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世界中の本好きのために

藤原和博

Profile

1955年東京生まれ。1978年東京大学経済学部卒業後、株式会社リクルート入社。東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任後、1993年よりヨーロッパ駐在、1996年同社フェローとなる。2003年より5年間、都内では義務教育初の民間校長として杉並区立和田中学校校長を務める。08年~11年、橋下大阪府知事ならびに府教委の教育政策特別顧問。日本の技術と職人芸の結晶であるブランドを超えた腕時計「japan」(左竜頭、文字盤漆塗り)を諏訪の時計師と共同開発した。近著「坂の上の坂」でも論じられている成熟社会や“新しい日本人”のライフスタイルについて、編集長を務める『よのなかnet』で発信している。

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藤原和博氏: それを本当につけるためには、ものすごい端的な例はね、太宰治の『走れメロス』ってほとんどの人が読まされてるんです。なぜなら中学校の国語の教科書に全メーカーの本に載ってるから。あんなに短い、あんなに完璧な物語はないんですね。日本でやられている教育の一番典型的なのは、走れメロスを読ませてメロスの帰り道の時の走っている間の気持ちを次の4つの中から選びなさい。こういう話なんです。そこで例えば、日本の子供たちが『この4つの中にはない』って言ったらバツにされるし、『自分はこういうことじゃないかと思います!』なんて言ったら、『あんたは変人ね?』と今度はいじめられちゃう。4つの中に正解があるっていってるんだから、絶対どれか選ばなきゃいけないでしょ?でも、今の成熟社会で、そんな1つの正解なんてないわけで、4つの選択肢自体自分で編み出さなくちゃいけない。これが僕のいう情報編集力ですね。要するに正解がある前提で、早く正解を当てればいいという力情報の処理力。だけど、今は情報編集力が問われているんですよね。

もっと言えばメロスがもし間に合わなかったとき、王は本当にあの友人を殺したのだろうか?というディベートが起こらなければならない訳ですよね。でもそんな教育って日本でやってたら先生達いじめられちゃう。指導要領にそってないとか言われちゃう。でも、今求められているのはそういうことで、だから諸外国で国語といえば全部クリティカルシンキングなんですよね。

日本だけが、成熟社会に入った先進国の中で、まだ発展途上国型の情報処理型の教育をやっている。ここを改めて、クリティカルシンキングの後にデジタルっていうことが起きていかないと。ちょっと前後が逆になっちゃってる。

――情報編集力を培う授業のために、デバイスっていうのは必ず役に立つと思われますか。


藤原和博氏: 絶対そう。っていうのは、授業の中で生徒が40人いた時に、全員に意見を同時に言わせようとしたら、デジタルデバイス以外にありえないんですよ。やってみたらわかるけど、『はい、じゃあ意見ある人?』って聞いて、全員がしゃべり始めた時に、それを聞き分けられる教師っていないわけですよね?その時に、『わかる人?』って投げかけてしまうと、大体成績優秀者か目立ちたがり屋の5人くらいしか手があがらない訳だよね。さっきいったようにワークシートで書かせたところでやっぱり、3割は超えられないわけですよ。

そういう意味では、全員が同時多発的に自分の意見を言った時、それを聞き分けられなかったのに、聞き分けられる道具だけが出来ちゃった。それがデジタルのメディアっていうもの。だからみんなデジタルのそういうツールが出ると、百科事典のようにサクサクと読めるとか、言葉をクリックすると意味が出てくるとか、辞書機能があるとか、それから映像が動くと楽しいんじゃないか?みたいなことを言うんだけど、俺はそんな百科事典的な機能よりは、子供たちが考えたことを教師の側に逆流させる。子供たちの側にある知識や知恵を大人の方に逆流させるという機能を重視したほうがいいと思うし、そうしたとき初めてなぜデジタルを使うのか?っていうことも、意味が出てくるんです。

俺はね、いかに電子教科書なるものを百科事典みたいに作って、画像を取り込みました、みたいにやったところで、そんなものすぐ飽きられて、子供たちにすれば、あるところをクリックしたときに同じ画像しか出てこないなら2度としないですよね?それが、めくるめく変わるんだったらわかるんだけど。

常にネットに繋がっていてそれが最新のものに変わるんだったらわかるんだけど、例えば『津波』っていう風に入れた時に昭和三陸津波の写真しか出てこないようなものは無理だと思うの。わかるでしょ?

――ディベートが始まるようなものがいいですね。


藤原和博氏: そう、ディベートが始まり、かつ情報が入れ替わって、何度素材を取り上げても新鮮なものになっていないと。

なぜ人々がコンビニに行くかっていうと、あそこには3千アイテムくらいあって、それだって1年で7割が変わるんですよ。だから行くんだよね。あれがもし完全な定番商品のみで全く動かないような商店だったらこんなに行かないでしょ?次に何があるのか?って、ちょっとときめくわけよ。

だから、iPadに教科書を閉じ込めるって発想する人がたり、教科書をあそこに入れちゃえば重い教科書を持っていかなくてもいいでしょ?ってことを言う人がいるんだけど、百科事典のようなものを作ったところで俺は、情報が動かなければ、動画が多少あったところで、子供たちがそんなものに騙されない。だってそんなこと言ったらテレビの中にもっと面白いものがいっぱいあるじゃない?テレビの方がよっぽど面白いもん。そうだよね?だから、いじって動いて楽しいね。って幼児は好きかもしれないけど、2回目やった時に同じ画像が出てきたら、まず2度と手には取らない。


――そういう意味では、電子書籍の役割は、子供たちがその場で一緒に見て成長する場ですか。


藤原和博氏: 要するに双方向になるということが本当に本質的になるし、逆に子供たちの側から情報が発信されるということをどれくらい動機づけられて、それを使ってどれくらい授業が進化するか?っていうところにもっていかないと。

――今後電子書籍は受け入れられていくと思いますか。


藤原和博氏: 今は紙であるか、電子媒体であるか?もしくは、紙であるかガラスであるか?っていうところだと思う。おそらく15年もしないうちに、ディスプレイを折っておいて、使う時は出して広げてって感じになっちゃうと思うんですよね。そうすると俺でさえもそっち行っちゃうと思うの。ということはね、今過渡期だからあのテカテカしたガラスが俺は気になる。絶対。気にしない世代がもう出てきている訳だけども、やっぱり気になるっていうヤツが今は書籍の業界を支配してるんです。
でもディスプレイが折りたためてってなったら、その人たちの半分以上動くよ。おそらく9割ぐらい。紙資源をどんどん使うってことは、森をつぶすってことだし。僕はテカテカしない、言ってしまえば紙のような艶のない、ディスプレイになり、入力機能もあり、メモしたやつが一発で95%くらいのパーセンテージでデータになっちゃうっていうものが出てくれば、それは使うよ。

著書一覧『 藤原和博

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