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世界中の本好きのために

安保徹

Profile

1947(昭和22)年、青森県生まれ。東北大学医学部卒業。90年、胸腺以外でつくられる胸腺外分化T細胞を発見。96年、白血球の自律神経支配のメカニズムを解明。2000年には胃潰瘍=胃酸説を覆す胃潰瘍=顆粒球説を米国医学誌に発表し大きな衝撃を与える。国際的な場で精力的に研究結果を発表し続け、免疫学の第一人者として最前線で活躍している。『免疫革命』(講談社インターナショナル)『医療が病いをつくる』(岩波書店)『免疫学からみた幸福論』(ビジネス社刊)など著書多数。

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困難を支えてくれた沢山の本とは


――では、今執筆されている本も、本当に皆さんに知ってほしいという思いで書かれているんですね。


安保徹氏: 私、そもそも本を読むのが好きなんです。誰か良い作家が見つかれば、その作家の本を全部読むというような独特な習慣で生きてきました。例えば、夏目漱石がいいなと思えば、夏目漱石の本50冊ぐらい読むわけです。次、三島由紀夫が良いなと思えば、三島由紀夫を80冊ぐらい読む。次に有吉佐和子がいいなと思えば60冊読むとか。そういう、読書大好き人間でした。あとは、新田次郎は全部読んでいます。吉村昭、松本清張も。

――小説関連を幅広く読まれているんですね。


安保徹氏: 特に気迫がある小説ですね。研究の志を奮い立たせてくれるような。やはり新田次郎とか吉村昭とかノンフィクションっぽくて、凄い迫力です。どちらも奥様が小説家で、奥様の方が早く本を出して早く売れているんです。おそらく二人ともそういう独特の環境で、じっくり力を蓄えて書き出して、それで最後に大逆転するというような、いわゆる男の生き方なんですよ(笑)。男は黙って力を蓄えて、黙って超えて行く。あとはやはり、小学校しか出ていない松本清張とか。ああいう人たちの本を読むと、免疫の研究も途中でへたばったりしちゃいられないなと。更に、それこそ全作品を読んだというのが、梅原猛です。特に、私は抗ガン剤はダメとか、膠原病にステロイドはダメとかって、言い切るわけです。そうすると、医者が全員敵になる。それで皮膚科学会から攻撃が来る。その時に支えになったのが、梅原猛の言葉でした。「真理を発見した者は、その真理は自分しか知らない。そうなると周りは全て敵にならざるを得ない。そういう出発点から進まなきゃダメだ」というような、凄い言葉を言っている。その言葉が支えでした。だから私は今、国立大学の教授ですが、やはり正しい事は言わなきゃと思いました。アトピー性皮膚炎にはステロイド軟膏は使うな、膠原病に長期間ステロイド療法にするなとか、ガンには抗ガン剤はほとんど、特に大人、老人のガンにはメリットは全く無いとはっきりそう言い続けています。

――世界に研究成果が認められた立場におられるわけですけど、それは順風満帆にいったわけではないんですね。


安保徹氏: ですから本というのはそれだけの力があるんです。そこの壁に、私を立ち直らせている言葉を貼って、赤い線を引いてあるので、それを読んでみてください。

――このように貼って、常に見られるようにしているんですね。


安保徹氏: 「孤独に耐えるライオンの勇気」「人間が創造するには一度は世界を敵としなければならぬ」「創造とは所詮孤独な作業である」「もし人が本当に真理を発見したとすれば、彼は全世界を敵としなければならない」…ここなんです。この心境で頑張ってきました(笑)。梅原猛の本からコピーしています。下は吉田松陰ですけど。こんな言葉を読んだら泣き言を言うわけにいかない(笑)。

留学時代には、1回に200冊本を買って、半年で読みつくした


――学生時代はどんな本を読まれていましたか?


安保徹氏: 学生時代は、やはり初期の頃だったから、夏目漱石、有吉佐和子などでしょうか。有吉佐和子は主人公が女性で、『紀ノ川』(新潮文庫)をはじめ、いろいろな強く生きる女性の事を書いていましたね。そういったものは励みになりました。やはり男も女も、かっこいい人はいるんだなと思いました。それから私はアメリカに5年留学していたんですが、ほとんど英語を話さないで、日本から送られた小説ばっかり読んでいたんです。5年間で、ダンボール10箱以上たまった。弟が留学した時に2箱あげたりしました。なので、留学時代は膨大な読書量を誇ったんです。さくら書店っていう、ニューヨークにある書店が、年に2回ぐらい本をトラックで売りにくるんです。そこで1回に200冊買って半年で読みました(笑)。沢山買うから、その書店が、3年目ぐらいには、私が来るのを待っているようになりましたね(笑)

――凄いですね(笑)。ちょっと割高だったりするんですか?


安保徹氏: せいぜい2倍ぐらいですね。そもそも文庫本なので安い。土日は日本語の小説で頭がいっぱいで、月曜日は英語が出て来ないんです。Good Morningって出てこない(笑)。

――留学時代は沢山読まれたんですね。


安保徹氏: 私、高校の頃、国語がやたらに苦手でした。ただ、読んで読んで読んでいるうちに、文章を書きたくなってきたんです。

自分の『心』に向き合うきっかけを与えてくれた森田正馬の本


――色々と読まれた本の中で、衝撃的だったものなど、今でも影響を与えているような本はございますか?


安保徹氏: 医学の分野と関係があるのは、森田療法を発見した森田正馬の本です。今の日本はうつ病が多いでしょう? 悩める人全てをうつ病にしました。だけど同じ「悩む」でも、凄く神経質な人や、傷つきやすい人は、ストレスをどう受け止めるかというような独特の感受性でみんな悩んでいる人が多いわけです。そういった弱さや感受性の高さを、どうやって乗り越えたらいいかという時に、森田正馬の本は凄いヒントになりました。私は小学校・中学校の頃、成績がなかなか上がらなくて、とにかく自信喪失の人間だったんです。中学校・高校・大学と行ったんだけど、やはりその劣等感が凄くつらかったんです。今も思うのは、あれは私個人の問題じゃなくて、親からの遺伝だったと思います。私の母親は凄い神経質で、悩む性格でした。そのかわり細やかさがあって、人の気付かない事に気付ける独特の感性がありました。そういういきさつがあったのですが、若い頃、自分はそれを冷静にとらえる事ができませんでした。そこで森田正馬氏が書いた本を読んだんです。彼は苦しみは苦しみとして、のたうち回る所から自分の性格をつかんで立ち上がるという、独特の治療法をやっていたんです。それが凄く私の心の支えになりました。やはり病気になる人は単に体が悪くなっているんじゃなくて、受け手側の感受性の問題もあるので、そこを考えないと、病気の人は救えないと思ったのです。それで心療内科などに出入りしたりもしました。心療内科は、今でも見れば分かるように、アメリカナイズされた医学で、病気を心の面から診るという割にはすぐ薬を出す(笑)。「何これ!?」って感じでした。心療内科と言えば、薬出し内科と言ってもいいぐらい薬を出すんです。これは話が違うだろうと思いましたね。今の社会だって、心療内科に駆け込む人は、薬で治してもらいたいから駆け込んでいるわけではありません。色々な心の問題で打ちひしがれて、病気になって、何か適切なアドバイスをもらいたいと心療内科にかかるわけですが、出だしから薬が出てしまうんです。他の内科よりもひどいって感じがあります。

――確かにそうですね。


安保徹氏: 眠れなかったら何か工夫みたいなものを教えてくれるのが心療内科だと思っていたから、「あ、これはおかしいな」と思いました。内科にしても、一般内科研修してからでいいんじゃないかと研修をしたのだけれど、そうしたら今度研修先でリウマチの問題、ガンの問題が全く解決されていなかった。それで、その治療を続けていくのに疑問を持ったんです。だから結局私自身は劣等感で悩みながらも、その自分の感性そのものが、人がOKと思う事を「許さない」と感じてしまう流れですから、自分が弱いのか強いのか、自分でもよく分からないんです(笑)。

――でもやはり先生は、しっかりとご自身に向かい合われたんですね。


安保徹氏: その時に、森田正馬の本を3冊か4冊買って読みました。

著書一覧『 安保徹

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