知識を得るということはやっぱり読書、万物が流転しても
これまで多くの著作を発表し、最近では、いわゆる『ケータイ小説』のジャンルにも進出し、新しい挑戦を続けている寂聴さん。執筆以外にも『写経の会』や『法話の会』を定期的に開催するなど多忙な寂聴さんに、文学や電子書籍の今後の在り方について座右の銘であるは『生きることは愛すること』の通り、愛情いっぱいの熱い想いを寂聴さんならではのわかりやすい言葉で、語っていただきました。
電子化は必ず、どんな邪魔をしてもそうなっていく
瀬戸内寂聴氏: はい、どうぞ。何でも、何でも聞いてください。
――ではまず、現在の一日の流れ、どういった風にお過ごしになられているかからお聞きしたく。
瀬戸内寂聴氏: そんなこと聞かれたって、もう毎日むちゃくちゃだから(笑)。仕事が山のようにあって。それをいかにこなすかということだけでせい一杯。暇さえあればとにかく書いてますね。どうしたって間に合わないですから。
――書くときは原稿用紙をお使いだったり?
瀬戸内寂聴氏: そうです。
――それは何か、こだわりがあるからですか?
瀬戸内寂聴氏: こだわりはないけれども。パソコン習っている間にペンで書いた方がずっと早いでしょ。
ただね、今は編集者の方も若い人が多いでしょう?私の原稿を渡してもそれが読めない人がいる。じっと立っててね、だからフッと気が付いて「読めないの?」と言ったら「はい」って。仕方がないから私が自分の原稿を読んであげるのよ(笑)。
――そうなんですね。出版業界も世代交代がどんどん進んでいるんでしょうね。
瀬戸内寂聴氏: こっちが悪いんだけれどもね。向こうは書かないで打ってくれってね。それをそのままパッと雑誌に載せちゃえるから、そうすると楽じゃないですか。だから私のような汚い字で読めない原稿は、それを打ち直さなきゃならない。だから嫌われるの。それでもこだわっている方は大分いますけれどもね。若い作家さんでも絶対ペンでないと嫌だという方もいますよね。
――そうですね。今回のこの取材というのが本にまつわることと、あと電子書籍と呼ばれているものですね。これは、今のペンとパソコンの話にも通じてくると思うんですけれども――。
瀬戸内寂聴氏: 私はね、自分はなかなか機械の操作ができないんだけれども、世の中はこれから電子化の時代だと思っています。グリオという電子書籍も含めたコンテンツ製作をしている会社があって、私はそこに投資しているんですよ。電子化は必ず、どんな邪魔をしてもそうなっていく。だって今、若い人、出版社に勤めている人が(原稿を)読めないような時代でしょう。今の子どもは小学生のころから電子機械をいじっているじゃないですか。遊ぶのだって何だってね。だから、やがて教科書も電子化されるでしょうね。
――教科書も。
瀬戸内寂聴氏: 近くにそうなると思います。だからどんなに騒いでもダメなんですよね。だけど紙の出版社が邪魔しているのね。何故かというと、電子化されると儲からないから、紙が要らないでしょう。それから編集者が要らなくなる、ほとんどね。そうすると本が非常に安くできるの。そうすると著者が貰う印税を、もっと高くしてもらっていいんですよね。今は1割だけれども、それを4割ぐらいにしちゃっていいわけ。で、それが嫌なのね、会社は。今のままでやっている方が儲かるの。だから急がないんですよ。
そうすると、あなたよりもずっと年が上でもうすぐ定年なんていう人は、定年までそのままでいたいわけ。変わったら面倒くさいじゃない。だから何となく邪魔をするのよね。
この前ブックフェアがあったでしょう。私、講演を頼まれたんです。その時に出版社の社長が並んでいたから言いました。今、日本で(電子化が)なかなか進まないのは大会社が邪魔をしているからだって(笑)。
でも、それもできなくなったね。よそからどんどん来てね。新聞でもアメリカからそういうのがドッと来るって出ていましたよ。
すべては変わる、進化する
――そうですね。まさしく幕末のような状態ですよね。
瀬戸内寂聴氏: そうそう。だからまあ1つの革命ですわね。でも、これは仕方がない。1000年前に源氏物語ができたときはね、印刷技術がなかったんですよね。だから紫式部は筆で書いて、それを他の人たちが写したの。自分で写したの。時には写し間違えもあるじゃないですか。それで異本ができるわけ。
ちょっと文章を書く人なら「こんな下手なのは少し直したいわ」とか「この会話、私だったらこうするわ」とか直すじゃないですか。そんな風だったんですよ。それをまた次の人が写すのです。黙読じゃなくて当時は声に出して読んだんです。
それで今度は仏教が入ってきて、そうしたらお経が入ってくるでしょう。そうするとお経はやっぱり活字じゃなきゃ……活字というのは木に掘った版字で刷ってあるでしょう。そういうのがだんだん増えてくるじゃないですか。それもだんだん進んできて。私が子どものころは活字工がひとつづつ活字を拾っていましたよ。それがもう活字を拾わなくなって今度は大きなのでパッと刷るようになったでしょう。どんどん変わっていくんですよね。
――変わっていく。

瀬戸内寂聴氏: 仕事も時と共に変わっていく。変化していく。まあ進んでいくわね。だから人間が便利なように発明していくでしょう。だから電子化も益々進むと思いますね。世の中のすべては流転します。
――はい。そうですね。
瀬戸内寂聴氏: 私ね去年の3月11日、あのころちょうど半年ほど圧迫骨折で寝込んでたんですよ。その時に電子出版の話が来たのね、一緒にやりましょうと。で、私は絶対に電子化の時代が来ると思っているから、やるやると言いましたね。そうしたら新しい本を書いてくれというの。で、寝ながら小説を書いてね。それが電子ブックになってきました。
それで、読み方教えてもらって。寝ながら…パッパッパってね、とても便利なのね。本だと重くて大変なんだけど、こんな板でしょう。で、フッと手が触ったら(字が)パッと大きくなったのね。だから、これは若い人だけじゃなく年寄りや病人にいいと言ったんですよ。だからお年寄りがこれを覚えたらね……まあ、なかなか覚えにくいけどね。
――そのときに初めて電子書籍に触れてみて、これはいいと思われたんですか?
瀬戸内寂聴氏: そうです。もうすべては変わるんだからね。仏教でもすべては変わるっていうんですから万物流転です。西洋にもパンタレイ(万物は流転する)という言葉があるじゃないですか。だからすべては変わるのよ。すべては変わり、進化するんです。
――それは人々に幸せをもたらすと思いますか? 先ほどの話で言えば老人や病人にも。
瀬戸内寂聴氏: これまでの過去を見てきたら、段々と進んでいって。やっぱり便利なんですよね。いちいち写さなきゃならないのはしんどいじゃないですか。便利になったと思います。本が楽に読めれば知識が豊富になって幸せでしょう。
――ご著書でも電子書籍として出されていますが、反応はいかがですか?
瀬戸内寂聴氏: まだ売れないわね。私ぐらいの年齢じゃ、もう持てないでしょう。それと何ていうのあの本の元(編注:iPadなどのタブレット端末)、あれが高いのね。まだ5万円も6万円もするでしょう? それが7000円ぐらいになりそうなんですって(編注:最近の電子書籍リーダーは1万円を大きく割り込む価格帯になっている)。そうしたらみんな買えますよね。若い子は4万とか5万といったらちょっと買えないわね。
――買えないですね。
瀬戸内寂聴氏: だからまだそんなパーッとなんて売れないけれど、安いのが、1万円以下のが行き渡ったら、しめたものですよ。お年寄りでも使えるようなものが出てきたらね。お経なんか短いのをチャッチャッと説明したって喜ぶんじゃないですか。私の電子書籍で出た『ふしだら』という小説もちゃんと音楽が入っていましたよ。それは便利よね。(今は9冊電子化している)
作家と編集者が一緒になって本は作られてきた
――先ほど毎日お忙しいとお伺いしたんですけれども、本を読まれる時間というのはあるんですか?
瀬戸内寂聴氏: それが不思議なことに忙しいと読むのね。こんなに仕事があるというときに読みたくなるの。(仕事を)やりたくないのね……。本を読み出したらね、面白い本だと読んでしまうでしょう。少し時間ができるとバッと読むの。
――本は本屋で購入されたりするんですか?
瀬戸内寂聴氏: 大体、欲しい本を送ってきますね。それからスタッフがいますから、必要な本、この本と言ったらパッと。例えば新聞の広告を見るでしょう? それを見てこれちょっと読みたいなと思ったら、すぐに注文する。注文したら翌日には来ますよね。自分が買いに行く暇はないですね。
――昔と比べて本の造りだとか内容だとか、こんなところが変わったなとか、逆にこういうのは変わっていないね、というのはありますか?

瀬戸内寂聴氏: 今は本が売れなくなったんですよね。だから出版社が焦って非常に簡単に作りすぎるわね。昔はそんなに簡単に作らなかった。編集者も本を出すことが誇りでしたね。だから作家と編集者が本当に一緒になって、できるだけいい本にしましょうね、という、そういうのが以心伝心で伝わってきて。
だけど今はもう本当に顔を見ないものね。今はこんにちはって編集者がやってくるでしょう。新しい担当だと。でもそれっきりでね。あとは、それこそ電話とかメールとかでしょう。それから原稿も「何日にください」なんて言われて、あとはFAX。そうしたら編集者の顔を見ないものね。情が移らない。
昔はよく顔を見て仲良くなっているから、原稿が遅れたらあの人が困っているだろうなとかね、ご飯も食べずに待っているかな、なんて思うじゃない。そうすると早く書いてやらなきゃと思ったものだけど、今はそういうのがないわね。
昔の編集者は、年がら年中作家とくっついていたんですよ。今はそんなことはないですものね。だからお互いがお互いのことを知らない。編集者はその作家の生活で何か変わったことがあったら、これを書かなきゃと言って、くっついて書かせてたんですよ。
――書かせるんですね。
瀬戸内寂聴氏: 書かせるんです。「そんなの書けない」なんて作家が言っていてもね、編集者に「でもこれを書かないとダメですよ」なんて言われたらね、書く気になる。
――そういう役割も持っていたんですね。
瀬戸内寂聴氏: そういうことが、それが編集者だったのよ。一緒に酒を飲んで、グデングデンに酔って。そんなのも一つ一つ仕事だったの。だから文壇バーっていうのがあったのね。そこへ行ったら文士が集まっているという場所。今は、そういうのがないでしょう。
――ないですね。そうするとおのずと作品にも……
瀬戸内寂聴氏: 情が移らない。編集者の方もやっぱり情が移らないよね。非常に冷たい関係になるから。そんなところから良い小説は生まれない。それはもう読んでいると分かりますよね。
電子書籍でも作家と編集者がお互いに話し合ってできるものに変わりない
――その場合、この電子書籍というのも、もっと便利になって、出版する部分でも便利になってくると思うんですけれども。電子書籍でいい小説が生まれるためには、どういうところが大事になってくるんですかね。
瀬戸内寂聴氏: それはやっぱり、いくら電子書籍だって作るんだからね。作る過程で作家と編集者がお互いに話し合ってできるものでしょう? 長編なんて時間が掛かるじゃない。その間に、ここが面白くないとか、ここは反響があるとか、そういうことが言えるじゃないですか。それを若い編集者が言うと怒る老大家もいるかもしれないけど、それはその老大家がアホですよね。それはやっぱり聞かなきゃね。編集者の意見は聞かなきゃ。
ただ、今は出版社も本当に大変で、売ろう、売ろうとしているからね。何でもいいから直ぐ売れる本を作れと言われているんですよ。そういう中で作った本は、ろくなものがない。
――そうですね。では、便利になっていけばいくほど編集者と書き手の役割というのは。
瀬戸内寂聴氏: 難しくなりますね。だけど編集を志してその仕事を選んだ以上は、やっぱり本を読んでね、作品を読んでね、自分が気に入らなかったら意見を言ってという風にしないとダメですよね。
漫画はダメなんていうことはない、子どもが要求する物を読ませればいい
――おっしゃる通りですね。本との関わりの中で、またお伺いさせて頂きますが、一番最初の読書体験というのはお幾つくらいのときだったんですか?
瀬戸内寂聴氏: 私は5つ上に姉があったんですよ。非常に姉の影響を受けていますね。姉が本、雑誌を買うでしょう、そうしたら私が全部それを読んでいましたね。小学校のときに文学全集、いわゆる日本の明治大正の文学全集があったんだけれども、そういうのはうちにはなかったの。うちは親がインテリじゃなかったから。だけど姉の小学校の先生が文学少女あがりで、そういうのを全部持っていたから、そこへ行って借りて、全部読んだんです。
――全部読まれたんですか!
瀬戸内寂聴氏: 分かっていないんだけどね、一応、読んでね。そうするとやっぱり場面なんか覚えていますよね。それで段々分かってくるんですよ。トルストイのカチューシャの話なんか、ネフリュードフがやって来て、遠い池の氷の音が聞こえたなんていうのがあるんです、氷が割れる。そういうのは覚えてるの。
――意味は分からないけど、読んでみて体で会得するというのは面白いですね。
瀬戸内寂聴氏: 今はちょっと教養のあるように自分で思っているお母さんたちがね、「この本は悪い」なんて言うでしょう。それで子どもに読ませなかったりして。そんなバカなことはない。何でも読ませたらいいんですよ。子どもは自浄作用があるの。自分で自分を洗う作用があるんですよ。だから漫画はダメなんていうことはないの。もう漫画で知識を得た方がずっといいんですよね。子どもが要求する物を読ませればいいんですよ。
――案ぜずとも自浄作用が…
瀬戸内寂聴氏: 大丈夫、子どもは大丈夫。それを読んで子どもが悪くなるなんてことはまずない。嫌になりますよ、変な本だったらね。たくさん読んでいると、目が肥えてきて頭が冴えてきて良い悪いが分かってきます。
――なるほど。

瀬戸内寂聴氏: そう、さっきの話ね。こだわってペンで書くっていう話。それ、私と、もうお亡くなりになったけど大庭みな子さん、それと河野多惠子さんと仲が良かったんですよ。で、3人が集まるでしょう。みんな、「機械なんかで書く小説なんか小説じゃないよね、やっぱり小説は手で書かなきゃ」なんて(笑)。3人とも機械が使えないから(笑)。後で大笑いしてね。でもやっぱりそれは手で書かなきゃなとかって言っていたのを覚えています。
――小説家なら手書きでしょ、という(笑)。
瀬戸内寂聴氏: 悔し紛れに言っているんですけれどもね(笑)。大場さんなんか墨で書いていた。和紙の原稿用紙を作ってね。毛筆ですよ。キレイでしたよ。私はそこまでいかないけれども。
本屋も大きく変わった
――手書きだけでもすごいのに、墨というのは凄いですね。いろいろなスタイルがあるんでしょうが、でもそれも含めてすべて変わってくるんでしょうね。何が良い悪いではなくて。
瀬戸内寂聴氏: (山田)詠美さんなんてね、あの年代でもやっぱりペンで書いていますよ。林真理子さんもたしか手書きですよ。それからもっと若い人でもね。江國(香織)さんも確かペンだった。今は知りませんけれども。
――書き手も読み手も使いやすいものを使うのがよいということでしょうか。
瀬戸内寂聴氏: そうそう。そんなの何でもいいのよね。書くのはね。
――電子書籍のようなものが仏教の教えだとかに何か役に立ちそうだなと思うことはありますか? 例えば、東日本大震災のときもそうだったと思うんですけれども、本が欲しいけど入りにくい、物流の問題もありますし、学校の教育の問題も――。
瀬戸内寂聴氏: 本が欲しいと言って入らないというのがずいぶんあってね。本屋が、昔は要求する人、需要が少なかったからね。だから本を買いたいと思えば、何が欲しいと電話したら本屋が必ず届けてくれたのよ。雑誌なんかは黙っていたって本屋が届けてくれたの。
だけど今は本屋に行ったってなかなか買えない状態じゃないですか。そういうのも変わりましたね。それから昔は町に小さな本屋、古い本屋が沢山あったんです。そういうところは主人も小僧も全部分かっていたね、本のことを。今は本屋が大きくなったからね、そんなの分からないじゃない。そういうのも変わりましたね。
――そういった面でも電子書籍は役に立ちそうですか。手元にあったらすぐ本が手に入る、例えばインターネットで本が買えたりだとか、沢山ある本を持ち歩かなくても――。
瀬戸内寂聴氏: そりゃ便利ですよ。私なんか、ちょっと長編を書くのにどこかに行こうと思ったら、トランクいっぱい資料を持っていかなきゃいけない。
――トランクですか。
瀬戸内寂聴氏: そう。箱に入れて送ったりしなきゃならないじゃないの。昔は物なんか書くとそうだったんです。そういう意味ではそれは便利になると思いますよ。
――仏教の経典というのも膨大な量になると思うんですけれども、ああいったものも――。
瀬戸内寂聴氏: そうなるでしょうね。便利なものは直ぐになります。国会図書館なんかもそうなっているでしょう。とっくにね。だって場所がなくなるじゃないの。私なんか資料とか好きで買った本は、とても家に置けなくなったから、徳島に文学館を作って貰って、そこへ全部送りましたよ。トラックで何台も。3万冊ぐらい。
紙の本は残る、絶対に――
――3万冊はすごいですね。電子化への心理的な抵抗のようなものはないんですか? 紙の良さとかみたいな。
瀬戸内寂聴氏: 電子ブックもなかなか綺麗なものですよ。装丁もキレイな絵がパッと出ますしね。
紙の本は残ります。絶対に残ります。今でも高い本があるでしょう、特別な本。ああいうのを買う人が数万人はいるの。だからそれだけを作っていても成り立つんですよ。便利なものは便利で使う、使いっぱなしだけれどもね。だけどどうしても貯めておきたいとか、特に愛着があるなんていうのは必ず出ますよね。だから紙の本が無くなるということはないと私は思う。
――そうですね。最後に瀬戸内さんにとっての本というのは、どういう存在でしたか?
瀬戸内寂聴氏: いやもう、本に知識をすべて与えられたからね。私はやっぱり子どもに、とにかく本を読ませなきゃだめだと思いますね。学校で習う教科書というのは知れているからね。やっぱり自分で本を沢山読んだ人と読まない人といったら、話して分かりますよね。本を読まない人間はこの商売はできないのね。悩んだりするときに答えを……いま身の上相談っていっぱい来ますけれどもね、自分で考えられますよね、本を読んでいたら。これはどうしたらいいかな、とかね。あの小説の中でそっくりなのがあったなとかね。
そして、やっぱり本を読むことにおいて、その本が電子ブックであろうが何であろうがいいんですよ、また違うのが出てくるかもしれない。とにかく知識を得るということはやっぱり読書ですね。
どんな商売の人でも、例えば銀行マンになってもお金の計算だけじゃないでしょう? やっぱり教養がなきゃね。教養というのは書物を読むこと。そこから宗教も出てくるし哲学も出てくる。恋愛なんかする場合もやっぱり本を読んでおかなきゃね、口説けないじゃない。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 瀬戸内寂聴 』