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北岡伸一

Profile

1948年生まれ。71年東京大学法学部卒、76年9月東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了、法学博士。76年から立教大学法学部講師、助教授を経て81-83年にはプリンストン大学客員研究員、85年立教大学法学部教授、97年から東京大学法学部教授。2004年特命全権大使(日本政府国連代表部次席代表)を経て、06年9月に東大法学部教授に復帰。2012年3月に東京大学を辞職。2012年4月より、政策研究大学院大学教授、10月より国際大学学長を兼任。専門は日本政治史、日本外交史。サントリー学芸賞、読売論壇賞、吉野作造賞など受賞多数。2011年に紫綬褒章受章。近著に『官僚制としての日本陸軍』(筑摩書房)がある。

Book Information

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1983年からワープロを導入、その後初期パソコンからずっと愛用


――北岡さんは執筆される際は、どういった場所で執筆されてますか?


北岡伸一氏: まぁ、事務所か家です。でも家が多いかな。細切れになると書きにくいので、やっぱりまとまった時間が必要です。ここだとどうしても人が来たり会議をしたりで半々になってしまうから、家の方が多いかな。6:4くらいの割合だと思いますよ。

――執筆される時は、パソコンをお使いですか?


北岡伸一氏: パソコンです。長年パソコン以外使ったことない。パソコンがないと字が書けない。僕はパソコンの導入は1984年くらいですね。当時ワープロですけど。81年からアメリカに2年に留学したんです。その時に、向こうの連中がコンピューターを使ってるのを見てね。便利なもんだなと思った。それまではタイプライターで、タイプライターは、ミスタイプした時に直すのが大変なんですよ。

――タイプライターの場合は、どのように直すんですか?。


北岡伸一氏: 修正液で直すんです。とにかくミスしないように打たなくちゃならない。特にね、複写の為にカーボン紙を挟んで打っていたら、修正する時カーボンの方もなおさなくちゃいけないから結構大変でしたね。アメリカへ行ったらコンピューターの移行期で、アメリカの学生はキャンパスに住んでますから、図書館でデートしているのを見たりしたんですけど、それが徐々にデート場所がコンピューターセンターになりつつあった。最初その使用感を聞いた時は、「旅行するのに車で行くのとジェット機で行くぐらい違う」と言われてびっくりしたものです。そしたら83年に日本で「ワープロ」という個人で使えるコンピューターができたと知って、「これがほしいな」と思ったんですよね。83年にアメリカから帰ってきて、当時あった「オアシス」という機械を買った。僕は英語も使える機能を付けて買ったんで1台100万円くらいしました。

――1台100万円ですか?


北岡伸一氏: 100万円しました。カチャカチャカチャカチャと遅くてね。でも車よりは安いし、僕には商売道具だからいい。以後何十台買ったかわかりませんけどね。僕にとっては、タイプからワープロへの移行は割合簡単だったんですよ。むしろワープロからPCへ移行するのが結構大変だった。これはちょっと手こずりましたね。今は、海外旅行にも必ずPCを持っていきます。そうすると、だんだん休みがなくなって(笑)。昔は「海外出張です」というと、「じゃあその間、原稿書けないですね」と言っていたのに、それがまずFAX送信になって、今度インターネットになった。この間の変化はすごいと思うんですよ。

1回きりの人生、色々な『個人の能力』を開発して競争すべし


――今、経済的にも日本は悪くなって、社会に勢いがなくなってきていると思いますが、どう思われますか?


北岡伸一氏: 明治も戦後もそうだったように、このままじゃもう立ちいかなくなると思ったら頑張るでしょ。今男の子が元気がないんですよ。元気なのは女の子の方。僕の教え子でもいわゆる横歩きで次々職を変えてキャリアアップしているのは女の子です。昔は、日本は昔から大体1つの組織にずっといるのが良いこととされたんですよね。明治、戦前は一番良い履歴書は3行だといったんですよ。何々大学卒。何々会社入社・退社と言われたんですけどね。

――今は転職をしない人の方が少ないくらいですね。


北岡伸一氏: 昔は組織の中にいると、組織の中のカルチャーに安住すると言われていた。そうすると最初は先輩がいて、そのうち自分も偉くなっていくという秩序の中で生きているでしょ。そうするとね、個人として本当の競争にさらされないんですよ。でも、それじゃやっていけなくなるから、競争するようになったし、大学なんかでも、東大は2004年に国立からちょっと変わったんですよ。今だと一流の先生を呼んでくる為に総長より高い給料を払うこともある。そういうことは当然です。普通の日本の企業が外国の合弁会社をつくったり、海外の人を雇ったら、日本の基準で「お前は部長だから社長よりうんと安い」と言う風に行かない。国際化というのは秩序を破ること。日本は今まで国内の秩序を生かして、なんとか競争できた。でも、もうそれは通じなくなっているから。それを超えて競争することが大切です。競争が乏しいのは政治と役所ですから、これはなかなか変わらない。大学は競争はあんまりないですね。これからは日本の仕組みをいつまでも守っていたら負けちゃうでしょう。日本は、なまじ人口が1億2800万人もあってね。国内で日本のマーケットが成り立つ。韓国は成り立たないとわかったから海外へ出ている。その結果、家電、特にテレビで日本は完敗しているわけですよね。それをね、自分たちの長所と制約の中で、競争していかなくちゃならない。競争というと個人の競争にたどりつくんでしょうが、せっかく1回きりの人生なんだから色んな能力を開発してという風にやってほしいと思うんです。責任も大きいですけどね。

――そう考えると、北岡先生ご自身が常に競争の最前線の立場に自ら身を置いてきたという印象があります。




北岡伸一氏: 私はたまたま好奇心が強いので、色々な新しいことをやってみようと思うんです。ただ自分の物差しでやっている。例えば私は「大使になりませんか?」というのも3つくらい断っている。国連は面白そうだから受けました。他にも色々お誘いは受けたのですが、今はちょっと研究したいと思ったものですから、居場所も自分で決めている。

――ご自分の物差しで、新しいことへチャレンジされていらっしゃるんですね。


北岡伸一氏: ただ世間から見て「偉くなりたいから競争する」とかはダメですよね。その為にはやっぱりリスクを取ることが必要なんじゃないですか。みんな今、海外に留学や就職するのに、お母さんが反対するケースが多い。「そんな危ない所に行かせない」とか、「日本のせっかくいい会社に入ったんだからそこにいればいい」とかね。でもそれはね、今の時代は、チャレンジしないことの方がリスクなんですよ。だからみなさんご自身の物差しで新しいチャレンジをしていってほしいですね。

(聞き手:沖中幸太郎)

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