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世界中の本好きのために

樋口裕一

Profile

1951年、大分県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。立教大学大学院博士満期退学、専攻はフランス文学。現在、多摩大学経営情報学部教授。小学生から社会人までの作文・小論文の通信添削塾である白藍塾の塾長を務める。250万部のベストセラーになった『頭がいい人、悪い人』のほか、文章術やクラシック音楽に関する著書多数。「小論文の神様」「ミスター小論文」と呼ばれる小論文指導の第一人者。

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「樋口式小論文」は苦労の結晶


――参考書の内容には自信はあったのでしょうか?


樋口裕一氏: 予備校で教えていた時に結構人気だったんですよ。よその予備校の人も聴きに来たりしていたので、なかなかいい方法だと思っていました。試行錯誤はあったんですけれど、参考書にすればきっとうまく行くだろうという自信はありました。クビになった時も、「こんな優れた講師をクビにするとは何事だ」と思っていましたね(笑)。

――その時からいわゆる「樋口式」の理論は確立されていたのですか?


樋口裕一氏: はい。最初からですね。「イエス・ノー」とか「型」とかの理論も最初から教えていました。逆に言うと30年間同じことをしゃべっているという感じです。

――指導される前から、文章を書く際に樋口さんが使っていた手法なのでしょうか?


樋口裕一氏: だと思います。もっと言うと、僕はフランス文学を勉強しているころ、フランス語が好きじゃなかったんです。留学生試験はフランス語で小論文を書くんですがフランス語が好きではないから、あまり高度なフランスは書けない。そこで、論文を穴埋め式にできないだろうかと考えたんです。前もって何にでも使えるような高度なフランス語の文章を作っておいて、題に合わせて上手につなげようと。ですから、もともとフランス語の小論文を書くために自分で開発したテクニックであったんです。残念ながら留学はだめだったんですけどね。

――苦手意識がある人にとって使いやすい理論だったのが支持されたのかもしれませんね。


樋口裕一氏: そうですね。できない子でも、できないなりにできる方法として自分で編み出したものですので、これは日本語でもそのままやればいいなあという感じでしたね。ですからあれは、自分の苦労の結晶なんです。

――「何もなかった」とおっしゃるような時代を経て、成功を得られたのはなぜだったとお考えですか?


樋口裕一氏: 「おれはすごいんだ」と思っていたことです(笑)。今のところ発掘されてないし誰もわかってくれないけれども、そのうちわかってくれるやつがいる、どこかで見つけられるはずである、と。本当は小論文じゃなくて、小説とか評論とかでいきたかったんですけれども、たまたま小論文というところにうまく才能が合致したというか、タイミングがあったというのかもしれないですね。

――それまでに蓄積したものが噴出した感じなんですね。


樋口裕一氏: お金と時間を使って本を読んで、ひたすら受信して、これを発信しないとバカみたいなので、身に付けたことは絶対何かで生かしてやろうと思っていました。今もそういう考え方は捨てていないですね。7,8年前ですが、『頭がいい人、悪い人の話し方』が売れて、あちこちから同じような本の注文を受けていたころ、「それはもういやだ、音楽なら書く」と言って、音楽系の本を出させてもらいました。ずいぶんとクラシック音楽を聴いているのに、50歳過ぎまでなにも発信していませんでしたらから、何とか発信したいと思っていたんです。音楽関係の本は10冊ぐらい出しました。そういうタイミングは誰にでもあるんです。僕はたまたま31歳くらいに小論文に出会ったんですけど、何かしら一生懸命本を読んだりしていれば、必ずアウトプットできる場があるだろうから、いつか役に立つようにためておきましょうと思うんですね。

――それが具体的に何につながっていくかというのは、本人すらわからないものだったりしますね。


樋口裕一氏: 本当にわからない。それまでのいろいろなことがあったので、僕は今本を書いたりすることができましたし、本当にわからないものだなと自分でも思いますね。

電子書籍で編集者の役割は高まる


――樋口さんは電子書籍はご利用されていますか?


樋口裕一氏: 雑誌は読んでいますね。『Newsweek』はだいたいiPadで読んでいます。昔は本をたくさん持って出歩いていましたが、今はもうiPadだけですね。音楽も、落語も入れています。もうこれだけで済む。あとは音楽祭などで海外に行くので、ヨーロッパで「青空文庫」の漱石を読むとか。日本の雑誌も海外で読んでいますね。

――以前は、海外で日本語のメディアに触れる機会は限られていましたね。


樋口裕一氏: よく覚えているのは、ちょうど東南アジアに行って詐欺にあった時ですが、シンガポールに行って新聞を買ったら「森永・グリコ事件」が始まって数日がたった記事が出ていた。あの事件の途中から新聞を読んでも何だかわけがわからなかったんです。今は全部リアルタイムで読めますから便利ですね。それと、新聞だと公式の見解しか読めないんですよね。NHKのニュースみたいなことしか見えない。雑誌だと、ある意味ワイドショーみたいな、普通の日本人がどう思っているんだろうというところが見えるのがありがたいです。建前ではなくて本音のところ。まあ「2ちゃんねる」まで本音じゃなくていいのですが(笑)。大衆的な部分はやっぱり雑誌じゃなければわからないですね。

――電子書籍への不満や注文はありますか?


樋口裕一氏: 専門書を読みづらいというのは感じますよね。難しい本って線を引きながら読むとか、繰り返し読むということをやるんですけど、それが電子書籍はしづらいのでそこらへんは問題かなと思います。読み飛ばすには非常に便利ですけどね。

――電子書籍によって本の編集のあり方も変わっていくのでしょうか?


樋口裕一氏: 怖いのは、編集ってものすごく大事なことなのに、電子書籍によって編集がいらないと錯覚されることですね。編集者がダメ出しをして、書き直しをさせるのはものすごく大事な作業なんです。自分が著者なのでよくわかるんだけれども、どんな本だって編集があってのもので、書いてそのまんまということはないですからね。『頭がいい人、悪い人の話し方』だって、ボツということはないんだけど「書き足せ」と言われて書き足したり、入れ替えたりとかはしていますしね。

――そういった編集者の意見には従われる方ですか?


樋口裕一氏: もちろん素直に聞く人間ですよ (笑)。どうしても、ほかの本と内容が同じになってしまう時に、編集者がちょっと角度を変えて「こういう風にしたら?」と言ってくれるので「ああ、なるほど」と書くことが多いですね。でもそれは一般には知られていないですから、電子書籍なら書いてそのまま出せるという錯覚を持ってしまう。そうすると本当にレベルの低いものが次々出て、粗製乱造になってしまいますよね。だから編集者に頑張ってほしいというのは非常に強く思います。むしろ電子書籍が出てきたことで、編集者がより一層大きなウェイトを持つようになるのではないでしょうか。

自分の原点「昭和30年代」と「クラシック」への想い


――最後に、今後の活動の構想などがあればお聞かせください。


樋口裕一氏: 小説なのかエッセイなのかわからないですけれども、昭和30年代を書きたいんです。『ALWAYS三丁目の夕日』とか『がばいばあちゃん』は、うそってことはないのかもしれないけれど、僕の知ってる昭和30年代とは違う。例えば『がばいばあちゃん』のドラマを見ていると、貧乏な家庭で、日の丸弁当を食っていたんですよ。僕の知っている貧乏な家庭は日の丸弁当なんて食えなかったんです。米が食えなくて麦を食っていたし、そもそも弁当も持っていけなかった。『ALWAYS三丁目の夕日』も小奇麗すぎる。少なくとも、僕が小学生時代を過ごした大分県中津市の昭和30年代はもっと汚かったし、もっと悲惨で、もっと情けなかったんですよね。虫だらけだし、ハエだらけだし、畑は人の糞をまいていた。でも、悲惨だけれどもやっぱり昭和30年は自分の原点だと思っているので、何とか書きたいなと思うんです。ただ、難しいです。あの「汚くて臭くて、でも素晴らしい」というのを書く力が自分にあるのか。

僕の文章ってもうちょっととぼけた文章なんです。どす黒い世界をどうすれば書けるかなというのをずっと考えて、まだ書けずにいるんです。あとは、自分らしく生きてこられたのは、クラシック音楽のおかげであると思っているので、クラシック音楽に恩返しをしたいと思っています。今、多摩大のゼミでクラシック音楽コンサートを企画しています。かつての自分みたいな子が1人でも2人でも出せたらうれしいなと思っています。まあ、人生を狂わせますけれどね(笑)。僕もクラシックを好きにならなかったら、もうちょっとまともに生きてこられたかな、とも思いますが(笑)。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 樋口裕一

この著者のタグ: 『音楽』 『転機』 『作家』 『書き方』 『小論文』 『昭和』

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