BOOKSCAN(ブックスキャン) 本・蔵書電子書籍化サービス - 大和印刷

世界中の本好きのために

廣瀬裕子

Profile

1965年東京生まれ。単行本の編集者を経て作家に。こころとからだ、日々の時間、目に見えるものも見えないものも大切に思い、表現している。神奈川県葉山町での暮らしを経て、2012年夏に香川県へ移住。現在、仮住まい中。『できることからはじめています』(文藝春秋)、『まいにちのなかにオーガニック』(地球丸)、『HEART BOOK』(PHP研究所)、『LOVE BOOK』(PHP研究所)など著書多数。近著に『あたらしいわたし (禅 100のメッセージ) 』(佼成出版社)がある。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

自己を見つめる日々、本は黙って見守ってくれる



作家の廣瀬裕子さんは、恋愛や食生活、エコロジーなど、人が気持ちよく生きるためのライフスタイルのヒントを提供する著作で人気です。また、禅の思想に基づいての「生き方」を再考する作品で、幅広い読者層から共感を得ています。最近香川県塩江町に引っ越され、新たな思索をはじめた廣瀬さんに、ご自身の作品について、また書籍編集者としての経験を踏まえた本、出版についてのお考えをお聞きしました。

香川に引っ越して、自分と向き合う時間が増えた



廣瀬裕子氏: 去年の7月に香川県に移って来て8か月になります。昨年の12月に禅の本を出して、今は次の本に向けてゆっくりと準備しているところです。

――香川県塩江町に越されたきっかけはどのようなことでしょうか?


廣瀬裕子氏: ここに来る前は3年半葉山に住んでいました。とてもすきだったのですが、3.11が起こり、思うことがあって、別の場所で暮らしてもいいかなと思い始めたんです。漠然と四国がいいと思っていました。そうしたら、夫が塩江町にすると決めたんです。

――四国に決めた理由はなんだったのでしょうか?


廣瀬裕子氏: いくつかありますが、水の良いところに住みたかったんです。愛媛と高知は水が豊かできれいで、どちらかにしようと思っていたんです。たまたま夫が紹介されたところが香川県でも山の中で、水が豊かな場所でした。

――水のおいしさはやはり違いますか?


廣瀬裕子氏: 水道水でもおいしいです。関東ではずっと水を買っていたんですけれど、ここの水だったら買わなくても良いですね。水道水ですが、味が全然違います。

――執筆活動には変化がありましたか?


廣瀬裕子氏: 執筆に集中しやすい環境にはなったんですが、条件がそろったからといって、人間そう変わらないことがよくわかりました。(笑)。葉山に住んでいた頃は、友だちもたくさんいたし、色々な活動をしていたので、外に出て行く機会が多かったんです。知り合いが少ないところに越して来て、人とのかかわりが減り、仕事をやろうと思ったらかなりできるんですけど、あまり書く時間は変わらないですね。ただ好む好まざるにかかわらず、自分の内面に向き合う時間は増えました。自分自身を考える、自分に向き合う時間です。

書かなければうまく社会とかかわれないのかもしれない


――廣瀬さんが本を書こうと考えたきっかけを教えてください。


廣瀬裕子氏: 最初の本を書いたのは、「こんな本があったら良いな」と思ったのがきっかけです。私の世代は男女雇用機会均等法ができた頃でした。それまで受けていた教育は男女平等でしたけれど、実際社会に出てみると違う。現実を知って、「女性は大変だ」と思ったんです。 仕事をしていて、結婚しようと思うと「仕事か結婚か」の選択があり、子どもができれば「子どもか仕事か」考えなければならない。仕事をしながらの子育ても大変です。多分、男の人は通過してしまうようなところを女の人は1回1回止まって考えないといけない。でも、そこで、そういうシステムの中で争ったり、あきらめてしまうのではなく、すっと越えていけるようなきっかけがあったら、その人なりに進んで行けるんじゃないかと思ったのが最初です。 自分が経験したことや、つまずいたことを皆が乗り越えていけるようにできたらと思って書きました。恋愛の本も、「こういう風に考えたらもうちょっと良かったのに」や「こうやって考えたら楽だった」と思ったことを言葉にしています。

――廣瀬さんのライフスタイルを見本にされている方も多いと思いますが、今でも生活の中で不自由を感じることや、苦労されることがありますか?


廣瀬裕子氏: 引っかかりっぱなしです。「あれっ?」て思うことがいっぱいある。それを考えて言葉にしてるんです。通過できるのだったら書くことをしていないと思います。多分、私は書かなければうまく社会とかかわっていけないところがあると思います。

――ご自身の経験から書かれたことが幅広い読者の共感を呼んでいるのはなぜなのでしょうか?


廣瀬裕子氏: どうすれば楽になるかは人それぞれですが、それでも多分多くの人に共通する核の部分はそう大きく変わらないのではないでしょうか。わたし自身が感じていること、きたことは、多くの人が感じていること、きたことなのだと思います。

将来を考えた時、大切な本の存在に気づいた


――廣瀬さんは、どのような幼少期を過ごされていましたか?


廣瀬裕子氏: 子どもの時はすごく活発で、外で遊ぶのが大好きでした。かけっこも速かったし、運動神経が良かったんです。でも図書室で本を読むのも好きでした。親が本に関しては制限をしなかったので、欲しい本は買ってくれる環境ではありました。 父は教員だったんですけど、岩波書店の『ドリトル先生』のシリーズを毎月買ってきてくれていましたね。だから、本が身近にあったんです。自然に本に接していた感じです。中学一年生になったら文庫本を読み始めて、『赤毛のアン』などの海外シリーズを読み、やがて日本文学へ、という流れです。

――作家になりたいという希望はありましたか?


廣瀬裕子氏: まったくなかったです。書くのは好きで、中学校の時に半年だけ文芸部に入っていましたけれど。仕事にしようとは思っていませんでした。

――ほかに将来になりたい職業はありましたか?


廣瀬裕子氏: 本当に何もなかったですね。中学から受験のない学校に行って、学生の時に皆がやるはずの勉強もせずに、のんびり過ごしていました。学生の時は本を読んで、映画を見てばかりでした。受験がなかったので授業中もずっと本を読んでるようなタイプでした。それで短大を出て就職したんですが、就職したら、社会ってこういうものなのかと。仕事はずっと続けていきたかったので、好きなことでないと続かないなと思ったんです。



それで、「自分は何が好きなのだろう」とその時初めて考えました。でも、わからなかった。だからある日消去法をしてみたんですね。したくないことと好きなことをリストアップしていって、それぞれの共通項は何だろうと考えた時に、「編集者」という職業が浮かんだんです。社会に出て働くということを初めて真剣に考えて、「編集者だったらできるかもしれない」と思ったんですね。でも、編集者にどうやってなるのかがわからなくて、「編集者になる方法」のような本を読んで、出版社に入ればいいんだと思いました。実際なろうと思ったら色々条件があって、簡単にはなれないということがわかったんですが、何とかちいさな出版社に入りました。

――本が好きだという気持ちがずっと心にあったんですね。


廣瀬裕子氏: 全然気がつかなかったんですけれど、好きでした。気づくのが遅いタイプなんです。

今だったらもっと良い編集者になれると思う


――編集者としては単行本の仕事をされたのですか?


廣瀬裕子氏: 編集者になろうと思った時は、雑誌の編集者と書籍の編集者って何が違うかもわからなかったし、自分がどちらに向いてるか、どちらがやりたいかもわからなかった。たまたま書籍の方の仕事を始めて、やり出したら本を作るのはとても面白いことだとわかりました。当時、青山ブックセンターがすごい好きで、ブックセンターに平積みされる本を作ろうと思っていました。雑誌の仕事もしたのですが雑誌の仕事をすればする程、書籍の方が向いているなと思いましたね。

――雑誌と書籍ではどのような違いがあるのでしょうか?


廣瀬裕子氏: スピードでしょうか。書籍は、時間をかけて作ることもできます。でも雑誌は刊行日が決まってるので、そこまでにやらなければいけない。皆で力を合わせて一気に作る感じですよね。わたしは、それよりも著者の人とゆっくり作っていくという方が向いていました。時間切れみたいなやり方はしたくないと思っていましたし。 ただ、若かったから、今思うと本当に至らないことがいっぱいありました。今の方が絶対良い編集者になれると思います。辞めて、自分が著者の立場になって、こういうことを言われたらうれしいとか、こういうやり方のほうがやりやすいというのがわかりましたしね。

――編集者の役割とはどういったところにあるのでしょうか?


廣瀬裕子氏: 単行本は、その人のその時の状態、生活や気持ちの部分が全て出るものだと思います。そういったことも含めて見守ってくれる人だと有り難いですね。でも今は、そんなことを言っていられない位スピードが速いし、昔の編集者と著者の付き合いはむずかしいのかもしれません。

私が編集者の時は、最初のアプローチは手紙を書くことでした。手紙を書いて、電話をして仕事を依頼する流れを教わりました。メールができてから、そういうこともあまり必要なくなり、アプローチも全然違います。 今も著者と編集者の付き合いはありますが、以前とはちがうかもしれません。

本が「商品」になってしまうのは悲しい


――廣瀬さんは電子書籍のご利用はされていますか?


廣瀬裕子氏: 1冊もというか、1回も読んだことがありません。

――電子で読むことに何か抵抗があるのでしょうか?


廣瀬裕子氏: いえ、多分出会いがないだけだと思います。基本的に紙媒体が好きなんです。紙の手触りとか、においなどが好きなので、今は紙媒体で良いかなという気持ちがあります。

――本はどちらで購入されていますか?


廣瀬裕子氏: ほとんどAmazonですね。そういう意味では、ネットは使っています。地方にいると、欲しい本はAmazonがないとやはり手に入りにくいです。でも、結局ネットは自分が欲しい本と、誰かが良いよと言ってる本しか買えない。自分の知っている情報は限られてますから、それ以外のものを求める時にやっぱり本屋さんがあってほしいと思います。でも実は、ある時から本屋さんに行くのがつらくなってしまっていたんです。

――その理由をお聞かせください。


廣瀬裕子氏: うまく言えないけど、以前は本は本だったんですけど、本が商品っぽくなったと感じた時があるんです。否定はしませんが、本誌より付録の方が大きいなど、そういうものばかりが並んでいると、簡単な言葉で言うと傷つくんです。何か大事にしていたものが損なわれてしまう気がして。書店は、本を売るというより、本と出会う場だと感じます。 自分にとって必要な本はランキングだけで決まるわけではないですから。皆が良いと思う本は良いものなのかもしれないですけれど、皆が気がつかないようなところにも良いものはあるし、実はそういう本の方が長く持っていたりするんですよね。



――今は、好きな書店はありませんか?


廣瀬裕子氏: 先日、トークイベントをするので、代官山の蔦屋書店に行ったんですが、噂通り居心地が良かったですね。本屋さんっていいなと思いました。コーヒーを飲みながら本を読んで、何冊も買いました。荷物を預かってくれる無料のクロークもあり、対応も親切。本当に本がゆっくり選べるよ、出合えるようになっているんです。東京に行く時はまた行くと思います。

――あらためて廣瀬さんにとって本とはどういうものですか?


廣瀬裕子氏: 友だちであり、先輩であり、先生でもあります。それもずっと見守ってくれる。何かを知りたい時、出合いたいとき、困った時に手を伸ばせば、答えや新しい世界、すてきな物語を教えてくれる。ページを閉じると何も言わない。けれど、そこにいてくれる。

――「そこにある」という存在感は電子書籍では得られないかもしれませんね。


廣瀬裕子氏: そうですね。たとえば、ある時、荷物整理をしていたりして、ふと思い出して本を手に取ることがありますよね。そこでページをめくると読んでいたときのことを思い出す。「ああ、こうだった」「あんなことがあったかな」などです。電子書籍だと、目的がないとその本にたどりつかないかもしれないですね。

「右肩上がり」ではない幸せを探求する


――3.11後は葉山で放射能に関する地域活動をされていましたね。


廣瀬裕子氏: 引っ越す前まではやっていました。いまは、葉山ではほかの人がやってくれているので遠くで見守っている感じです。自分の立ち位置が変わってきていると感じています。3.11が起き、あんな事故があり、大きく方向転換すると思っていのですが、意外に変わらない。 もしかしたら、個人レベルで変わることでしか、世の中は変化しないのかもしれないと思いはじめています。自分や自分の家族が満ち足りていくような世界になっていくのが、一番変化が早いのかもしれません。

――自己に向き合い、内面を追求するいうことは、廣瀬さんが最近本を書かれた「禅」にも通じるところなのではないでしょうか?


廣瀬裕子氏: 私は禅にたまたま会って。経済成長もそうですけど、今の世界は目標を設定してそれに向かって進んで行き、クリアできたら次に行くという右肩上がりを目指して来ています。でも「そうじゃない世界もあるんですよ」、いうのが禅です。そう言われた時、意識の組み換えをするのがとても大変でした。でも、大変でも惹かれたのは、もしかしたらその方が幸せなのかもしれない、本当の姿なのかもしれないと感じたからです。

――禅に関する本をお書きになったきっかけはどういったことでしたか?


廣瀬裕子氏: 担当の編集の方と話してるうちに、「実は座禅をやってるんです」という話になったんです。元々、仏教の本を出しませんかと言われてスタートして。最初は漠然とした感じでお話をいただいていたのですが、何度か会ってお話しているうちに固まってきました。

――編集者との気持ちの交流によって作り出した本なのですね。




廣瀬裕子氏: そうですね。すごくありがたかったのは、のんびりした出版社というか、のんびりした担当の人だっので、締切がなかったんです。ここ数年、仕事のリズムが速く、きつい時がありました。わたしの場合は、自分を損なっていく感じでした。でも、今回はそういうことがなて、私が納得しない時は止まったし、編集の方が納得しない時は止まったし、お互いが納得して次に進みましょうとできたのが良かったですね。だから、時間がかかってしまったんですけれど。

出会いはメッセージ、やっぱり人に興味がある



廣瀬裕子氏: 今回の本はデザイナーの方をどなたにするかで長い間止まったんです。最終的にこの人と決まるまで、結構時間がかかりました。山口信博さんという方にやっていただいたんですが、山口さんとの出会いは高松でした。高松で去年の秋に瀬戸内工芸祭があり、そのポスターを山口さんが作られていたんです。それを私が見て、「すてきなデザインだな」と思って。高松にいなければ、山口さんにたどりついてなかったかもしれません。しかも山口さんも座禅をなさっていたんです。

――何かに導かれた出会いのようですね。


廣瀬裕子氏: そうですね。私はそういうことはサインやメッセージのようなものだと思って大事にしています。

――最後に、今後のお仕事についてお聞かせください。


廣瀬裕子氏: やはり人に興味があるので、人の暮らし方や生き方、気持ちをテーマに、それを幹にして、枝葉を伸ばしていけたらと思っています。 春からの仕事では、瀬戸内海の島に豊島という島があり、そこに豊島農民福音学校というキリスト教を軸に農的な暮らしをしていた人たちがいたんです。今はなくなって子孫の方たちがいらっしゃるんですが、その子孫の方たちに取材をさせていただくことになっています。信仰と農と食べ物という、興味あるテーマなので、楽しみにしています。信じることが人の支えになったり、道標になるのはいつの時代も同じです。そのことを今だからこそ、もっと知りたいと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 廣瀬裕子

この著者のタグ: 『書籍』 『女性作家』 『デザイン』 『地方』 『子ども』 『雑誌』 『メッセージ』 『仕事』 『変化』 『水』 『向き合う』 『結婚』 『禅』

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
著者インタビュー一覧へ戻る 著者インタビューのリクエストはこちらから
Prev Next
ページトップに戻る