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岩岡ヒサエ

Profile

1976年7月17日千葉県生まれ。2002年、アフタヌーン夏の四季賞にて「ゆめの底」が佳作入選し、月刊アフタヌーン(講談社)に同作が掲載されデビュー。その後、「しろいくも」で月刊IKKI(小学館)第7回イキマンを受賞。2004年、短編をまとめた単行本「しろいくも」(小学館)刊行、2011年には「土星マンション」(小学館)が文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞。現在、イブニング(講談社)にて「なりひらばし電器商店」、Nemuki+(朝日新聞出版)にて「星が原あおまんじゅうの森」を連載中。幻想的で繊細な絵の魅力と、確かなテーマのもとに紡がれる物語の魅力で多くのファンを獲得している。

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学生時代は「オタク街道」まっしぐら


――岩岡さんはどのようなお子さんでしたか。漫画も小さいころからお好きだったのでしょうか?


岩岡ヒサエ氏: 私は千葉の銚子に近い方の出身で、農家で育ちまして、高校に上がる位まで地元には農家しかないと思っていて、お勤めしてる人が近くにいるのを知らなかったんです。漫画は保育園のころに親が『小学1年生』を買ってきて、そこから読むようになりましたね。小学3、4年生ごろに『りぼん』を読んで、「漫画って面白いんだ」って思うようになって、そこからちょっとずつオタク街道が始まったというか(笑)。

――漫画を描くことはいつから始められたのでしょうか?


岩岡ヒサエ氏: 小学校のころはまだ、漫画の絵をまねするばっかりだったですね。学校で小学校2年生のころに「絵本を書いて来い」っていう課題があって、お話を考えることにはまりました。イラストも描くようになって、中学生になった位から4コマ漫画を描き始めました。青いネコみたいなキャラとか3本の毛があるオバケに似せたキャラが主役の、どこかで見たことあるみたいなものを(笑)。1日3本とか課題を設けて、手製の同人誌を作って、それをコピーして人に売ったりとか。もう本当に痛々しい(笑)。

――中学生時代の漫画は今も残っているのですか?


岩岡ヒサエ氏: 多分、実家にあるんですけど、もう本当に奥にしまい込んでいます。見たくないですね。同級生は「まだ持ってるよ」って言っていて、すぐ出せるところにあるらしいんですよ。もう燃やしてくれって心から思ってるんですけど。

――いずれ、ぜひホームページで公開していただきたいですね。


岩岡ヒサエ氏: 絶対嫌です(笑)。もうちょっと大きく私の心が成長したら出せるかもしれないですね。

――部活動などはされていましたか?


岩岡ヒサエ氏: 中学の時は陸上部に入っていたんです。でも本当は絵が描きたくてしょうがなくて、美術部に入りたかったのですが、体育会系の部活はなかなかやめられませんよね。友達にも止められてやめられなくて、高校に入った時に美術部に入りました。

――高校では絵を描くことに打ち込めたわけですね。


岩岡ヒサエ氏: でも、高校のころはオタクであることを隠すことに必死でした。女子高だったこともあって、隠したくて仕方がなかったんです。そのころのオタクは肩身が狭かったので。美術部に入って「美術」という衣をまとうことで、風変わりなところを隠していたというか。

――大学は美大に進学されますね


岩岡ヒサエ氏: 中学生の時に、美術部に入ろうかって迷っていた時に、先生に相談していたのですが、その時に美大というものの存在を聞いたんです。それで高校に入った時に、私が美大を目指すということが、先生同士で内諾されていて、そのままそっちのコースに仕向けられた感じでした。1年の夏くらいから美大受験のための勉強をして、高校3年からは日曜日ごとに東京の方まで出て予備校で勉強していましたね。

どっちつかずでやってたら、どっちもできない


――大学卒業後会社員として、激務の中漫画を描いていたそうですね。


岩岡ヒサエ氏: 9時半出社だったんですけれど、夜の12時位までずっとパソコンに向かう仕事でした。自由に音楽を聴いたりして良かったんですけれど、好きな曲をテンションを上げるために聴いていたら、その曲自体が嫌いになりましたね。ただ、すごく良かったのが、お昼休みが1時間半あって、夜ご飯の休憩も割と自由に取れたことです。遠くの喫茶店でネームを切ったり、たまに原稿を書いたりして、お昼休みの終わりに会社に戻って来ていました。最初の投稿作はそういう中で書いたものですね。

――雑誌に作品が掲載されたきっかけはどういったことでしたか?


岩岡ヒサエ氏: 岩岡氏:急に連絡が来て決まりました。偶然掲載されたという感じがしています。

――漫画はお勤めしながら描き続けたのですか?


岩岡ヒサエ氏: 勤めているうちは忙し過ぎたので、半年後位に仕事を辞めたんです。最初は編集者さんに「漫画家には、そうそうなれるもんじゃないから、仕事は辞めない方が良いよ」って言われていたんですが、その頃仕事に迷いや疲れもあってもう漫画1本でやろうという感じでした。

――仕事を辞めることは勇気がいることだったのではないでしょうか?


岩岡ヒサエ氏: 苦しくて「とにかく辞めたい」という気持ちがあったので、漫画家をやりたいっていうのと、仕事を辞めたいっていうのが重なって、ふわっと辞めてしまったんですよね。ただ、そこから現実的に収入が減っていくのを見ると、非常に怖くなりました。知り合いのところでバイトさせてもらったりとか、稼ぎにはならないけれど同人誌を作って、作品を見てもらったりしていました。

――それから本格デビューまで、転機になるようなできごとがあったのでしょうか?


岩岡ヒサエ氏: その時期は、私もまだちょっとあいまいな状態だったんですね。バイトしながら漫画を描いていけるじゃないかというのもありました。それと私にはぬいぐるみを作るという趣味もあって、仕事になるかもしれない機会があったのですが、ある方に漫画が仕事にならないことに「才能無いんじゃないか?」と言われたことがあり、「才能ないならあいまいなままじゃだめだ」と思ったんです。どっちつかずのことをやってたら、どっちもできない。そのぬいぐるみの仕事はお断りして漫画に集中しようと思ったんです。そこからは貪欲に作品を作ることができるようになりました。それまでは、変にプライドがあったんですね。



――どういった部分でしょうか?


岩岡ヒサエ氏: 作品を直すことに抵抗があったりとか、くだらない部分です。直さなければ良くならない状況って、自分ではわからないんです。直して良くなることは、結果を見るまではわかりませんから。だから、とにかくやるだけやろうと思うようになったんです。ちょっと違うと思うことももちろんあるけれども、編集者はプロで、私は素人と思ってとりあえず直してみようと。自分のセンスをものすごく信じることができる時は、やっぱり貫いた方が良いかなと思うこともあるんですけど、読者さんがいるわけだから、他者の目は気にしなくてはならないと思うようになりました。

――編集者と意見が対立することもありますか?


岩岡ヒサエ氏: もちろん言い合ったりもしますけど、ちゃんと受け入れなきゃいけないところもあります。ネームの段階で、自分が思っていることと違う方向で直さなきゃならないこともあったりするので、いまだにつらいことはあります。でも私にとってのこだわりが、世間から見たらちっちゃなことかもしれませんし。自分の思いを切り捨てられるようになったのが、プロとしてちょっと成長したところだと思っています。まだ作品をよくすることより自分の意見を通したいことの方に意識がいき過ぎてるような気もするので、もっとすぐに直すことができたら良いのになと思いますが。

著書一覧『 岩岡ヒサエ

この著者のタグ: 『漫画』 『女性』 『転機』 『漫画家』 『きっかけ』 『美大』 『オタク』

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