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岩岡ヒサエ

Profile

1976年7月17日千葉県生まれ。2002年、アフタヌーン夏の四季賞にて「ゆめの底」が佳作入選し、月刊アフタヌーン(講談社)に同作が掲載されデビュー。その後、「しろいくも」で月刊IKKI(小学館)第7回イキマンを受賞。2004年、短編をまとめた単行本「しろいくも」(小学館)刊行、2011年には「土星マンション」(小学館)が文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞。現在、イブニング(講談社)にて「なりひらばし電器商店」、Nemuki+(朝日新聞出版)にて「星が原あおまんじゅうの森」を連載中。幻想的で繊細な絵の魅力と、確かなテーマのもとに紡がれる物語の魅力で多くのファンを獲得している。

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読者も、自分も気持ち良くなる作品を描き続けたい



岩岡ヒサエさんは、SFやファンタジー、学園ものなど多彩な題材と、温かみのあるストーリーや画風で多くのファンを獲得し、2011年には、『土星マンション』で第15回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞するなど、将来を嘱望されている漫画家の一人です。岩岡さんに、漫画家になるまでの軌跡、執筆のスタイル、電子書籍の登場による創作の可能性等について伺いました。

フランスで「バンド・デシネ」作家から刺激を受ける


――つい最近、フランスにいらっしゃっていたそうですね。


岩岡ヒサエ氏: 文化庁のお誘いで、向こうで活躍されてるバンド・デシネ(フランスの漫画)の女性の作家さんで、アングレーム国際漫画祭にノミネートされたペネロープ・バジューさんと、東京工業大学の細萱淳先生と鼎談をさせていただきました。

――どのようなお話をされたのですか?


岩岡ヒサエ氏: バンド・デシネと、日本の漫画の比較ですね。バンド・デシネは、だいぶ日本と違うんだというのを聞いて、目からうろこばっかりで面白かったですね。

――具体的にどのような違いが印象的でしたか?


岩岡ヒサエ氏: バンド・デシネはアート作品であるということを伺いました。手書きのせりふが入って、写植がないんです。全て自分で書いた完全原稿を販売するのが常識なんです。文字書き専門家の方もいるらしいんですけれど、その方に書いてもらうと「人の手が入ったんじゃないか」と言われちゃうそうです。知っている人には常識かもしれませんが、すごく驚きました。

仕事場は喫茶店と自宅、夫のサポートにも感謝


――岩岡さんはどのようなスタイルで漫画を描かれていますか?


岩岡ヒサエ氏: ネームまでは喫茶店でガリガリやるんです。原稿はもちろんやらないですけれど、ネタを出す時には、近くの喫茶店とかモスバーガーをぐるぐる回っています。家では怠けて横になったりテレビをつけたりしてしまうので、集中しようと思って外に出て、携帯もネットにはつながない。会社員のころに昼休みとか空き時間に喫茶店で隠れて描いていたのが習慣になっているのもありますね。描いてるところを子どもがのぞいて、「あ、漫画を書いてる」ってちっちゃい声で言われたりしています。

――ネームとはいわゆる構成、絵コンテのようなものですね。やはり最初の作業は重要なのでしょうか?


岩岡ヒサエ氏: 後々の仕事を面倒くさくしないために、まとめておくことは大事です。連載1回につき、4、5回やり直したりする時もあるので、毎回のように「最初にちゃんと準備しておけば良かった」って思いますね。

――ご自宅では、お一人で描かれているのですか?


岩岡ヒサエ氏: 『土星マンション』の時はアシスタントさんに来てもらっていたんですけれど、今は一人でやっています。私のデスクが汚すぎて、作画作業は食卓でしているみたいな状況です。NHKの「マンガノゲンバ」っていう番組で、部屋をきれいにして局の方を呼んだことがあって、その時は友達から「あんたの部屋にあんな場所はない」って言われました(笑)。

――相当お忙しそうですね。


岩岡ヒサエ氏: ちゃんとご飯が作れる位のスケジュールには組んであるので、なんとか生きていける感じでやってます。それに、時間に追われている時は寝られない時はありますけれど、描いている時はお笑い番組とか見ながらぼんやりと描いてるので大丈夫なんです。ただ、仕事が始まるとほとんど遊びに行けてなくて、月に1日行けたら良いかなみたいな感じになっちゃったのはつらいですね。

――ホームページの日記を拝見すると、だんなさまとの関係もすてきだと感じます。


岩岡ヒサエ氏: 私が一人で作品を作り上げたいタイプなので、「手伝うよ」って言われて、「やめて」って言ってけんかすることもありますけどね。ただ、『土星マンション』の最初の見開きで、地上を見るシーンの作画で失敗しちゃって、「どうしたら良いと思う?」って聞いたら、「直した方が良いと思う」って言われて、その時は手伝ってもらいました。せっぱつまって、感情的になって、「イーッ」って布団にぬいぐるみを投げたりした時もあったんですが(笑)、「どうどう」って穏やかにさせてくれました。その時は雲を描いてもらって、気づくかどうかわかりませんが、その絵は雲のペンタッチが力強い感じになっています。その雲が良いなと思って、それから私もそれをまねしているんです。夫にはしんどい時に精神的に支えてもらっていて、本当にありがたいですね。

学生時代は「オタク街道」まっしぐら


――岩岡さんはどのようなお子さんでしたか。漫画も小さいころからお好きだったのでしょうか?


岩岡ヒサエ氏: 私は千葉の銚子に近い方の出身で、農家で育ちまして、高校に上がる位まで地元には農家しかないと思っていて、お勤めしてる人が近くにいるのを知らなかったんです。漫画は保育園のころに親が『小学1年生』を買ってきて、そこから読むようになりましたね。小学3、4年生ごろに『りぼん』を読んで、「漫画って面白いんだ」って思うようになって、そこからちょっとずつオタク街道が始まったというか(笑)。

――漫画を描くことはいつから始められたのでしょうか?


岩岡ヒサエ氏: 小学校のころはまだ、漫画の絵をまねするばっかりだったですね。学校で小学校2年生のころに「絵本を書いて来い」っていう課題があって、お話を考えることにはまりました。イラストも描くようになって、中学生になった位から4コマ漫画を描き始めました。青いネコみたいなキャラとか3本の毛があるオバケに似せたキャラが主役の、どこかで見たことあるみたいなものを(笑)。1日3本とか課題を設けて、手製の同人誌を作って、それをコピーして人に売ったりとか。もう本当に痛々しい(笑)。

――中学生時代の漫画は今も残っているのですか?


岩岡ヒサエ氏: 多分、実家にあるんですけど、もう本当に奥にしまい込んでいます。見たくないですね。同級生は「まだ持ってるよ」って言っていて、すぐ出せるところにあるらしいんですよ。もう燃やしてくれって心から思ってるんですけど。

――いずれ、ぜひホームページで公開していただきたいですね。


岩岡ヒサエ氏: 絶対嫌です(笑)。もうちょっと大きく私の心が成長したら出せるかもしれないですね。

――部活動などはされていましたか?


岩岡ヒサエ氏: 中学の時は陸上部に入っていたんです。でも本当は絵が描きたくてしょうがなくて、美術部に入りたかったのですが、体育会系の部活はなかなかやめられませんよね。友達にも止められてやめられなくて、高校に入った時に美術部に入りました。

――高校では絵を描くことに打ち込めたわけですね。


岩岡ヒサエ氏: でも、高校のころはオタクであることを隠すことに必死でした。女子高だったこともあって、隠したくて仕方がなかったんです。そのころのオタクは肩身が狭かったので。美術部に入って「美術」という衣をまとうことで、風変わりなところを隠していたというか。

――大学は美大に進学されますね


岩岡ヒサエ氏: 中学生の時に、美術部に入ろうかって迷っていた時に、先生に相談していたのですが、その時に美大というものの存在を聞いたんです。それで高校に入った時に、私が美大を目指すということが、先生同士で内諾されていて、そのままそっちのコースに仕向けられた感じでした。1年の夏くらいから美大受験のための勉強をして、高校3年からは日曜日ごとに東京の方まで出て予備校で勉強していましたね。

どっちつかずでやってたら、どっちもできない


――大学卒業後会社員として、激務の中漫画を描いていたそうですね。


岩岡ヒサエ氏: 9時半出社だったんですけれど、夜の12時位までずっとパソコンに向かう仕事でした。自由に音楽を聴いたりして良かったんですけれど、好きな曲をテンションを上げるために聴いていたら、その曲自体が嫌いになりましたね。ただ、すごく良かったのが、お昼休みが1時間半あって、夜ご飯の休憩も割と自由に取れたことです。遠くの喫茶店でネームを切ったり、たまに原稿を書いたりして、お昼休みの終わりに会社に戻って来ていました。最初の投稿作はそういう中で書いたものですね。

――雑誌に作品が掲載されたきっかけはどういったことでしたか?


岩岡ヒサエ氏: 岩岡氏:急に連絡が来て決まりました。偶然掲載されたという感じがしています。

――漫画はお勤めしながら描き続けたのですか?


岩岡ヒサエ氏: 勤めているうちは忙し過ぎたので、半年後位に仕事を辞めたんです。最初は編集者さんに「漫画家には、そうそうなれるもんじゃないから、仕事は辞めない方が良いよ」って言われていたんですが、その頃仕事に迷いや疲れもあってもう漫画1本でやろうという感じでした。

――仕事を辞めることは勇気がいることだったのではないでしょうか?


岩岡ヒサエ氏: 苦しくて「とにかく辞めたい」という気持ちがあったので、漫画家をやりたいっていうのと、仕事を辞めたいっていうのが重なって、ふわっと辞めてしまったんですよね。ただ、そこから現実的に収入が減っていくのを見ると、非常に怖くなりました。知り合いのところでバイトさせてもらったりとか、稼ぎにはならないけれど同人誌を作って、作品を見てもらったりしていました。

――それから本格デビューまで、転機になるようなできごとがあったのでしょうか?


岩岡ヒサエ氏: その時期は、私もまだちょっとあいまいな状態だったんですね。バイトしながら漫画を描いていけるじゃないかというのもありました。それと私にはぬいぐるみを作るという趣味もあって、仕事になるかもしれない機会があったのですが、ある方に漫画が仕事にならないことに「才能無いんじゃないか?」と言われたことがあり、「才能ないならあいまいなままじゃだめだ」と思ったんです。どっちつかずのことをやってたら、どっちもできない。そのぬいぐるみの仕事はお断りして漫画に集中しようと思ったんです。そこからは貪欲に作品を作ることができるようになりました。それまでは、変にプライドがあったんですね。



――どういった部分でしょうか?


岩岡ヒサエ氏: 作品を直すことに抵抗があったりとか、くだらない部分です。直さなければ良くならない状況って、自分ではわからないんです。直して良くなることは、結果を見るまではわかりませんから。だから、とにかくやるだけやろうと思うようになったんです。ちょっと違うと思うことももちろんあるけれども、編集者はプロで、私は素人と思ってとりあえず直してみようと。自分のセンスをものすごく信じることができる時は、やっぱり貫いた方が良いかなと思うこともあるんですけど、読者さんがいるわけだから、他者の目は気にしなくてはならないと思うようになりました。

――編集者と意見が対立することもありますか?


岩岡ヒサエ氏: もちろん言い合ったりもしますけど、ちゃんと受け入れなきゃいけないところもあります。ネームの段階で、自分が思っていることと違う方向で直さなきゃならないこともあったりするので、いまだにつらいことはあります。でも私にとってのこだわりが、世間から見たらちっちゃなことかもしれませんし。自分の思いを切り捨てられるようになったのが、プロとしてちょっと成長したところだと思っています。まだ作品をよくすることより自分の意見を通したいことの方に意識がいき過ぎてるような気もするので、もっとすぐに直すことができたら良いのになと思いますが。

電子書籍には、独自のモデルケースが必要


――岩岡さんは電子書籍を読まれることはありますか?


岩岡ヒサエ氏: パソコン上でしか読んだことがないですね。ウェブ雑誌みたいなものは、好きな作家さんが書いていたりすると、気楽に読めますし、ほぼ無料で読めますからね。ただ、これは難しいところですが、漫画も紙のコミックスになってからじゃないと、お金にならないっていう印象が強いんです。最初にお話したフランスのペネロープさんが、フランスには漫画雑誌がなくて、コミックスでしか売れないので、電子書籍で作品を発表することをいろいろ行ったのですが、途中で企画がなくなったり、紙の様に採算が取れないというのが強かったみたいですね。電子書籍がお金にならなきゃならないという問題意識で模索しているということを聞いて衝撃を受けました。確かにネットではどうしても無料の「お得感」の方が先にきてしまう。法律的に悪いことに使う人もいますしね。

――電子書籍による漫画の可能性については、どのようにお考えでしょうか?


岩岡ヒサエ氏: 私自身はアナログの方が好きだし、紙で取っておけること、手触りとかめくるスピードとかも重要だと思っているので、紙の良さを電子書籍に求めると難しいなと思っちゃうんですよね。そうじゃなくて独自のメディアとして良い見本がひとつできたら盛り上がるんじゃないんだろうかと思っています。日本の漫画家さんは忙しいので、面白いことの開拓ができていないと思うんですよね。

考え始めたら、いっぱい発想を持ってる方々ばっかりだと思いますが、「それは難しいな」で終わるというか。電子書籍がお手軽に読める感を追求するのも、もちろんありがたいと思っているんです。持ちきれない書籍を持っておくためにもいいし、エコにも良いし。でも発展していくことを考えると、何かひとつすてきなモデルケースができると良いなと思いますね。私、イラスト投稿雑誌にもよく投稿していたんですけれど、pixivが盛り上がって雑誌が売れなくなって移行していきましたよね。人気のバロメーターもpixivで見られるようになった。漫画はなかなかそうはいかないのは、やっぱり別に色んな障害があるんだろうなと思いますが、思ってばかりで特になにもしていない状態ですよね。

とっぴでも、居心地の良い世界を描く


――電子媒体で発表される漫画は描き方も変わってくるでしょうか?


岩岡ヒサエ氏: 読ませ方が変わると思うので、電子書籍に対応するためにちゃんとスキルを身につけなきゃならないとは思っています。携帯のコミックは、先が読めない面白さがあるんです。パソコンで読むと2ページ見開きで見られるので、先も読めますけれど、携帯は本当に1コマずつしか追えない。それに対応したもっと面白い見せ方が多分電子書籍、携帯コミックの場合はあるんじゃないかと。お笑いの落ちのようなものを上手に面白く組み込む方法があるかもしれないですね。



私がやれるかどうかわからないですけれど、そこを模索することも必要なんじゃないかと思います。昔「BSマンガ夜話」で、『みどりのマキバオー』の回を見ていたら、マキバオーは読者の視線誘導がものすごくうまいっていうのを語られていて。大ゴマを見せるために、前ページからコマを小さくしていって、最後ばっと見せる。私もあれを一生懸命まねしようとしたこともありますが、漫画はやっぱり気持ち良さを与えることなので、電子書籍で描くことになっても、地味な漫画を面白く見せようという気持ちは持っていたいですね。

――今後はどういった作品を構想されていますか?


岩岡ヒサエ氏: 難しいですね(笑)。今やっている連載をどう終わらせるかみたいなのは考えますけれど。設定自体を面白おかしくしたいとは思うんですが、その中で息をしてる人がいるとか、地面に足がついているのは、すごく大事にしたいなと思ってるんです。それがあることで突拍子もない世界設定が受け入れてもらえる。面白い世界だけど、居心地良くなれば良いなって思いますね。読者さんも気持ち良くて、自分も気持ち良く終われるような作品を書き続けられたらと思ってます。あとは、もっと悪いやつを描くとか、もっと毒々しいものにも挑戦したいです。「ちょっと岩岡さん、変わったんじゃない」という作品を見てもらえる機会があればなと思いますね。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 岩岡ヒサエ

この著者のタグ: 『漫画』 『女性』 『転機』 『漫画家』 『きっかけ』 『美大』 『オタク』

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