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世界中の本好きのために

保坂和志

Profile

1956年、山梨県生まれ。鎌倉に育つ。早稲田大学政経学部卒業。90年、『プレーンソング』でデビュー。93年、『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、95年、『この人の閾(いき)』(新潮文庫)で芥川賞、97年、『季節の記憶』(中公文庫)で谷崎潤一郎賞、平林たい子文学賞を受賞。エッセイに、『猫の散歩道』(中央公論新社)、『途方に暮れて、人生論』『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』(いずれも草思社)など。創作論に、『書きあぐねている人のための小説入門』『小説の自由』『小説の誕生』(いずれも中公文庫)、『小説、世界の奏でる音楽』(新潮社)などがある。

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賞が欲しいだの、偉くなりたいだの…戻るところは最初しかない。


――作家の立場からすると、電子化でも紙の本でもどっちでもいいと思われますか?


保坂和志氏: どちらがいいとか悪いとかは、それは流通にかかわる問題なんでね。やっぱり作り手の問題として、簡単に電子書籍にくら替えする作家がいるんだよね。本当のちゃんとしたものを書こうと思っているわけでなく、売れることしか考えていないということですよ。まあ、商売人ですね。もっと悪く言えば売文業ということだけど(笑)。

―― 一言で作家と言っても、いろいろな立場の人たちがいるんですね。


保坂和志氏: 物書きというのは、一応自分が拠って立つ場所というのがそれぞれあって、賞をいっぱい取っている人は、実は売れていないことが引け目だったり、売れている人は賞を取っていないことが引け目だったりと、くだらないことを言っているんだけど、どっちでもいいんです、そんなこと。だって大事なのは、ちゃんとしたものを書くってことなんだから。だからみんなデビューする前に、まず、小説家になりたいどころか、「小説を書きたい」と言い、書けるなら売れなくても構わないと思っている。それが次に、プロとしてやっていくにはどうしたらいいか、もっと売るにはどうしたらいいかって、だんだん売るほうに向かって行って、賞が欲しいだの、偉くなりたいだのって、そういう風になっていく。でも最初は「書きたい」ということで始まっているんだから、そこに戻るしかない。いつも拠って立つところはそこなんですよ。

――小説を書く上でどういったことが大事なんでしょうか?


保坂和志氏: 小説家で大事なのは、いいマンションに住んで、いい車に乗って見せることじゃなくて、「小説を書きたい」と、最初に思ったその気持ちが、若い人たちの「何かをやりたい」という気持ちを鼓舞させる。小説家はそのための存在なんだから。「自分はそういうことを実現してみせた!」とね。

――若い人たちに影響を与える存在ということですね。


保坂和志氏: その実現した人間が、「次はいいマンションに住めるぜ!」じゃないでしょう。プロ野球選手もそうなんだけど、最初はドラフトにかかりたいとか、レギュラーになりたいと思っていた人間が、年収5億になったらロレックス100個持っているとか、関係ないでしょう、そんなこと。



――本質から外れ、意識がお金にとられてしまうことは、残念ですが珍しくないことなのかもしれません。では、芥川賞という、日本で最も大きな賞を受賞された保坂さんが、なぜ、本質からそれることがなかったのでしょうか。


保坂和志氏: 僕はそんなに売れなかったからね(笑)。でも、言っておくけど、芥川賞は「日本で一番知られている賞」というだけで、全然たいした賞じゃないからね。

尊敬する人の言葉は、そのまま暗記してしまうもの


――ご自著で、「読むだけじゃわからない、書かないと」と言っていますが、わかりやすく説明していただけますでしょうか?


保坂和志氏: 評論家は、「この本は何を言おうとしているのか」とか、「全体として起承転結がどうなっているのか」、などと言いますが、そんなことは関係ないんですよ。1ページ1ページが面白いかどうかなので。だから、読書感想文にしろ、国語の授業にしろ、全部評論家の読み方なんですね。そうじゃない、その1ページ1ページ、1行1行に入っていく、その呼吸の面白さ、転換の面白さを体感するのに、一番の近道は自分で書くことなんですよ。ただ、僕やほかの人が言っていることを読んでいれば、書かなくてもいいんですけど。

――ご著書で、「高校3年生の夏休みに、作家になろうと思った」 と書いていらっしゃいましたね。それはその時期に、何か大きな転機があったのですか?


保坂和志氏: あのね、当時好きになった女の子が、安部公房が面白いって言うので、読んでみたんです、面白いのかなって。まあ、つき合う前にふられたんですけど…。

――それがきっかけだったのですか?


保坂和志氏: 僕が高校のころというのは73年。当時の高校生は、大江健三郎を結構読んでいました。いわゆるエンターテインメント小説というポジションも、今よりも関心が圧倒的に低かったんです。今の純文学というのを普通に高校生が読んでいたから。安部公房、大江健三郎、あと僕は山梨出身なんで、その流れでかなり変わった方向で深沢七郎を好きで読んでいたんですね。主にその3人でしたね。

――その頃から1ページ1ページの読む楽しさを味わいながら読んでいたんでしょうか?


保坂和志氏: 当時は僕も全体を理解しようと思って読んでいた。で、最初にビックリしたのは、大学4年生の時に、田中小実昌さんの『ポロポロ』(河出書房新社)を読んだ時。全体とか全然関係なくて、あれは面白かったですね。

――今でも読み返すことはありますか?


保坂和志氏: あのね、読み返すという少ない感じじゃないんです。田中小実昌の場合は一時期しょっちゅう読んでたんです。いまはカフカとベケット。あと小島信夫。これは読み返すんじゃなくて、年中読んでいる。特別読まなきゃいけない本がないときは、だいたいその3人のうちのどれかを読んでいますね。

――一度読んだ本を、再び開くというのはなぜでしょうか?


保坂和志氏: 小説と思うからいけないんですね。例えばね、過去につき合ったり別れたりした女の子とかが言った言葉とかは何度も繰り返して、「あれ?そうだったのか」と、後になって別の意味に気がつくときがあるでしょう。それと同じで、いい小説ほど、フレーズ丸ごと暗記する程読んでいると、その都度意味が変わって聞こえてくる。だから聖書とか仏教の経典というのは、全部お坊さんや神父さんは、丸々暗記しているわけですよ。

――環境や時間の変化によって、同じ言葉でも違った意味に聞こえてくるんですね。


保坂和志氏: そう。お父さんの言葉とか、まあ、若い人は恋人の言葉が一番響くんだろうけど。「そうだったか…、全然ちゃんと聞いてなかったな」とかね。それって言葉を丸々覚えているからそうなるわけで、単なる「意味」として覚えていたらダメですよね。

――つき合った女性からの過去の言葉で、何か具体的なお話を伺えますか?


保坂和志氏: 例えば、「あなたはいつも私の、××××の部分しか関心がないのね」と、単純な意味でとらえたらそれしかない。けれど、もっと、本当は別の言葉があるわけでしょう。それをそのまま覚えておくと、半年後、10年後とかに、「あれ~?」「そうか!」みたいなことになる(笑)。だから尊敬する人の言った言葉とかは、そのまま暗記してしまうものです。小説を丸暗記、なんて考えられないだろうけど、詩なら、ぼくの父親、あなたたちで言えばおじいちゃんの世代までは、丸暗記していたんです。

――それが「普通」であった時代があったんですね。


保坂和志氏: うん、詩って結構ね、僕なんかの世代はしないんだけど、戦争前に生まれている人たちっていうのは、詩は結構みんな丸暗記しているんですよ。『雨ニモマケズ』みたいにね。だからいろいろな意味が何重にも出てくる。小説だって同じことで、きちんと書かれた小説は、丸暗記できないぶん何度も読むわけです。何度も読んで、読むたびに、「ああ、こういうことを言っていたのね」って。ここで場面が切り替わる呼吸ね、というのを毎回感じるんです。

著書一覧『 保坂和志

この著者のタグ: 『エンターテインメント』 『哲学』 『学者』 『考え方』 『コンピュータ』 『紙』 『弁護士』 『本棚』 『お金』 『人生』 『エッセイ』 『世代』 『哲学者』 『日本語』 『企画書』 『古本屋』

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