏: 読者としては青空文庫から始まって、各社の電子書籍を読んでいます。僕の本ではダイヤモンド社の本が電子書籍になりました。

――出版に携わられているお立場から、電子書籍についてはどのようにご覧になっていますか?


山川健一氏: 電子書籍にはものすごく大きな可能性を感じます。特に新人作家のデビューする場所として電子書籍は有効だと思います。日本の場合、新人作家は四六判ハードカバーで本を出すんです。これを例えば5千部刷ろうと思ったら500万かかる。広告宣伝とか色々考えると1000万近いお金がかかる。
ところが、1000万あったら文庫を3、4冊出せるわけです。日本の場合はものすごいコストを掛けて新人をデビューさせ、この人が売れると文庫にする。で、文庫にしてペイさせようとするわけです。文庫でずっと活動して、ある程度認知されると新書を書かせる。新書を書いた作家はあがりなんです。単行本、文庫本、新書っていう風にヒエラルキーができている。これはビジネスの発想として僕は間違いだと思います。



アメリカは純文学とかエンターテインメントとかという区切りはなくて、ハードカバーライターとペーパーバックライターと分かれているだけです。まずペーパーバック、日本でいえば文庫を出す。その中である程度売れた人の本がハードカバーで出るという風に方向が逆なんです。
本来は、新人作家は文庫でデビューさせるべきです。その中でニーズがあるものに関してハードカバーにしていくべきだと思います。そういう中で、電子書籍はある種革命だと思います。巨額の資本を投下しなくても電子書籍でまず出していって、その中で支持されたものを文庫にし、その文庫で支持されたものを四六判の本にするというように、流れを逆転できます。

――特に文庫本は大きな出版社しか出していない印象があります。


山川健一氏: 激しい文庫のシェア争いがあるわけです。講談社文庫、新潮文庫、文春文庫、角川文庫、幻冬舎文庫等で、出版社の生命線ですからこの棚をいかに取るかというのが死活問題。となると、この文庫戦線に参戦するのは相当の資本がないと無理なんです。例えば芸術学舎では絶対無理です。ロットを投下して宣伝費をかけて、これだけ売れますからお宅の本屋の棚を下さいと言わなくてはならないから、中小出版は文庫は出せない。長いあいだこのシステムが変わらなかったんですね。

――電子書籍がいわば登竜門として機能するにはどういったことが必要となるでしょうか?


山川健一氏: レーベルが大事になってきます。電子書籍はInDesignができれば誰でもできるので、今あちこちに「電子書籍を無料でアップしてオンデマンド出版できます」というところができてきています。膨大な電子書籍がネット上にあるという状況になると思います。
そこで必要となるのはセグメントで、ここのレーベルはこういう傾向の電子書籍を出していて、面白いと認められればそこに読者が付く。だから例えば講談社なら講談社が、うちの本を片っ端から電子書籍にしますよって言われたって、それは新しくも何ともない。そうじゃなくて、あるところがレーベルを作って、うちはこういう電子書籍を出していきますという風にすると、新人作家のデビューの場所にもなっていく。僕はそれをやりたいと思っています。電子書籍から紙の方へ移行するのが健全だと思います。カラーに合うものならに古い本の復刊もあるかもしれないですしね。

それでも「希望」を描く


――山川さんはアメーバブックスでブログから本を生み出すという流れを作りましたが、今後の書き手の発掘の仕方についてはどう思われますか?


山川健一氏: アメーバブックスも、当時としては新しかっただろうと思います。ただインターネット、とりわけブログからコンテンツを見つけてきて、それを書籍化するという枠組みは多分古くなっています。新しいものってすぐ古くなるんです。今やTwitterとFacebook、SNSの時代ですから。アメーバブックスのコンセプトはものすごく新しかったけれども、新しかったがゆえに、今ではもうすごく古い枠組みになってしまいました。

――すると、Twitterなどから作家が誕生するという流れになるでしょうか?


山川健一氏: Twitter上で、原発はまずいよねっていう声はものすごく高くて、首相官邸前に一時は10万人集まった。でも総選挙の結果があれじゃないですか。山本太郎さんがあれだけ頑張って、健闘したと思うけどダメだった。だからやっぱりネットの中にとどまっている限りダメなんだなっていう風に思いました。Tweetしているだけでも、デモをやっているだけでもダメです。
Tweetは140字しか書けないから、ある種エモーションの吐露だし、断片じゃないですか。それをえりすぐりで単行本化できそうなコンテンツを集めて、電子書籍で出していくっていう風にすると少しインパクトが違うかなと思っています。技術的な壁はあると思いますけど、それを1つ1つ乗り越えて、良質な電子書籍のレーベルができてくると、可能性は広がるだろうという風に思います。

――最後に、あらためて今後の展望をお聞かせください。


山川健一氏: 今年は先ほど言った芸術史の教科書で、「暮らしに芸術がある毎日はいいよね」、「芸術は平和を実現するんだ」ということを訴えていきます。それと他者が出せない脱原発の本を2、3冊出そうと、脱原発の活動をしている仲間に声をかけて準備しています。それから文芸学科の僕のゼミの学生を中心に、福島を含めた東北に住んでいる若者達のルポタージュを考えてます。僕は教員としてサポートしながら単行本化したいと思っています。
僕自身としては、3.11以降の文学はそれ以前の文学とは全く違うだろうと思っています。原発事故が進行する日本で、果たして希望を語れるかどうかを考えていますね。絵描きの人が言っていましたけれども、絵描きはエロスを描き、エロスというのは生命の希望なんだ、と。いま、これだけお母さん方が傷んで、福島では堕胎せざるを得ないお母さんが続出する中で、絵が描けるかと問うた時に、書けないとおっしゃっていた。僕も全く同じ気持ちです。
僕はゲームが好きで、とりわけRPGが好きなんですが、RPGの基本は世界を救って帰ってくることでしょう。しかし世界を救って帰ってきて、電源をオフにすると、自分が置かれている現実はもっと危機だという中で、どういうゲームが作れるのかというのが問題です。
今まで百何十冊本を出したと思うんですけれども、次の本はすごく重い。そういうような状況で、どこに希望を見い出せばいいんだろうというのが難しいです。でもここで止めるわけにはいかないので、どんなに時間が掛かってもいいから次の長編を仕上げたいと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 山川健一

この著者のタグ: 『考え方』 『音楽』 『教育』 『作家』 『芸術』 『ミュージシャン』 『活動』

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