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世界中の本好きのために

樋口裕一

Profile

1951年、大分県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。立教大学大学院博士満期退学、専攻はフランス文学。現在、多摩大学経営情報学部教授。小学生から社会人までの作文・小論文の通信添削塾である白藍塾の塾長を務める。250万部のベストセラーになった『頭がいい人、悪い人』のほか、文章術やクラシック音楽に関する著書多数。「小論文の神様」「ミスター小論文」と呼ばれる小論文指導の第一人者。

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才能を磨き上げておけば、発信できるタイミングは必ずある



多摩大学教授で翻訳家の樋口裕一さんは、論理的でわかりやすい文章を書くための「樋口式小論文」の理論を駆使した文章指導で著名です。また作家として、話し方や文章法のほか、造詣の深いクラシック音楽に関する本を執筆。『頭がいい人、悪い人の話し方』は250万部を超える大ヒットを記録しました。樋口さんに、文章の指導者となるまでの経緯や、電子書籍に関するお考え等を伺いました。

学生に「書き」と「話し」の経験が足りない


――多数のご著書がありますが、どのくらいの数になるのでしょうか?


樋口裕一氏: たぶん全部で250冊ぐらいありますね。参考書は150冊ぐらいでしょうか。

――文章指導は主にどういった方にされているのでしょうか?


樋口裕一氏: 最近は多摩大学での文章教育が中心ですね。

――大学生の文章力はいかがですか?


樋口裕一氏: 練習させるとできるようになるんですけど、最初はひどいですよ。3分の1ぐらいが、いわゆる「です・ます」と「である・だ」、敬体・常体が入りまじったり、意味不明のことを書いたり。授業に出ていた人は、最後はちゃんと書けるようになります。最低でも、とりあえずありきたりなことを論じられるぐらいにはなりますね。中には、文章を書くのが得意になって、文章で身を立てようとし始めた学生もいます。

――文章力の不足は初等教育のシステムの問題なのでしょうか?


樋口裕一氏: そうだと思います。ときどきしか作文を書かされないから、サボってきたんでしょうね。今はだいぶ「書き」とか「話し」が重視されているみたいですけれど、ちょっと前まで全くされてなかったんだと思います。小中高で教育を受けてないまま大学まで来るというのは驚くべきことです。僕の生徒は、5回ほど書いただけでだいぶ書けるようになるんですよ。それならもっと前になっていてしかるべきだと思うんですけれどね。

――樋口さんの授業では、いわば9年間の遅れを1年で取り戻すということですね。どういった内容なのでしょうか?


樋口裕一氏: 今は半期ですね。最初は原子力発電所の問題とか、大学でのミスコンテストの是非とか、テレビでよく言われているものを普通に書けるようにして、だんだん難しくしていくという感じです。最後は文章を読んでそれについて論述させるという、小論文の問題を必修でやらせています。

――樋口さんの文章法や話し方の本が非常に売れているのも、現状を表しているのでしょうか?


樋口裕一氏: そうですね。アウトプットすることに劣等感を持っている方が多かったんだろうと思います。

クラシック音楽に魅せられ続けている


――樋口さんは幼少のころ、どのような本を読まれていましたか?


樋口裕一氏: すごく小さなころはルパンやホームズが大好きでしたね。あとは怪人二十面相のシリーズなど、図書室に行くとそればかり読んでいました。漫画は手塚治虫が大好きでしたね。

――文章を書くことについてはいかがでしたか?


樋口裕一氏: 作文はわりと上手でしたけれど、特別に何か書くということはほとんどなかったです。ですから、飛びぬけて何かができるということではなく、本の好きな、ちょっと勉強ができる子という感じです。ほかの人と違う感じがするようになったのは、クラシック音楽を聴きだしてからなんです。

――クラシック音楽についてはご著書もありますし、よく言及されていますね。


樋口裕一氏: 僕はクラシックオタクなんですよ。子どものころにバイオリンをやらされていたんですけど、すごく下手という自覚があったので、自分でやるのは無理だなというのは初めから思っていたんですけれど、小学5年生の時、音楽の時間に聴いた「ウィリアム・テル序曲」にものすごく感動して、それからもうずっとのめり込んでいます。

――レコードもたくさん買われたのですか?


樋口裕一氏: 当時の小さなレコードが400円で、ちょうど小遣いが400円だったんですよ。だから一切ほかには使わずにレコードだけ買って、1枚買ったらずっと翌月まで聴いていました。今でも覚えているのは、中学生の時、修学旅行で京都へ行ったんですけど、2000円くらいお小遣いをもらったのを一切使わずに、そのお金でレコードを買いました。音楽に感動して魂が震えて、本当に好きで好きでしょうがなかったんです。

――今のお仕事にクラシック音楽が生きている部分はありますか?


樋口裕一氏: これを言うとバカにされるんですけど、「この段落はロッシーニ風」とか、「この段落はベートーベン風」とか「ワーグナーっぽくやりたい」とか、意識して書いています。アンダンテとかアダージョとかアレグロな文章とかね。それと、ある時小論文を教えていたら、音楽大学志望の生徒さんに「先生の小論文は『ソナタ形式』だ」と言われて非常にびっくりしたことがあるんです。言われてみればそうだなあというところがあって、ソナタ形式というのはだいたい、最初に主題が出てきて、それを展開して再現しますが、第一主題と第二主題、雰囲気の違う2つの型が戦うんです。僕の小論文の、イエスかノーで戦わせるという理論は、まさにソナタ形式ですよね。あと僕は4章立てが好きなんです。本の構成なども四章建てにすることが多いんですけど、交響曲の第1楽章、第2楽章、第3楽章、第4楽章に似ています。全て音楽の発想から来ているんだろうと思います。ただ僕には音楽の才能がまるっきりなかったので、残念ながら違う方向に発揮しているんだろうなと思いますけれどね。

「何もなかった」不遇の時代


――「樋口式小論文」を考案されて、人気講師として各地で引っ張りだことなりましたが、相当忙しかったのではないですか?


樋口裕一氏: 本当にめちゃくちゃ働いていて、起きたらずっと添削をするか原稿を書くか授業するかでした。起きている間中ずっと仕事で、しんどかったですね。参考書は暇がないのでほとんど授業に向かう特急列車の中で、小さなワープロで書いていたんです。電車の中では添削ができないので、うちにいる時は添削をする。でもグリーン車なら添削ができるんです。今でもよく覚えているんですけれども、10年以上前、新横浜から神戸まで新幹線の中でずっと添削をしていたんですよ。それで、隣に、何か死にそうな咳をするおじいさんがいて、「大丈夫かな?」と添削しながら思っていたら、その人が大阪で「体に気をつけてくださいよ」って言って降りて行ったんですよ。こちらが死にかけていると思っている人に、体を心配してもらえたんです。

――周りが心配するほどの鬼気迫る仕事ぶりだったのですね。


樋口裕一氏: そのぶん35歳ぐらいまで働いていないんですよ、実は(笑)。早稲田を出て立教の大学院に行って、フランス文学をやっていて、翻訳とかフランス語の非常勤講師をしていたんですけれど、大してお金にならない。32、3歳ぐらいまで年収100万ないぐらいでした。地位もなく、女も金もなく、車の免許は持っていないし、何にもなかったですね。ただ本を読んでぶらぶらしている状況です。レコードくらいは買えましたけれど、演奏会にはお金がなくて行けませんでした。

――それは意外ですね。


樋口裕一氏: 34歳で結婚する前は悲惨この上なかったです。人前にも出られなかったですからね。よく覚えているのは、同窓会に行けなかったこと。同級生に会っても恥ずかしいから逃げていました。だってほかの人はちゃんと仕事をしているんだもん(笑)。そのころ、雑誌を見ていたら、結婚相談所のハガキが入っていて、別に結婚しようと思っていたわけじゃないんですけれども、試しに書いてみたら、プロフィールの選択肢が、左から「アパート・マンション・持ち家」とか「年収何万円以下」とか「貯蓄何万円以下」というように並んでる。書き込んでみると、全ての項目が一番左側でしたね(笑)。

詐欺、解雇…。逆境の中に光が見えた


――何が人生の転機になったのでしょうか?


樋口裕一氏: そのころ、東南アジア旅行に行って、詐欺師に金をだまし取られたんです。タイのバンコクで歩いていたら、当時僕が30歳ぐらいですから、10歳ぐらい上のおじさんから突然英語で声をかけられて、仲良くなったんですね。で、「バンコクはどこに行った?」と聞かれたので、行ったところを答えたら「あんたの行ったのは観光地ばかりだ。本当のバンコクをわかっていない。連れて行ってあげよう」と言って連れて行ってくれたんです。その人はインテリで、ものすごくよくわかる英語で、ちゃんとタイの歴史とかを教えてくれた。それでモーターボートでちょっと遠くまで行って、戻ってきたらなぜか川の真ん中で止まるわけです。それで「船の料金が安いつもりだったけれど意外と高い。お金を出してくれないか」と言うんですよ。「いくら?」と聞いたら7万円くらい。日本でも3000円くらいだろうと思うけれど、川の真ん中ですからね。これは連れて行った男と船頭さんがグルかもしれないと疑ったけれど、「抵抗したら危ない」と思ってお金を出したんです。その人は「これは割り勘だから半分返しに行く。ホテルに戻っていいよ、私もそこに行くから」と言うんですね。すでにだまされたと思っていましたが、もちろん連絡はなくて、前もって電話番号を聞いていたのも全部うそだったんです。



で、現金がなくなった。カードを持っていたんで、それからカードを使ってすごしました。ところが、当時まだ一流のホテルやレストランしかカードが使えなかったから、もう、一流のところで食べまくったんです。外で食べれば100円で済むところを、ホテルで1000円ぐらいかけて食事をするわけです。それで、安いホテルはカードが使えないので高いホテルにわざわざ移った。、そのうえ、JALがストライキをやっていて、帰りが1週間延びてしまった。それで10万だか20万くらいの借金がたまってしまって、2カ月後に引き落としをされるから、働かにゃいかんぞというので慌てて探して、小さな予備校の「小論文指導」という講師の職を見つけて始めたんです。

――ついにそこで「小論文」が出てくるんですね。


樋口裕一氏: でも、それも1年後にクビになったんです。その予備校で渡されたテキストがあまりにひどかったので、一切使わずに自分なりに教えていて、講師の会議で、「こんなテキストじゃだめだ」と言ったんです。生意気でしたからね、当時(笑)。それでけんかになってしまって、その後会議に出なかったらクビにされました。ある時行ったら出席簿もなくて、違う人が教えていた。あれは頭にきましたね。そこで、じゃあ自分で参考書を書こうと思ったんです。それが『ぶっつけ小論文』で、結構売れたんです。

――それが本を書かれるきっかけになったんですね。


樋口裕一氏: 実はその前に翻訳書を1冊出しています。こちらは全く売れなかったですけどね。

――参考書をお書きになって、出版までどうやってこぎつけたのでしょうか?


樋口裕一氏: 書いたものを文英堂とほかの版元に送ったんです。だめだったら、またどこかに送ろうと思っていたら、文英堂から「出したい」とすぐに返事が来ました。

「樋口式小論文」は苦労の結晶


――参考書の内容には自信はあったのでしょうか?


樋口裕一氏: 予備校で教えていた時に結構人気だったんですよ。よその予備校の人も聴きに来たりしていたので、なかなかいい方法だと思っていました。試行錯誤はあったんですけれど、参考書にすればきっとうまく行くだろうという自信はありました。クビになった時も、「こんな優れた講師をクビにするとは何事だ」と思っていましたね(笑)。

――その時からいわゆる「樋口式」の理論は確立されていたのですか?


樋口裕一氏: はい。最初からですね。「イエス・ノー」とか「型」とかの理論も最初から教えていました。逆に言うと30年間同じことをしゃべっているという感じです。

――指導される前から、文章を書く際に樋口さんが使っていた手法なのでしょうか?


樋口裕一氏: だと思います。もっと言うと、僕はフランス文学を勉強しているころ、フランス語が好きじゃなかったんです。留学生試験はフランス語で小論文を書くんですがフランス語が好きではないから、あまり高度なフランスは書けない。そこで、論文を穴埋め式にできないだろうかと考えたんです。前もって何にでも使えるような高度なフランス語の文章を作っておいて、題に合わせて上手につなげようと。ですから、もともとフランス語の小論文を書くために自分で開発したテクニックであったんです。残念ながら留学はだめだったんですけどね。

――苦手意識がある人にとって使いやすい理論だったのが支持されたのかもしれませんね。


樋口裕一氏: そうですね。できない子でも、できないなりにできる方法として自分で編み出したものですので、これは日本語でもそのままやればいいなあという感じでしたね。ですからあれは、自分の苦労の結晶なんです。

――「何もなかった」とおっしゃるような時代を経て、成功を得られたのはなぜだったとお考えですか?


樋口裕一氏: 「おれはすごいんだ」と思っていたことです(笑)。今のところ発掘されてないし誰もわかってくれないけれども、そのうちわかってくれるやつがいる、どこかで見つけられるはずである、と。本当は小論文じゃなくて、小説とか評論とかでいきたかったんですけれども、たまたま小論文というところにうまく才能が合致したというか、タイミングがあったというのかもしれないですね。

――それまでに蓄積したものが噴出した感じなんですね。


樋口裕一氏: お金と時間を使って本を読んで、ひたすら受信して、これを発信しないとバカみたいなので、身に付けたことは絶対何かで生かしてやろうと思っていました。今もそういう考え方は捨てていないですね。7,8年前ですが、『頭がいい人、悪い人の話し方』が売れて、あちこちから同じような本の注文を受けていたころ、「それはもういやだ、音楽なら書く」と言って、音楽系の本を出させてもらいました。ずいぶんとクラシック音楽を聴いているのに、50歳過ぎまでなにも発信していませんでしたらから、何とか発信したいと思っていたんです。音楽関係の本は10冊ぐらい出しました。そういうタイミングは誰にでもあるんです。僕はたまたま31歳くらいに小論文に出会ったんですけど、何かしら一生懸命本を読んだりしていれば、必ずアウトプットできる場があるだろうから、いつか役に立つようにためておきましょうと思うんですね。

――それが具体的に何につながっていくかというのは、本人すらわからないものだったりしますね。


樋口裕一氏: 本当にわからない。それまでのいろいろなことがあったので、僕は今本を書いたりすることができましたし、本当にわからないものだなと自分でも思いますね。

電子書籍で編集者の役割は高まる


――樋口さんは電子書籍はご利用されていますか?


樋口裕一氏: 雑誌は読んでいますね。『Newsweek』はだいたいiPadで読んでいます。昔は本をたくさん持って出歩いていましたが、今はもうiPadだけですね。音楽も、落語も入れています。もうこれだけで済む。あとは音楽祭などで海外に行くので、ヨーロッパで「青空文庫」の漱石を読むとか。日本の雑誌も海外で読んでいますね。

――以前は、海外で日本語のメディアに触れる機会は限られていましたね。


樋口裕一氏: よく覚えているのは、ちょうど東南アジアに行って詐欺にあった時ですが、シンガポールに行って新聞を買ったら「森永・グリコ事件」が始まって数日がたった記事が出ていた。あの事件の途中から新聞を読んでも何だかわけがわからなかったんです。今は全部リアルタイムで読めますから便利ですね。それと、新聞だと公式の見解しか読めないんですよね。NHKのニュースみたいなことしか見えない。雑誌だと、ある意味ワイドショーみたいな、普通の日本人がどう思っているんだろうというところが見えるのがありがたいです。建前ではなくて本音のところ。まあ「2ちゃんねる」まで本音じゃなくていいのですが(笑)。大衆的な部分はやっぱり雑誌じゃなければわからないですね。

――電子書籍への不満や注文はありますか?


樋口裕一氏: 専門書を読みづらいというのは感じますよね。難しい本って線を引きながら読むとか、繰り返し読むということをやるんですけど、それが電子書籍はしづらいのでそこらへんは問題かなと思います。読み飛ばすには非常に便利ですけどね。

――電子書籍によって本の編集のあり方も変わっていくのでしょうか?


樋口裕一氏: 怖いのは、編集ってものすごく大事なことなのに、電子書籍によって編集がいらないと錯覚されることですね。編集者がダメ出しをして、書き直しをさせるのはものすごく大事な作業なんです。自分が著者なのでよくわかるんだけれども、どんな本だって編集があってのもので、書いてそのまんまということはないですからね。『頭がいい人、悪い人の話し方』だって、ボツということはないんだけど「書き足せ」と言われて書き足したり、入れ替えたりとかはしていますしね。

――そういった編集者の意見には従われる方ですか?


樋口裕一氏: もちろん素直に聞く人間ですよ (笑)。どうしても、ほかの本と内容が同じになってしまう時に、編集者がちょっと角度を変えて「こういう風にしたら?」と言ってくれるので「ああ、なるほど」と書くことが多いですね。でもそれは一般には知られていないですから、電子書籍なら書いてそのまま出せるという錯覚を持ってしまう。そうすると本当にレベルの低いものが次々出て、粗製乱造になってしまいますよね。だから編集者に頑張ってほしいというのは非常に強く思います。むしろ電子書籍が出てきたことで、編集者がより一層大きなウェイトを持つようになるのではないでしょうか。

自分の原点「昭和30年代」と「クラシック」への想い


――最後に、今後の活動の構想などがあればお聞かせください。


樋口裕一氏: 小説なのかエッセイなのかわからないですけれども、昭和30年代を書きたいんです。『ALWAYS三丁目の夕日』とか『がばいばあちゃん』は、うそってことはないのかもしれないけれど、僕の知ってる昭和30年代とは違う。例えば『がばいばあちゃん』のドラマを見ていると、貧乏な家庭で、日の丸弁当を食っていたんですよ。僕の知っている貧乏な家庭は日の丸弁当なんて食えなかったんです。米が食えなくて麦を食っていたし、そもそも弁当も持っていけなかった。『ALWAYS三丁目の夕日』も小奇麗すぎる。少なくとも、僕が小学生時代を過ごした大分県中津市の昭和30年代はもっと汚かったし、もっと悲惨で、もっと情けなかったんですよね。虫だらけだし、ハエだらけだし、畑は人の糞をまいていた。でも、悲惨だけれどもやっぱり昭和30年は自分の原点だと思っているので、何とか書きたいなと思うんです。ただ、難しいです。あの「汚くて臭くて、でも素晴らしい」というのを書く力が自分にあるのか。

僕の文章ってもうちょっととぼけた文章なんです。どす黒い世界をどうすれば書けるかなというのをずっと考えて、まだ書けずにいるんです。あとは、自分らしく生きてこられたのは、クラシック音楽のおかげであると思っているので、クラシック音楽に恩返しをしたいと思っています。今、多摩大のゼミでクラシック音楽コンサートを企画しています。かつての自分みたいな子が1人でも2人でも出せたらうれしいなと思っています。まあ、人生を狂わせますけれどね(笑)。僕もクラシックを好きにならなかったら、もうちょっとまともに生きてこられたかな、とも思いますが(笑)。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 樋口裕一

この著者のタグ: 『音楽』 『転機』 『作家』 『書き方』 『小論文』 『昭和』

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