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世界中の本好きのために

佐々木直彦

Profile

1958 年生まれ。一橋大学社会学部卒業。リクルート、産業能率大学研究員を経て起業。20数年にわたりコンサルタントとして活動。プロデュースの方法論を体系化。多くのビジネスプロデューサーを育成。事業創造、営業戦略、組織変革、リーダー教育、人材採用の分野で多数の実績がある。また、食のプロデュースやリゾートワークの推進など、都会と田舎の間に、新しい人モノ金の動きを生みだす活動を展開。デジタルハリウッド大学大学院では「プロデュース能力開発演習」を担当。著書に、『考えるノート』『プロデュース能力』『コンサルティング能力』『キャリアの教科書』など。

Book Information

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情報を聞き出す力があれば、圧倒的な価値を生み出すことができる



佐々木直彦さんは、数々の企業で組織改革や営業戦略の立案、人材採用など幅広い問題解決を手掛けるコンサルタントです。ビジネスにおける「プロデュース」の必要性に着目した独自の社員育成にも注目が集まっています。実は、佐々木さんはもともとジャーナリスト志望で、インタビューで相手の話を聞き出す手法などはコンサルティングにも生かされています。佐々木さんのキャリアをたどり、思考方法、執筆にかける想いなどに迫りました。

低価格競争から抜け出すには「プロデュース」が必要


――早速ですが、お仕事の近況をお伺いできますでしょうか?


佐々木直彦氏: 最近は、社員の方がプロデューサーとなって、新規事業の創出や会社の変革をしたいという会社が非常に多いです。2008年の末に出した『プロデュース能力』という本をきっかけにして、会社のトップの方から呼ばれるようになって、「なんとかウチの会社にプロデューサーを300人作りたいんだが、方法があるか?」というようなことを言われるようになったんですよ。

――そのような依頼が増えているのはどのような背景からだと思われますか?


佐々木直彦氏: これまでのやり方だとシェアが伸びないし、価格競争に陥りやすいということがあります。大企業はもともと、参入障壁をうまく作って、自分たちが有利に効率よく物を作ったり、サービスを提供することで利益を安定的に生み出したりしてきたんですけれど、これが崩れていまして、ビジネスモデルとして収益が上がらなくなってきている。結局、「より安くやります」とか、「夜まで働くのでウチにください」とか、そういう形になっちゃっているんですね。これだと結局利益がなくなっていくし、社員の人たちも疲れます。これをなんとかしなきゃいけないっていうことで、大変な危機感をトップの人たちが持っているわけです。そこをなんとか自分たちで工夫して、新しいものを仕掛ける必要があるのですが、会社がそういう体制になっていない。言われたことをしっかりやるという能力が高い人は多いけれど、ちょっと失敗してもいいからやってみることが、なかなかできない人が多いんですね。

――相談に来られる会社はどのような業種が多いのでしょうか?


佐々木直彦氏: 業種は問わず同じテーマを抱えているんですけれども、特にIT系が多いですね。IT系の企業はやはり競争が激しくなっているんです。

――プロデューサーは、セミナーや社員教育のような形で育成するのですか?


佐々木直彦氏: 育てるという仕事も1つにあるんですけれども、こちらが提案して、一緒に何かを立ち上げて変えていくというようなこともやっています。僕はあんまり目立たないようにはやるんですけれども、多少目立つこともあります。コンサルタントはもともとそういう仕事なので、それはしょうがないんですが。また、デジタルハリウッド大学院というのがありまして、もともとクリエイター系の専門学校から始まったんですけれど、今はクリエイティブとITとビジネスを融合するビジネススクールです。そこで「プロデュース能力開発演習」というのを3年間やっています。

――講義の対象者はいわゆるビジネスマンの方ですか?


佐々木直彦氏: もともとビジネスマン中心なんですが、最近の傾向では3分の1以上が留学生です。留学生は、地元で大学を出てから来る方と、ある程度働いてから来る人もいます。日本の大学を出てすぐ来る人も前より増えていますね。

――教育とコンサルティングには似ているところがあるのではないでしょうか?


佐々木直彦氏: 基本的にコンサルタントが会社に新しい価値をもたらすとか、何かを変える時は、社内の人を通してやるんですよね。完全なアウトソーシングでやるということは少なくて、ほとんど企業の人と一緒にやります。ですから、まずその人に力をつけてもらうというのが基本です。人をプロデュースしているようなものですね。コンサルタントとしてうれしいのは、中心となった担当の人が会社で過去最高の評価をしてもらったとか、同期で最初に昇格したということが、わりと起きやすいんです。教育という意味では学校と企業は似ています。

現代の若者は、「恥をかく機会」を失っている


――教育の現場でご覧になって、最近の若いビジネスマンについて感じることはありますか?


佐々木直彦氏: 僕は「KOF」という言い方をしていたんですけれど、これはね、慶応大学藤沢キャンパスの略ではなくて(笑)、「キレる・落ち込む・ふさぎ込む」の略なんですね。2002年ぐらいから急にそういう人が増えたんです。新卒で会社に入って、ちょっとしたコミュニケーションのトラブルがきっかけで会社に来られなくなっちゃうんです。あるいは来ても全く話さなくなってしまう。入社3年までに辞める人っていうのが問題になっていますが、最近ちょっと減って30%ぐらいになってきたのかな。でも一時期36%を超えました。3人に1人以上、大卒の場合で3年以内に辞めてしまうんです。それはやはり、コミュニケーション的に対応できないまま、22歳を迎えている人が多いからだと思います。

――そのような社員には佐々木さんはどのような教育を施されますか?


佐々木直彦氏: あるメーカーからそういう面でなんとかしたいと言われてやったことがありますが、3年間で辞める人がゼロになったんです。18%ぐらいあったものが、一時ゼロになった。僕はまず、「恥をかいても大丈夫」という思考を頭に持ってもらったんです。具体的には、入社半年前に通信教育をしたり、前もって『キャリアの教科書』を読んでもらったりした後に、社員で集まって合宿をやるんですね。合宿では例えば「理想の営業マンってどのような人か」などのテーマを与えて皆で考えるんですが、その時に「僕は昔、こんな恥ずかしい体験をしました」とか、「これじゃイヤだから、立派になりたい、いい男になりたいと思って頑張ってここまで来たんです」みたいな話をすると、そのグループは話が盛り上がって、いい答えが出るんですよ。自分のマイナスの話をすると、みんな盛り上がって、もっと話してくれる。われわれの世代はそれをやってもダメだったけれど、今の人たちはそれをやると、まるで新興宗教みたいな盛り上がりになっちゃうんですよ。恥をかく体験で感動しちゃっているんですよね。

――世代間でそのようなギャップが出てしまうのはなぜなのでしょうか?


佐々木直彦氏: 今の若い世代は、フレンドリーにちょっと仲良くなるのは非常にうまいんです。ところがお互いに突っ込み合わないというか。「お前、さっき言ったことと違うじゃないか」みたいに、突っ込んでいかない。恥をかかないようにやっているんです。今の若い人たちって、怒られた体験があんまりない。母と子どもが密着していることもありますし、携帯電話のコミュニケーションが非常に盛んになった世代と一致していることも関係していると思います。僕は50歳過ぎですけど、昔だったら渋谷のハチ公前で7時に待ち合わせて、いつも30分遅れてくるやつなんてダメだったんですよね。でも今は、「ゴメン、今どこ」ってメールを送って返事があったら、「ああそうわかった」。「ゴメン、今ちょっとおなかが痛くなっちゃって」とメールが来れば「大丈夫?無理しないで」って返事を出すわけです。メールでけんかすると炎上しちゃうから。

でも会社に入るとそうはいかない。営業になればお客さんにいきなりガツンと言われる。僕が担当していたメーカーは建築と縁が深かったので、現場は荒っぽいんですよね。「お前、なにしに来たんや!」みたいな感じなんです。若い人は、みんなやる気はすごくあるんです。でもガツンと言われると思考が止まってしまう。その中で唯一、普通にバランスを取っていたのが、飲食のバイトの経験がある人たちでした。やっぱり飲食のバイトはお客さんにすぐ怒られるし、店長にも怒られるので。なにが喜ばれるとかの反応もすぐにわかるし、飲食は大事な日本の教育産業だと思っています。

幼少時の直感「自分は、「気が付く」かもしれない」


――佐々木さんの独自の思考方法はどのように養われたのか、幼少時から探っていきたいと思います。小さいころはどのようなお子さんでしたか?


佐々木直彦氏: 生まれたのは東北なんですけど、おやじが造船業に転職しまして、兵庫県の相生市というところにいました。そこで2歳ぐらいの時に、今につながる原体験が1つありました。最初に住んだ家の隣に、役場の人で、子どもがいない夫婦がいたんですよ。で、おじさんのほうが鬼瓦みたいな顔して子どもを叱る人だった。子どもたちが、おじさんが帰ってくると、「鬼が来た」って言って逃げるんです。僕はまだ2歳くらいだからみんなが逃げてもおいて行かれる。みそっかすで相手にもされていないんですね。それで隣を観察していたんですが、どうも悪いおじさんに見えないわけ。おばさんが優しくてかわいがってくれたせいもあるんですけど。これは確かめなきゃいけないという気持ちになって、おじさんに話を聞いたんですね。「おじさんは悪くないよね?」とか(笑)。

そこで、みんなが勝手に思いこみを持っているけど、間違っていることがあるんじゃないかなってだんだん気が付いた。5歳とかになってくると、はっきり理解できるようになって、「結構自分って、気が付くかもしれない」と思ったんですね。考えてみたら、今、そういう仕事をしている。天才でもなければ神様でもないんだけれど、要はちょっと何かに気づけるという仕事ですよね。

――コンサルティングの天分がそのころから現れていたんですね。将来の職業については何か希望がありましたか?


佐々木直彦氏: 僕はこの仕事をしていなかったら、スポーツのコーチになっていた可能性があるんです。僕はバレーボールをやっていたんです。171cmしかないんですけど、ずっと大学まで体育会でやっていて、高校は結構強かったんですね。それで、監督から、「お前はコーチに向いている」っていまだに言われるんですよ。実際浪人中に、近くの工業高校からコーチのオファーが来た(笑)。何のために浪人をしたかわからなくなっちゃうので、お断りしましたけれども。大学ではオープンのアタッカーをやっていて、小さかったけどジャンプ力は多少あって、バックアタックも打っていました。でもしょせん二流三流なんですよ。関東リーグは16部までかな。そのうち5部で、真ん中より上だけど、1部2部ってすごい世界なんです。全日本に入るやつもいるし。そこでちょっと強いチームに勝つにはどうしたらいいかとか考えるのがすごく好きで、やってみると実際試合に勝ったりする。これは面白いなって思いましたね。

一橋心理学ゼミ、驚きの合格基準とは


――大学は一橋でしたね。


佐々木直彦氏: 一橋に入ったのは、実は心理学をやりたかったからなんですね。本当は京都大学に行きたかったんですよ。それは高校時代に、アンチ体制っていう頭がものすごく強くなっていたからです。高校が横浜の翠嵐という高校なんですけど、そこは当時、日の丸は絶対にあがらない高校だったんですね。誰かが引きずり降ろす。高校なのに全国で初めてデモをやったらしいという、リベラルなところだったんです。で、京大では学生運動があった時にテストが全部レポート試験に変わって、それに反対の論文を書いた人が、その論文が認められて関係ない科目でAで通ったとか、そういうめちゃくちゃなところがあるというのを聞いて、ちょっとあこがれていたんです。

それで浪人している時に、各駅停車の夜行で京大に行って、守衛さんに「心理学の先生を紹介してくれませんか?」って言ったら紹介してくれたんですよ。で、先生が浪人生と1時間40分も話をしてくれたんです。感動するじゃないですか。でも最後にその先生が言ったのは、「君はこの大学に来ないほうがいい」。「なぜですか」って食い下がったら「君に向いた先生が一橋にいる」って言われたんです。その人は僕も知っている先生だったので、「なるほど、じゃあ、そうします」と言って、なんとか一橋に受かったんだけれども、これで話が終わらないんですね。とりあえずバレー部に入ろうかなと思って、バレー部の先輩のところに行って、下宿に遊びに行って、「何でこの大学に入ったんだ」って聞かれたから、その話をしたら、「そりゃいい話だな。でも待てよ。あの先生この前、退官記念講演やった気がする」って(笑)。いなくなっちゃっていたんです。その京大の先生も罪ですよね。

――バレーボールに打ち込んだ大学生活だとお伺いしましたが、勉学の面ではどのような学生でしたか?


佐々木直彦氏: 一橋に入ってバレーばっかりやっていたんだけど、「1つのAより3つのC」というのが合言葉でね、とにかく進級できればいいという感じです。心理学系のゼミがそれまで3つあったんですけれども、1つは7年に1度の海外研究期間がある。もう1つは僕が目指してきた先生の弟子だったんだけど、落ちちゃって入れなかった。残り1つしかないんですよ。ところがね、一橋は心理学って、社会心理学って呼び方だったんですけど、人気があるんですよね。競争率が4倍だったんですよ。でも僕は「1つのAより3つのC」ですから(笑)、これはちょっとキツイなと思っていたんです。当然落ちた時のことも考えました。絶対受かるゼミとしては、昼間から酒を飲んでいてもいいゼミっていうのがあったんですよ。体育社会学という、何をやっているかわからないというか、要は何をやってもいいゼミ。そこでまたコーチという選択肢が浮かんできました。一橋って現役のチームは決して一流じゃないんだけれども、昔の大学は10個ぐらいしかなかったから、そのつながりでOBがバレーボール協会の会長をやっていたりしたんです。それに高校の時の監督のつてもあるし、ダメだったら一応それをやるつもりで行こうと思ったんですよ。



ところがですね、入っちゃうんですね、その難しいほうのゼミに。しかし聞いてみたらA30個の人が落ちているんです。これは絶対に自分の成績を言えないなと思っていたんですけど、後で聞いてみたら、前の年に成績の上から取ってみたけど、全然面白くなかったから今年は下から取ってみたというのがわかったんです(笑)。周りも似たようなものなんですよ。成績のいい人がかわいそうにみんな落とされているんです。それで、とりあえずコーチという道は棚上げになりました。

即興プレゼン「リクルートにはセックスアピールが足りない」


――ゼミではどのような勉強をされていたのでしょうか?


佐々木直彦氏: 卒論で、「福生になぜツッパリが多いのか」っていうのをやりました。昭和47年から50年当時、福生ってツッパリが多い場所で、今日は先生を刺したとか、今日はシンナーで何人捕まったとか本当に過激だったんですよ。ちょうど福生で2軒、家庭教師をやっていたのでフィールドワークもしました。ツッパリ連中と会ったんですけど、すごかったですね。中学生だけど全然中学生に見えないんですね。警察にも会いましたし、OBにも取材をしたし。それが面白くて、完全にジャーナリスト志向になったんです。ノンフィクションを書きたいと思ったんですね。

――ジャーナリスト志望であったとは意外です。リクルートに就職されたのはなぜだったのでしょうか?


佐々木直彦氏: マスコミ的な就職をしたかったわけです。最終的にフリーでジャーナリストになりたかった。だけど、その道として最初、広告代理店でコピーライターが早道だと思ったので、そっちを狙っているうちにリクルートにひっかかったんです。

――リクルートではどのような仕事をされていたのですか?


佐々木直彦氏: 最初制作で入ったんだけども、ある日かなり偉い人が集まっているところに呼ばれて、「後ろ向きで書記をやれ」って変なことを言われたんだけど、議論が煮詰まった時に、「お前、書記はいいからこっち来て、何でもいいから話してみろ」って言われたんです。そこで僕が「この会社にはセックスアピールが足りなすぎる」という話をしたらウケちゃって、「まだいいんですか?」って言いながら20分ぐらい話していたんですけど、座長の人がずっと目をつぶってしかめっ面で聞いていて、「君、明日から営業やったほうがいいなぁ」って一言、本当に営業になっちゃった。

「提案する営業社員」で、コンサルティングに目覚めた


――営業の仕事に異動することについてどう思いましたか?


佐々木直彦氏: いつかやる機会があるといいなとは思っていたけども、なんで今なのか。この異動はどうもおかしいなって思いました。で、行って見たら、担当のお客さんを引き継ぐんだけど、その先輩、七期連続目標数字に行っていないんです。どれだけ効率が悪いお客さんを集められたのかなってわかりましたよ。業績が伸びていないところばかりで、お客さんにそもそも予算がない。これじゃ一生浮かばれないなと思ったので、お客さんに対してトップアプローチをやったんです。トップに「経営をよくするためにはこれです」って提案しようと思って、行っているうちにいくつか決まりました。

――まだ入社間もないころですよね。相手のトップは会ってくれるのですか?


佐々木直彦氏: 行く時にリクルートの偉い人を連れていくんですよ。「またお前と一緒かよ」て言われながら。そうしないと会ってくれないですしね。当時僕のお客さんは学校だったんです。だから学長とか理事長とかにプレゼンするわけです。学生部署にからむ仕事なんだけど、新規事業の提案もしたし、組織改革につながるCIみたいな話も、結構好きだったので勉強しました。偉い人ってね、結論が早いんです。よければ「よしやろう」で、出せるお金があるかないか。ダメだったら理由がよくわからなくてもとにかくダメなんです。非常にさわやかだなと思いました。当然すぐに決まるから結果もすぐ出ますよね。いい結果が出たら、ああよかったとみんなで喜び合える。自分で作った企画を売って、社内だけでできなければ社外からブレーンの人を探して組んでやる。やっているうちに結果も出てきて、明らかにコンサルに目覚めてしまいました。気が付いてみたら、リクルートの抱えている商品を全然売っていない営業マンになっちゃった。これは本当に変な1、2年でしたね。

――お客さまへの提案でよい結果が出たのはなぜだったと思いますか?




佐々木直彦氏: 相手の目線に立って、相手にとっていい状況を作るにはどうしたらいいかと、フラットに考えたことですね。会社をよくするために役に立つことならば聞きたいと思うだろうし、経営者はお金を出すだろうという子どもでもわかる単純な考えでやっていました。企業が大きくなると売るものがあって、お客さんから注文があればそれにしっかりと応えるのが基本なんだけど、それだけで足りないところにニーズがあると思ったら言ってみればいい、ダメだったらしょうがない。お客さんが決める話ですからごり押しする話じゃないけど、お客さんがそれに反応してくれたら、もっと考えればいいということでしかないんです。ただ、これは営業だったからこそできたことですよ。たぶんコンサルファームに入っていたら、そんな下っ端にやらせてくれないですよ。

「今がその時」コンサルファームを決断から3週間で退職、独立


――その後リクルートを退職されてコンサルティングファームにお入りになったんですね。


佐々木直彦氏: コンサルファームというか、産業能率大学っていう大学組織なんですけども、一般企業相手にコンサルをやったり、企業研修をやったりしているところで、自分の分野もそこでいくつか試して作りました。35歳のころですが、当時はバブルがはじけたところなんですよね。教育研修コンサルは、軒並み売り上げが減っていたんです。広告費・教育費の予算が削減されていました。それで、僕のいた産業能率大学も苦しかったんですが、僕は企業は守ってもダメだと思うようになっていました。不況の時はとりあえず痛手を少なくするために守りを固めるんだけども、固めるだけだと浮かび上がれない。僕が新しくやろうとしていたことを聞いてくれるお客さんが増えてきたなという実感もあったので、それなら直接やったほうがいい仕事が来ると思って、やめようと決めてから3週間後に辞めたんです。

――3週間!非常に早い判断ですね。


佐々木直彦氏: コンサルってもともと転職する業界ですからね。たぶんいつか自分はそうなると思っていました。いつにするかは明確に決めていなかったけど、一言で言うと、今がその時っていう感じでしたね。先が完全に見えているわけではなかったけど、ハードボイルドに、きれいに辞めたいっていう美学を追究しちゃいましたね。前のお客さんを持っていったとかも一切ないんですよ。別にそういうことはやってもいいんじゃないかとも思うんだけれども、僕の場合やらなかったんですよね。半年ぐらいしているうちになんとかなるんじゃないかという気はありましたし。

女性金メダリストはなぜ人々の記憶から消えてしまったのか



佐々木直彦氏: 少し話が横道にそれるんですが、ちょうどリクルートを辞める前後にノンフィクションの作品を書いたんです。

――それは興味深いですね。どのような内容のものでしょうか?


佐々木直彦氏: スポーツのテーマでした。当時、日本人女性でオリンピックで金メダルを取った人は非常に限られていたんですね。バレーボールで東京とモントリオール。後は、水泳で1936年のベルリンで平泳ぎの前畑秀子さん。「前畑頑張れ」の人ですね。そして、1972年にミュンヘンで青木まゆみさんがバタフライで取って、それ以来、長崎宏子さんが取るまではなかったんですよ。でも青木まゆみさんが、人々の記憶から消えている。なぜ消えているかっていうことを、青木さんが金メダルを取ってから10年目の、新聞の小さなコラムで知ったんですね。そのコラムには青木さんをからかうような表現もあって、それがひっかかっちゃって、調べ出したらはまっちゃったんです。

国会図書館に通って、縮刷版でまず調べていくと、前畑さんとすれ違いがあったことがわかったんですよ。前畑さんは36年間金メダリストであることを一人で背負い続けたんですね。だから青木さんが金メダルを取る時に、岐阜の実家で一人深夜のラジオで聴いて、ゴールした瞬間、両手からものすごい汗が出てきて、「よくやった、これでやっと私はひとりぼっちじゃない!」って叫んだ。で、次の日ミュンヘンに国際電話をかけたりしたんだけど、青木まゆみさんはインタビュアーの新聞記者の人たちに、「前畑さんをどう思いますか?」みたいに聞かれた時に、「私、前畑さんって知りません」って答えちゃった。

――知らないわけはないですよね。なぜそう答えてしまったのでしょうか?


佐々木直彦氏: 青木さんてすごく堅い人なんです。「私には答えられません」っていう意味で言ったんだけど、全然伝わらず、場がしらけちゃったんですよ。そして前畑さんもしらけちゃった。前畑さんは国民を背負って、1回0.1秒差で銀メダルに終わったんです。で、引退して結婚しようと思ったけど、みんなが許してくれなかった。ベルリンでは金メダルを取らなかったらプールの中で舌をかみ切って死のうという気持ちで行っているんですね。青木さんは、ほかに金メダル確実と言われた人がいて、全然目立っていなかった。それが泳ぐたびに記録更新、オリンピックでピークになって勝っちゃったみたいな感じなんです。2人が全然違うことで、青木さんはものすごく苦労するんです。コミュニケーションがヘタだから、「天狗になってんじゃないか」とか言われたりとかね。その後表舞台から消えちゃったことも、マスコミの取材一切お断りっていう状態だったからだというのがわかってきた。日本人って金メダルで盛り上がるじゃないですか。でも勝手に盛り上がって終わりなんですよね。海外だと、盛り上がるのは盛り上がるけど、金メダリストってずっと生活保障とかがあるんです。

いわゆる共産圏はそうだけど、自由主義圏でもあるわけですよ。持ち上げるだけ持ち上げられて、違う生き方をしなくちゃいけないのに、ハシゴを外しちゃう。これはまずいんじゃないかという気持ちもありました。ミュンヘンオリンピックは36年ぶりのドイツのオリンピックで、その時にはベルリンの壁があるわけですから、ドイツまで行って壁の取材もしました。オリンピックのプールでも泳ぎました。

「コンサルタント」と「ノンフィクション作家」で葛藤


――リクルートに籍を置きながら執筆されたのですか? 取材の時間を作るのも大変だったのではないですか?


佐々木直彦氏: リクルートの営業マンの時に、前畑さんと会って、青木さんのコーチとも会いました。リクルートから転職した後に、青木さんにもあの手この手で会えたんです。相当苦労しましたよ。だって全部シャットアウトの人ですから。そういえば、前畑さんに電話しなきゃいけない時が、当時僕があこがれていた沢木耕太郎がリクルートに来る日だったんですよ。それで、絶対話を聞きたいと思っていたんだけど、話を聞くと約束の時間に電話ができないんですね。どちらを取るかといったら、電話を取るしかないじゃないですか。それで1階のロビーの公衆電話からかけました。

ところが沢木さんは100人以上の聴衆を待たせて30分ほど遅刻してきたんです。公衆電話で前畑さんと話し終わる頃に、遅れて早足でビルに入ってきた沢木さんを横目で見て、「これはラッキー!」と。そしてギリギリで会場に滑り込み、僕は沢木さんに100人のなかで唯一質問をしたんです。沢木さんって就職をしたんだけれど、1日で辞めているんですよね。その理由が「雨が降っていたから」という風になっているんだけど、絶対ウソだろうなと思って、「本当はどうなんですか」って聞いたんです。みんなの前で。そうしたら、「うん、今ここでは言えないな」と(笑)。まあ、それで十分でしたけどね。その後、飲みに誘われたんですよ。もちろん一人で誘われたわけじゃなくて、何人かと一緒に誘われたんだけど、「書きかけのノンフィクションがあるから」と断りました。書きあがるまでで沢木さんと会えないなと思ったんですね。バカだったよね、今にして思えば。

――そのノンフィクションは本にするおつもりだったのでしょうか?


佐々木直彦氏: 1冊の本にっていう思いがあったのですが、「Number」が、新人賞募集を始めたんです。ちょうどいい機会だと思って、規定が80枚以内だったので無理やり短くして出しました。1次を通らなかったらあきらめて、1次を通ったらもうちょっとやってみようかなと思ったんです。締め切りの日は過ぎちゃったんだけど、郵便局に深夜に行って、「すみませんけど前の日の消印を押してくれませんか?」って頼んで、押してもらって。そうしたら最終選考までいったんです。最終選考日の前の日に電話がかかってきて、「今のところ実は最有力です。明日どこにいるか教えてください」って言われたんです。

――それは相当うれしかったんではないですか?


佐々木直彦氏: ウソだろって思いました。それと正直ものすごい葛藤があったんです。全く想定外なわけです。せいぜい2次通るぐらいで終わりだろうと思っていたので。コンサルが自分のスタイルができてうまくいきそうで、「困った、どうしようどうしよう」って、息ができないぐらいでした。ところが次の日に電話がかかってきたんです。「昨日はああ言いましたけれど、色々あって、結局は該当しませんでした」っていう連絡だったんですね。そう言われちゃうとホッとするものの、やっぱり悔しいなという気持ちにはなりましたね。おかげで今もあるのかもしれないけども。

ノンフィクションとコンサルティングの手法は近い


――コンサルタントとしてのお話をお聞きするうちに、意外なお話が出てきて驚きです。その時の選択次第で、今ごろノンフィクション作家として活躍されていたかもしれませんね。


佐々木直彦氏: 明確に思っているんですけど、ノンフィクションライターとコンサルタントは非常に似ているんです。作品を生み出すのがノンフィクションライターで、コンサルタントは企業相手に結果を出してお金を頂く仕事なので、アウトプットは異なりますが。結局、自分しかない情報を取りにいかないと、圧倒的に素晴らしい価値は生まれないんですね。コンサルでも、誰が見てもわかっちゃう情報でやるのは、まあ事務処理的な物はあるけれども価値はないんです。全然誰も思わなかったような視点を出して、「なるほど、気が付かなかったけどそうだ」って言わせることが大事なんです。相手をその気にさせる世界を作らなきゃいけない。そのためには、全く独自に情報収集して、それをどう組み立てるかという思考も大事なんです。例えば、美味しい生ビールを作るという仕事をする時に、生ビールを出しているお店に、10年担当している営業マンと一緒に行くわけです。その時に10年ずっといい関係を保ってきた営業が聞けなかったことを、その場で聞けないとダメなんです。

――相手から色々な話を聞き出すコツはありますか?


佐々木直彦氏: 人間って本当は自分で自分のことをもっともっと好きになりたいんですよ。肯定したいんですよね。でも自分だけでは肯定しきれない。それをこっちが意味づけするというか、うまく聞いて組み立ててあげると、自然に肯定していけるんですね。聞き出されることがすごく気持ちよくなってくるし、うれしくなってくるんです。そうすると、自分で話そうと思っていかなかったこと、それから忘れていたことを話し出すんですよね。相手に興味を持って、リスペクトできるところが見つかると相手の中に入っていける。そうして引き出してきたものを組み立てる。アプローチがすごく大事で、これはノンフィクションライターと全く一緒なんですね。コンサルタントは未来に焦点を当てて、問題を乗り越えるために何かを推進しましょうみたいなことをしなければならないので、表現の落としどころは多少違いますが、非常に似ているところがある。コンサルタントは文章もうまく書けたほうがプラスですし。猪瀬直樹さんなんか見ていると、ノンフィクションを書いていますが、コンサルタントなんです。もともとお節介な人じゃないですか、あれは元からだと思いますよ。政治とか行政の世界に行きましたけども、同じようなことだと思いますね。

――今後ノンフィクションの作品を書かれるご予定はありますか?


佐々木直彦氏: 今でもノンフィクションで書きたいテーマがあることはあります。耳の聞こえない人の世界について書きたいというのがあるんですね。僕は一時期耳の聞こえない人とたくさん交流していて、手話サークルに行ったりしましたが、世の中には耳の聞こえない状態がどういうものか、全く知られていません。大変だろう、障害者なんだろうぐらいにしか思われていなかったんですよ。身近にいる人は違うことを思っていたと思いますが。企業って、障害者雇用を推進しなきゃいけないということで、何%を取らなきゃいけないって指標ができていますけども、耳の聞こえない人っていうのは、人気が高いんですね。なぜかっていうと、車いすだと設備費がかかっちゃったりするので。あんまりいい言い方じゃないけど、そういう意味じゃコストがかからないと言われているんです。



ただね、コミュニケーションがうまくいかなくて、トラブルが多かったり、そこで続かなかったりして辞める人が実は多いんです。それは、耳の聞こえない人の側にも実は問題があるということがわかってきました。やっぱり閉ざされた世界にいて、普通のことがあまりにもわからない人がいらっしゃるんですよ。耳の聞こえない人もちょっと情報を取ったり勉強したりする必要がある。だけど、聞こえる側があまりにも知らなすぎることのほうがもっと問題なんです。これを知るだけで、「そうだったのか、じゃあこうしたほうがよいな」っていう世界があるんです。

「人」から離れられないから文章を書く


――佐々木さんにとっての本、読書についてお伺いしたいのですが、ご著書で読書記録を書かれているという風に拝見させていただいたんですが、どのようなものですか?


佐々木直彦氏: 僕はノートをすごく大事にしているんですよ。12月に出た本も「考えるノート」っていうんです。ノートが1冊あれば、どんな混乱していることも必ずまとまって、誰かを説得したり、新しい動きを起こせるように思考を進化させられるんです。読書記録に関しては、昔はとにかく読んだら記録をつけようということをやっていたんだけど、後につながる整理じゃないと意味がないなと思ったので、最近は大事な本の見開きに文章だけじゃなくて絵を描いたり、チャートを書いたりしています。そうやって残しておくと、本のイメージが、見開きを見ただけで全部思い出される。もちろん中には線を引いたり書き込みをしたりとかもします。

――執筆はいつもどのような場所、スタイルで行われていますか?


佐々木直彦氏: ここは事務所なんですが、来てから6年もたっているんですけれど、最近までここで書けなかったんです。もちろん締め切りがあればやるんですけど。僕は森が好きで、森の中のほうが執筆がしやすいんです。原稿はワープロじゃなくて、エディターって言われるソフトで書きます。MacだったらJedit。WindowsだとWZ Editorですね。使うのはMacのほうが多いんだけど、でも質がいいのはWZ Editorのほうですね。

――ノンフィクションのお話からも文章を書くことに思い入れがあると伺われますが、書くことは佐々木さんにとってどういう行為でしょうか?


佐々木直彦氏: 小さいころから文章に敏感で、中学ぐらいから時々詩を書いていたりしていて、どう表現すれば伝わるかなとか、感動をするかなっていうのは、すごい関心があったんですね。もともとは理科系だったんですけども、どうしても「人」から離れられないなと感じて、苦手だったけど文系の勉強もして、文章だけはずっとやっていきたいなと思っていました。僕は本を書くようになったのは独立してからで、それまでは共同翻訳が1冊あったくらいですが、本を書くと、反応してくれる人がいるのが大事なことですね。プラスでもマイナスでも反応がありがたい。なるほどと思うこともありますしね。後、ブログを書いたりとかレビューを書いたりするだけじゃなくて、アプローチしてくる人もいるんですよね。個人でもいますし、企業からも来る。「プロデュース能力」なんかは一番多かったですね。

――本を書く際に気を付けていることや、文章についてのこだわり、流儀はありますか?


佐々木直彦氏: 本によって違うんですよね。基本的に参考文献は使わないんです。本を読んでインスパイアされるってことはもちろんありますが、何かを参考にして書くということはなくて、自己流を自己流じゃないように書くことが多いですね。もともと自己流から始まっているんだけど、読んでいる人が自己流って気が付かないように、どこでもやっていることだと思って読んでもらえるようにすることが大事です。後はわかっていただくために、ケースストーリーをすごく大事にしているんですよ。ケースストーリーって質が低いとしらけるんですね。リアルだなって感じていただけるように気を付けながらやっているつもりです。でも人によっては、これ全部ウソだろうと思う人もいるんです。Amazonのレビューなんかを見ても、そう読んでいる人もいる。それは仕方のないことですし、どちらでもいいかなって思いますね。虚構でも入り込める虚構があるわけですしね。

――文章を書くのは速いほうですか?


佐々木直彦氏: エンジンがかかったら速いですね。一番頑張った体験は、『コンサルティング能力』を1ヶ月山にこもって書いた時に、1日が26時間サイクルになりました。あんまりやっちゃいけないことですが。限界までやったらもぬけの殻みたいになっちゃって、3ヶ月ぐらい何か起こったら死ぬなという体調になってしまいましたね。

――現在の本や出版業界について何かお気づきになる点はありますか?


佐々木直彦氏: 世の中で本が売れなくなってきているのは困りましたね。ネットを見ちゃっているでしょ。例えばFacebookだって、毎日1時間以上やっている人だってたくさんいるじゃないですか。そうしたら本を読む時間がなくなりますよね。情報を取る窓口も多様化しているし、情報を取るだけじゃなくて、SNSで書き込まないと、自分がそのコミュニケーションの中から出ていっちゃうみたいな感じもあるんでしょうね。

電子書籍はメディアミックスの可能性を生かしきれていない


――佐々木さんは電子書籍はお使いになっていますか?


佐々木直彦氏: 昨年末からキンドルの愛用者になりました。タブレット一つで何十冊分も持って歩けるというのはすごいですね。

――蔵書をスキャンして電子化することには抵抗はありますか?


佐々木直彦氏: キンドルを使うようになってからなんですが、自分の書いた本、それから、何度も読み返したい本、読みたいと思って買ったのに読めずに時間が経ってしまった本をスキャンしてタブレットで読めるようにして持ち歩きたくなっています。自分の書いた本は、何を書いたか意外に忘れてしまうので、いつも持っていられると安心じゃないですか。何度も読み返したい本は、もう一冊買って、一冊スキャンして、紙の本は紙の本で書き込みなどしながら読み続ければいいし、誰かとディスカッションしてテーマを深めたい本は、さらにもう一冊買って相手にプレゼントする。こうすると、素晴らしいことが起きる、つまり無理やり相手を巻き込んで安く勉強会ができるんじゃないか、などと妄想しています。

――スキャンされた場合に著者に印税が入るなどの仕組みについてはどう思われますか?


佐々木直彦氏: それは素晴らしいね。たとえ1冊1円でも2円でも著者に入るようになれば、応援してくれる人が増えるでしょうね。でも、例えば300人の著者しかいなかったらやりやすいけど、連絡つかない人がいたらどうするのとか、色々な問題がクリアできれば方法はあるかもしれないですね。

――電子書籍には今後どんな可能性がありそうですか?


佐々木直彦氏: 偉そうなことは何も言えないんですけど、印税があるラインを切ると生活できなくなっちゃう方が出ているんじゃないかという気がするんですね。だから責任を持ってなんとか食べられるビジネスモデルを作らなきゃいけないと思います。そこにおいて、電子書籍というのは、結構可能性があると思うんです。これはメディアミックスがやりやすいというのが1つあると思います。つまり、誰かの本を電子書籍で読みますというのが基本ですが、例えば、人気コラムのWebサイトがあったとして、最近の大人女子マーケットの注目点はコレとコレというビジネステーマがあったとして、そのテーマの本がクリックすれば紹介されて、いくらか払えばダウンロードされてその場で印税が発生するという風なことができるじゃないですか。今後ブレークする可能性をはらんでいると僕は思っています。

――今はまだ電子書籍の可能性が生かしきれていないと感じられますか?


佐々木直彦氏: 全然生かしきれていない。最近僕の本も電子書籍にしてくださいっていうのも来ているんだけど、「あ、そうですか」ってぐらいしかないです。それよりも、例えばもう増刷しなくなった本を、まだ読みたい人もいますから版権引き上げて、こっちが再利用したほうがいいんじゃないかと思っています。無駄になっているコンテンツを生かすという意味でクラウドって大事だと思うんです。そこに行けば取って来られて、コンテンツが使えるという状況にすればいいわけですよ。で、出版社が電子書籍もやりますと言って著者と契約して、今までの本と同じように印税もほんのちょっとだけど払いますという感じだけじゃ、全然面白くない。

Amazonが出版機能を持って、印税30%を払いますという風になったら燃える人がいるじゃない?Amazonというメディアで完結させて、どうやってプロモーションしていこうかという発想のほうがいいかもしれないんだよね。本屋さんに出すのは売れてきたら考えるぐらいでいい。Amazonが別会社を作ってそこから出すとか、何か考えればいいわけで、これからだと思いますね。

後、CDも売れなくなって、松任谷由実さんとか、山下達郎さんとかが、これからはライブを大事にしますとか言っているんだけども、ライブは確実に収益が上がるわけです。それと同じように、特にビジネス系の本なんかは、セミナーにつながることがある。本はテキストとしての可能性もあるし、セミナーのプロモーション材料として、あるいはセミナーを受けた後に買うという連動もあるじゃないですか。セミナーはすごくコアで、最高のセミナーは値段も高いんだけれども、コアだから何千人も来なくて、せいぜい何百人だけど、電子書籍だとそのくらいの数を出すのも簡単じゃないですか。1冊が10000円とか、場合によっては30000円って場合があってもいいわけじゃないですか。そういうことがやりやすくなったと思います。

――最後に、コンサルタントとして今後取り組んでいかれるテーマを教えてください。


佐々木直彦氏: プロデュースできる人を増やすことはとてもいいことだと思っていますので、まずこれをやります。最近、プロデューススキル、特に思考のスキルを身につけると、うつがよくなるってことがわかってきたんです。治療というのは本来マイナスをゼロに近づけるものだだと思うんですが、プロデュース思考によってプラスに転換しちゃう。つまり、いままでできなかったことができるようになって、ビジネスパーソンとしても、人間としてもスケールが大きくなって、花開いていなかったその人の才能が実って、結果としてうつがよくなっている。こういうことが起きるようなんです。僕は医者ではないし、精神科医と組まなきゃいけない部分もあるかもしれませんけど、予防とか、ある程度良くなった人がさらに良くなるスピードが高めるために何かできるのではないかと思っています。

それから、地方を元気にして、同時に、都会で働く人のワークスタイルを転換してもっと人間的にするために、「食」と「ワークスタイル」を切り口にして、都会と田舎のあいだに新しい人・モノ・金の動きをつくりたいと考えています。いま仕掛け中で、まだ言えないこともあるのですが、いくつか、今年発表できるようにしたいですね。

(聞き手:沖中幸太郎)

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