BOOKSCAN(ブックスキャン) 本・蔵書電子書籍化サービス - 大和印刷

世界中の本好きのために

柏木吉基

Profile

慶應義塾大学理工学部卒業後、日立製作所にて海外向けセールスエンジニア。 米国にてMBAを取得後、2004年日産自動車へ。海外マーケティング&セールス部門、組織開発部ビジネス改革マネージャ等を歴任。2014年10月独立。グローバル組織の中で、数多くの経営課題の解決、社内変革プロジェクトのパイロットを務める。豊富な実務経験と実績に基づいた実践的研修・コンサルができる唯一の講師として高い定評がある。

Book Information

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「自分なり」を考えれば、やるべきことが見えてくる



企業の課題を実務データの分析で解決に導く――データ&ストーリーLLC代表の柏木吉基さん。20年を超えるグローバル企業での経験、実績に基づき、数字とロジックを使った論理力・分析力を企業、大学で伝えています。自分がやりたいこととやるべきことを知り、進んで来た結果が今の仕事に繋がっています。柏木先生の「自分なり」の生きる道の作り方とは。

正解のない世界で、「答え」を導き出す



柏木吉基氏: 現在、メインとなる企業研修と、その延長で実務サポート(プチコンサルタントと呼んでいます)という形で、実際にクライアントが持つ課題やデータを用いて、自発的に答えに導けるように中長期の人材育成を目的とし、実際に成果を出しながら、方法を学べるサポートをおこなっています。
また、アカデミックの世界では、多摩大学大学院のビジネススクールでクリティカルシンキングの講義を担当し、横浜国立大学では留学生向けの授業を受け持っています。YCCSと呼ばれている学部生向けのプログラムなのですが、学生は14ヶ国ぐらいから集まっています。
私がおこなっているビジネスでの課題解決や論理思考、ロジカルシンキングや実務的なデータ分析など、「ビジネスの実践スキル」を教えています。実際に社会にでた時に実践できる内容を伝え、学生自らが考え答えを出せるようにしています。議論なども活発すぎて、こちらがわざわざ止めるぐらい白熱しますよ(笑)。

――正解がない、楽しさ。


柏木吉基氏: これは、ビジネスでもアカデミックの場でも同じで、20年近くに渡る組織での実務経験や必要な情報(スキルやデータ)は余すことなく提供しますが、正解は各人が導き出してもらう方針です。
また、本当に使える考え方、技術として伝えたいと思っていて「これ、学んでも結局使えないよね」というものは、私の講義では1秒もないぐらいの想いでやっています。私自身、実際に使ったり、それによって何度も助けられた知識や技術をシェア、共有したいと思っています。これらは自分のやりたい事と、やるべきだと思っている事をやってきた結果で……これは昔から変わりません。

「自分なり」の生き方を歩む



柏木吉基氏: 流行のものには興味を示さず、いつも自分の価値観「自分なりのものって何なんだろう」と考えるような変な子どもでした。自分で「これは面白い」と思ったものにはものすごくのめり込むタイプでしたが、両親も友人も「まあ、そういう奴だ」と、認めて(?)くれていました。
ただ、一度面白いと思って始めたものは飽きることがあまりなく、小学四年生の時にはじめたバスケットボールも35年近く続いていますし、海外への旅も、東海道を歩いたりするのも変わらないですね。性格自体は変わっていないかもしれません。
勉強の場合も同じで、興味のあることはとことんやっていたので、親から「体を壊すから、ほどほどにしなさい」と言われるくらいでした。英語が好きで、高校生の時にオーストラリアに短期間ホームステイしたこともあります。基本、理系で、数学や物理が好きだったので、大学も理工学部に進みました。
大学では講義が面白くて仕方がなく、4年間、完全に100パーセント出席していました。家庭教師や塾講師のアルバイトもしていましたが、4年生の時には、高校の後輩に講師をやってもらう形で、自分も講師になって中学生向けの学習塾を開きました。長期の休みにはバックパックを背負って、世界中を旅していました。

――体験したことを、実践する。


柏木吉基氏: 自分でやるのが好きなんです。今の仕事もそうですが、自分でやらずに他人を使うだけであればもうやめてしまえとさえ思っています。人によってやり方の違いはあると思いますが、私の場合は自分でやる事に価値があると思っています。何でもやって、自分で体験して、思ったことを形にしてみたい――最初に塾を開いたのも、そうした考えからでした。

冒険マインドで進んでいく



柏木吉基氏: 大学を卒業後は日立に進みました。就職活動時、「海外」とか「グローバル」というキーワードはありましたが、それが満たされれば、正直どの業界でも良いと思っていました。節操なく、色々な企業の説明会に参加していたのは覚えています(笑)。
日立を選んだのはすごくシンプルで、理工学部の研究室枠で、院生の先輩たちが埋まっていく中で、最後に残ったのが松下パナソニックと日立だったという理由からでした。
さらに私は、松下なら海外で働けるだろうと目論んでおり、事実直前までそのつもりでいたのですが、必要書類を提出するために学校に向かう途中で、ウトウトした時に、頭の中で「この木なんの木気になる木~」が、何故かグルグル回って、その勢いで日立と書き直して提出したんです。それで、日立に入らせてもらった……。

――シンプルにも程がある(笑)。


柏木吉基氏: ……不真面目ですよね、今の人から見たら(笑)。「入って君は何をやりたい」、「どの部署でどう活躍したいのか」が問われる今の就職活動の基準からすると、私は0点だと思います。
しかし、私にとって「どこで働くか」は、そんなに重要ではありませんでした。どちらも素晴らしい企業ですし、どちらに進んでも自分次第だと思っていました。自分でやりたい事は自分で実現すればいい。最初に決めたことが、その通り進む方が社会では希なことです。プレイヤーを好む自分が、組織に入り、その後二十年近くやってこれたのは、根底にそういう気持ちがあったからだと思います。



とはいえ、当時の私なりに戦略も考えていて、英語や海外に興味がなさそうな典型的な理系職場を敢えて選びましたよ。その甲斐あって、戦略通り海外の話に真っ先に手を挙げて、思い通りの部署に配属してもらって思い通りの仕事をやらせてもらいました。おそらく金融や商社に進んでいたら、私と同じ思考の人間はごまんといて、そこで手を上げても多分難しかったように思います。
そこまで戦略立てて入った会社でも、皆さんと同じように最初は大変な経験ばかりでしたよ(笑)。上司の怒号は飛び交うし、怒られるのは嫌ですし、将来に対する不安もありました。感謝するようになったのは、だいぶ先のことです。

――そこでも「自分なり」を考えながら。


柏木吉基氏: 常に考えて、でも答えはなかなか出なくて……。実務を5~6年すると、だいたい仕事は覚え、出来るようになりますが、今の自分が身につけた知識なり経験が、果たしてビジネス社会全体から見た時に、どの程度のものなのか気になってきました。
与えられた仕事をこなすことができても、もう少し違うやり方を知っていれば違った答えが出せるんじゃないかと思ったのです。それを体系的に学びたいと思った時に、ビジネススクールという選択肢が出てきました。
もともと「海外」というキーワードとも合致するということで、社内の留学制度を目指して二年ほど勉強することに。ただ、その留学制度を使ってスキルを伸ばしたあとに辞める社員がいて、事業部長が「もう俺の目が黒いうちはこのプログラムもうヤメだ」って、申請する前にシャッターを閉じられてしまいました。
留学のために費やした二年間のエネルギーはどこにぶつければいいのかわからなくなり、その時に初めて「会社を辞める」ということが頭をよぎりました。ちょうど結婚したばかりで、公私ともに悩んだ時期でしたね。

――大きな岐路に立ちます。


柏木吉基氏: 入学も入社もなんとなく決めていた自分の人生の中では、初めてのことでした。事業部長のもとへ何度か直談判に行きました。そのとき、事業部長から提案があり、私が単独で担当していた中国市場を切り拓くことが出来たら、留学の条件を飲んでくれるというものでした。正直、自信は半分程度でしたが、出来なければ潔く会社を辞めて自腹で留学しようと決めました。
結果的に周りの同僚と、時の運のおかげで中国市場への販路が開けました。それで約束通り、留学することができました。この出来事は、私の大きな自信と励みになりました。29歳ぐらいですね。

――自ら成功体験を作って留学。


柏木吉基氏: この出来事は、私の大きな自信と励みになりました。そうして勝ち取った留学先での勉強は、楽しくて仕方ありませんでした。人生の中でとても充実した期間のひとつだったと思います。二年間、集中して思う存分勉強させてもらいました。

自分なりの価値観を見いだし ブルーオーシャンへ漕ぎ出す



柏木吉基氏: 二年間の留学を終え、会社に還元する気満々で帰ってきたのですが、留学中に所属していた事業部が分社化されて、景気も悪くなり、リストラの嵐で、ここにいても自分が学んできたことを活用できない……このときも、また大きな岐路に立たされました。会社を辞めることに対しては、「裏切り者で非人間的な行為だ」と思っていましたので、それを自分がやるのは自分の人間性を否定するぐらい大きな決断でした。
その時、子供がもうすぐ産まれるという状況で。日産でオファーがあり、自動車には興味も知識もありませんでしたが、やはり「海外」というキーワードで行くならこの会社だと思って移ったのが2004年の3月ですね。そこから海外セールス・マーケティングの世界に入ります。
期せずして進んだ新しい道は苦しいものでした。半年ぐらいは右も左も分からない。やったこともない仕事でどうやって成果を出せばいいのか、中途入社だから早く成果を出さなければと焦りとプレッシャーを感じていました。焦りと恐怖感、ですね。

――その焦りと恐怖感を、どのような成果で返していったのでしょう。


柏木吉基氏: やはりこのときも、差別化戦略で人と同じことをやってもおそらく追いつかないし、「自分なりの価値」をプラスするには、周りがやっていないことで自分が出来ることを色々考えました。自分は理系で数字をいじることが好きで、周りは文系の人間が多くいる。半年ぐらいすると、自分に置き換えた場合の対処法が見えてきて、データに着目しました。
自動車会社は販売に関するデータはたくさん持っていますが、十二分には活用されていないと感じました。ここにある数字をどうビジネスに繋げるか、今までやってきたところ、自分が得意なこと、且つ、それが今この人たちが何故かやっていないことというのが半年もすると見えてくる。

――ブルーオーシャンを見つけて漕ぎ出していく。


柏木吉基氏: 漕ぎ出すために、意識を集中投下しましたね。もちろん、日々のルーチンはつつがなくやりますが、そこにどう違うものをアドオンさせるか、今の、例えばデータ分析や課題解決もそうです。それを上手く自分から提示していくと、喜ばれるわけです。なるほど、そういう見方や活用の仕方があるのかと気づき、そこから自分の居場所を作っていきました。それを形にして纏めたのが今の私の研修やサポートのプログラムになっています。

ノウハウを共有して サポートする



柏木吉基氏: このときの経験を、せっかくだから自分だけに留めておかないで、皆で共有しようと勉強会を開いたことから、本の出版に繋がりました。まず勉強会で使う資料が冊子になりました。そこに書かれた考え方は、その時に所属していた会社や職域でなくも共通するノウハウであることに気づいたのです。それにもう少し肉付けをしてまとめたものを、いくつか調べた出版社に郵送しました。そのうちの一社、オーム社がすぐに反応を示してくれて一冊目の本『 Excelで学ぶ意思決定論』になりました。
この本を書くにあたっては、世の中でどういうものが出ているかを知るために、日本で売られている類書は全部読みました。そうして全部読んでも埋まらない箇所と、自分の経験を組み合わせて書きました。周りがやっていないことと、自分だからこそかける内容を組み合わせる。さきほどの差別化戦略の話と一緒です。

――「柏木先生なり」の本を。


柏木吉基氏: 私の経験が活かされる、他の焼き直しでない本を書いて、皆様に役立つものを届けたい。データ分析のものすごく高度な手法を説明して出来る人は私より一杯、ごまんといます。ビッグデータについて語れる人も私以外にたくさんいて、アカデミックな課題解決方法を語れるコンサルタントもいらっしゃいます。ではそれらを、どう考えて使うのかを組織の中での実務経験に基づいて書くことが出来るのが、「私なり」の執筆における想いですね。
Excelで利益シミュレーションができるようになる本』(洋泉社)という本も、「Excelに関する本を」というご依頼から始まって出来た本ですが、Excelの操作テクニックだけを見たら私よりも詳しい人はたくさんいらっしゃいます。
Excelはあくまで目的やゴールに向かうためのツールであり途中経過だと考えていたので、応用法をどう実務で使うかという視点で書くことを提案しました。日産時代の利益シミュレーションに関して結構苦労しましたが、そうした実務にもとづく本は見たことがなかったので、書きました。
文芸や小説は別として、こうした実用書は、課題意識や目的があって、文字通り、そこに向けて「実用」出来るものでなければ、読んでいても苦痛だと思っています。まあ、本を読んだからといって翌日いきなりスーパーマンになれることはないですけれども、ひとつのきっかけになる本を届けたいですね。こうした本は、一番手軽な味方、サポーターになると思っています。



自分なりの道×社会への貢献


――著書は中国、台湾、韓国でも翻訳されています。


柏木吉基氏: 本の内容、特にそこで使う事例に関して、日本人にしか分からないことは意識して入れていません。特定の業種、領域、国やマーケットではなく広くスタンダードになるようなものを意識して書いています。
私は大学時代から続く旅で、今まで世界150近くの国を訪れていますが、内外から眺めていて、日本という国や今の若い人たちがグローバルの中で生き残っていくということに対して、かなり立ち遅れているなと感じています。その原因のひとつは、言われたことをやればいいという考え方が残っているからだと思います。そうした足かせを外したい。自分で考える事にシフトしていくお手伝いを、自分のキャリアを通しておこなっていきたい。そしてそれに国境は無いと考えています。
自分で考えて、ひとりでも、組織でも自分が何が出来て、どう貢献できるのか。それを知ればおのずと道は見えてきます。私自身、そうして考え、挑戦することをこれからも続けていきたいと思います。もし国際貢献ということでアカデミックな所で、日本人に限らず世界各国に自分のスキルが貢献出来るのであれば、それに挑戦しても良いかもしれませんね。またそのとき、自分なりに考えてみたいと思います。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 柏木吉基

この著者のタグ: 『コンサルタント』 『支援』 『チャレンジ』 『海外』 『就職』 『組織』 『考え方』 『生き方』 『ビジネス』 『留学』 『きっかけ』 『成功』 『差別化』

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
著者インタビュー一覧へ戻る 著者インタビューのリクエストはこちらから
Prev Next
ページトップに戻る