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世界中の本好きのために

小林公夫

Profile

1956年生まれ、東京都出身。一橋大学大学院法学研究科博士後期課程修了。法学博士(一橋大学)。桜美林大学北東アジア総合研究所客員研究員。 専門は刑法、医事法、生命倫理であるが、各種難関受験教育のエキスパートでもある。 著書に『「勉強しろ」と言わずに子供を勉強させる法』『「勉強しろ」と言わずに子供を勉強させる言葉』(PHP研究所)、『公立中高一貫校』(筑摩書房)、『高学歴な親はなぜ子育てに失敗するのか』(中央公論新社)、『一般教養の天才』(早稲田経営出版)、『医学部の面接』、『医学部の実戦小論文』(教学社)、『治療行為の正当化原理』(日本評論社)などがある。医学部受験に関する新書が祥伝社より年内に発売予定。

Book Information

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探求をあきらめない



刑法、医事法、生命倫理が専門の法学博士、作家の小林公夫さん。各種難関受験教育のエキスパートでもあり、人間育成に焦点を当てた司法試験の受験指導や医学部受験指導では、これまで多くの合格者を生み出してきました。「探求を諦めない」小林先生の想いとは。歩みを辿りながら伺ってきました。

文章で伝える 読者と対話する


――東洋経済オンラインでの連載コラムが好評です。


小林公夫氏: おかげさまで、多くの方々に読んで頂いて、アクセスも殺到しています。ある記事は、PVが70万を超えました。こちらは普段の執筆とは少しアプローチが異なり、普段頭の中にあるもの、考えているものをつなげて棚卸しする感覚で書いています。読者のコメントや反応もダイレクトでわかりやすく、私自身も楽しめていて、書きながらも勉強になっています。
一方で、書籍や論文の執筆の場合は、資料にあたりながら書いていくので、なかなか大変です。参考資料になるものはごっそり購入してしまうので……家にはいつも本が溢れていて、手放さないと次が買えない状態になっています。ある日、苦渋の決断で段ボールに整理したら、50箱ぐらいになりました。

――こちらに年季の入った本をご用意頂いています。




小林公夫氏: この古ぼけた「山川方夫全集」の『箱の中のあなた』と三島由起夫「真夏の死」に収められている『雨のなかの噴水』は私が好きな短編で、作中に描かれている女性像に惹かれました。前者は怖い女性像ですが、こういう女性はいるだろうな、という気がします。また、後者の女性像はボーッとしているようで力強いですね。こういう女性には今まで出会ったことがありません。学生時代に買ったものですが、これだけはどうしても捨てられずに手元に置いてあります。大塚仁博士の『私の刑法学』は、博士からご寄贈いただいた貴重なもので、座右の書です。
また本だけでなく、論文作成のため資料のバインダーも無限増殖しています。2年ほど前になりますが、師と仰いでいる大塚仁博士から依頼があり、「大コンメンタール刑法」という偉大な注釈書に論文を書きました。公刊は2016年早々の予定ですが、執筆の過程で明治時代から1000程の判例、文献を研究しましたので、その資料も膨大なものになってしまいました。
膨大な資料からいかに適切なものを探し当てるか。手元になかったものは国立国会図書館まで行って全部調べていきます。そうして書き上げた書籍や論文は、DVDになったものも含めると300近くになります。

――資料にあたるところから、先生ご自身で。


小林公夫氏: 基本はそうです。とにかくなんでも自分でやらないと気が済まないのです。何かひとつの真実に向かって、こつこつと努力する。そういう行為が好きなのかもしれません。昔から、そういう性格でした。

バッタ社会の創造主



小林公夫氏: 活発な性格で、好きな事しかやらない子どもでした。遊びと言ったら草むらで遊ぶような時代で、また親から「勉強しろ」と言われることもなく、のびのびと好きなことばかりしていましたね。

特に生物学に興味を持っていて、家ではトノサマバッタを飼っていました。通常の大きさのものから、なにか突然変異のような大きなものまで30匹くらいいました。大きなおけのような容器をふたつ用意し、飼っていたのですが、ずっとその中に入れておくのは可哀想だと、一日一回、必ず運動の時間と称して、容器から放すのですが、あっちこっち飛び回って困るので、顔と翅の色を暗記して自分なりに番号をつけ、30匹を点呼していました。

――バッタの個体識別ですか……。


小林公夫氏: もちろん返事はないのですが、一匹もいなくなったことはありません。バッタのほうも、容器に戻らないと申し訳ないと思ってくれていたのではないでしょうか(笑)。違う種類のバッタも混在していたのですが、喧嘩もせずに水を飲んだり、草を食べたりきちんと統率が取れていましたよ。
ある日、お別れのために庭で一斉に放しました。すると、巨大な突然変異体を除きかなりの勢いで飛んでいきました。不思議なことに家の周りを一群が一周するようによそに飛び去っていったのです。感謝の気持ちでしょうか。迫力のある“絵”でしたが、親からは特に怒られることもありませんでした。今、私が同じことを子どもにやられたら……ちょっと嫌ですね(笑)。

――自由な環境でのびのびと育ちます。


小林公夫氏: 蚕を飼っていた頃は、朝5時半に起きて桑の葉を取ってきて与えるのですが、蚕が餌を食べる音って意外と大きいんです。母親からは「ちょっとうるさくて起きちゃうかな」と言われましたが、特に怒られることはありませんでした。何かを強制することなく育ててくれたことに感謝しています。

そのうち、生物学から天体に興味を持つようになりました。小学四年生の頃に書いた作文は、ティコ、ケプラー、コペルニクス、グラヴィウス、プラトーなど科学者や哲学者の名前を冠したクレーターの名称を延々と解説したものでした。宇宙や天体、とりわけ「月」に興味を持っていたようで、中学生になってからは、当時、1万円もする高価な月面地図を、お年玉を貯めて買いました。
先程の作文は、私が30代の頃に、「部屋を掃除していたら出て来たから送ります」と小学校時代の担任の教師から送られてきたものです。その先生からも、大きな影響を受けました。「とにかく本を読め」というご指導のおかげで、自然科学系の図鑑や、偉人伝のシリーズを読みあさっていました。

己の見極め 山本譲二さんに引導を渡される!?



小林公夫氏: 時はたち大学に進むのですが、第一志望とは違う進路に進み不本意だった私は、あまり学校になじめませんでした。ただ、単位にならない講義でも興味があれば出席する……そんな学生でした。それ以外の時間は、教えることが好きだったので家庭教師をしていましたね。
大学3年生になると、今後の人生の身の振り方を考えさせられる衝撃的な体験をします。その頃、フォークソング同好会に所属しており、ちょっとは歌えるかもと素人参加型のテレビ番組に出場しようと考えていました。『全日本歌謡選手権』という日本テレビ系列の番組で、10週勝ち抜くと歌手になれるというものでした。私はなにを勘違いしたのか、1週ぐらいなら勝ち抜けるかもしれない、記念に出てみようと思っていたのです。
ところが、ある日、長髪の濃いお顔の……伊達春樹という出場者が、細川たかしさんの「心のこり」を歌っているのを聴いてその歌声に驚愕しました。まず、登場の際の顔つきが違っていました。このコンテストにかける思いや、背水の陣という言葉を感じさせる何かが体全体から漂っていました。勝ち抜いて進む出場者の平均が70点そこそこのなかで、彼の点数はダントツの87点。
もうビックリしまして、あまりの上手さに感動すら覚えました。こんな素人がいるのかと驚き(実際はプロが再挑戦していたわけですが)、それから一切、冗談でも出場を口にすることはなくなりました。その伊達春樹という出場者は、のちの山本譲二さんでした。

――期せずして、歌声を山本譲二さんと比べてしまうことに。


小林公夫氏: こちらは素人で相手はプロという状況でしたが、若いうちにこうした自分を凌駕する存在に出会うという体験は、とても大切だと思います。勉強でも、スポーツでも同じです。そういう体験の中で自分のやれることとやれないことを見極め、やれる中で最大限努力をしていかなければなりません。

――小林先生は、どこにその場を定められたのでしょう。


小林公夫氏: そういう体験をしてしまった訳ですから、せめて就職だけは第二志望のままで終わりたくない、打倒 東大生という感じで、高倍率でも興味のあったマスコミを志望していました。
しかし、そこでもなかなか思うようにいきませんでした。大学4年次は膨大な部数を誇る少年誌を発行する神保町の出版社を受けましたが、最終面接でダメでした。面接で「マンガに全く興味がありません」と言ってしまいました。面接の担当役員から「マンガに興味がないのにウチを受けるとはどういう了見だ」と言われてしまい、30人の最終候補から15人には残れませんでした。1年間マスコミ留年を経験し最終的には博報堂、日本短波放送(現ラジオNIKKEI)、主婦の友社と内定を頂いた中で、主婦の友社に入社しました。博報堂については入社していたらどういう人生だったろうと今も考えることがあります。ただ、創業者の末裔の方のご推薦で受験しておりましたので、これで良いのかと、心のどこかに引っかかりがありました。

激動のサラリーマン時代



小林公夫氏: 風変わりな新入社員で、指示を受けても「もっとこうしたほうが良い」とか、そのまま考えずに実行することが出来ないところがありました。個性は強かったと思います。ただ、そんな私を評価してくれる上司もおりました。不思議なことに私を評価してくれた二人の上司は、その後、二人とも社長になりました。ちょっと変わった人間も組織の中で生かす、普通とは違う方法論を採っていたのかもしれません。普通ならばクビ候補でしたから(笑)。

――信念を見極めてくれる上司がいて。


小林公夫氏: そのおかげで、10年近くの在籍期間に、多くのことを学ばせて頂きました。医学事典の編集がしたかったのですが、会社では、書籍は先輩方が担当するようになっていたので、未だ若い私は雑誌をやるように言われました。退職の数年前はファッション誌を担当しており、『Ray』の創刊時には、創刊プロジェクトの企画チーフとしてとりまとめを任されました。
楽しく働いていたのですが、勉強が好きで、だんだんと教育に対する熱が湧きあがり、押さえることが出来なくなりました。そこから会社が終わってから、自宅で3~4時間勉強をするようになります。仕事の合間を縫っての勉強で、疲労が貯まりすぎて眠ったと思ったら朝が来るような生活でした。そうした生活を送りながらも、社長賞を頂いたことで、ある程度会社に恩を返せたと区切りをつけ、新たな道へと進みます。もう時効ですからお話しすると、退職する半年くらい前には、会社の上層部から編集長をやらないかとの打診もありました。有難いお話ですが、未だ若い身の上でもったいない話であり決心がつきませんでした。
会社を辞める時は、食えなくなる心配よりも、何とか食えるだろうと楽観的な思いのほうが勝っていましたね。とにかく、自分のやりたいことが出来ることが嬉しくて、ここからまた人生のやり直しだけれど、頑張ろうと意気揚々としていました。
W早稲田セミナー(現:TAC)の講師募集が朝日新聞に掲載されていて、それに応募したところから新たな歯車がまわり始めました。マスコミ人として壇上で1時間話すというもので、気軽に応募したら採用されました。当日、聴衆は5、6人くらいだろうと思っていたのですが、講義室に足を踏み入れて度肝を抜かれました。そこには大学生が200人ぐらい集まっていたのです。その時は頭がクラクラし、今日はこれまでの人生で最も恥をかく日だと覚悟をして腹を決め臨みました。ダメなら土下座して帰ろうと……。

――背水の陣を敷いて臨んだ結果は……。


小林公夫氏: 意外にも観衆のウケは良く、笑いもとれました。出版社でどういう仕事をしてきたか、という話題を中心にお話ししたのですが、気がつけば1時間が経っていました。その後一週間ぐらいして、予備校側から、定期的な仕事のオファーを頂くことになりました。そこから、社会人第二弾、W早稲田セミナー講師編がスタートしました。

統一原理と普遍性を提示する



小林公夫氏: W早稲田セミナーは厳格な授業の評価制度で知られており、毎回講義の後に、「大変良い、良い、普通の上、普通、悪い、大変悪い」と記されたアンケート用紙で、学生から評価されるシステムになっていました。そして、悪い、大変悪いが半数以上あると仕事がなくなりクビを勧告されるシステムでした。




クビでは困りますから、どうすれば学生が興味を持ってくれるか、ごまかしではなく良い講義を提供できるか、考え続けました。板書やレジュメを工夫して、学生が能動的に、授業に参加できる形式にしたり、知らないことは徹底的に調べて講義をすることをモットーにしていました。その頃に出版したのが早稲田経営出版の『一般教養の天才』、『SPI能力検査30秒即解法』で、前者は25年間いまだに版を重ねて届けられています。
難関マスコミの入社試験の指導が中心でしたが、記者としてNHKなどで活躍する元受講生を見ると懐かしく思います。そのうち刑法の指導を任されることになり、社長から大学院の修士課程で学ぶことを勧められました。会社の推薦で進学した大学院ですので、2年後には職場に戻るはずでした。しかし、だんだんと面白くなり修士では満足せず、博士号をとることになり、結局8年間も学んでしまいました。
博士論文は非常にハードルが高く、大きな挑戦でした。指導教授からは、いつも「論文中に普遍的な統一原理を示しなさい」と言われていました。考えても考えても、なかなか統一原理が見つからず、教授に、「私が統一原理を発見できないのは、私の考えが足りないからなのか、それとも、そもそもこの世には存在しない原理を私は探し続けているのか、どちらなのでしょう。ご教示ください」と尋ねたくらいです。そのような調子ですから、大学で開かれる研究発表会では、たびたび論理の矛盾をつかれくじけそうになりました。しかし、なんとか諦めずに、統一原理に辿り着くことができました。
それがもとになり出版されたのが、約600頁という大著で日本評論社刊の『治療行為の正当化原理』です。就職関連の本から始まり、医学部受験の本を書き、法律の本を書いて、新書という流れで今に至ります。

――どのような想いで書かれていますか。


小林公夫氏: 大学院の博士論文と一緒で、統一原理と普遍性を提示出来ない原稿は一切、駄目だと思って書いています。博士論文も、雑誌や書籍の原稿も全部同じです。人間はそこに反応するんです。きちんと読んでくださる読者に、何か感じてくれるものを提示しないと読者にも失礼だと思います。

私にとって書くという行為は、人間の世界と社会を支配する統一原理と普遍性を掲示することです。それを文章で伝えること。そうすることではじめて、人の心の中に届きます。
その「本」という媒体を、読者に届けてくれるのが編集者です。例えば『勉強しろと言わずに子供を勉強させる法』という本を出版したとき、私からの当初案は 「できる子VSできない子」、「できる子の原動力」というものでした。編集会議を経て、発売タイトルに落ち着いたのですが、結果的には、増刷につぐ増刷でした。もし当初案のままであったら、売れ行きは全く違っていたと思います。編集者の役割というのは、中身はもちろんのこと、タイトルを含めて一冊の「本」を世の中と結びつけることだと思います。
昔から父親に「一生に一度、一冊で言いから本を出版しなさい」と言われて育ちましたが、その頃の私は、本など1冊も書けないと思っていました。本の出版に限ったことではありませんが、今でもひとつひとつが挑戦の連続です。

――何が先生を挑戦へと動かすのでしょうか。


小林公夫氏: やはり“生きている証”を求めているからでしょうか。哲学者の阿部次郎先生が「何を與へるかは神樣の問題である。與へられたるものを如何に發見し、如何に實現す可きかは人間の問題である。與へられたるものの相違は人間の力ではどうすることも出來ない運命である。」とおっしゃっています。さらに、「稟性を異にする總ての個人を通じて變ることなきは、與へられたるものを人生の終局に運び行く可き試煉と勞苦と實現との一生である」とも語っています。順風満帆の人生とは言えませんでしたが、与えられたことを理解し、その中で、自分のやれることを今も探していくしかないと思い進んでいます。

答える力を育てたい


――その成果が、様々な形で結実していきます。


小林公夫氏: 大したことはできませんでしたが、やはり頑張り続けることはとても大切なことだと思います。どんな人にも絶対にチャンスがある。やるかやらないかだけです。諦めたり、自分がここまででいいやとか決めてしまえば、そこで終わってしまいます。

私の好きな言葉にオルダス・ハックスリーのThere's only one corner of the universe you can be certain of improving, and that's your own self.(この宇宙に確実に改良できる場がひとつだけある。それは他ならぬ、あなた自身だ。)というのがあります。高校時代に英文で読み心に残っているものですが、この言葉の真髄を皆さんに伝えられるような教育をして参りたいと思います。
ほかにも、まだまだ伝えなければならないことがたくさんあります。現在、聞かれたことに答えない学生が多くなっていると指導の過程で実感しています。聞かれていることと違うことを答えるのは、質問の本質を理解せず、考えていないからだと思います。聞く力、書く力、伝える力。それらを総合して「答える力」と呼んでいますが、そうした能力を伸ばしていきたいですね。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 小林公夫

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