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世界中の本好きのために

北野大

Profile

1942年生まれ。財団法人 化学品検査協会(現:化学物質評価研究機構)・企画管理部長から淑徳大学国際コミュニケーション学部教授を経て、2006年4月より明治大学理工学部応用化学科教授。経済産業省・化学物質審議会委員、環境省・中央環境審議会委員などを務める。日本化学会委員、環境科学会理事、日本分析化学会会員。2004年日本分析化学会・技術功績賞受賞。1987年にスタートしたTBS『サンデーモーニング』にレギュラーコメンテーターとして出演したのをきっかけに、TBS『クイズダービー』、NHK『くらしの経済』、日本テレビ『マジカル頭脳パワー』などのテレビ番組に出演。タレント・ビートたけし(映画監督・北野武氏)の実兄。

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「本を読む」という行為には、テレビやラジオでは味わえない達成感があるんです



工学博士であり、現在は明治大学理工学部の教授でもある北野大さん。タレント、コメンテーターとしてテレビなどでもおなじみですが、お仕事柄、常日頃から本を読む機会が多いのだとか。「本は紙で読むのが好き」だという北野さんに、現在のお仕事内容から、好きな本、さらには本に対する考え方などをお伺いしました。

本の執筆にタレント、コメンテーター。でも、本業は研究者です


――北野さんといえば、現在は明治大学の理工学部で教授として教鞭をとられる一方で、タレント活動をなさるなど、非常に多才な活動をおこなわれています。明治大学ではどのような研究に携わっていらっしゃるんですか?


北野大氏: 私の本業は教育・研究です。明治大学の理工学部、または大学院の理工学研究科に、環境安全学という研究室があります。そこでどういう事をやっているかというと、色々な化学物質が製造・使用される前に、化学物質の毒性や物性を調べて、安全な使い方をするにはどうしたらよいか…を探ることが研究テーマです。また例えば化学物質により環境がどのぐらい影響されているか。これを、「生態毒性」といいますが、これも研究テーマの一つです。

前者は「有害な物は出来るだけ使わないようにしよう」「うまい使い方をしよう」ということで、化学物質の管理に重点を置きます。そして、後者は実際にその化学物質が、環境に対してどのような影響を与えていくかを探っていく。それが研究の2本柱になります。

――具体的にはどのような実験をなさるんですか?


北野大氏: 例えば洗剤を台所で使った時に、その洗剤は下水道から川、川から海へと流れていきますよね。そこで、洗剤がどうなっていくのかを調べるのが私たちの仕事です。下水道で分解して無くなっちゃうのか、それとも無くならないで川や海で、生き物に蓄積されるのか。もしくは、毒性を示すのかとか、そういう事を事前に調べてみる。その結果によっては、洗剤の使用量を減らすことも考えなければならないでしょう。

――研究室での研究というより、結構現場に行かれる事もありますか。


北野大氏: 環境モニタリングの方は大学だけでは出来ないので、地方自治体の研究機関と一緒になっておこなっています。例えば東京都には環境科学研究所、神奈川県には環境科学センターなどがありますが、そういった研究機関と一緒に研究をしています。

もう少し具体的に言うと、環境モニタリングでは、例えば自動車のタイヤは走行時に摩耗します。そうすると、タイヤのゴムが削り出てしまうわけです。ゴムの中には色々な化学物質が入っていますが、その物質がどれぐらい環境汚染しているかを調査します。それから有機フッ素というフッ素の化合物が、どれぐらい河川などに存在しているか。また、東京湾にイガイという貝が生息してるんですけど、ダイオキシンがどのぐらい貝にたまってしまっているかとかですね。

――物が使用される前に、事前にそうした調査をしておかないと、後々環境や人体への害がわかってからじゃ遅いですもんね。そういう意味では、とても長期的な視野が求められますね。


北野大氏: 環境の分析というのは、1回だけじゃなくて、同じ場所で長期的に測っていかないといけないものなんです。たとえば、濃度が増えているのか、逆に減っているのかなどといった、傾向を掴んでいく必要があります。そういう意味では継続的に測定していくというのは大事ですよね。

――研究時においてのご苦労であったり、障壁といったものはありますか。


北野大氏: サンプリングについては自治体と一緒にやっているので、そんなに苦労はありませんが、「ppb(10億分の1を示す単位)」といって、微量分析という極めて低い濃度分析になってくるので、それなりに高価な分析の機械を使わないとダメなんですよ。これが、大変なんです。

近頃の学生は「自分が大学生である」という自覚が足りない気がする


――研究室についてもお伺いしたいと思います。例えば文系の学部であれば、ズラッと本があったりというのがあると思うんですけど、北野先生の研究室はいかがですか。


北野大氏: いわゆる教員の個室がありますね。それは全く普通の個室で、机があって、パソコンがあって、あとは本棚には色々な本とか、論文とか、ズラッと本は並んでいます。また、いろいろな委員会の委員をやっているので、委員会の資料も並んでます。そちらのほうは、理系や文系もあまり関係ないですね。

――大学の教授というと、学生さんのように若い方とふれあう機会があるわけですね。


北野大氏: 学生が研究して毎週結果を発表します。そして、この発表内容については3つの研究室で一緒になってディスカッションをしています。実験のやり方にはじまり、「今度はこういう風にやったら?」という提案とか。具体的に「これをこうしろ」と指示を出すというよりも、「その辺のデータの解析が不十分だよ」とか「こういう事をもうちょっと考えなくちゃいけないんじゃない?」とか、できるだけその学生たちの意志を大事にして、それに対して何らかの示唆を与える程度でとどめておくようにしています。

――「最近の若者は」という言葉もあると思うんですけれども、良くも悪くも、昔と比べて「昔の学生と比べて、いまの学生はこんな風に変わったな」というのはありますか。


北野大氏: 昔は苦学生という言葉がありましたね。明治の学生は私学というのもあるのだけど、今は、アルバイトしている学生けっこういますけど、自分の趣味とか小遣いのためにアルバイトをしているんですよ。「働いて家計を助ける」なんていうのは、いまはほとんどいないですよね。だからそういう意味では、みんな明るくなったというのはあります。



私が大学生の頃は、同い年の子供たちのうちの1割も大学に行っていませんでした。今はだいたい5割は大学へ通っている。かつては、大学生だっていうプライドもありましたが、今は別に偉いだとか何だとか、変にプライドをもつ必要はない。渋谷の街なんか歩いていても、どの人が学生でどの人が社会人か、ハッキリ言って分かりませんね。昔は、一目見れば、ハッキリわかったわけですよ。そういう意味では最近の学生は「自分の大学生としてのプライドや自覚」が少し減ってきたのかな…という気はします。

ただ、理科系の学生の場合は、理工学部でも化学とか、機械とか、それなりの目的を持って来ている学生が多いです。特に化学系は大学院に行かないと研究的な職業には就けないですから。そういう意味では、どちらかというと真面目な学生が多いですね。

学生時代は「電車の中で読めるような本」は読んではいけない


――北野さんご自身も含めて、理系の研究者の方は、文系の学生などに比べて、お持ちの資料や本というのは凄く多いんじゃないですか。


北野大氏: 本を読むのは好きですけど、忙しくて、仕事に関係のない本はなかなか読めないんですよ。学生の論文を直したり、仕事の資料を読んだりしてばっかりです。

ただ私が学生に言っているのはね、学生時代は基本的な古典と言われるような本を多く読むようにすることですね。ノウハウ本とか、ハウツー物の本なんかは、学生時代には読まなくたっていいんです。いずれ、社会に出てから必要に応じて読めばいいんですから。学生時代はもうちょっと基礎的な本を読むべきなんですよね。もっと言うと、学生時代には「電車の中で読めるような本はダメ」だと思っています。

古典などの本と向き合うというのは、やっぱり学生時代しかできない事です。そういう意味で私もゼミなんかでも、社会に出たら絶対に読まないであろうというような資料、文献を読んでいますけどね。

――その後の自分の知識の基礎となるような古典や名作を、もっともっと読むという事ですよね。


北野大氏: はい、古典と言われるような本もあるし、名著と言われる本もあるわけです。そういう物をきちんと読み、勉強したらと言っています。

レイチェル・カーソンの「沈黙の春」を読んで、自分の仕事の大切さを知った


――ご自身で、学生時代にすごく深い影響を与えた、今でも何かしらの影響を与えているような、ガツンと来たような本というのはありますか。いくつかあると思いますが。


北野大氏: 例えば、レイチェル・カーソンの『沈黙の春(Silent Spring)』。1962年に出た本ですね。僕は1972年に大学院を修了していますが、あの本を読んだ結果、今やっている仕事がいかに大事な仕事であるか、そういうのを再認識しましたね。それまでも、やっぱりもちろん大事な仕事だと思っていましたけど、ああいう本を読んで、やっぱり環境問題は考えなきゃいけないと、感銘を受けました。

私は化学(ばけがく)の人間だから、「化学物質は必要な物」だって思っています。ただ、どうしても、やっぱりその性能というか、化学物質の持つ効用にばっかり注目してしまうんです。だけどレイチェル・カーソンの本を読んだら、確かに化学物質の持つ負の面についても考えなきゃいけないと痛感しました。そういうのは今の仕事につながって来ています。

司馬遼太郎、山崎豊子。史実に基づいた小説に夢中です


――ちなみに、最近何か読まれた本ではおもしろかったものはありますか?


北野大氏: 最近はなかなか読めないんですが、面白かったのが増田俊也さんの書いたノンフィクション『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』。

我々の世代にとって、力道山と木村政彦の試合っていうのは世紀の一戦で、のちに「昭和の巌流島」なんて言われたんです。この本によると、あの試合は段取りがちゃんと決まっていたんですが、力道山が途中、急に怒ってしまった。木村さんが蹴ったのが、たまたま股間に当たったりしてしまったせいだと思うんだけど。

でも、一番読む気になったのは、タイトルです。書いたのは北大出身の柔道をやっていた人なんですが、非常に詳しく調べていて、あれは名著ですよ。

日本柔道史、あるいはプロレス史っていう感じです。ああいう人たちが柔道からプロレスに入ってきたんですよね。私たちは、講道館柔道こそが正統派の柔道だって思っていたんですけど、必ずしもそうではなく、講道館っていうのはスポーツの柔道だったとか。柔道はもともと柔術ですからね。

あとは、山崎豊子さんの小説で『運命の人』。山崎さんというのはさすがですね。あの取材力は感服します。私は滅多にテレビドラマを見ないんですが、この本はテレビでちょっと影響を受けたというか(笑)。『運命の人』って、ドラマで本木雅弘さんが主人公でやったんですよ。これは毎日新聞の記者が外務省の事務官を通じて機密文書を持って来させたわけですね。それが大スクープになって…という。結局最後は有罪になったわけですが、もちろん、そのニュースも昔からよく知っていますし、テレビをちょっと見たら懐かしくなりました。

――ルポということですか。


北野大氏: もちろん「事実に基づいたフィクションです」と言ってるので、名前も全部変えていますよ。でも私は、『あ、これは田中角栄だな』とか、すぐに分かりますね。全く創作じゃないんだけど、かなり事実に基づいていて。記事の内容は間違いじゃなかったんだけど、そそのかしてそういう事になったという事で有罪になっちゃったけど。

それから、次に読んだのは、同じく山崎豊子さんの『沈まぬ太陽』。最近、京セラの創業者である稲盛和夫さんが、JALで大規模なリストラをおこなった結果、立ち直りましたよね。この小説を読んで、「やっぱりJALというのは昔から問題があったんだな」というのを知って、やっぱり山崎さんの本は好きになりました。

『沈まぬ太陽』はサラリーマンの悲哀みたいなものを描いた作品ですよね。人間、信念を通すと生きづらいのかな…と。これも、やっぱり完全にフィクションではないんですが、ある程度内容を知っていて、山崎さんの本を読んで、それを更に確認したという感じがしています。

あとは司馬遼太郎さん。実は、僕はそもそも司馬遼太郎さんが好きで、作品をほとんど全部読んでいます。

――史実に基づいた小説がお好きなんですね。


北野大氏: 今、また更に山崎さんの『大地の子』という作品を読んでいます。これは、中国の残留孤児の話ですね。

――長編ですよね。『大地の子』は確か、日中合作か何かで昔ドラマになったはずですよね。


村上春樹作品など、定年したら読んでみたい本はたくさんある



北野大氏: ちなみに、学生時代はね、当時、電車の中の行き帰りで、毎週1冊ずつ岩波新書を読んでいました。

――学生の間にたくさん読まれたのですね。


北野大氏: はい、いろいろな本を読みました。今はとにかく忙しくて。だけど、読みたい本はいっぱいあるんですよね。

たとえば、『ノルウェイの森』の村上春樹さん。私は国連の会議で委員をやっているんですが、出席しているノルウェー人に『村上って知っているか?』って言うと、ちゃんと彼らは村上春樹さんの作品を知っているんですね。ちゃんと訳されていて。『1Q84』も、まだ読んでなくて恥ずかしいんですが、いずれ読んでみたい。定年になってゆっくりできる時になったら読んでみたいなぁとも思っています。

――先ほどの『木村政彦は…』もそうですけど、いま読まれている本は、どういった事がきっかけで手に取られたんですか。


北野大氏: まずは新聞で見つけることが多いですね。『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』は確か、新聞広告を見たのかもしれません。題名に取りつかれて。いいキャッチで、面白かったですよ。

よく日曜日になると新聞の書評欄にいろいろ出ています。まずあれは結構読んでいるんですよ。それから時間があれば本屋さんに行って、ちょっとぶらぶらする。でも、自分が読んだものがベストセラーになったときは嬉しいですよね。「おお、自分には見る目があったんだ」ってね(笑)。ベストセラーになったものを後から読むのは何となく悔しいんです。後追いみたいだから。

――ちなみに本屋に立ち寄られる時は、そのままの格好で、特に変装とかはされないんですか?


北野大氏: 変装はしないですね。まあ、見つかる時は見つかるけど。だから変な本は買えませんね(笑)。



本を買うときには、本屋に行くのが好きなんです


――では、本を買うときはほとんど、書店でなんですね。今はいろいろあるじゃないですか、ネットのAmazonなどで買うことは…。


北野大氏: ないですねぇ。Amazonってあんまり使ったことない。どうも、ネットとかっていろいろ出てくるけど、あんまり好きじゃないんですよね。

あとは、本屋さんのあの雰囲気が好きなんですね。自分の感じるようにグルグル回って見られるのでいい。さだまさしさんの「関白失脚」という歌で、「買い物ぐらい身体を動かせ」ってっていう台詞がありますが(笑)、やっぱり自分で本屋さんに行って面白そうだなと思って買うのがいいですね。

――本屋にずっと通っていらっしゃって、昔と今と、本屋の様子や本自体、装丁などでも、こんな風に変わったなとか、ありますか。


北野大氏: 一番変わったのは、本屋さんに椅子が置かれるようになったことでしょうか。ジュンク堂なんかはね、ちゃんと脇に椅子が置いてあって、そこで読めるようになっていますよね。八重洲ブックセンターなんかも確かそう。海外の本屋さんはだいたいそうなっていますよね。だいたい椅子が置いてあって、そこでゆっくり読めるようになっている。

昔はよく立ち読みなんかしていると、ハタキでこう店主に叩かれたもんですけどね(笑)。せっかく知的空間だからゆっくり本を選んで、椅子ぐらい置いてあって、こう見て、で、気に入って買っていく…という流れが出来上がってきているんでしょうか。

――立ち読みっていうのは決して購買意欲をそぐものではないですね。


北野大氏: やっぱり見て、自分で決めるわけですからね。カメラで撮っちゃうとかは窃盗だけど、ああいう本屋さんの雰囲気というのは大事にしたいなと思います。

いい編集者と巡り合えると、いい本が生まれる。二人三脚が大事です


――電子書籍の登場で、本屋だけでなく出版社の流通面での役割は減ってきていると思うのですが、逆にこういう時代だからこそ、出版社というのはどういう事が大切なのかなと、どんな風にお考えでしょうか。


北野大氏: 本というのは、やっぱり知的財産で、「出すこと」が大事だと思います。今のネット社会なんていうのは、何でもネット検索できるけど、結局はネットの情報というのは、信頼できる情報もあるし、信頼できないのもある。本になってくると、もちろん出版社にもよりますが、それなりの名のある出版社になると、例えば岩波とか、責任を持っていますよ。そういう所から出ている出版物は、非常に安心して読めますね。

――出版されるぐらいならば、一定以上のクオリティを満たしているんだろうなと安心できますよね。


北野大氏: 昔、電化製品でもなんでも、メーカー品が良いと言われていた時代があったわけです。パナソニックとか、シャープだとか、ある程度知られている名前のついているものは、安心なんだ…と。失礼ですが、名も聞いたことのないようなメーカーの製品になると「大丈夫かな?」って心配になりますよね。

そういう意味では出版社にしても、それなりの歴史や伝統のある出版社のほうが安心。あと、編集者がつくと、彼らもいろいろと調べてくれて、著者では気が付かないミスを直してくれます。ただ、一方で、「売ればいい」みたいなスタンスで作っているところは、チェックとかもまったくないところもありますけどね。

――版元によって、いろいろと違いがあるということなんですね。


北野大氏: かなり細かく言ってくれる所もあります。正直、著書でも1人で書く場合は編集者の力が強いです。複数で書く場合には、複数の人に書いてもらって、複数名で全部一応チェックする形になるんです。だから、そういう意味では、複数の人が書いた本で、編集者がしっかりしているのは、安心できるのかなという感じがしますよね。



――どんな本でも大事なのは、実は編集力だったりするわけですね。


北野大氏: そうかもしれません。私は過去に紙で出されたものを、電子化して出すというのはいいと思います。紙やネットなど、いろいろな媒体のなかから、自分に合った情報を取捨選択していったらいいんじゃないでしょうか。

本はできれば紙で。でも、音声や画像が出る電子書籍の存在には驚愕


――ちょっとお話が変わるんですが、先生ご自身は、電子書籍自体はご利用になった事はありますか。


北野大氏: 申し訳ないんですが、ないですね。結局、古いのかな(笑)。ただやっぱり、自分は読んだ本を、読んできた証として本棚に置いておきたいんですよ。電子書籍を使うと、それがない。自分がこういう本を読んできたというのは、もう1回、自分が読んだ紙の本で読み直してみるときに蘇ってくる。

たとえば、子どもが高校生のころに「お父さん、夏目漱石全集の何巻、貸してくれる」とか言われるわけです。「自分の子どもがこんな本を読むようになったか。大人になったな」と思うのもあるし、一方で「自分はかつてこういう本を読んできたんだな」ということも思い出されます。

――本棚はお父さんの背中というか、履歴書みたいな感じですよね。


北野大氏: そう、「ウチの親父はどんな本を読んでいるんだ」とかね。だから、佐野さんの『あんぽん』で、孫さんはあと何年か以内に一切紙の本が無くなると仰っていた。佐野さんは絶対にそんなことはないとハッキリ書いていますけど、私もそう思う。だから、どっちが良い悪いじゃないのかもしれません。

――孫さんの発言もそうなんですけど、紙と電子という対立軸は抜きにして考えられるとこちらとしてもうれしいですね。


北野大氏: 電子書籍というのは、1個のメディアで何冊も本が入るから、軽いしスペースもとらない点はいいのかもしれません。

電子辞書も含むなら、私も電子書籍を使っているし、今、うちの学生はほとんど使っています。どの電子辞書も、カラーで絵が入ってくるとか、それなりの特色を生かしています。でも単語を覚えるという意味では、紙の辞書では、完全にスペルを知らなければ引けない。でも電子書籍だと、途中まで入れると、コレだろうって候補がいくつか勝手に浮かんでくる。あれは便利ですよね。

私は今、広辞苑の電子辞書を使っていますが、これは画像が沢山入っているので、理解を容易にするんじゃないかなと思います。紙の本で多くの画像を入れるのは大変ですからね。そういう意味じゃ便利だなと思います。「うぐいす」という単語を引くと、うぐいすの写真も出てくるし、ホーホケキョという音声も出てきます。音も出てくるし、電子ならではですね。

さらに、電子の英語辞書は、発音のボタンを押すと、ちゃんと発音してくれます。ネイティブな発音で、発音スピードも3種類ぐらいあって、いわゆる通常の発音で『ボーイ(boy)』、ゆっくりと『ボーーーイ』、早いと『ボイ』と変えてくれるんです。そういうのは電子辞書ならではですね。

――電子書籍だと、従来の「文字」だけでなく、画像や音声など、いろんな五感を使うことができるので、より勉強には適している…ということでしょうか。


北野大氏: いや、勉強という意味では紙の辞書のほうがいいと思います。古いことを言うと、勉強っていうのは苦労してやるものだと思うんです。苦労がないと勉強にならない。電子書籍は便利で非常にありがたいけど、紙は紙の全体を俯瞰できるとか、どっちかではないですね。住み分けるというのがいいのかもしれません。

ハウツー本など、資料的なものはどんどん電子化してもいいのでは


――ちなみに、どんなものだったら「電子で読みたい」と思われますか?


北野大氏: 失礼かもしれませんが、ノウハウ本、ハウツー本みたいに「とりあえず1回バーッと読んだらもう読まないだろう」という本は、電子書籍がいいのかなという感じがしますね。たとえば、昔は文庫本というのは、ハードカバーで一定の評価を受けたものが文庫本になったんですよ。だから、自分たちの本が文庫本になるというのはステータスだったんです。

でも、今は関係なしに、1か月、2か月たったら文庫本になります。さらにその文庫本も狭くて置けないとなると、こういう形で入れておくんでしょうか。

私自身は、自分がこういう本を読んできたという証として残しておきたいし、さっき言ったように、「1回読んだらいいかな」と思える本は、電子版などでサラッと読む。いずれ誰かにこういうのを読んでもらおうとかというものは、紙の本がいいのかなと思いますけどね。

――紙vs電子と捉えられがちなんですけれども、BOOKSCANとしても、紙の本が売れないと仕事にならないんですよね。紙の本を電子化するという仕事なので。もともと本が好きだからという事業で始めて。ようやく今、出版社の方ともお話をさせて頂いたり、実際に出版社様からご依頼を頂く事もあるんですね。過去の出版社様がお持ちの本のデータを今後電子書籍で出すためにデータ化してほしいとか、そういう事もあるんですね。とにかく共存していければなと思います。


北野大氏: 電子にしても紙にしても、本のいい所は、読む人の能力とペースで読めるところでしょう。テレビは音も出て絵も出て、映像も出て素晴らしいですが、見る人の理解のスピードが違います。でも本の場合だったらゆっくりもう1回読み直してみるとか、考えることができますね。

昔有名な数学者の岡潔さんという先生がおられて、「映画は人間をだめにする」という、有名な言葉があるんです。映画というのは一方的に来る物で、絵で出てくるから、こちらの想像力も湧かない。岡先生が今も生きていらっしゃれば、「テレビは人間を馬鹿にする」と言ったでしょうね。

ただ、テレビは、新聞・雑誌とは違い速報性や臨場感があります。紙と電波というのはおっしゃった通り対立するものではなくて、速報性だったらテレビやラジオで、じっくり推敲するのは紙という考えもあるかもしれません。

読書というのは、まさにこちら側のペースや能動的な意欲、それなりの能力がないと読めないと思います。文字を読むということですから。

ところがテレビやラジオは受動的で、極端なことを言えば、文字を理解する能力は必ずしも必要でないと言えるのではないでしょうか。

一人の作家ととことん向き合った後の達成感は、山登りに似ている


――紙と電子、どちらも良さがありますね。最後に先生にとって、今までお伺いしました読書・本というのは、一言で言うとどんな行為、存在になりますか。


北野大氏: 知的好奇心を満たすものという事でしょう。読書は時々難しくて、イヤになっちゃう事もあるんです。だけど我慢して読み終えると、達成感があるでしょう。「やったー! 読み終わったぞ!」というね。本を読むと、自分が少しだけ利口になった気分になるわけです。

かつて私が勤めていた財団の上司が面白い方で、「いろいろな本を読め」とよく言っていました。私なんか専門馬鹿だと言われたんですが、その時に、その上司に「1人の作家の作品を全て読め」と言われたんです。

たとえば、夏目漱石の全集は、全31巻ぐらいあります。15、16巻までは作品で、後は断片とか日記とかがあるんですが、それを全部読めと言うんですよ。島崎藤村なら藤村の作品を全部読む。それも1つの見方ですよね。そこで作家論を書くとかの研究ではないんだけど、「1人の作家を集中的に読め」というのを盛んに言われました。

――1人の作家でも時期によって書き方が違ったりしますよね。


北野大氏: 画家の画風が変わるのと同じでね。作家さんの年で変わってくるものだけど。
いずれにしても本を読むのは達成感。山を登る感じに似ていますね。

――もっともっと達成感を味わえるように、皆さんも含めて本を読んだほうがいいですね。お忙しい中、ありがとうございました。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 北野大

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