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世界中の本好きのために

下川裕治

Profile

1954年(昭和29年)、長野県松本市生まれ。旅行作家。新聞社勤務を経てフリーランスに。『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)でデビュー。アジアと沖縄、旅に関する著書、編著多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』(双葉社)で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。近著に『新書 沖縄読本』 (講談社現代新書) 、『「生き場」を探す日本人』 (平凡社新書) 『アジアでハローワーク』ぱる出版、世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ (新潮文庫)、旅行者に人気の『歩くガイドシリーズ』(メディアポルタ)など。最新著書 『「生きづらい日本人」を捨てる』 が12月に発刊予定。

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紙でも電子でも「圧倒的に面白いもの」を作らなくては



旅行作家である下川裕治さんは、すでに学生時代から「慶應義塾新聞」などに旅行記やエッセイを発表されています。大学を卒業後は産経新聞の記者を経てフリーランスに。バスや列車を乗り継ぐバックパッカースタイルでの旅を書き続け、人気を博しています。そんな下川さんに、電子書籍の在り方やご自身の執筆スタイルなどを伺いました。

メインの仕事は「歩く」シリーズの取材と個人的な取材



下川裕治氏: 僕って2つ仕事があるんですよ。『歩くガイドシリーズ』(メディアポルタ刊)の監修と、自分自身の取材ですね。仕事が常にダブっているんですね。『歩くガイドシリーズ』は現地のスタッフの人に作ってもらっているので、その原稿を見てチェックするという仕事。あとは個人的なほうの仕事になると、次に出す本の準備の取材になります。

――旅先で執筆などはされますか?


下川裕治氏: いや、しないです。追われていればしますけど、そんなにできないですね。ただ、逆に書けなくなったとき、外国へ執筆のために行くことはありますけどね、こもっちゃうというか(笑)。

――ここ最近で書くために行かれたところはございますか?


下川裕治氏: 今年の2月に1週間カンボジアのシュムリアップにいましたね、どこも出ずに(笑)。海外でこもるときは、朝起きて、宿の近くの屋台でコーヒーとパンを食べて、部屋で昼まで原稿を書いて、その辺の屋台行ってお昼を食べて、また帰ってきて部屋でずっといる。日本人の知り合いがいるところへ行って夕飯がてらちょっとビールでも飲んで1、2時間で帰ってくるというような生活が毎日続くときもあります。

――今更お聞きすることじゃないかもしれないですが、年間どれくらい日本に滞在されているのですか?


下川裕治氏: そんなに海外へは行っていないですよ。多分、月に2回くらい出ると思っていただければいいと思います。それで1回が3、4日滞在のときもあるし、1週間から2週間ぐらいのときもある。だから日本にいるほうが多いですね。

電子でも紙でも面白いと思うことは同じ


――ご自身は旅先で書籍を読まれますか?


下川裕治氏: ありますよ。ありますというか、正直なところを言うと書評を書いてくれとかいっぱい送られてくるわけですね。そういうのに追われて読んでいるというほうが実は多い(笑)。でも、個人的にいつも必ずカバンの中に入っている本はあります。金子光晴の『マレー蘭印紀行』(中公文庫)というのは、ここ10年ぐらいはいつも持ち歩いているような気がします。必ず1日1回読み返すとかそういうことじゃないけれども、何か持ち歩く習慣になっちゃったというところはありますよね。人に会うとその本をあげたりするので、また日本に帰ってきて買ったり(笑)。

――下川さんならではの電子書籍の活用法などはございますか?


下川裕治氏: その種のタブレットを持っていきませんので、実際電子書籍で本を読むということは今のところないんですが、やっぱり本を読むんだったら便利でしょうね。

――電子書籍は使われないということなんですが、逆に紙の本の良さっていうのは何かありますか?




下川裕治氏: いや、同じでしょう。同じだと思いますよ。最近荷物が重くって(笑)。要するにパソコンもあるし、電子書籍はスマートフォンとかそういうので見ればいいかもしれないけど、僕の場合突然ゲラを見ろとかそういうのが来る。そういうのがPDFで来たりするので、やっぱりパソコンを持っていかないとダメなんですよね。そうするとその周辺機器がどんどん増えていく。荷物がどんどん重くなっていくので、紙と電子、どちらが軽量かということが僕の選択肢でしょうね。 

海外で日本の日常から離れるためには


――普段のお荷物ってどんな感じなのですか?


下川裕治氏: 手持ちのバッグにパソコンを入れて、ザックというほど大きくないけれども肩に掛けられるようなもの、この2つだけですね。このスタイルというのは昔から今まであまり変わらないですね。

――基本は現地調達でしょうか?


下川裕治氏: 今はもうほとんど困らない国が多いので、特にこれを持っていかなきゃみたいなものはないですね。でもパソコン関係の物は持っていかなきゃいけないし、一番の悩みはプリンターですね。海外にもいっぱいプリンターはありますが日本語フォントが入っていないので、出力できない。だから「何日ごろ何か送るから返してくれ」というときは、日本人がいる街にいないといけない。超小型プリンターはないのかと思いますね、プリンターが重いんです(笑)。

――長年旅をされてきて、昔と今の旅行というと、どんなところが変わっていますか?


下川裕治氏: まずネットの繋がる環境を持っていないと飛行機のチケットを買えなくなってきたというところですね。LCCというのがあるでしょう? あれはお店を持たないので、ネットがつながらないとチケットが買えない。それで僕の旅はコースが日本で全部決まって出ていくわけじゃないので、現地へ行ってそこからどこかへという話になる。昔だったら旅行会社とか飛行機会社へ行ったり、列車にしてもそういう窓口があったけども、もうネット環境がないといけなくなってきましたね。

――現地の感覚で、「よし次はここへ行こう」とパッと飛び込んでという感じではない。


下川裕治氏: なくなってきましたね。やっぱり弊害を言えば、パソコンの画面を見た時、その途端にそこの周りが日本になっちゃうんですよね(笑)。例えば僕がマレーシアのマラッカに行くわけ。それで確かにまだ日本は平日なわけですよ。だから日本の相手は僕がマラッカの夕日を見ながらビールを飲んでるなんてことは知らないからメールでもなんでも送ってくるんですね。僕は僕で、さてカメラマンと一緒にホテル泊まって海辺へ行こうというときに、ついつい自分の中でネットの繋がるホテルを選んじゃうんですね、「選ばなきゃいいものを」とか思いながらね(笑)。それでネット繋ぐのもタダだしということで繋げちゃうじゃないですか。ネットに繋ぐと情報が「ダダダダダー」って出てくるわけですよね。それで「んー」とか思って、やっぱり「プチン」と切る。その時ようやく日本と切れたって思う。昔は飛行機乗った途端に切れたんだけども、最近はやっぱりパソコン切った途端に切れるという感じになりましたよね(笑)。

ネットとの付き合い方をコントロールする


――旅に出ることはある意味非日常なのに、急に現実に引き戻されたようになるんでしょうか?


下川裕治氏: そういう意味では、ネットやパソコンっていうのは非常に強力な機械だと思いますよね。だからこそ便利は便利だし。こうやって僕が何回も海外に出られるというのは、ネットで繋がっているから仕事をそのまま海外でできるということは確かです。無い物ねだりで、それなのに海外にいると「日本にいるみたいだ」とぶつぶつ文句を言いながらやっているという現実はありますよね(笑)。

――本当に便利な半面、日本と同じ環境を持ってきちゃうというのはちょっともったいない気はしますね。旅をしているからこそネットとの付き合い方って考えさせられますよね。


下川裕治氏: 考えさせられますよね。僕はどちらかというと途上国・中進国といわれる国へ行くことが多いんだけど、そういう国のほうが日本よりもはるかに繋がるんです。要するに「飛び馬的進化」と言うんだけども、日本って有線でネットが繋がるみたいなものがまず広がって、そのうちに無線になっていったでしょ? 海外っていうのは有線を通り越してまず無線に入ってくる。無線LANでWi-Fiだみたいな話になってきて、それがどのゲストハウスだろうがどんな安いホテルだろうが当たり前みたいなことになってきてるところが多いんです。かえって日本のほうが通じない。いや、通じるところのインフラは日本はすごいけれども、例えば地方とか行って宿に泊まると「ここWi-Fiはつながらないの?」みたいな話になる。そういう意味で言うとヨーロッパとかアメリカも日本に似た傾向がある。その点、アジアは今、ネットが非常に通じますよね。特に、たまたまだけど台北なんかそういう街にしようとしてるでしょ? 街中どこでも無料で繋がる街を作ろうとしているわけだから。本当にすごいんですよ。あそこ、駅でも何でもネットが全部無料で繋がるんです。



――いつごろからそんな風になったのですか?


下川裕治氏: 台北市が全市内ほぼ完了と言ったのが去年じゃないですか? そうは言ってもまだ通じないところもいっぱいありますけれども、まあとにかく駅などの主だったところにいると、路上だろうが何だろうが無料のWi-Fiが飛んでます。そういう街が実際出てきている。今アジアは本当にネットが繋がりますね。

ネットから解放されるとき


――そうなると一般的な旅のスタイルも、どんどん変わっていくかもしれないですね。


下川裕治氏: 最近すごく思うんだけれども、列車や飛行機っていうのが比較的繋がらないんですよ(笑)。列車の場合はそういう機械を持っていけば実は繋がっちゃうんだけど、飛行機は繋がらない。そういうところにいる時ってホッとする。ホッとするというか「まあしょうがないわな」みたいな感じがあるじゃないですか(笑)。そういう意味から言うと、今、僕はまだネットに振り回されてるんだなって、自分でコントロールできていないんだなと思います。強制的に繋がらないところに行って、やっとホッとできるみたいなところがあるから。人間の思考回路みたいな物の中で言うと、繋がってない状態の中に自分がいないと、自分の頭の中の作業みたいなものがしにくいですよね。これは別にネットの問題じゃなくて、例えばトイレの中でよくアイデアが生まれるっていうのは、トイレの中は何もしなくていいわけ(笑)。そういうところってあるじゃないですか。

――そうなるとネットの繋がらない環境を自分でつくっていく必要がありますね。


下川裕治氏: 僕はこれからカムフラージュして生きていく方法というのはいろいろあると思うわけです。昔、中国の有名な人なんだけど、釣りをしているけれども先に針がないと。要するに、自分は物事をすごく今考えたいんだというときに、ただボーっとしてたりすると何か言われるじゃないですか、「何か考えているんですか?」と。それをカムフラージュするためには釣りをする。でも釣るつもりはないから先には何もついてない、というような。例えば景色を眺めたいというときは絵を描けばいいと(笑)。それはみんなに安心して「この人は普通の人だ」と思わせる。何ていうのかな、ネットの社会でもさもやっているようにしながら実はゲームをやってるとか(笑)、そういうことってあるじゃないですか。何か自分の中で何も言われない空間作りみたいなものっていうのは作っていかないと、集中できないですね。

――ネットが繋がっていてもいなくても自分が集中できる環境を自分でコントロールするっていうのは大事ですね。


下川裕治氏: 僕は時々紛争地帯というところに行くときもある。そういうところっていうのはみんな緊張しているというのもあるし、今の紛争地帯というのは本当にネットが勝負ですよね。要するに現場って、向こうから何かが来るということなんかが、わからないんです。そこでデモとかをする時はTwitterとかで情報がどんどん入って来るんでそれを見ながら動くんです。昔から言うんだけど現場って全体が見えないから、どこで何が起きているとかその現場の中に入っちゃうとわからない。そういう時っていうのは、カメラマンも報道の記者もTwitterとかをすごく頼りにしながら動いていますね。それで、仕事が終わって記事を送って飛行機に乗った途端にすべて解放されるんですね。要するに「ここ、ネット通じない」って(笑)。飛び立った瞬間に「パーン」って解放される。

仕事で旅行記を書くようになったきっかけとは


――下川さんが旅の本を書くようになったきっかけを伺えますか?


下川裕治氏: 僕は大学時代新聞会みたいなところにいて、その後新聞社に入ったんです。「活字を書く・原稿を書く」という世界に入ったのですが、旅もしていました。学生時代アジアとかも行きましたね。僕が初めて旅という物を原稿に書いたのが33、4歳ぐらいで、それまでテーマとして旅というものは書いたことがなかった。なかったというか、そういうものを書いてお金がもらえるとは思っていなかった(笑)。だから僕の名前で検索していると出てくるんですけれど、最初に出した本が『賢くやせる』って本です。で、次が『ハゲてたまるか』っていう健康本ですね。最初は、旅というテーマを書いて人が読んでくれるものだとは思っていなかったというのがあります。僕らの時代は、旅というのは選ばれた人が行って報告するものでした。要するに、「この国はこうですよ」というのを日本人が吸収するために海外旅行記みたいな物が存在したんですね。でも僕らの世代から、自分が泊まったゲストハウスの半径5メートルくらいの間の生活を書いて、「これが何の情報になるのだ?」みたいな物を書きだしたことと、選ばれたから行ったわけじゃなくて「勝手に行った」ということを書いたということが、ある意味で新しい旅のスタイルだったんでしょう。パッケージツアーじゃなくて個人旅行のスタイルみたいなものを書いたことが評価されたというか。自分が旅を書いていたことで、ここまでいろいろ本を出させてもらったというのは非常にラッキーだったと思いますよね。

今だから笑える駆け出しフリーランス時代の話


――では最初から旅行作家ではなかったんですね。


下川裕治氏: 最初から旅行作家でというわけでは全然ないですね。僕は27歳で新聞社を辞めるんです。それで、しばらく旅をして帰ってきた。それで、旅で残しておいたお金が30万あったので自宅で何か野菜いためとか作って食べたんですが、それがインドで食ってるメシよりうまいんですよ(笑)。うまいというより、食べたいものを食べることができるようになったんですね。要するにそれまでって言葉の通じない国ばっかり行ってたので、食べたいものが食べられないわけです。言葉も読めない、メニューも読めないという国に行くと、そのストレスっていうのが結構あるんです。なので、帰ってきて自分で作るんだからこれを作って食べればいいという充足感がすごかったですね。あとは、一人旅だったので一人遊びがうまくなってきていて、アパートとかに一人でいて全然苦じゃないんです。友達とも「これから会わなくたっていいかな」みたいに思っていた。でも友達に帰ってきたという報告はしていたんです。それで、当時の友達が「お前それじゃまずいぞ」と言われたのが、僕のフリーランスというか本を書くということの第一歩でしたね。友人が「俺の会社のちょっとした仕事があるから、それやって稼げ」と言ってくれて書き始めた(笑)

――ご友人が最初のきっかけをくれたんですね!


下川裕治氏: 僕の頭の中ではこの仕事が終わったら、当時はまだ就職がそんなに厳しくないですから「どこかへまた勤めればいいか」くらいに思ってたんです。だから友達に対しても「大きなお世話だな、こいつら」みたいに思ってました(笑)。そしたら何となくお金をもらえるようになって、正直言ってサラリーマン時代より収入が多くなった(笑)。それで、「これって楽だな」みたいに思ったところはあって、ずるずるとフリーになったんだけど、当時のフリーっていうのは何でも屋さんなんですよね。「受けた仕事は何でもやります」みたいなことをずーっとやっていて、32、3歳になって「このままずっと行くのかな」と思い始めた時に、一人で「タイ語を勉強する」と言ってタイに行くんですね。日本を離れられればどこでも良かったんだけど、その時に9ヶ月くらいタイにいたんですね。その後日本で仕事を再開しようとするんだけど、フリーランスの仕事というのは9か月も仕事が途絶えちゃうとまたゼロから立ち上げなきゃいけないというのがあるんですね。その時に「週刊朝日」のデスクの知り合いから「お前貧しいんだろ?12万円渡すからどこか行って来い」と言われたんです。というのは、要するに旅行を書くということは貧しいライターしかやらない。旅行に行っている間は原稿書けないですからね。それで、何が貧しかったって、その12万円の旅行の企画をやってる時に日本で生活するのが、ものすごい貧しかったですね。だって、週刊朝日からギャラを5万円しかもらえなかったんですよ(笑)。1週間くらい準備して、2週間くらい12万円で旅して、1週間くらいで原稿書く。その時の月収5万円ってことですからね(笑)。でも不思議なもので、結構貧しくなった時になぜか仕事が来るんですよね(笑)。

自分の失敗談をいかに書くかがカギ


――ついているというか、運を引き寄せる星の下に生まれていらっしゃるかもしれないですね。


下川裕治氏: 僕にアジアをここまで書かせてくれたというのは、僕がどうこうというよりもアジアが変わったからですよね。アジアがどんどん変わって成長していくから、書くテーマがどんどん生まれてきたみたいなところもあるし、そういう面では今の人に比べれば物書きとしては恵まれた環境が整っていた感じはしますね。特に僕らの時代というのは、まだ日本が上昇志向というかそういう時代だったから、その中で「何で貧しく海外旅行をしなくちゃいけないんだ」みたいな面があった。そこがウケたというのもありますからね。

――そして今も継続してアジアの変化を書き続けていらっしゃるんですね。


下川裕治氏: 逆にもう一個の見方をすれば、若い人が出てこないから僕がまだやっているというところもあってね、結局若い人が旅になかなか行かなくなってきたというのがありますよね。旅に行ってみんなブログとかアップしているんだけれども、その時にネットの原稿であるからとか紙の原稿であるからとかそういう問題じゃなくて、人に読んでもらう原稿だという前提で書くことが大切。例えば海外旅行のブログでもこういう僕の本でも、何が面白く読んでもらえるかということで言うと「失敗していること」ですよね。それを書けるということは、露出する趣味がないとダメ。ここまで書かないと面白くないんだという自分の中の感覚がないとダメなんですね。それを書けているブログは面白いですよね。でも、大多数は自分の恥をさらさないんですよ。それが第三者に広まっていくためには「こいつバカじゃないの」みたいな(笑)、そういう笑いものになっていかないと。僕らの時代っていうのはある意味で幸運だったのは、「こんな原稿はつまらんぞ」って言ってくれる人がいたわけですよ。旅行記とかを読んでいて「ここで何でお前こんなにかっこいいんだ」とか、「何でお前、ここで言葉が通じてるんだ、しゃべれないって前に書いてあるだろ」とかそういうのがあるじゃないですか(笑)。僕もそういうのを人に言われて、「そうか、自分で恥を晒さないと人って読んでくれないんだな」ということを、「旅行を書く」というところで学んだんですね。それをわかりやすく書いて読んでもらう。みなさんブログにしてもFacebookにしてもどんどんやっているけど、そういう意味では、もう一歩だよなと思う(笑)。そんな失敗談で、人は人格否定したりはしませんからね(笑)。そういう感覚を身に付けていくことができる機会があればいいですよね。

紙媒体の知恵を電子書籍へ


――電子書籍が出てきて、こういう時代だからこそ、昔いた名編集長だとか出版社の役割ってすごい大きいものになるかもしれないですよね。


下川裕治氏: そうそう。だからね、そういう存在をネットの社会って作っていかないともったいないっていう気がするんですよね。要するに、出版社とか編集部とかでいうデスクとかの上の人がいて、その人に注意されながら編集したり執筆したりってことが画一化してきちゃったから読み物がつまらなくなってきた、というのも片方にあるわけですよね。だから自由に、何にも人に言われないでどんどん発表できる場を作っていくというのはものすごく魅力的ですよね。でもそれがあまりにもたくさんあると、今度はその中で「面白いのは何?」みたいな話になってくる時代で、そういう中で面白い読み物を作っていく必要がある。

――面白い読み物をつくるにはどういったことが必要でしょうか?


下川裕治氏: 活字の世界というのはいろんな細かいことが昔あってね、読みやすい文章というのは何字詰めかという問題って昔あったんですよ。人間の目には20字詰めとかだと読みやすいんだということをデザイナーから言われたことがあります。例えば今のブログも、途中で1、2行空けなくちゃ読みにくいということがあって、みんなそこは工夫していますよね。そういうようなことが読み物と一言で言っても、いろいろある。電子書籍を普及させようと思った時に、活字の知恵をもっとネットで吸収していったほうが近道ですよね。

――活字の知恵というのは、例えばどういったことがありますか?


下川裕治氏: 例えば、今はやらないけど単行本が文庫になる、あるいは何か学説的なものが新書になる時、昔の編集者は何をやっていたかというと5行で1回改行をするということをやっていた。要するに、元の本が改行してない場合も、文庫化する時に改行しちゃうんです。それが一般の人に読める物にするという意味だったんです。当時、文庫化するっていうことは、改行を増やすことだったんです。全然今は違いますよ。だから昔の本って、親本っていう元の単行本と文庫本で改行が違うんですよ。

――それは昔と今の本の大きな差ですね。


下川裕治氏: そうです。元の本はすごく特徴があって作家の息遣いがすごく伝わるかもしれないけれども、文庫本っていうのはみんなが読む本だと。そういうもので、読みやすくするためには5行に1回くらい改行を作りなさいという出版社の命令なんですね。いっときそういう時代がありましたね。

――今はもう単純に廉価版みたいになってますけれど、別物だったんですね。


下川裕治氏: 別物だったんですね。だからそれぐらい読みやすさみたいなものを考えた時期というのがある。そういう知恵はもっとネットの社会に入れていかないと、読みやすい物になっていかないかもね。

原稿はパソコンではなく手書きで書く



下川裕治氏: 僕、実はね、おととしぐらいから原稿が手書きになっちゃったんですね(笑)。パソコンから戻ってしまっ。出版社から「打つ経費はどうするんですか」とかいう感じで文句を言われるし、他人が入力する間違いもあるでしょ?そもそもオペレーターっていう、人の読みづらい手書き原稿を打ってくれる人があんまりいないんですよ。だから、そういう文句を出版社から言われながら「ごめんなさいごめんなさい、何だったら僕自分で打ち直しますから」みたいなことを言いながら手書きで書いてるんです(笑)。何で手書きに戻ったかというと疲れの問題。パソコンで打つほうが疲れないんです。で、手書きで書いたほうが疲れるんですよ。自分で疲れてきたら読み手も疲れるんです。だからその息遣いが合う確率が高いんですね。要するにこうやって原稿を書いていて、僕が「ここで区切りたいなあ」と思って1行改行して「さて」と気分を変える。そういう気分を変えるタイミングを読者と共有したかったんですね。何で僕がそんなことを思ったかというと、旅を書くっていうことは時系列で流れることが多くて、自分の中で連続してずっと流れていくものだから、実はシーンとしては変わってないわけですよね。連続していく中でどこをはしょってカシッと切り替えるんですが、そのタイミングみたいなものというのは手書きのほうが良いんです。もっとわかりやすく言うと、手書きで書くとパソコンで書いた原稿の8割ぐらいで終わっちゃうんですよ(笑)。あれ不思議なんだけどね、減るんですよ。



――自動的に精査しているんですか?


下川裕治氏: きっとね(笑)。手書きの原稿だから、もう漢字は出てこないしね、ぐちゅぐちゅ書いてあって、それをうまく入力していくっていうのは本当に大変なんだけど(笑)。でも僕は文句を言われながらもやってみようとしているのは、「旅行」というものを書いているからなんですね。もっと小説とか、会話とかシーンを自由に変えられる人たちはそんなに気をつけなくてもいいのかもしれないけれども、「旅行」を書くということは、読んでくれている人が一緒に列車に乗っていたり、一緒に町を歩いているような雰囲気を味わってもらうことが、書き手冥利に尽きるという部分がある。そこにどうやって近づけるかっていうと、「自分が疲れた時は相手も疲れるということ」ということなんじゃないかと。

――原稿用紙で書くというのはそういう効果があるんですね。


下川裕治氏: 僕ら物書きの世界ではですね、パソコンから何もない昔のワープロ時代の機械に何とか戻りたいと言う人が多いですよね。多機能はいやだというのと、すぐ遊んじゃうというのもあるかもしれないけども(笑)。でもまあそういう風に使いたい人は非常に少数派だからね。

何度読んでも面白いという圧倒的なものを作らなくては


――販売されている電子書籍が少ないということもあって、自分で書籍を裁断して電子化している読者もいます。書き手として、どう思われますか?


下川裕治氏: 出版社なんかではいろいろ言われますけれども、やっぱり物書きって読まれてなんぼだと思っていますよね。出版社が言うのは、「あなたの著作権問題がちゃんとしてないとまずいですよ」みたいな話はありますけどね。だけどそれがクリアにされているものだったら、別段どういう風に出ようが抵抗はないですよね。あんまり僕が気にしないのは、圧倒的に面白いもの、何をしても面白いものっていうのを僕らは目指さないといけないわけで、それは紙だろうが電子書籍だろうが関係ないわけですね。

――面白いものをつくろうと思った時に、今だと出版形態というのも電子書籍と紙の本と選べる時代になったかと思います。電子書籍と紙の本だと読者の手元に届くまでの時間の差というのはありますか?


下川裕治氏: そうですね。紙の本って、企画が決まってから時間がかかる場合もあるんですよ。要するに、昔って出版社で「この本を出しましょう」と言われて、1年たっても2年たっても1行も書かない作家っていっぱいいたわけですよね。で、10年たっても1行も書かない、でもその企画は生きてるわけですよ。今から3年くらい前にどこかの出版社が3年間待って1行も書かなかったら、その企画はなかったことにしようという話を出すくらいそういう企画が多いんですね(笑)。作家が書かない間、ずっと編集者は「そろそろ書きだしましょう」みたいなやり取りをしてるわけですよね。そういうことがあって、やっと本が出る。企画が通ってから本が出るまでって最低でも半年かかるよね、今だと3ヶ月ぐらいのもあるかな。そうすると読者の反応がずれるんですね(笑)。要するに、企画を出した時にこの本は売れるだろうと思ったけど、半年もたつと売れないかもしれないんですね。作家によっては10年後に書くわけでしょ?そういう世界なんだよね。だから本の世界ってほんとばくちですよね。

――そうすると電子書籍やメールマガジンなどの方が早く読者に届けられるんでしょうか?


下川裕治氏: ただ、ネットの社会で瞬間的にお金が課金されて、読者が「面白いからこれ次も読もう」ってことになっていった時に、書き手側で「もっともうかるものを書こう」という人が同時に出てきちゃうだろうなと思う。そういう時は多分変なものが出てこないで、みんな同じような売れ筋のものがどわーって出てくるんだろうなと思ったんですよね。似たようなものばかりになるんじゃないかな。

日常の生活と旅を繰り返す中でしか経験できないものを伝える


――最後にお聞きしたいのですけれども、今後の書きたいテーマなどはございますか。


下川裕治氏: 今、月1回は必ず講座があるのでバンコクへ行ってますね。それと『アジアでそこそこに生きるっていう人たち』という原稿を急いで書かなくちゃいけない。今後はね、「わかりにくい本」って言ったらおかしいんだけどね、ゆくゆくは『マレー蘭印紀行』みたいな物を一度書いてみたいなと思いますね。ああいう淡々とした旅行記を書いてみたいな。あとはね、出版社にはすごく怒られるんだけれども、「売れない本」をいかに書くかということですね。僕はよく海外に出ているみたいに思われるかもしれないけれども、日本でも普通の生活があるんですね。アフガニスタンに行った時、結構危ない時期だったんだけど、カイバル峠を通る時に車に兵隊を雇わないと通れなかったんですね。で、危ないところに行くからと言ってパキスタンで携帯電話を買ったんですね。嫁さんは今僕がどういう状況にいるかというのが読めないわけ。僕はかなり危ないところを通っていて、横には兵隊がいて銃の安全装置も外してるわけですよね。そこで携帯電話が鳴るわけですよ。電話に出ると、嫁さんが「ちょうどマンションに空きが出た」という話をしてくるわけですよ(笑)。僕が「今そういう状況じゃないんだけど」みたいに言ったら、嫁さんは「今日の夕方までに返事をしないと埋まっちゃう」みたいに言う。それを聞いたとき、「僕はこういうことを繰り返しながら旅をしてきたんだな」というのをすごく思うんです。

――普段の生活と旅との繰り返しているからこその経験ですね。


下川裕治氏: 子供もいるしね、そういう中でやってきた一人の旅行を書いてきた人間しか書けないものってありますよね。家族なんてものは僕が旅をしてることは関係なくて、金さえ稼いできてくれればいいみたいなことで、すごく日常生活に引っ張るわけですよね。だから旅と日常生活とを繰り返して、そういう中で生きてきたことっていうのを、書かなきゃいけないなと思いますね。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 下川裕治

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