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世界中の本好きのために

和田秀樹

Profile

1960年大阪市生まれ。85年東京大学医学部卒業。東京大学付属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、国際医療福祉大学大学院教授(臨床心理学専攻)、川崎幸病院精神科顧問、一橋大学経済学部非常勤講師、和田秀樹こころと体のクリニック院長。日本人として初めて、アメリカでもっとも人気のある精神分析学派である自己心理学の国際年鑑に論文を掲載するなど海外での評価も高い。2007年12月劇映画初監督作品『受験のシンデレラ』でモナコ国際映画祭最優秀作品賞受賞、本年8月には第二回作品『「わたし」の人生』を公開し映画監督としても活躍。

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本を“ブラインドテイスト”できる読書家になれ



映画監督、臨床心理士、評論家に大学教授と、マルチな才能を発揮する和田秀樹さん。本に関しては年に40冊も出版するなど、文筆業にも積極的に取り組んでいらっしゃいます。和田さんの世の中に対する考え方を交えながら、これまでの読書経験や電子書籍にまつわるお話を伺ってみました。

毎日違う仕事をするのが、性に合っている。


――早速なんですけれども、現在のお取り組みについてお伺いしてもよろしいですか?


和田秀樹氏: 僕はあんまり1つのことに決めてそれに打ち込むということが少ないんです。これが自分の体質に合っているみたいですね。今だと、先週の金土と映画の公開前のキャンペーンで大阪に行って来たし、前の週は金土と福岡で撮った映画だったので、福岡の舞台あいさつやキャンペーンや行ったりしました。今はどちらかと言うとそんな感じで、動きまわっています。(2012年7月当時)

――色々な仕事をマルチにこなされているということですよね?


和田秀樹氏: マルチかどうかわからないですけど、どちらかと言うと、1つのことに打ち込むと、その仕事が飽きてしまうのかもしれないですよね。週間的なスケジュールで言うと、月曜日はプライベートのクリニックで、患者さん1人1時間ぐらいかけて、面接やアンチエイジングのご協力をしていて、火曜日は逆に保険診療で老人医療をやっている。木曜日は大学で教えるとか、そんな感じなんですよね。もう一方で映画を撮るときは、2週間なら2週間、3週間なら3週間ベタでそういう仕事をするということになるので、そういう意味では仕事のスタイルがバラバラかもしれないですね。

――移動されることも多いと思うんですが、基本的にお仕事の場所は決めていらっしゃいますか?


和田秀樹氏: 特別に決めていないんですけど、仕事がしやすいような移動を選びます。結局、飛行機よりも新幹線が好きな理由は、中でパソコンが使えるとか、寝たいときに寝られるとか、そういうことですよね。今の新幹線はアメニティが良くなってN700などは、すべてのシートに電源がついていたり、東京―新大阪間はネットが使える。とても便利になったというのはありますよね。東京―大阪間だと2時間36分で行けると思いますけど、1時間ぐらいは昼寝して、残りの時間はパソコンに向かっているか、ゲラのチェックをしているか、読書をしているかしています。

物づくりで韓国に負けている日本


――読書というお話が出ましたが、今現在、電子書籍というのは利用されていますか?


和田秀樹氏: いや、ぼちぼち利用したいなと思っているんですよね。電子書籍だったら僕みたいに飽き性で色々な物に変えたいというタイプの人間にはあっていると思うので。普段パソコンを持ち歩いているので、もうこれ以上カバンを重くしたくないんです。今のiPadよりちょい小さい、初期の電子書籍ぐらいの大きさがいいのかなという気がしているんですね。スマートフォンだと読むのに不便だし、今のiPadだと、パソコンとそんなに変わらないし。

――もっとこうなったら読みやすいのにというご意見はありますか?


和田秀樹氏: 僕がスマートフォンを使っている理由というのが、ポケットに入るということに非常にこだわりがあるからです。こだわってみたけれど、今のスマートフォンはものすごく使いづらいですよね。もう少し大きくてもいいから、ちょうど胸ポケットに入るぐらいで、そんなに重くないものができるとか。そうなるとだいぶ違ってくるのかなと思いますね。

――今、お使いの物はなんですか?


和田秀樹氏: 日本の大手メーカーのスマートフォンですね。ちょっと失敗でした。僕は日本製品に対する信頼を非常にしていたし、ガラケーのころまでは日本の携帯電話っていうのは世界で一番優れていたと思うわけですよ。だけど、まだ今はいわゆるiPhoneとかに追いついていないし、結局中途半端な段階で出したとしか言いようがないですよね。だから本来、日本というのは昔から他社の製品のまねをする代わりに、それよりずっと故障が少ないとか、使い勝手が良くなってから出していたのに、このスマートフォンというのは明らかにiPhoneに負けている状態で出しているから、言っちゃ悪いけど日本の恥だと思っていますよね。後から出す代わりにいいものを出すのが、日本のお家芸だったのに、日本はそれすらできなくなっていて、韓国のほうがそういうことができる国になっちゃっている。日本人が学力低下っていうのが90年代、たしか95年ぐらいから既に学力で、韓国に抜かれているんですけど、それから17年たっているわけでしょ? そうすると結局95年当時に中学2年生だった子というのが、今30ぐらいになっているわけですよ。そうすると、学力で韓国に抜かれて15年から20年でいわゆる物づくりで勝てなくなっているわけですよね。

――韓国製品も遜色なくなってきていますよね。


和田秀樹氏: そうですよね。現実にむこうがまねをして、もっといいものを作るということであれば、技術レベルが高いということですよ。

日本はゆとり教育は脱したが、地域間格差が大きくなった


――そんな風になってしまった日本なんですが、今からでもできる処方せんというのはあると思いますか?




和田秀樹氏: 当たり前の勉強をばかにしないということですよね。もともと今の学力低下や、ゆとり教育を言い出した人たち、つまり子どもが勉強のしすぎで創造性がないと言い出した人たちっていうのは、受験勉強ばっかりやっているから本を読まない学生が増えたんだとか言っているけど、人々が受験勉強をしなくなってからのほうが、より本を読まなくなるわけですよ。それは当たり前のことで、自分たちが観察すればわかるけど、そういう批判していた人たちは、みんな高学歴な人たちなわけじゃないですか。つまりこの人たちが、自分たちの世代の、結局暴走族のあんちゃんでもなんでも良いんだけど、いわゆる中卒・高卒の人たちがどのぐらい本を読んでいるのかということを言わないで、東大の連中を見て批判をしていたわけでしょう。全くの印象論で。今のアジアの新興国というのは、台湾にしても韓国にしても、特にシンガポールは、ものすごく昔の日本のまねをして勉強をさせているのに、何で日本があの頃の子どもに勉強をさせる国に戻らないのかというのが、僕は不思議でしょうがないですよね。

――今ようやくゆとり教育が終わりをつげたようですが。


和田秀樹氏: うん、だけどぬるいですよね。それで結局、塾に行っている子だけが、すごく勉強しているという状況だから格差が固定化するし、その格差というのは収入による格差が固定するだけじゃなくて教育熱心かどうかという点で階層による格差が固定化するわけですよね。あともう1つは学校教育でトップレベルと、塾レベルのトップレベルとどれぐらい差があるかということですよね。つまり学校の全国学力テストで1位だとか何位だとか騒いでいても、簡単なゆとり教育のカリキュラムで1番や2番では、レベルが低い。塾の多い東京や大阪ならば勉強はしやすいけれど、青森や秋田は、小・中のレベルでは全国ではトップでも、合わせて10人も東大に行かないし、医学部にも受からないわけですよ。だから東北地方というのは深刻な医者不足なわけです。

世襲制度がやる気や学力の低下を招いている


――現在の教育によって、地域間格差だとか、色々な格差が生まれるのですね。


和田秀樹氏: 価値観ですよね。というのは、つい20年前までは群馬県とか山口県とかはすごい教育県だったわけですよね。山口県なんかは、長州藩があったわけだし、そこの出身の岸信介や佐藤榮作っていうのは東大の歴史に残る秀才なんだよね。ところが、そのころは東大合格者数っていうのは、中国地方では山口と広島が多かったんですね。ところが今や山口は中国地方で一番東大に入らない県になった。それは何故か? と言ったら、昔はお父さんお母さんが、佐藤榮作とか岸信介に票を入れて、「お前も勉強してあんな風になるんだ」と子どもに言い聞かせたのに、今は小学校からエスカレーターで進学している人に票を入れてそいつが首相になんかなっちゃったら、「ああ、勉強なんかするよりも、親が偉いほうが偉いんだ」って、子どもが思うのは当たり前でしょう?

――世襲ですか?


和田秀樹氏: そうですね。だから群馬県だって先代の中曽根、福田が出ていたころは前橋高校と高崎高校とあわせて100人ぐらい東大に入っていたのに、今は北関東で一番東大に入らない県になっている。あとは全国で300ある小選挙区の中で、1位と2位の差が一番大きいのは、群馬県の二世議員の選挙区なんですよ。だから結局それは、親が首相だったら、実績がなくても1位と2位の差が日本で一番大きい勝ち方をする。だから親が世襲議員に喜んで票を入れている姿を見ていたら、子どもは勉強なんかするわけないよね。

――底辺がどんどん下がっていくんでしょうか?


和田秀樹氏: そうですね。だから教育目標を「エリートを作ること」にするか、あるいは特別なエリートはいないけど「みんなが賢い国にする」のかっていう、2つの意見に分かれているんですよね。だけどどっちの道を選ぶにしても世襲はよくないと思います。
今じゃ山口県で10人とか、15人ぐらいしか東大に入らないわけですよね。だからホイホイと喜んで世襲議員に票を入れるのはいいんだけれど、やっぱり世襲する以上は、親が恥ずかしくないぐらいのレベルに子どもを教育しないといけない。かつては、大手自動車メーカーだって、みんな世襲だった代わりに東大出か名古屋大学卒だった。それが今は違う。だからいつのまにか売り上げが再びGMとかに抜かれてしまうんですよ。

だから世襲する以上はやっぱり親に勝つぐらいのつもりで頑張ることが必要だと思いますね。アメリカを見ていたって、いわゆる階層が高い社会的地位の人ほど子どもに勉強させるのに、その国を代表する私立の名門校が小学校で入ったら大学まで入れるなんていうのは、世界中どこを探してもないですよ。小学校(慶応の幼稚舎は小学校です)から付属なんていう制度は、まさに「人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」の精神に反していると思いますね。

地域間格差を是正するのに役立つ電子媒体の在り方とは


――地域間格差、収入間格差というところを是正するために、こういった電子媒体というのは、それをうち破る助けになりそうでしょうか?


和田秀樹氏: なり得るために何を成すべきか、ということですよね。つまり、今のままでいくと今度は貧しい層に行き渡らない。だから僕は国民背番号制というのは税金のとりはぐれをなくするためにも大事だと思います。それで電子媒体を貸しつけて、年収が一定より少ない層に関してはタダで本にアクセスできるとか、そういうようなシステムがあるといい。つまり不平等と言われるかもしれないけど、貧しい層ほどそういう知的レベルにアクセスできやすくなるとかが必要。貧しい人のほうが現金で渡して豊かな暮らしができるといったら不平等だろうけど、じゃあ、生活保護の代わりに図書券を配るとかさ、まあ、図書券が換金されちゃうと困るんだけど(笑)。そういうような形で貧しい層ほど教育に金を出すという風にするのは、すごく重要なポイントだと思うんです。国家として一番いい形というのは、昔の日本のように、ばかのいない国、貧しい人のいない国で、治安もよくて、製品のクオリティーも高いという国家ですよね。こういう国は周辺国からのあこがれなわけですよね。ところが今の日本の在り方というのは、ばかも多いし貧しい人も多い。治安はまあ、そこまでは乱れていないからまだいいんですが。外国人があこがれないと何がよくないかと言うと、たとえをいうと、ヨーロッパの物だったら高くても買うじゃないですか。それはヨーロッパという国が何となく貧乏人がいないように見えるし、何となくフランス人とかドイツ人って、賢そうに見えるじゃないですか。そのイメージはすごく大事なんですよね。つまり賢そうな国の人が作ったものは、高くても買う。それから豊かそうな国のものだったら高くても買うわけで、いわゆる高級イメージ、知的イメージがないと値段で競争しなくちゃいけなくなる。価格競争を始めてしまうと、北朝鮮という爆弾を抱えているということをみんな気が付いていないわけですよ。韓国が北朝鮮と合併したら韓国の工場になるんだから、価格競争で勝ち目がないでしょ。北朝鮮の何が怖いかと言ったら一番怖いのは、北朝鮮がアメリカ、韓国の工場になることですよね。

日本は中国から豊かな国と見られなくなってきている


――そういったブランディングで勝負するというのはヨーロッパがたけているというか、何百年もかけて培ってきていますね。日本もアジアの中ではそういった存在になっているのでしょうか?


和田秀樹氏: 日本は一時期、短期間にブランディングに成功したんですね。つまり、日本というのは、昭和30年代は加工貿易の国で、日本製品というのはアメリカ人にもヨーロッパ人にも安物と思われていたのに、昭和50年ぐらいの段階では、日本製品は高級品扱いされるようになってきたわけです。だけどその過程で何があったかというと、2つ大きなポイントがあった。1つは日本人の教育レベルが当時一様に高かった。だから1991年に僕が留学した当時というのは、アメリカ人はみんな日本人が賢いと信じていましたね。91年というのは20年前ですよね。だから日本人だというだけで、クレバーだと思われていたとかね。2つめは、ヨーロッパとか色々な国の人たちは、日本はやっぱり豊かな国だと思っていた。アジアの中ではそういうところがあって、まだ日本が豊かな国だと思ってくれているから、日本製品が高級イメージでとられるわけですよね。

――今のこの現状というのはだいぶ変わってきていますよね。


和田秀樹氏: 大きく言うとまず中国人がどうも日本は豊かな国と思ってくれなくなったらしい。というのは、2011年の3月といったら、人々は震災で大ショックになっていたころだけど、ちょうど4月だったかな、中国の2011年の最初の四半期の輸出入の統計が出たときに、輸入相手国のトップがEUになった。それまでずっと、中国の最大の輸入相手国は日本だったんですね。だから中国というのは実はみんな中国との貿易って赤字だと思っているかもしれないけど、日本は中国に対して貿易黒字国なんですよ。それぐらい日本製品に対するあこがれっていうのは中国人は強かった。ところが2011年第一四半期に、一国ではないけれども中国の最大の輸入相手国がEUに変わったんですよ。ということは中国人があこがれて買う品物が日本製品からヨーロッパ製品に変わったということですよね。これは実は1970年代にあったことで、その当時日本人も、それまではアメリカ製品にあこがれていたのに、「ある日突然アメリカって貧乏くさいよね」、と言ってヨーロッパ製品にあこがれるようになったわけです。それからはアメ車なんていったら暴走族の乗る車になっちゃったし、アメリカ製のテレビとかそんなもの誰も買おうとしなくなった。 だから中国人が日本に旅行に来るにしたがって、日本人って貧乏くさいよね、と思うようになったわけです。



――日本が豊かな国ではないと考えるようになったんですね。


和田秀樹氏: ばれちゃったわけだよ。だから生活保護の問題だって、生活保護よりも給料の安い人がいる、みたいなことは法律上おかしいわけだし、本当は毎月10万しか給料もらえなくて、生活保護の基準が13万だったら役所に届け出せば生活保護を受けられるんです、法的には。つまり、働いているのに生活保護に満たないわけだから、差額分は生活保護で受けられるんですよ。だからそういうことをして、ベーシックインカムじゃないけど、国民の所得を底上げするほうが、中国人から貧乏くさい国だと思われないですむわけですよ。

本は多面的な考え方を促してくれる


――そうした中で、読書が手助けになるんでしょうか?


和田秀樹氏: 読書っていうのは、やっぱり賢そうに見せるためには非常に重要な武器ですからね。なぜかというと、今、私がテレビのコメンテーターはすっかり降ろされちゃったけど、やっぱりテレビという媒体は物事に対して一面的な論じ方しかさせてくれないわけですよ。例えば、今の生活保護に関してだって、本当は見栄っていう側面もあるし、本来生活保護よりも給料のほうが安いっていうのはおかしい。ヨーロッパだったら生活保護より安い給料の会社なんて誰も来ない。だから最低賃金を底上げしているんだよね。でも、そういったことを話す人はテレビには出してもらえないわけです。

――偏った見方だけが情報として流れているんでしょうか?


和田秀樹氏: 原発だって、怖いって言っている人しか出してくれない。だからやっぱり反論が起こるのが怖いとか、あるいは意見がまとまらないと視聴率がとれないと思っていたりするんでしょうね。これは非常に変な話なんですが、テレビとラジオとを比較して見ると、テレビだったらコメントを30秒以内にしろと言われるわけで、ラジオだったら7分は話を続けなければいけない。だとすると、同じ話のふくらみ方がテレビよりラジオのほうが広いわけ。さらに本というのは、それを1冊の本に広げないといけないから、色々な例外とか、色々な実例とかを挙げていかなきゃいけなくなる。だから言いたいことは1つであったとしても、それを1冊にふくらませるのにどうするかということを、僕らみたいな年に40冊も50冊も出す人間にとってみたら、そのふくらませ方が重要なわけですよね。だから本というのは、少なくとも一人の人間が知恵を絞ってつくるんだよね。そしてテレビで言っていることというのは、誰でも知っているレベルになっちゃうわけですね。そんなもんで賢くなれないでしょう。

――本は、知恵を振り絞ってたくさんの方面から考え抜いてできた結晶なんですね。


和田秀樹氏: テレビに出ている人が頭がいいと思うかもしれないけど、非常に一面的に断片的なことを言っているわけでしょ。あのテレビに出ている物知り連中の言っていることは、ネットを引けば出てくるものばっかりですね。だから知識というのは、基本的にはインターネットで得られる時代になってくる。そうなってくると、情報とか知識よりも、考え方とか考えることのほうが当然価値が出てくる。要するにその人の持っている知識はインターネットで調べがつくんだけど、その人の持っている考え方のほうは、やっぱりトレーニングが必要だし、あるいはほかの人の考え方を見ていかないと、色々な思考パターンというのは身に付かないわけ。だから読書が大事でしょうという話なわけですよね。

和田さんが最近読んでいる本とは


――今回は本との関わりについてお伺いしておりますが、直近で、この本は面白かったなというのはありますか?


和田秀樹氏: 今ちょうど、秦先生の『陰謀史観』という本を読んでいるんだけど、話のタネにはなると思うんですよね。色々な『陰謀史観』がどんな形で作られていったかとか、あるいはアメリカと日本のある種の歴史を通じた情報操作の話が書いてあります。そういう意味では、本というのは、話のネタとか、物事の例え話にするために利用できますね。僕は、人が言わないことを言っている本というのは好きですね。『陰謀史観』の他には、そんなに新しい本じゃないけれど、2~3年前に読んだ『ヒトラーの経済政策』という本があった。ヒトラーという人を戦争狂いのおかしい人間ととらえるのは簡単なんだけど、金正日とヒトラーと何が違うかというと、金正日や金日成というのは、戦争できる経済力に国を変えられていない。ところがヒトラーというのは、ドイツがボロンボロンの貧乏国で、1日に10倍の値段になるようなインフレを止めて、戦争が始まった1938年の段階ではヨーロッパでは一番豊かな国を作っちゃった。そこの鍵はなんだろうという研究が非常に面白いんです。つまり人間はいい面も悪い面もなければ、歴史に名を残さない。ヒトラーが豊かな国を引き継いでその国を戦争に追いやったというんだったら話は別だけど、貧しい国を建て直してその後、戦争狂いになっちゃったという面白い話です。

――ヒトラーの経済面での功績という面に焦点を当てた本なんですね。


和田秀樹氏: 一番印象的だったのは、ヒトラーというのはアウトバーンを大量に作ったことで知られているんだけど、アウトバーンはドイツにとってみたら、その後の国の遺産になるわけですね。ヒトラーが経済政策としてのアウトバーンを重視したのは、国民に金を持たせることだった。アウトバーンを作るときに法律で、使った金の46%は人件費に充てろということを言っているわけです。だから今、自民党が消費税が上がったと同時に国家強靱化法案とか言って200兆円ばらまきをやると言っているわけだけど。「いくらばらまいたか」ではなく、「いくら大衆に渡ったか」が大事ですね。自民党の場合は公共事業にものすごい金を使っても、土建屋がもうけて自分たちの懐に入るようにしてきたことが問題なわけですよ。だから生活保護というのは一方で考えれば、これほど人に渡る率が高い公共事業ってない。一般的に10兆円公共事業をやったら、民に降りてくるのって2兆。ところが生活保護の場合は9兆5千億か、9兆8千億ぐらいは民に渡る。だからこれは元官僚の政治家に聞いた話なんですが、だいたい官僚とか政治家というのは、給付を嫌う。給付というのは子ども手当とか生活保護だけれど、それだと利権が生じないんですよ。だから役人はマスコミをだまして、子ども手当をやる代わりに教育を充実させろと言う。子ども手当だったら親が飲み代に使うかもしれない。だったらその金を教育に当てたほうが良いと言わせるけど、教育に当てると、今度は学校を作ろうとか先生を雇おうとかって話で、そこで利権が出てくる。その「利権」に気づかないから、メディアは役人の言いなりに動くんだよね。

本だって“ブラインドテイスト”するべき



和田秀樹氏: マスメディアの人たちっていうのは、肩書至上主義ですよね。だからワインとかブラインドで飲むことがあるみたいに、本をブラインドで読んでほしい。表紙を外して誰が書いたのかわからない本を読んでて、自分の頭でどっちの言っていることが正しいのか考えてみてほしいですね。ただ、マスコミの人たちが、テレビに出す時に東大教授の誰々さんと言ったほうが、視聴者が信じるということもあるからでしょうね。視聴者も中身を読むよりも表紙を見るわけでしょう。だから肩書よりも中身で本を選べるようになれば、読書家としては、かなりまともだと思います。

―― 一般的に、「あの先生が書かれているから正しいはずだ」と読んでしまうことが多いですね。


和田秀樹氏: 日本で一人としてノーベル経済学賞をとれそうな人もいないわけだし。外国から見たら二流もいいところでしょう。だいたい大学の教授が40歳ぐらいで教授になって、定年になるまでずっと居座れること自体がおかしいんですよ。アメリカはグラントが集められなくなったらクビですから。だから能力が高ければドラッカーみたいに九十いくつまで教授ができるわけですよ。

――読者自身が内容で判断できるようになった方がいいんですね。


和田秀樹氏: そうですね。だからワインでもブラインドテイストというのは最初は遊びで始まったんだけど、ブラインドテイストが始まることで初めてアメリカのワインは評価されたんですよね。ちょっと飲みにはアメリカのワインはうまいですから。

――ワインは値段がピンからキリまでありますけど、味は値段に比例しますか?


和田秀樹氏: 結果的にそうなるようになってきたんです。というのは、昔はいわゆるブランドのほうが値段が高かった。今でもフランスワインというのは値段と味なんか全然比例していないですよ。ロマネコンティがうまいかと言ったら、よっぽど状態が良くて、よっぽどヴィンテージがよくないかぎりおいしくないでしょうね。私が知る限り値段を出すだけの価値があるとしたらペトリュスとルパンぐらいで、あとはハズレのないワインというのは、あまりないでしょうね。ところがそれと比べたら、ナパのワインなんかは、ロマネコンティなんかと比べたらそれこそ10分の1どころか50分の1ぐらいの値段で、3~4万のワインでめちゃくちゃうまいワインなんていっぱいあるわけだから。フランスに関しては、有名なテロワールだったり有名なブランドだったりしないと売れないわけだけど、アメリカのワインはロバート・パーカーが大衆の舌の代表として味見をしてくれて、パーカーがうまいというワインはだいたい素人が飲んでもうまいわけです。そうするとパーカーが高い値段をつけると自動的に価格が上がっていくから、アメリカのワインはそれこそ新人王を狙う若手以外は5年目10年目のベテランになってくると、うまいほど高くなってしまう。

――先ほどのブラインドテイストは本にも同じようなことが言えるのかなと思うのですが。


和田秀樹氏: 一般論から言うと、そういう人たちが理論をモデルチェンジすることや、新しいことを言うのってまれなわけですよね。だからどう若手を探すかっていうのは非常に重要なわけです。「この人の本って1冊読めば十分だよね」、という話になる。だから僕なんて結局、じゃあ5年前10年前と違ってくるということをなるべく狙いたいということですよね。

変説することの重要性


――執筆されるときのご自分なりのこだわりございますか?


和田秀樹氏: こだわりはないですよ。日本の場合っていうのは、これまでと違うことを言うと変節したとか言ってさ、いいかげんなやつだと見るんですよね。だけど、時代が変わったんだったら、これまでと書く内容は変わって当然。何で変わって当然かと言ったら、25年前は日本人の学力って世界一だったわけだし、それから90年代の半ばごろから中国や韓国、台湾あたりに学力で負けだして、現在だったら中国人の中学生というのは、学校と家と塾で一日14時間ぐらい勉強しているのに、日本人は学校も含めて8.5時間しかやっていない。だから学校を除いたら中国人の3分の1か4分の1ですよね。

――そんなに違うんですね。


和田秀樹氏: だからそういう意味では、世の中が変わってきたのに同じことを言ってはいけない。つまり勉強のやりすぎの時は「ちょっと手を抜いていいんじゃないの」と言うだろうけど、やっていない時に「やらなきゃだめだよ」と言うのは当たり前のわけで。そこで前と同じことを言っているほうがよっぽど怖いですよね。それで、「あいつは変節した」とか、「昔と違うじゃないか」と言われたって、僕らは受験というのを商売にしてやっているから、問題の傾向が変わったら対策を変えるのは当たり前なわけです。だから本も自分の視点を変えてくれそうな本や、これって面白そうかもと思える様な本を読まないと、あんまりブランドで選びすぎるというのは得策ではないですよね。

和田さんが影響を受けた本とは


――今でもご自身の行動や考えに深く影響を及ぼしている本、もしくはある一時期でもガツンと来た本というのはありますか?




和田秀樹氏: 非常に影響を及ぼしたというのは、アメリカに留学中に読んだ『Object Relations in Psychoanalytic Theory』という、精神分析における対象関係という本ですが、これは精神分析の流派が別の20も30もの有名な学者たちの意見を、いわゆる精神分析というのは治療者と患者さんの関係性で治すのか、それとも治療者が患者の欲望をコントロールできるようにすることで治すのかということについての、どっちのタイプなんだということを分けて論じた本ですね。精神分析の色々な理論がクリアカットにわかるようになる本ですね。それは今でも僕が臨床心理の教員をやっている上で役に立ってます。物事っていうのは、やっぱりちゃんとした切り口で分けてみないと、一人一人の理論をみんな覚えていたところで、頭が混乱するだけなんです。物事というのはちゃんとした切り口で分類していくことによって、色々な理論というのははるかに読みやすくなるんだということを教えてくれた、とてもいい本だったと思いますね。で、あとはシリーズで読んでいくと、フロイトや私が一番信じている精神分析学者であるハインツ・コフートだとかという人たちというのは、一生涯が変節の連続のわけです。だから理論家というのはモデルチェンジをするものだということを、その長い流れの中で教えてくれるわけですよね。そういう物が、1冊の本でガンっと影響を受けたというよりは、フロイト、コフートが一生に書いていったものを読むということで受けた影響のほうが大きいですね。

和田さんにとっての読書とは


――最後に、和田先生にとって、読書または本というのはどういう存在ですか?


和田秀樹氏: 僕の場合は実際、文筆業をやる関係で、1冊丸々読む機会というのは随分減っているんですね。つまみ食いみたいなことばっかりをやっているから、そういう意味ではろくなもんじゃないんだけど。でも、テレビを見ていて、この中に出ている人同士で、考え方全然違うよなと思うようなことってあまりないんですね。だけど本はそれがある。そういう意味では、読書、本というのはなんやかんや言っても自分が年に40冊も書いているからすごい手抜きだろうとか思われるかもしれないけど、売れてくれないかなとかも思いつつも、一冊一冊意外に気合を入れて書くわけですよ。今映画とか作って思うんですが、映画監督とかでもそういうところがあって、テレビのディレクターとかはこれでずっと一生の代表作にするんだと思うような作品が仕事でできるかはわからないわけだけど、映画って何か知らないけど、役者もスタッフも監督も気合がなぜか入る。いまだにね(笑)。もう古いメディアで、テレビと比べものにならないぐらい見てくれる人が少ないのに、本編というと、低予算の物であったとしても気合を入れて撮るんだよ、なぜか(笑)。でも、一人の人間が気合を入れるということは、これはやっぱり読む側からするとラッキーだと思います。自分の代わりに調べてくれて、考えてくれてるんだからね。1冊二百何十ページにまとめるというのは、大変なんですよ。

――これからも映画もお忙しいとは思うんですけれども、またご執筆もされますか?


和田秀樹氏: 出し続けるでしょうね。だから僕自身はこれから考え方が変わるかもしれないけど、少なくても現時点で多作は恥ずかしいことではなくて、多作であるから自分自身の色々なことに好奇心をもっていけるし、多作であるから色々な視点が開けてくると信じています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 和田秀樹

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