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谷将貴

Profile

1972年生まれ、東京都出身。 1993年に渡米。最先端のスイング理論、メンタルトレーニング、コースマネージメント等のカリキュラムをマスターする。帰国後、プロゴルファーのスイングデータを細部まで徹底的に研究したコーチング活動を本格的に開始する。現在でも最先端の理論を探求し続けている。多くのアマチュアを指導する一方、片山晋呉プロ等をコーチングし優勝に導いている。 著書に『谷将貴Golfスウィング大全―グリップ・アドレスからフィニッシュまで完全解説』(日本文芸社)など。

Book Information

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人生フルスイングで!



TANI MASAKI GOLF ACADEMY 21を主宰する、ゴルフプロコーチの谷将貴さん。研究を重ね生み出された「SIMPLE SWING理論」で、片山晋呉プロをはじめ、多くのゴルフ選手を世に送り出してきました。「賞金王コーチ」と呼ばれる谷さんの、ゴルフへの熱き想いの源とは。

父と祖父の想いを受け継ぐ名前


――TANI MASAKI GOLF ACADEMY 21を設立されて4年になります。


谷将貴氏: 振り返るにはまだ早いですが、あっという間の4年間でしたね。「突っ走る」がテーマでした。こちらではスイング解析機器を使用し『飛んで・曲がらない』かっこいいスイング作りを目指しています。画像を通して確認出来るので悪い癖や理論的なことを理解することが出来き、スイングが崩れた時の修正も可能です。球筋を気にすることなくスイングに集中して練習出来ます。スイング作りにはスイングだけに集中できるインドアでの練習が最適なんです。
ぼくは片山晋呉選手のようなトップアスリートのコーチを務めています。コーチは直接的な技術指導も重要ですが、日常におけるメンタルのサポートが大切です。レッスン時も、相手は将来どういうスイングをしたいのか、普段の会話や行動から一緒につめていきます。



――谷さんがゴルフに出会ったのは。


谷将貴氏: プロゴルファーになりたかった父と、相撲取りになりたかった祖父の想いから名付けられたのが「将貴」というぼくの名前。「将」は尾崎将司さんから、「貴」は貴乃花からとられています。ぼくが生まれた1972年は、貴乃花が大関に昇進した年で、その前年にはジャンボ尾崎さんが日本プロゴルフ選手権で初優勝しました。父親たちのアタマの中はスポーツ一色だったのだと思います(笑)。

小さい頃は野球少年で、“強肩の谷”なんて言われていましたが、大好きな父親と一緒にいたいという想いから、土日にゴルフに行く父親についていくようになりました。

父は「勉強する暇があったら走れ」というような人で……、高校時代には勉強机の代わりに自転車を漕ぐランニングマシンが部屋に設置されていました(笑)。丸山茂樹さんが自転車の下にバスタオルを敷いて、ビショビショになるまで漕いでいたという記事を読んだ父から「お前は何でバスタオルが濡れないんだ!」と激を飛ばされることもありました(笑)。でも、大好きな父と一緒にトレーニング出来ることが嬉しかったので、嫌になることはありませんでしたね。

中学では、ゴルフ部に入りキャプテンを務めました。高校もその関係で進みましたが、夏はゴルフの練習は全くせずに、新島や大島などの島めぐりに夢中になっていました。「誘われたら断るな」が座右の銘で、先輩からの誘いはすべからく受けていた結果でした。先輩後輩問わず、自分と接してくれる人が「どうしたら楽しんでもらえるか」が大事で、その考えはコーチをやっている今でも変わっていません。

高校卒業後は、父の知人がいるオーストラリアへ留学するつもりだったのですが、受け入れ先の経済事情の変化により、結局、日刊スポーツの留学制度でアメリカ、ユタ州へ留学しました。渡米する日、成田空港には友だちや家族が見送りに来てくれたのですが、出発直前に父親と交わした握手が、強く握りしめられたその手から「頑張れよ。時間を無駄にするなよ」と伝えられた気がして、そのとき「プロゴルファーになろう」と決意しました。

また、母がくれた手紙の中で、「親愛なる将貴へ」と、初めて“愛”という言葉を貰いました。「与えられた環境を大切にして、悔いのない留学生活を送ってください」と短く書いてありました。飛行機に向かうエスカレーターを降りる時は涙が止まらず、振り返ることができませんでしたね。

――温かく見送られて……留学生活はいかがでしたか。


谷将貴氏: 3週間ぐらいで早速、ホームシックにかかります(笑)。とにかく帰りたくて、空を見ながら涙がこぼれてきたこともありました。寂しさを払拭するかのように、必死にゴルフの練習に打ち込みました。「一瞬を大切に」――限られた時間で、誰よりも上手くなるためには練習しかないと思い、朝6時ぐらいから夜中の1時ぐらいまで、練習した時もありました。

コーチの世界のNo.1を目指す



谷将貴氏: コーチの仕事を始めたのは、21歳の時でした。当時、プロゴルファーになるためには、まず練習場やゴルフ場の研修生にならなければいけませんでした。アメリカからの帰国後、地元のHighland Centerという、中学のゴルフ部の練習場だったところへ所属しました。そこは内藤雄士さんや江連忠さんなど、蒼々たる方々がやっていた、プロ講師のパイオニアのスクールでした。彼らにスイングを褒めていただき、そこで働いていました。

週に4日か5日、1日6時間の勤務時間ぐらいしか働いていませんでしたが、同学年より多い給料に調子に乗っていたのかもしれません。ところが26歳の時、雑誌に載っていたプロゴルファーの賞金額を見てしまって、「自分こんな小さい世界で、何を調子に乗っているんだ。ゼロの数が違う。これはまずい。」と思いました。そして、「10カ年計画を立て、36歳まで休まずに毎日働こう。そうして20代で独立してこの世界でNo.1になるんだ」と心の中で決めて、行動に移しました。

26歳でHighland Centerを辞めた後、次の職場でぼくをしたって通ってくれたお客様が来てくれたことは一生忘れられません。ゴルフレッスンの時間はわずか40分。そのために、電車を乗り継いで来てくれたお客様に「来てよかった」と思っていただける時間を絶対に提供したいと思いました。自分のためだとなかなかやらないのですが、この人たちのためだったら頑張れる――お客様の存在が、ぼくの力になりました。

やまない挑戦の先にあるもの


――独自のスイング理論を数多くの本にまとめられています。


谷将貴氏: 始めの頃から一貫して、自分のノウハウを、少しでもゴルファーにわかってもらえればいいかなという想いで出して、いつの間にか100冊を超えました。「本のおかげで、スコア80を切りました」とか、「これだけ飛ぶようになりました」といった反響をいただくと、嬉しさと同時に一冊の本の力を感じます。紙面の制約の中で伝えていかなければいけないのは、難しくもありますが、ゴルファーたちの悩み解決の糸口になってくれればいいなと思っています。でも、「本で上手くなっちゃったら、うちのスクールの経営が成り立たないな」とか思ったりもしますけど(笑)。

“人を楽しませたい”というところが自分の核にあるんだと思います。自分の原点に立ち返ってみると、人を盛り上げたり楽しませたりすることが好きなのだとはっきりとわかりました。ぼくは、人を楽しませるために、ゴルフコーチという切り口で全力で取り組んでいます。

そんなぼくも36歳の時に軽い燃え尽き症候群になって、目標を失って、しばらくは本当に酷い状態でした。でも、完全独立してからは、ネガティブとか、ストレスなどとは無縁です。会社名でもあるMAJORcreateにもあるように、メジャー選手を作っていくことが、これからの目標であり、ぼくの役目だと思っています。日本一にはなったので、次は世界一に。やりたいことの半分も、まだ到達していません。挑戦をやめずに、これからも突っ走っていきたいですね。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 谷将貴

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