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世界中の本好きのために

武田邦彦

Profile

1943年6月3日、東京都生まれ。1966年、東京大学教養学部基礎科学科卒業後、旭化成工業(株)に入社、1986年、同社ウラン濃縮研究所長、1993年、芝浦工業大学工学部教授を経て、2002年より名古屋大学大学院教授、2007年より現職(専門分野:資源材料工学)。多摩美術大学非常勤講師。文部科学省中央教育審議会、科学技術審議会、内閣府原子力安全委員会の専門委員。環境に関する著作が高等学校現代国語の教科書に収録されている。最近では、「ホンマでっか!?TV」をはじめ、テレビ番組にも出演。これまでの「環境問題の常識」に警鐘を鳴らす。

Book Information

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――現在の取り組みについてお伺いした中で気になったのが、「共産党のもとで植物を育てると生育が早い」ということでしたが、それはどういったことですか。

武田邦彦氏: それは、ルイセンコ学派のことですね。昔、スターリンの時代に、ルイセンコという人がいたんですよ。その人がそういう事を主張して、その当時のロシアの農業政策はそれに基づいていたんですね。「共産主義のもとに植物を育てれば、常に病気もなく、ちゃんと育つ」と。
つまり政府の言ったこと通りのことを、科学者が言うという事態が発生したんです。今の日本の温暖化みたいなものですよ。御用学者。温暖化すると放送している御用マスコミ、みんな同じ、ルイセンコ学派ですね。

――よく言われる温暖化というのは、どういったものでしょうか。


武田邦彦氏: 今、太陽が一番盛んな時期ですから。これからだんだん低下してきますけど。僕の子供のころよりは暑くなった。それは太陽に文句言ってくれ、ということですね。少なくとも、今暑いのは太陽だ、ということなんですね。

――もう1つの取り組みとして燃えないプラスチックをつくる、世の中から火災をなくすということですが、火災というのは人為的ミスから起こるものではないですか。


武田邦彦氏: いえいえ、そうじゃないですよ。火災というのは燃えるものがあるからですよ。こういった繊維とか本とかみんな燃えなくなれば火災はなくなりますよね。そういう研究ですね。身の回りにあるものが全部燃えなきゃ、火も点きもしないということですね。

――原発、震災に関連して、今震災を受けた子どもたちにどういったものが一番必要だと思いますか。


武田邦彦氏: 今一番求められているのは、子どもたちに被爆させないこと。今メディアも政府も共同作戦で子どもたちに多く被爆させようと思って一生懸命だけど、やっぱり被爆させない方に一生懸命やらなきゃいけないんじゃないかというのが一番大きいんじゃないでしょうかね。

なぜって言われると困るけど、あなたも含めて、例えば原発の電気はもらいますよね。だけど原発から出てくる廃棄物は受け取らない。じゃ、その廃棄物どうするんですか? 子どもに任せる。こういう風にみんながそう言っているわけですから。大人が全部そう言ってやっているんですよ。

「年金はどうするの?」「国債はどうするの?」。これも、全部子どもたちに任せるよと。「被爆は?」。これも、全部子どもたちに被爆させるわけです。

統一性はあるんですよ。大人は少しでも得をすると。全て子どもに任せると。だから被爆の子どもたちが増えてしまう。こういう風になりますね。
だってあなた自身、今までの10年間ずっとそういう判断してきたわけですよ。子供を大切にするって言うのは建前で、全然建前通りにはなっていないわけですよ。

――武田さんは、『本というのはあくまでただのパッケージであって古い考えだよ』と仰っていましたが、本を電子化するにあたり、本を裁断することが嫌だなと思われたりしますか。


武田邦彦氏: いや、全然思いません(笑)。

――電子書籍は今後、本としてのパッケージはどういう形状になってくると思いますか。




武田邦彦氏: 人間というのは、朝はパンを食べていたとか、昼間はごはんを食べていたとか、そういう慣性力がある。本というのは無くなると思いますけど、ただ無くなるのに時間がかかる。一般的な普及という点じゃ500年くらい使ってきたわけですよ。500年もやってきたから、すぐには止まらないというだけですよ。

人間の多くはですね、単に朝起きたら、歯を磨いて顔洗って、電車に乗って仕事して、酒飲んで寝ているだけで、別にその間に考えているわけじゃないんですよ。言ってみれば人間じゃないんですよ、人間の形をしているだけで。過激な言葉であえて言うと、僕は『脳死した人』って言ってるんですけど、みんな脳死しているんですよ。

脳死している理由はいっぱいありますね。別に脳死していても収入があり、お金があり、生活ができるから。そんなことじゃないでしょうかね。特に日本人の場合は脳死している人が多いわけですね。

――武田さんはなぜそうならなかったのですか。


武田邦彦氏: 僕? たまたま脳死しなかったからじゃないでしょうか(笑)。僕が難しいことをやっているんじゃないんです。他の人が難しいことをやってるわけです。人間でありながら死んでいるんです。

ペットボトルのリサイクルなんて何かに使えると思う方がおかしくて、なんでリサイクルしたものを使えると思っているかというと、誰かが言ったからっていうだけです。言ったからそれについて何も考えずにただリサイクルできると言っている、それだけですからね。

誰かが先に言えばいいんですよ、NHKが放送すれば、それで終わり。後は誰も考えない。それは日本人だけですよ。

例えば「節電」という言葉があります。でも、節電というのは日本だけですからね。
この前シカゴ大学の教授の夫人のアメリカ人の奥さんが来たのですが、「節電という言葉を知っていますか?」と聞いたらもちろん知らない。「こういうことなんですよ」と説明したら、「ああそうですか、何のために節電しなきゃいけないんですか?」と言うんですよ。
お金があれば、電気作っていればいいんですからね。

「何のために節電しないといけないんですか?」って日本人に言うと、日本人は答えられないんですよ。「みんながそう言っているから」と答えてしまう。みんながそう言っているからってことは、その人は人間ではないってことですよね。だって、何も頭がない。

節電を何のためにみんながしているのか、僕はわからないですけどね。「あなた方は電気を作る役割なんだから電気作れ。なに節電なんか言ってるんだ。俺は明るい生活を送りたいんだ」と言えば終わりですよ。

だって独占企業だから、供給責任ありますからね。責務として供給しろと言ってるだけのことですよ。こっちに、お客さんに節電を求めるなんて、そんな失礼なことないじゃないですか。独占じゃなかったらいいですが。そしたら他の会社が供給してくれますからね。

――本はだんだん無くなってくるという話だったと思うんですけれど、もし形状が変わるとしたらどんな風になると思いますか。


武田邦彦氏: 僕もう、今は本というのは無いと思うんですよ。ただ今までの成り行きとして残っているだけ。ただ人間社会だから、無くなったものも少しは残ってはいますよね。だからある方々は別媒体から情報を得ますし、一方で本から情報を得たい、読みたいと思っている方々もいますよね。

――出版社のこれからについてはどう思われますか。


武田邦彦氏: 出版社が生き残るために本があるわけじゃないし、情報があるわけじゃないですね。新聞が生き残るためにはどうするか、なんていう話があるんですよ、インターネット時代に。新聞社はもともと情報提供業だから、最も優れた形で情報を提供すれば残るわけですよ。

新聞社というのは新聞のためにあるんですかね? 時々、新聞購読者をだまして新聞を存続させようとしている人もいるわけですよ。新聞を存続させるために新聞をやるんだと。
新聞というのは元々、昔放送がなかったときに、瓦版じゃないけど、紙に印刷するしかないから印刷して皆さんに情報を知らせた。そういうことでしょ?
今は多分新聞というのは『社会悪』なんでしょうね。だから社会悪は早くやめたほうがいいんじゃないですかね。

出版社が生き残る道なんていう言い方はね、全く意味がない。本や新聞を読む人のことを全く考えていない。NHKを潰さないようにするようなものですよ。今NHKなんか無くたって何にも困らないんだけど、何十年か前に作っちゃったから、従業員が何万人もいるから、みんなの不便を押し切ってNHKを残そうとしているというのと一緒ですからね。あまり健全な考えではないと。

だいたいの場合は、政治家のため、官僚の天下りのため、企業のためであって。やっぱり社会というのは国民のためにあるべきじゃないですかね。
出版社は本がもし売れなくなるとしたら、本が売れないということは本がつまらないということですから、まとまった考えのものをどういう形で供給するかということは、出版社が考えることでしょうね、当然。

著作権の問題はその典型で、著作権がどんどん厳しくなるわけですよ。なぜ厳しくなるかというと、著作権の重要性を主張する人が発信しているからですよ、出版社とかテレビ局とか。裁判官は声の大きい方だけを取るから、著作権は無限に厳しくなっていくわけですね。それと同じですね。

――それでは本との関わりについてお伺いさせていただきます。どんな本を読んでいましたかという質問に対して、小説から哲学から読まれていたということですけれど、何冊ぐらい読まれたかなど数えたりしますか。




武田邦彦氏: いや、数えてないですけどね。

――本を読むのも1冊10分くらいで読まれるんですか。


武田邦彦氏: こういう風に言うべきでしょうね。私の頭脳は10の13乗ビットらしいんですけれど、それが「10の16乗ビットくらいまでは本を読みました」とかそう言い方だったら現代的な言い方になるのかな、と思います。情報量のことをおっしゃっているのだとすれば。

ある図書館の情報量というのは10の16乗ビットあるらしいんだけど、そのうちのどのくらいの割合を自分が読んだという風に自分で認識しているかという問題ですよね。
そういう意味じゃ、3桁くらいかな。図書館にある5分の1から6分の1くらいは読んだかなという感じですかね。

その本を読むのに10分というのは、何でそうなるかというと、結局本っていうのは何の目的で読むかということですよ。本というものが存在するのは、そこで書いた著者の何を読むかということですね。例えばノウハウ本だったら字しか読まない、すごく高級な本だと行間だけを読むとか、概念を読むとかありますね。

だから本を読むということは何のために読んでいるかというと、傾向として、自分で事実を組み立てていかない人は、本を読むというということが大切なんです。もしくは、人の思想を自分の概念を作る上での構築の材料としない、つまり「まるまる受け取る」という人は本は大切ですけれども、本というのは自分で概念を作るための1つの方法であるから、断片的な情報は大切で、総合的な情報はもちろんあってもいいんだけれど、それほど重要じゃないわけですよね。

本の問題点というのは、みんなが考えなければ考えないほど売れるんですよ、一般的に。僕の本もそうですよ、考え方から全部書いてあるわけですよ。考えというのもは本当は読者が作ればいいんだけれど、できないもんだから懇切丁寧に一から十まで書いてあります。

もちろん貴重な本というのはあるんですよ。僕だって切り刻みたくない本はあることはあるんですけれど、それが何冊あるのかということになると、生涯で10冊とか20冊くらいあるかもしれないけど、他は情報や概念の提供物ですからね。

テレビを見ていたら、テレビは流れて消えていっちゃうじゃないですか。ならば、テレビは見る意味がないのかというと、テレビで放送されたことが自分の頭の中に入って、ある自分の考えとか構築するからテレビを観る。でも、そうすると、保存するというのは意味がないことですよ。したい人はしてもいいですけれどね。

ゼロックス(コピー)だと捨てていいけれど、本だと取っておかないといけないとかね。
僕は大学で全て本は資料代として経費で買うわけですよ。資料代で買うと大学は文句を言うわけですよ。「先生、本は資料じゃない」と。買うとすぐ裁断してバラバラになっちゃうんですが、「綴じてあるのと綴じていないのとどういう差があるんですか」と聞くわけですよ。そうすると、そういうことはもちろん頭に入っていないから、「そう言われると、切っちゃうと資料になる気もしますが、本は昔から書籍として購入することになっております」「そうですか、今から50年も前くらいだと多分パソコンのない時代だからそうかもしれませんが、ずいぶん古い規則を使っていますね」と言い返してしまいます。

――読書に関しても、自分の必要な情報を取った時点で読んでいるということになりますか。


武田邦彦氏: そうですね。読んでいて、断片的に情報を取っているうちに、「この人の概念は今まで自分が会った概念ではないな」と思ったときには通して読みますね。それは全部読むことになるでしょうね。

1つの会話、例えば非常に尊敬する人と会って話をするとき、全部録音しておかないとならないかというとそうではない。じゃあなんで自分の尊敬する人と会うのか? それは自分の頭の中に自分の必要な知識なり概念なりを作るために、情報の取得の手段とするんです。
例えば自分の尊敬する偉い人から話を30分聞いたと、それが自分の人生で最もいい情報だったとしますね。それを録音しておかないでその他の本を取っておいたってしょうがないですよね。そういうことですよね。

本もそういうことですからね。その手段としては比較的まとまっているとか、それから傾向がありますよね。本当かどうかわからないけれど、インターネットのブログと本とは毎回必ず本の方が情報ベースが深いかどうかも微妙ですよ。それはその人の捉え方によりますよね。

――武田さんは書籍を裁断、スキャンとされていらっしゃいますか。


武田邦彦氏: そうそう、自分でやりますね。簡単ですから。バッと切ってピッと入れれば、2分もたったら全部ハードディスクに入っているわけですからね。あとは読むだけです。

――難しくないですか。


武田邦彦氏: 簡単ですよ(笑)。そんなのは十何年もやっていますからね。実際、僕の実働時間は1分かからないですよね。あとは機械が動いている時間はあるけど、それは関係ないですから。
僕の教授室には、昔は山みたいに本がありましたけれど、撮影する時に後ろに本を置いてくれと言われたので、しょうがないから撮影用として本があるだけ。テレビのスタジオと一緒ですよ、背景としてあるだけなんです(笑)。背景ぐらいには役立ちますけれどね。
著作権を守るため、社会的悪にならないためには、そのスキャンしたファイルを他の人に見せず、ファイルあげなければいいだけです。自分だけで楽しんで利用するには何の問題もないですからね。

――実際に読む場合、パソコンで読まれるんですか。


武田邦彦氏: このまま読みます。本はだいたい縦型なのにパソコンは横型だから、横に90度回転させて読まなくちゃいけないというのが若干難しい。だけれど重たい本を持ち歩かないことを考えれば楽なものです。

パソコンの中に、無限に本があるようなものでしょ。だから、人に本を読ませまいとして出版社が意地悪しているのは誠に問題ですよ。そんなのはギャラがあるんだから、ギャラをどんどん出せばいいんだよ。
ギャラを出すとどうなるかというと、出版社の給料が少なくなるから、無理やり紙に印刷して重たい本を売っているわけでしょ? それをまたスキャンするのは、実に無駄なことですよね。
紙で読みたい人もいると思うから紙で売ってもいいけど、今は誰が考えたって電子の方がいいのに、わざわざ紙にしなくてもいいじゃないかと思うんですけれどね、一種の意地悪なんでしょうね。自分達だけが生き残るために。

――本屋に置いてある本は変化していますか。


武田邦彦氏: ある意味では本は全部無くなったと思っていますよ。今は書店の9割はノウハウ本ですよ。NHKとか本屋はみんな一緒なのかな? 要するに僕がいつも言っている「日本民族総家畜化政策」。何も考えさせないで、「書いてある通りやりなさい」、「放送した通り考えなさい」と進めていくと、今度は売り手の方がだんだん家畜化されてしまいます。そして、「とにかく全部一から十まで書いてください」という流れになるわけですね。

――どうしてそんな政策があるのでしょう。


武田邦彦氏: 儲かるからじゃないでしょうか。「だました方が儲かる」ということですね。人をだまして儲けるんです。やっぱり島国で、今までは割合と殿様が偉かったから、殿様のことを信じていればいいという風な民族だった。それは大変にいいことなんですけれどね。異民族が来るわけでもない、奴隷になるわけでもないから自分の頭を働かさなくていいと。農耕民族というのはもともとそうなんですよね。

一方、狩猟民族というのは、キツネなどの獲物がどう動くかということを常に考えないといけないのですが、農耕民族は稲だから定期的に植えていればいい。四面が海で天皇陛下がいて、いい殿様がいて何も考えなくてよかったんです。
中国は農耕民族だけど、地続きの大陸なので敵がいつも来るから心配しなくてはいけない。また、ヨーロッパは狩猟民族だからいつも考えている。
ということで日本だけが取り残されたと、こういうことでしょうね。安心社会のなかに。

――安心社会、いうのは家畜社会ということですか。


武田邦彦氏: 家畜社会。みんな全く意味のない人生を送っていると思うんですよね。毎日毎日同じことを繰り返している。

例えば学生が「自分には取り柄がない」と言うんですよ。「小学校からずっとあなたの取り柄はとか、あなたの長所は短所はと聞かれてきた、だけど自分には取り柄がないんですよ」と言うから、僕は人生これまで生きて、取り柄のある人なんていうのは100人に1人くらいしかいないと思う。「あなたの言う取り柄って何? 他の人より優れていることを取り柄って言うの? それとも絶対的な基準をいってるの?」って言ったら、人よりも優れていることを取り柄って言うらしいんですよ。
「世の中の人はだいたい取り柄がないんだけど、何か取り柄が必要なの?」って言ったら、「人生には取り柄が必要」だというから、「いや人生は生きているだけでいいんだよ。取り柄なんていらないんだ」と。こういう錯覚があるんですよ。それから取り柄なんかあるのかどうかもよく考えない。

イチローは、取り柄があるんでしょうね。イチローはうんと打率が高いから、大リーグに行けたわけでしょ? ダルビッシュみたいにあんな速い球投げる奴がいるから、みんな困るわけで。みんなが遅ければ、みんながピッチャーになれるるんだけれども。そんな感じでしょ。

僕はやっぱり、みんなが楽しく人間らしく過ごせた方がいいと思いますよ。その方が楽しいし、みんなもう今は追いまくられちゃってね、ただただ馬車馬のように人参ぶら下げられて走るだけという風になっているから、ちょっとまずいんじゃないかと思いますけどね。

――人々の意識としては、何から変えていくべきだと思いますか。


武田邦彦氏: もともとこういう風になったのが特殊なんですよ。例えば江戸時代の方がお金なんかないのに、ずっと遊んでいるわけですよね。それは何かっていったら、頭のいいやつ、NHK、東大の教授が一番よくないんだけど、頭がいいからいかにして自分がサボって人にやらせるかと、こういうことを考えたあげく全部がそれにひっかかっちゃったということでしょうね。

だから、教育を良くすることが一番大切だと思いますけれどね。
国力というのは個人の力の集積が国力にならなきゃいけないんですけど。国のためにっていうのではなくて、個人個人が強くなれば、イチローになれば、日本は良くなると。

――昨年は1年に18冊の本を出されています。そういった引き出しはどのようにつくられるのですか。


武田邦彦氏: 知識というのは2通りあるんです。一番わかりやすいのは英語を喋ろうとするとします。「私は犬だ」と言うとすると、辞書を引いたらアイアムアドッグと言えるのか、辞書を見ないでアイアムアドッグと言えるかっていう差があるわけですよ。
普通の人は辞書を引くことができればもういいと思っているわけですよ。僕はアイアムアドッグと空で言えなければいけないと思っているわけですよ。それが知識だと思っているんです。ですから自分に知識を付けるため、つまり常にどこででも出る。
例えば僕は、やしきたかじんさんの番組に出ていたんですけれど、あの番組でテーマを、今日何を聞かれるかを聞かないんですよ。今日行ったら環境のことなのか、エネルギーのことなのか、文部科学大臣になってくれというのか。そういう時があるんですよ、番組で。それを聞かないで行くんですよ。
何で聞かないで行くかというと、自分の言うべきことというのは調べちゃいけないんですよね。自分の知識を話さなくちゃいけないからね。そのためには自分の物になっている必要があるんですよ。自分の物になっていれば常に引き出せるんですよ。
だからその状態にするためにはどうしたらいいかというと、書いて喋ってそれで自分の頭に何回か入れて、そして出せるまでになっておく。
喋れるようにしておけば、あたかも人から見ると引き出しが多いように見えるということです。

基本的には本というのは、構成は3日間くらいで出来る。でも、僕の書き方は、「わからない」というところがあるでしょ。調べなきゃわからない。そこはダミーを入れておくんですよ。ダーッと原稿だけ先に書いていって、後でそこだけ調べる。

『ホンマでっか!?TV』でフジテレビが困っているのは、パッと物事を言える人がいないこと。本当に、そういう人がすごい少ないんですよ。あのテレビの収録現場というのは、それがいるんですよ。それは記憶力ではなくて、知識に対する考え方だけなんです。だから僕はブログを書き、喋り、頭に入れておく。
僕は大学の講義に全然何も持っていかないんですよ。僕の担当は物理なんですけど、自分の頭に入っているもの以外は、学生に教えないという基本政策をとっています。

本は見ず、ただこうやって黒板にすらすらと書いていくだけですよ。学生によっては「えーっ!この先生偉いな」って。でも、別に偉くない。これが、僕のやり方なんですよ。だって自分の覚えていること以外のことを教えるというのは変な話だから。でも時々間違えるんですよ、そうしたら「いやちょっとここ、この前間違えてた」って直せばいいだけのことですからね。

人というのは、知識というのは、そういうのはあるべきだと思うんですよね。それは別に記憶力とかそういうのではないんですよ。「いやあ、武田さん記憶力いいですね」と言われますけど、普段から英語と同じように喋れるようになっていないといけないんです。

一番いいのは書くことですね。書くとやっぱり覚えるというかね、書いて喋って10回くらいやっているうちにできるようになりますからね。

――お仕事はされている場所は普段から選ばれないですか。固定の仕事場みたいなのはありますか。


武田邦彦氏: 全然。どこでも、こういう所でもいいんです。固定の仕事場もないですし、研究室もありません。

――1日どれくらい寝られるんですか。


武田邦彦氏: 普通に毎日7時間ちゃんと寝ています。寝るっていうのは難しくてね、あなたが言っているのは意識がない状態? それとも横になっている時間(笑)? 僕が「寝る」と言っているのは、横になっている時間なんです。だって横になっていれば疲労を回復するのであって、別に意識を失わなくたっていいんです。関係ないんですよ、基礎代謝に戻せば。肝臓の浄化能力と、体の中に運動によって蓄積する老廃物との関係だから、横になっていればいいんですよ。ただ目を動かすと、視神経に入ると、動物特有なんですけれど、休養できないんですよ。だから僕は「どのくらい寝ていますか?」と言われると難しいんですよ。「あなたが睡眠時間と言っているのは意識を失っている時間?」と聞くと、「意識失っていると言われると困るんだけれど睡眠です」と言うか、「意識失っている時間だったらよくわからないんだけれど4、5時間じゃないかな」と。だから不眠症なんてないんですよ。不眠症って意識を失う時間を気にしているんですよ。

――仕事におけるプロフェッショナルの方というのはどういうことができる人だと思いますか。




武田邦彦氏: 「倫理を守る人」なんですよね。プロというのは専門に対して誠実であるということが大切なんですね。医者は患者さんを治すのに忠実であり、学者はもちろん御用学者じゃなくて自分の学問に忠実である。出版社は情報を供給するのに忠実であって、まさか売り上げを上げたいと思っているんじゃないでしょうねと。

タクシーの運転手は、客に言われたら最短コースを一番安く安全に運ぶというのがプロであって、遠回りするのはプロじゃない。タクシーの運転手の顔をしているだけ。
プロはそこが一番の要件でしょうね。うまい下手よりかはプロの守るべきことを守れる人だと思いますけれどね。

それは何に忠実かというと、雇われ主に忠実なんではなくて、自分の職務に忠実だということですね。それがプロである、というように思いますけれどね。
さっき言ったように新聞のプロは新聞が売れるためなんて考えない、新聞というものの意味、社会の貢献、それをやるということですね。だけどお金というのは、もしも社会が正しければですよ、社会に貢献した分だけお金が来るはずなんですよ。

お金を払う人というのは、自分がメリットがあるから払う。この世の中には2つ職業があって、1つはお金を貰うから駄賃で働くというのがあるんですね。たばこを買ってきなさいといってたばこを買ってくるのはプロじゃなくて駄賃商売。もう1つはプロ。これはその仕事をやることによって、他の人が感謝して金を払ってくれるというお布施方式。
人によって駄賃方式の方が気が楽だという人もいるから、どっちがいいとか言えないけど。

――前者の場合は、プロではないということでしょうか。


武田邦彦氏: 野田首相なんかその典型ですね。減税すると言って首相になって増税する。ああいうことがおおっぴらに行われると、プロは全部いなくなると思います。

――最後に、今後の武田先生の野望はなんですか。


武田邦彦氏: 僕はね、テレビで「50歳以上は生きている意味がない」と言っているんです。さんまさんには、『何でー』と言われていますけどね(笑)。

僕の考えですが、人生を2つぐらいに分けておいて、50歳くらいまでは目標を持った人生を送る。やっぱり目標をもった人生も若いうちは悪くないんですよ。50過ぎたら1日1日の人生。全く違うんですね。

僕は50歳過ぎてからは『今日も朝』と色紙に書くんですよ。何かっていったら、50歳以上を過ぎた人は、朝起きたら『今日もあるか』と思えばいいんですよ。今日だけ1日、また次はまた1日。だから全然目標も野望も何もありません。
もちろん若い時から目標がなくてもいいと思うんだけど。若いうちは若いという精神的な欠陥があるから、目標がある方がその精神的欠陥を補うのにいいんですよね。だから50歳くらいまでは目標があって一生懸命やっていいと思うんです。

ある日さんまさんだったかな、誰かに「武田先生みたいにあがらない人って見たことない」と言われたんですよ。何で僕があがらないかというと、目標がないからなんですよ。「またこの番組に呼ばれよう」とか、そういう気持ちがないんですね。

スタジオってこうなっているんだとか、さんまさんって長い間テレビ見ていたけどこの人かとか、磯野貴理さんはこういう人かとか思っているから、あがりようがないでしょ?

それからある時、芝浦工業大学の学長代理になったんですけど、学生の除籍だとか退学だとか入学許可とかお金の問題とかやっていたわけですよ。夜の10時頃まで一生懸命やるんですよ、大学って面白いなと思ってね。

そうするとみんなは「学長を狙っている」と思うんですよ。人の行動には、必ずなにかしらの目標があって、そしてその人は動いていると思うんですよ。でも全然関係ない、面白いからやっているだけ。
面白いからやっているというのは、何歳からそういう風にするかは難しいけど、50歳くらいなら目標あってもいいかなとは思ってはいるんだけど。50歳までは目標なくたっていいかもしれません。だから僕には、50歳以降は全然、何の目標もない。

それから、自分の社会的役割を果たそうと思っています。目標とは関係ないですよ。

今自分に求められていること。例えば原発で被爆で苦しんでいる人がいたら、お母さんにそれを教えないといけない。それは目標があってこれで自分は本を書こうとかでやっているわけではないから。義務感というのもあるので、好きでやっているのとはちょっと違うんですけどね。普通の日本人としてこれをやらないといけないということもあるし。

自分の発言で、色々攻撃されて、一時は危なかったから家族で別居しましたしね、2年間。ものすごい攻撃だったから。これもあなたの言った通り、まだまだ日本は民主主義じゃないんですよ。
「違う意見がいけない」という人がいるんですよ。「お前はなんでそんなこと言うんだ」と言われれば、「いや私はそう思っているからです」と言ってね(笑)。

その2年間は、近くにアパート借りたんですよ。年賀状もやめて。面倒だったのは、銀行の書類ですね。これらの書類に関して、私が取りに行くから郵送しないでくれと言ったら、「いやこれは自宅に送ることになっているんだ、規則なんだ、自宅に送って本人確認をするんだ」とか、そういうのがあるんですよ。

職場だって住所書かないといけないんですよ。だからどうしても割れちゃうんですよね。だから住所隠しておくとか電話番号隠しておくとかできないんですよ。そうすると自宅の電話番号書くから電話番号バレちゃうんですよね。隠せないですね。今はうちは表札はないのですが、それでも「武田先生あそこに住んでいる」というのが大体わかりますからね。

――大学でご自分の職務において「妨害されているな」と感じることはありますか。


武田邦彦氏: 大学はギリギリ(セーフ)ね。まだ僕がクビにならないくらいだから。「僕をクビにしろ」というのは2回ほど大学の理事会にかかっていますからね。クレームが山ほど来るわけじゃないですか。だからそういう点では、まだまだあまり民主主義とはいえないけれど。


取材場所:日比谷パレスにて取材を行いました。 HP:http://www.hibiyapalace.co.jp/

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 武田邦彦

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