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世界中の本好きのために

橘玲

Profile

1959年生まれ。早稲田大学卒業。2002年金融情報小説『マネーロンダリング』でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』は30万部の大ベストセラーになる。また06年『永遠の旅行者』が第19回山本周五郎賞候補となる。他に『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』、『大震災の後で人生について語るということ』など、著書多数。最新著書は『(日本人)』。本人公式サイト
http://www.tachibana-akira.com/

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テクノロジーの“費用対効果”が見えたら電子書籍を読みたい


――ブックスキャンのことは、ご存じでしたか。


橘玲氏: 全然知らなかったです。

――作家の7名の方が、いわゆる自炊業者、スキャン代行業者を訴えたということはご存知ですか。


橘玲氏: 新聞で読みましたが、個人的には、本を買った人が自分の意思で自炊をするなら著者がとやかくいうことはないのでは、と思っているので。自炊した本が大量に出回って著作権者が経済的損害を被っているならともかく、そういう可能性があるからといって読者の権利を著者が制限できるのか、という感じです。

――普段、電子書籍は読まれたりしますか。


橘玲氏: ほとんど読まないですね。紙の本しか読まないです。デバイスは持っているんですけど……。電子機も使いこなせれば違うのかもしれないですけど、ページを折ったり、しおりはさんだり、書き込んだり、赤引いたりっていう、そういう本を読むときの一連の手つきというか、これまで何十年もかけてつくってきた読み方のノウハウが人それぞれあるわけじゃないですか。もちろん技術的には、iPadでもしおりを挟めるし、いろんな注釈も書けるし、あるいはその注釈をみんなでシェアできるというのもわかるんですけど、そういう新しいテクノロジーの“費用対効果”も含めて、もうちょっと様子を見てからでもいいかな、と思っています。

――書籍の電子化についてはどうお考えですか?


橘玲氏: 紙であれ、電子であれ、できるだけ多くの読者に読んでもらいたいと思っているので全くこだわりはないです。といっても、本格的に電子書籍で発売されるのは近刊の『(日本人)』が最初になります。iPad楽天のkoboなど、すべてのデバイスに対応するようです。

日本人は『リンゴ』『アップル』『エポー』の3種類を使い分けなくてはならない


――そうすると、今後は電子化が急速に進むということになるんでしょうか。


橘玲氏: そうかもしれないですけど、アルファベットの電子化と、縦書きの日本語の電子化では、技術的なハードルが全く違いますよね。漢字にルビを振ったり、横書きだと半角数字なのに縦書きだと漢数字や全角数字になったり、簡単そうに見えても技術的にはやっかいなことが日本語にはたくさんあって、それが全部解決できるのかというのは疑問です。縦書きの文に横書きの半角数字が入っているとものすごく違和感があるんですが、だったら古典作品や詩歌などを除いて、日本語も全部横書きにすればいいんじゃないかと思ったりもします。韓国語はすべて横書きになったし、中国語も、台湾(繁体字)は縦書きでも中国(簡体字)は横書きです。日本語も、縦書きにこだわることにどれほど意味があるのかなって。

――それは、読者にとっては大きな変化になりますよね。


橘玲氏: 新聞を読んでいていつも困るのが、外国人の名前などのカタカナ表記です。スティーブ・ジョブズのような有名人ならいいんですが、それほど知られていない人だと、カタカナの人名検索ではウィキペディアにも出てこない。英語のサイトで調べようと思ったらスペルが必要ですが、カタカナから想像するしかない。これはかなりのストレスです。

ナラヤナ・ムルティというインド人がいて、彼はインフォシスという世界的なIT企業の創業者なんですが、それ以前は熱心な左翼活動家でした。若き日のムルティはフランスに渡り、そこで現地の共産主義者や社会主義者たちと、どうしたらインドの貧困をなくせるか夜を徹して議論します。ムルティのたどり着いた結論は、「イズム(主義)だけでは世界は変わらない。レトリックは富を生まない。富を創れず、それを分配できない者が、世界を救うことなどできはしない」というものでした。こうして彼はインドに帰国し、1981年に6人の仲間とベンチャー企業を創業するのですが、そのインタビュー記事を読んでムルティという人物に興味を持っても、インド読みのカタカナ表記からは“Murthy”というスペルは出てきません。英語サイトを検索するにはまず、カタカナ表記からスペルを調べなければならないんですが、だったら新聞や雑誌はすべて横書きにして、人名などはそのまま英語表記で記載して、必要なら読み方をカタカナで補足するようにすればいいんじゃないかと思います。“Narayana Murthy(ナラヤナ・ムルティ)”という感じですね。

あと、もっと困るのは中国人の名前です。「毛沢東(モウタクトウ)」というのは、日本人にしか通じません。中国語では「マオ・ツートン」、英語でもMao Tse-tung(もしくはMao Zedong)です。だから、日本語読みで中国人の人名を覚えていても、海外の人と毛沢東について話すことができません。“鄧小平Deng Xiaoping”も“江沢民Jiang Zemin”も“胡錦濤Hu Jintao”も同じで、中国語読みや英語表記を知らないと、観光ガイドの説明や英字新聞の記事ですらなんのことかわからない。旅行者同士は英語で話しますが、これでは中国についての初歩的な会話すら成立しませんから、日本人は相手にされなくなってしまいます。

もっというと、Appleをアップルと発音しても通じません。カタカナだと「エポー」か「アポー」になるんですが、それなら横書きのまま、“Apple/’æpl”と発音記号を併記したほうがいい。カジノ(カシーノ)とかウォーター(米語ではワラー)とか、カタカナ英語ではまったく通じない言葉はいくらでもあります。カタカナが外国の文化を取り入れる素晴らしい発明なのは間違いありませんが、それがいまではグローバル化の足かせになっているのではないでしょうか。

東南アジアなどの新興国は、大学では英語で授業をするのが当たり前ですから、学生たちはアメリカ人やヨーロッパ人ともふつうに話ができます。それに対して日本人は、Appleという単語に対して「リンゴ」「アップル」「エポー」の3種類を使い分けなくてはならない。これは、日本のカタカナ文化の限界なんじゃないかと思います。

もっともこれは私の個人的な体験からで、中国に行くと、いつも中国人の人名の現地語読みが出てこなくて苦労するんです。中国でMao Tse-tungを知らないと、「こいつバカか?」って顔をされますから(笑)。

『ブログ』は約1200字のメディアなので『単行本』と両立できる


――なるほど、面白いですね。ところで、橘さんは月にどれくらい本を読まれますか。


橘玲氏: 2日に1冊として15冊。だいたい10冊~15冊くらいでしょうか。

――例えば、2冊同時に読破する形ですか。それとも何冊かを同時に読んでいて、合計だいたいそのぐらいになるとか。


橘玲氏: 基本的に1冊読み始めたらそれを最後までっていう、古典的な読み方ですね。

――その中に、行間に何か記したりとかされますか。


橘玲氏: あんまりしないですね。そのかわり、最近は本の感想をブログにアップするようにしています。本を読んで面白い部分があっても、たいていはすぐに忘れちゃうじゃないですか。それを抜き書きするんだったら、自分のブログにアーカイブしたほうが後で検索しやすいと思って始めたんですが、結構読んでくれる人がいるんです。そうすると「ちゃんと書かなきゃ」というモチベーションになって、最近は使えそうな部分にマーカーを引いたりとか、なんかブログのネタを探すという感じですね(笑)。

あと、Twitterはメモというか、備忘録に使っています。すこし前ですが、「スペイン政府が用意した財政支援資金180億ユーロのうち、60億ユーロは宝くじの収益」という記事が新聞に載っていました。宝くじというのは形を変えた税金なんですが、増税が限界に達したスペインは、宝くじで財政再建しようとしているんです(笑)。こういう記事を見つけたときは、その都度Tweetしておけば具体的な数字を後から検索できると思ったんですが、これも結構RTしてもらえて面白いです。

――今書かれているブログですが、『(日本人)』の場合でもそうですけど、補完し合っているというか、読んでいる中でこの文章どこかで読んだ記憶があるな、と思うと、橘さんのブログの方にもその件が書かれていたり、そういう意味では横断的と言いますか、すごくわかりやすいなって思います。


橘玲氏: そういうふうに読んでいただけるのは非常にうれしいです。ブログを始めてまだ2年ほどなんですけど、なんとなくわかったのは、ブログというのは1200字~2000字ぐらいのメディアなんですね。それ以上書いても、長すぎて最後まで読んでもらえない。雑誌でいうコラムなんですが、そうはいってもすべての話題を1200字で説明できるわけはないので、その背景にある理屈というか、考え方は単行本で展開するしかない。「なんでこんな奇妙なことを書いてるんだろう」と不思議に思ったブログの読者が、その理由を知りたくて単行本も読んでくれる。そうなれば、単行本とブログは両立するんじゃないかと、なんとなく考えています。

個人が出版社を通さずに本をだすと全てのリスクも個人にかかる


――WEB関連のプロジェクトをいくつか始められたようですが。


橘玲氏: 7月から、Yahoo!ニュースBUSINESS に記事の配信を始めました。Yahoo!ニュースの配信者を個人に開放するというプロジェクトの一貫で、将来的には、ロイターとかCNNの間に「橘玲」配信の記事が入ってくるかもしれない。新聞などのマスメディアとまったく同じ扱いで、一切検閲なしに好きなことを個人がYahoo!ニュースに配信できるんです。考えてみたらすごいことですよね。

――校正は全くないんですか。


橘玲氏: はい。『○×銀行がつぶれる』と配信したら、それがそのまま載ってしまう(笑)。

――かなり影響力が(笑)。


橘玲氏: トップニュースに入れば何百万PVの可能性もあるわけですから、その配信権を個人が持つということだけでもすごく刺激的な試みです。ただ、これは電子書籍でも同じだと思うんですけど、私のように出版社を通じて本を出したり、雑誌に記事を書いてる人間の感覚だと、リスク管理を最初に考えるんです。新聞や雑誌、単行本もそうなんですが、出版社は著者に原稿を発注して、できあがったものに法的・社会的な問題があると思えば、書き直しを要求したり、掲載や出版を拒否できます。その代わり、名誉棄損などで訴えられた場合は著者と出版社の共同責任になる。

ところがYahoo!は自らを“導管”と位置づけているから、配信記事を事前にチェックする仕組み自体を持っていない。トラブルが起きた時は記事を書いた本人が100%責任取るしかないし、契約上もそうなっています。もっともこれは当然で、好きなことを書いて責任はYahoo!が取ってくれるなら、私だってなにをやり始めるかわからない(笑)。

――そう考えると、今度は書き手のリスクがあまりにも大きくなりませんか?


橘玲氏: 実際には、トラブルが起きれば、筆者個人だけではなくYahoo!もいっしょに訴えられるでしょうけど。個人を訴えたって、賠償金が支払われる保証はないわけですから。

これはすでに判例があって、ロス疑惑の三浦和義氏がアメリカで拘束中に自殺したときに、手錠姿で連行される写真を産経新聞がYahoo!ニュースに配信したんですが、これを遺族が「故人の名誉を毀損した」と訴えて、両社に66万円の賠償が命じられています。このときYahoo!は、ニュース会社から配信される記事をそのまま掲載しただけで、契約上も責任はないと主張したんですが、判決では産経新聞との連帯責任が認められています。Yahoo!ニュースの社会的な影響力を考えれば当然なんでしょうが、契約上はともかくとして、Yahoo!もリスクを負っているわけです。

――たしかに、電子書籍の法的リスクというのはこれまでほとんど考えたことがありませんでした。


橘玲氏: 数年前の第一次電子書籍ブームのとき、印税が8割になると騒がれましたが、ここでも法的リスクについてはほとんど議論されませんでした。出版社で本を出すと印税は10%なのに、電子出版なら出版社も取次も書店も不要だから、決済手数料を引いても80%が著者のものになるという話なんですが、全てのリスクを個人が引き受けなくてはならないと考えると、正直、どこまで有利なのか見当がつかない部分がありますね。何万部もダウンロードしてもらえる大きなビジネスになれば別でしょうが。

これまでは、紙の発注や印刷・製本だけでなく、できあがった本を取次(本の問屋)に卸して全国の書店に配本してもらうという流通の部分が個人ではほとんどできなかったのは確かです。新しいテクノロジーによって、著者がダイレクトに電子書籍を制作・宣伝・販売できるようになったのは大きなイノベーションだと思うんですが、経済的リスク(書籍の制作コスト)が軽減されても法的なリスクは逆に大きくなるかもしれず、そこを慎重に考えないといずれ大きなトラブルが起きるのではないかと思います。

――技術革新が言論の自由を促進させるのかっていうところですよね。


橘玲氏: 個人のブログはプライベートな日記のようなものなので、事実誤認や名誉棄損で抗議されても、謝罪して削除すれば(ふつうは)それ以上の責任を負う必要はないはずです。ところが同じ記事をYahoo!ニュースに配信するとなると、こちらは完全にパブリックじゃないですか。本来、プライベートだったものをパブリックなところに持って行ったときにどうなるのかというのは、これまであまり例がないので、そういう意味では面白い社会実験だと思って参加させてもらいました。いまのところは、出版社から許可をもらって『週刊プレイボーイ』の連載を1週間遅れでアップしていますが、将来的にはもっといろいろなことを試してみたいと思っています。

個人ブログを中心にYahoo!ニュースの著者ポータルなどと連携して読者が循環する仕組みができたら良い


――それ以外には、どんなプロジェクトがあるんですか?


橘玲氏: 今月の20日から、ダイヤモンド社のZAi Onlineと共同で『海外投資の歩き方』という企画・編集ページを始めました。これは私が記事を書くだけでなく、それぞれの国で日本語メディアをつくっている人たちに協力してもらって、社会や文化も含め、現地の事情を伝えていこうという企画です。

――面白そうですね。どんなきっかけで始まったんですか?


橘玲氏: ベトナムに『Sketch』という日本語メディアがあって、その社長をしている中安昭人さんと以前から知り合いだったんです。中安さんは日本の編集プロダクションで働いていたんですが、ベトナムの女性と結婚したのをきっかけに15年くらい前にホーチミンに移って、奥さんの実家で暮らしながら現地で日本語のフリーペーパーの編集制作をするようになったんです。最初はミニコミみたいな雑誌だったんですが、ベトナムの経済発展や観光ブームの追い風を受けて、今では毎号200ページ、月刊2万5000部を発行するまでになっています。

その中安さんがすごく面倒見のいい人で、仕事の傍ら、海外で日本語メディアを制作している人たちのネットワークをつくったんです。それが「海外日本語メディアネットワーク」で、アジア・太平洋地域を中心に40社くらいが参加して、東京のブックフェアにも毎年出店しています。海外の日本語メディアというのはあまり知られていないので、中安さんといつもなにかできないかと話をしていたんですが、今回、ダイヤモンド社から話があったので、海外情報のページをいっしょにつくることになったんです。

――具体的にはどういう内容なんですか?


橘玲氏: 日本語のフリーペーパーをつくっている人たちと話をしてわかったんですが、せっかく面白い記事や特集があっても、バックナンバーを置いておくところがないから、次の号が出ると誰にも読まれなくなってしまう。ものすごくもったいないことに、大量の現地情報が死蔵されてるんですね。そうした情報を私たちのサイトで再活性化してもらおうというのが基本コンセプトです。

たとえば、バンコク発のビジネス・生活情報誌『DACO(ダコ)』は海外の日本語メディアとしては最大手のひとつですが、タイ人の経理部長ブンさん(女性)が日本人の素朴な質問に答える人気企画「ブンに訊け!」を編集長の沼館幹夫さんが連載してくれます。第1回は、日本人がタイ人の名義を借りてコンドミニアムを買っても大丈夫か? という話です。

ベトナムの中安さんは、「ベトナム路地裏経済学」のタイトルで、日本人がベトナムでビジネスをするときに出会うさまざまな疑問を実体験から解説してくれます。

カンボジアから寄稿してくれる木村文さんは、朝日新聞記者を辞めてプノンペンでフリージャーナリストになったという変わった人です。現地発行のフリーペーパー『ニョニュム』の編集長をしていたこともあり、カンボジア人のスタッフと仕事をするときの難しさを書いてくれました。

ラオスの森卓さんは元バックパッカーで、独力でMacの使い方を学んで、ビエンチャンで『テイスト・オブ・ラオス』という日本語メディアを発行しています。最初の記事はラオスの中流家庭の家計簿で、夫婦と子ども2人、母親と同居の自営業(自宅兼店舗)で、収入が月5万5000円、支出が4万7000円だそうです。

最初はタイ、ベトナム、カンボジア、ラオスの4カ国で始めて、好評ならほかの国にも拡げていこうという計画です。

それ以外にも、新興国投資の現地調査の経験が豊富な木村昭二さんにも協力してもらって、モンゴル、パプア・ニューギニア、アフリカ、中東、中南米など、一般にはあまり知られていないディープなエマージング投資の世界を紹介してもらう予定です。ほかにも、面白そうなことならいろいろやってみたいと考えています。

――Yahoo!ニュースの配信とも連動させるんですか?


橘玲氏: 基本的な考え方は、せっかく書いたんだから、媒体を選ばずできるだけ多くの人に読んでもらいたい、ということです。週刊プレイボーイの連載コラムを、出版社の許諾を得て、個人のBLOGだけでなくYahoo! ニュースBUSINESSやZai ONLINEに転載しているのもそのためです。将来的には、個人のブログを中心にして、Yahoo!ニュースの著者ポータルや Amazon.comの著者セントラル 、Zai ONLINEの「海外投資の歩き方」などがゆるやかにつながって、読者が循環してくれるようなったらいいかな、と考えています。まだ始まったばかりで、どうなるかわかりませんが。

『単行本』で展開される世界は『WEB』で得られる断片的な情報とは別もの


――日本の出版業界については、今後どのようになるとお考えですか。良い悪いは別にして、電子書籍は現状を活性化するんでしょうか。


橘玲氏: 日本の出版ビジネスがこのままやっていけるのか、というのはみんなが不安に感じていますが、私は単行本については楽観的です。紙の形であれ、電子書籍であれ、WEBで得られる断片的な情報と、単行本一冊で展開される世界はまったく別のものなので。ただ、情報誌はWEBと競合してしまうので、有料で雑誌を買っていた読者が無料のWEBに流れるのは仕方がないと思います。グルメ情報にしても、専門家よりも食べログの評価を参考にする人の方が多いですし……。

出版社の収益はこれまで書籍の売上げと雑誌広告が2本の柱だったんですけど、どこも雑誌広告がかなり厳しくなってきています。書籍についても、日本の場合には再販制で販売価格が固定されているのと、取次(問屋)が金融機能を兼ねる古い流通構造の2つの大きな問題があります。

再販制で値引き販売ができないことで、BOOKOFFのような新古本の全国的チェーンという、海外ではあり得ないビジネスが成立してしまいます。Amazonでは新刊と中古品を併売していますが、中古品の価格にかかわらず新刊の販売価格を下げられないので、価格差が一定以上広がると誰も新刊を買わなくなってしまう、という現象も深刻です。そのため出版社は新書や書下ろしの文庫によって本の定価を下げて対抗していますが、これではマーケットは縮小するばかりで本末転倒です。価格の変動によって受給を調整するのが市場のもっとも重要な機能ですが、再販制で自らその機能がはたらかないようにしているのですから、あちこちで不都合なことが起きるのは当然です。

取次が出版社に本の販売代金を立替え払いしているのも問題です。取次の大株主になっている社歴の古い出版社は、売れる売れないにかかわらず取次に本を搬入すればとりあえずお金が入ってくるので、資金繰りが苦しくなると出版点数を増やそうとします。90年の新刊点数は約4万点でしたが、その後、市場規模が3割も縮小しているのに出版点数がどんどん増えて、いまや年間8万点を超え、返品率が40%近くまで上がってしまいました。本が売れないと資金繰りが苦しくなって、さらに出版点数を増やそうとする完全な悪循環です。

書籍の販売部数はロングテールなのでコレクター向けの本は1万円でも売れる


――そうした苦境を、電子書籍が変えられるんでしょうか?


橘玲氏: 私は、電子書籍が出版市場を大きく拡大するという見方には懐疑的です。もちろんある程度の相乗効果はあるでしょうが、だからといって落ち込んだ雑誌広告に匹敵するかというと、相当難しいんじゃないでしょうか。ただ、書籍や雑誌の高い返品率を考えると、紙から電子へという流れは不可避だと思います。

これは出版業界ではある種のタブーなのかもしれませんけど、返品された書籍は倉庫に保管されるんですが、書店からの注文で再出庫できるのはごく一部で、ほとんどはそのまま断裁・廃棄されていきます。雑誌の返品率も35%を超えているんですが、これはそのまま廃棄処分です。一部は再生紙になるんでしょうが、ファッション誌などで使う高級紙はリサイクルがきかないのでそのまま焼却するしかない。さらに問題なのは一時期大流行した付録付きの雑誌で、これは返品されると産業廃棄物として処分するしかありません。皮肉な話ですが、エコロジーを訴える本や雑誌が森林資源を破壊しているともいえるわけです。

こういう言い方をすると怒られるかもしれませんが、書籍の販売部数は典型的なロングテールなので、テールに位置する少部数の本をわざわざ紙に印刷する意味はないんです。とりわけ今の書籍流通の構造を考えると、書店の店頭にすら並ばずに返品されていく本がたくさんある。だとしたら、そういう本こそ電子書籍にして、ニッチな読者に確実に届くようにしたほうがいいと思います。コレクター向けの本とか、専門性の高い内容なら、1万円出しても買いたいという人だっているでしょうし。

――分母は少ないけれども、ある一定数以上に確実に需要がある。大学の授業で教授が書いた本を買わされるとか、まさしくそうですよね。


橘玲氏: それこそ紙にする必要なんて全然ないですよね。授業にiPadを持って行って、必要なところだけプリントアウトすればいいだけの話です。

あともう一つ、これはもっと言いにくいんですが(笑)、日本の出版社って、著者印税は刷り部数に対して10%と、ほぼ横並びじゃないですか。そうすると、ほとんどの売れない本が赤字で、それをごく一部のベストセラーで一発逆転するというギャンブルみないなビジネスモデルになるしかない。だったら著者と出版社の利益分配の仕方をもうすこし工夫して、たとえば売れた分だけ支払う実売印税制にして、その代わり部数が増えれば印税率も高くなるような設計にした方がお互いにメリットが大きいと思うんですが、そういうinnovativeな提案は残念ながらほとんどないですね(笑)。日本でも翻訳本は、出版契約の時点でアドバンス(前払い)を払って、部数によって印税率をスライドさせているわけだから、それと同じことをすればいいだけだと思うんですが……。

今後の出版社のミッションはネット上の情報から意味のあるものをつくり上げること


――そうした状況で、電子書籍というツールが何か手助けをするというか、作家によってはそれによって有利になったりっていうのはあるんでしょうか。


橘玲氏: 逆にお聞きしたいんですけど、アメリカでも著者のセルフパブリッシングが成功する例は少ないんじゃないですか。著者が原稿を書いて出版社が本をつくるという形なら、紙も電子書籍もそんなに変わらないと思うんですが。

――実は私もそう思っています。出版社には、本の制作や流通だけでなく、著作権を保護する、言論の自由を守る、新人を育てるという役割もありますよね。


橘玲氏: たしかにそうですね。本のクオリティ管理にしても、著者が自分で編集者や校正者、デザイナーを雇って完成度の高い本をつくるというのは、あまり現実的ではないような……。熱心な読者向けの特別バージョンをネットで売ってみるとか、マンガの原画を著者のサイトで販売するとか、そういう可能性ならいろいろあると思いますけど、セルフパブリッシングが出版のメインストリームになるというのは今の段階ではちょっと考えづらいですね。

――出版しやすくなればなるほど、出版社の役割って逆に大きくなるかもしれないですね。


橘玲氏: 今ではネット上に膨大な情報が流れているわけですが、だからこそそこから意味のあるものをつくり上げる編集者の仕事は残ると思います。

出版業界でよく言われるのが、「読者の数は最大100万人」ということなんです。日本の人口は1億人なのに、実は本を読む人は100人に1人くらいしかいない。もちろんみんな興味のあるテーマが違いますから、それぞれのジャンルで考えたら読者の上限なんて10万人くらいなんですよ。そう考えると、ある種の社会現象にならなければ数十万部なんて部数は出てこない。そんな“満塁ホームラン”を狙うのもいいけれど、著者も出版社も、これからは本を読む限られた人にいかに適格にアプローチするのかを考えなきゃいけないんだと思います。もちろん、ふだんは本を読まないけれど評判になっているから買ってみようという人たちがまわりにいるわけですが、読者の中核は50万人とか100万人のすごく小さなマーケットで、そこに年間8万冊も新刊を投入するから苦しくなるのは当たり前ですね。

――電子書籍に望むものってありますか。現状は板ですが、例えばこれが本当の紙のようにめくれるものだったら読むかな、とか。


橘玲氏: イノベーションはいずれ起こってくると思うんですけど、今の電子書籍だったらプラスαとしては使うかもしれないけど、日常的には紙でいいかな、という感じです。実用的な使い方としては、海外旅行にガイドブックを5冊も6冊も持って行けないので、必要なところだけiPadにスキャンしていくとか。これもいずれは、ガイドブック自体が電子化されてGoogle Mapなどと連動するようになるんでしょうが。

日経新聞の電子版が好調のようですが、これはマーケット関係者が他人よりも少しでも早く情報を得たいからでしょうね。速報性というニーズでは、電子媒体の方が有利になりますから。

――正確性より速報性。


橘玲氏: 紙と同じことしかできないんなら、紙でいいわけです。リクルートの情報誌がほとんどWEBに移行したのは、WEBには“検索”という紙にはできないアドバンテージがあったからですよね。

――それぞれ特性を活かすってことですね。


橘玲氏: 情報誌的なものはネットが代替するとしても、小説は単行本や文庫で読みたいという人も多いと思うし、好きな作家の本は値段が高くても上製本を買うという熱心なファンもいるでしょう。そのなかで電子書籍の位置づけというのは、やはり紙にはないなんらかのエッジがある領域に限定されるのかな、と思います。あくまでも当面は、ということですけど。

作家というよりは『橘玲』を編集する感覚で本をつくっている


――作家の方にお聞きしているんですけど、本を書かれるときにはどんなふうに発想するんですか。


橘玲氏: 私の場合は、自分のことを「作家」ではなく「編集者」だと思ってるので、たぶんほかの作家の方とは考え方がちがうんじゃないかと思います。こういう言い方は変かもしれませんが、「橘玲」という架空の著者を編集しているという感覚なんです。だから自分が作家といわれるのはけっこう違和感があって、「橘玲」というヴァーチャルな作家を使って自分が面白いと思う本をつくってみよう、というのが基本の発想なんです(笑)。それが場合によっては小説になり、実用書になり、新書になったり……。あるいは、「橘玲」というブランドをYahoo!ニュースに登場させたり、Zai ONLINEの中に企画・編集ページを持たせたらどうなるんだろう、という一種の実験なんです。

――橘玲っていうブランドがあって、そのブランドはさまざまな性格があるっていうことですよね。


橘玲氏: ファッションモデルにいろんな服を着せてみたら面白い、というのと同じかもしれないですね(笑)。

――本日はいろいろな話をお聞きして、予定時間を大幅にオーバーしてしまいまして、すみませんでした。また、お時間頂きましてありがとうございました。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 橘玲

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