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世界中の本好きのために

横山信治

Profile

1982年、日本信販(株)(現三菱東京UFJニコス)入社。営業成績全国最下位のダメ営業マンから、全国NO.1営業へ。2001年ソフトバンクファイナンスに転職し、日本初のモーゲージバンク(証券化を資金調達手段とした住宅ローン貸出専門の金融機関)SBIモーゲージ(株)設立。当初4人でスタートした会社を、従業員250名、店舗数191店舗の上場会社へ成長させる。東証一部上場の金融グループにて、役員、社長を経て、2014年独立。株式会社オフィス・フォー・ユー代表取締役社長。 著書に『40歳からは、小さいことにくよくよするな。』(PHP研究所)、『戦わない生き方』(日本文芸社)、『めちゃめちゃ運が良くなる人づきあいの技術』(ぱる出版)など。

Book Information

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チャレンジのある人生を



株式会社オフィス・フォー・ユーの代表取締役社長である横山信治さん。「人を喜ばせたい」という想いから、幼少期に落語界に入門するも、故あってその後サラリーマン生活を送ることに。営業成績最下位からトップへ。4人で設立した会社を上場に導くなど、常にチャレンジで進んできた、横山さんの思考とは。

「喜ばせたい」が原動力


――『ビジネスエリートはなぜ落語を聞くのか』が出版されました。


横山信治氏: 独立して7冊目、今回は同じく落語界出身で、放送作家でベストセラー『企画は、ひと言。』の著者である石田章洋さんとの共著です。ビジネスで成功した人の多くが落語をよく聞くといいます。年収1000万円以上のビジネスパーソンの約半数が「落語が好き」というデータもあります。この本では、落語に詰まった「伝え方」や「心構え」「処世術」など、仕事や人生で大切なエッセンスを紹介しています。また、ぼくの落語家時代の経験や当時弟弟子だった、笑福亭鶴瓶さんとのエピソードなどもたくさん盛り込んでいます。

独立してからのこの1年は、あっという間でした。サラリーマン時代は、朝風呂のあと「3時から5時まで」と決めて執筆をしていました。その時間帯であれば急な飲み会や会議などのトラブルもないですし、一度寝て前日をリセットできます。色々な案件やトラブルなどを引きずったまま書くと、良い作品は書けません。朝は比較的、書く時間を確保でき、感情もクリーンで、より熱中できるのです。執筆する上で、「構想」は一番大事だと考えていて、半月ぐらい練って、1カ月で書いて、残りの半月は書くのを休み、というサイクルになっていました。平日に1項目ずつ、土日で2、3項目書けば、一ヶ月で1冊分の分量になります。

――今回は「落語」でしたが、様々な切り口で書かれています。


横山信治氏: 一冊一冊手に取る読者は違うので、載せるエピソードは特に注意しています。ぼくの場合は監修本も入れると、18、19冊になりますが、ほとんど重複していません。ぼくの本を何冊も読んでくれる人がひとりでもいると考えると、同じ内容にはしたくないのです。それは講演や、東京と大阪で月一回開催している横山塾でも一緒で、何度も来てくれるお客さんに毎度新たな発見をして欲しいと思っているので、絶対に前の講演のネタは使いません。



――「喜ばせたい」が原動力に。


横山信治氏: ぼくのキャリアの一つでもある落語をやり始めたのも、周りの人間を「喜ばせたい」という気持ちからでした。クラスのお楽しみ会でした小噺が評判を呼んで、それがきっかけで「落語家」を将来の夢に据えました。さっそく鶴光さんを訪ねるも、入門4年目で弟子を持てず、代わりに笑福亭鶴瓶さんの師匠である笑福亭松鶴を紹介してもらうことになりました。それまで生で落語を聞いたのは、たったの二回。しかも入門する一ヶ月前の期間でした。とにかく「落語をやりたい」という熱意だけで門を叩きましたが、吸い寄せられるような感じだったのかもしれません。

入門して翌月には初舞台を踏みます。毎日放送の「23時ショー」で、テレビ中継もされました。250人ぐらい来ていたのを覚えています。もちろん実力というよりは、“子どもの落語家”という物珍しさだったように思います。話題性が一人歩きしていたぼくは、声変わりを機に、仕事がどんどん減っていきました。ぼくより数ヶ月あとに入った鶴瓶さんは、ラジオやテレビに出たのも後でしたが、実力で、そこからめきめきと頭角をあらわしていきました。

落語家としての最後の仕事になったのは、大阪の我孫子(あびこ)の老人ホーム。舞台に上がると、観ているのは4人だけでした。初舞台が250人のテレビ放送で、最後が4人。この5年間は、栄枯盛衰そのもの。未練と悔しさで、涙が止まりません。しばらくは、お笑い番組や落語を観ることができませんでした。

落語を辞めたあと、心にぽっかり穴があいて何かにエネルギーを使わないと寂しく、とりあえず就職しようと考えていましたが、“ヨッサン”という先輩から、進学のアドバイスを受け大学を受験することに。落語ばかりをやっていたぼくは、中学2年の時の教科書から戻って勉強し直しました。太宰治や、遠藤周作、それから夏目漱石や森鴎外、現代なら三浦綾子など、本は好きでしたので国語は得意でしたが、それ以外はからきしダメで……。そこから猛勉強して学年で2番まで成績が上がり、無事大学進学し、その後普通にサラリーマン人生を歩むことになります。

行動で環境は必ず変化する 


――横山さんは色々と困難な状況を、好転させてきました。


横山信治氏: 崖っぷちから這い上がるのが好きみたいです(笑)。最初に勤めた会社で、大阪から東京に転勤になって成績の悪かった前任者のあとを引き継いだ時も、自信の行動から環境を変えていくことで、全国最下位からトップになりました。

最下位だった頃は、飲みに行けば、上司や成績の良い同僚、それから商品への批判などで管を巻いていました。ある日、自己啓発セミナーに、わらをもすがる思いで行った時に面白い話を聞きました。「ベンツの写真を貼れ。そうすればベンツが手に入る」とかそういうアヤシゲなセミナーでしたが(笑)、「予算達成できない営業マンは、似たもの同士でつるんで、会社や上司の悪口を言ってるんだ」と言われた時は、ドキリとしました。たしかに、営業成績トップの人間とはあまり話をしていないことに気がつきました。当時、成績がトップだったぼくの一つ後輩を昼飯に誘ってみると、課長の悪口も出ないし、商品に対する評価も180°違うもので、具体性がありました。
そこで、自分の状況を改めて見直し、何が出来るかを考えました。当時はバブル時代で、銀行の融資の審査基準があいまいで、しっかりとした基準で見れば審査に通る人がこぼれている状況でした。そこに目を付けると、評判を呼び、その結果予算を達成し、半年後には全国トップとなりました。行動を変えることで、仕事もどんどん変わっていきました。行動を変えれば環境が変わる。何もしなければ、何も変わりません。

思考優先でブルーオーシャンに漕ぎ出す



横山信治氏: ところが一難さってまた一難。今度は、借金取り立ての部門に左遷されました。訪問先からは罵倒されるか泣かれるかで、ついにはうつ病になってしまい、子どもも登校拒否をするように。なんとか次の職探しをと動くのですが、当時は金融危機で同じ業界の再就職先もなく、あったとしても給料が3分の1か半分になるという厳しい状況でした。

――どうやって打開していったのですか。


横山信治氏: 「年収を増やす」ことを考えていたぼくは、応募が殺到しそうな大手企業にあえて応募しました。ふたをあけてみると、募集人数5人に対して、来ていたのはたったの7人。妥協せずにチャレンジすると、こういった運はやって来ません。

会社を辞めようと思ってから半年間、ナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』を中心に、たくさんの本を読みました。するとエネルギーがわいてきて、「不可能なんてないんだ」というテンションに。だからこそ、そのアクションが起こせたのだと思います。うつ状態のままだったら、やっぱり年収3分の1のところしか受けていなかったと思うのです。常識で考えたら「年収半分の方が通りやすい」と思ってしまいますが、考えることは皆同じです。結局妥協の先は、競争率の高い「レッドオーシャン」なんです。この時は本が後押ししてくれました。

「本」は時代を超えた知識と経験の宝庫


――横山さんにとって「本」は、どんな存在ですか。


横山信治氏: ぼくらが生涯で経験できることは、限られています。自分の身に起こることというのは、今まで必ず誰かが経験しているんです。それを知識として学んで、判断材料にしない手はありません。本はありがたいなと思います。「孫さんや渋沢栄一さんみたいになりたい」と言って、孫さんのところに近寄ろうと思ったら、どれだけ時間と労力を要することでしょう。渋沢栄一さんに到っては、もう会うこともできません。「自分の直観と経験しか信じない」と考えていたら、膨大な時間が必要になります。もちろん経験も大事ですが、データはたくさんあった方がいいですよね。だからぼくは、極力たくさんの本を読むようにしています。

――その経験と知識を本に記すようになったのは。


横山信治氏: 部下に自己啓発や、成功法則を教えていたのですが、「これをもっと多くの人に伝えたい」と思ったのが、きっかけです。その伝える最良の手段が本でした。ぼくは「目標ノート」という必ず実行する事柄を書いていて、“4年以内に本を書く”とそこに記しました。目標ノートに書いた一ヶ月半後、書店で水野俊哉さんの『知っているようで知らない「法則」のトリセツ』という本に出会いました。その本に共感したぼくは、彼の主催する「出版セミナー理論編」にすぐに申し込んでいました。

4人で始め、設立して10数年の会社を上場させたということ。決定権を持って4000人を面接をしてきた、というぼくのバックグラウンドを評価していただき、すぐに出版の話がきました。そのタイトルは、『笑福亭鶴瓶さんが何でパンツをおろすのか』というものでした(笑)。

ところが、タイトルがあまりにアレだったのか(笑)、その後出版の話はいっこうに進まず、悶々としていました。そんな時、水野さんの「ビジスタセミナー」の講師として、ぼくに声がかかったのです。時間もなく、集客やネタの不安もありましたが、すぐに「ぜひ出させてください」と答えました。その時に来ていた編集者が、ぼくに興味を持ってくれたのです。そこから出版に繋がりました。

運の悪い人、考え方に癖のある人は後ろ向き。「ちょっとそれは……」と言った時点で、「脳がそれは難しいぞ」と言っているわけだから、川を飛び越えなくてはいけない時も、絶対に飛ばないか、飛んでも落ちてしまうものなのです。人間は習慣の動物だから、考え方を変えるためには、習慣から変えていかなければいけません。



チャレンジのある人生を



横山信治氏: ぼくは、その習慣化を手助けする選択肢を本に書いています。習慣化して、困難な状況に、また新しい事にチャレンジしていってほしい。失敗しても、プライドが少し傷つくだけでたいしたことがありません。チャレンジしない方がプライドも傷つかないし、楽かもしれませんが、それで本当に楽しいのかどうか考えてみてほしいのです。

チャンスはどこから生まれるかわかりません。ぼくの場合は、ある編集者と知り合って2年経ってから、企画がきたこともあります。頼まれたら人を紹介してあげたりして名前を覚えてもらう、というコミュニケーションを続けていたら、いつかチャンスにつながるかもしれません。やりたいことにエネルギーを使っていたら、かなうようになっています。渡部昇一先生の『運と勉強 天からはしごが降りてくる生き方』というCDには、たまたまドイツ語を勉強していた時に先生に呼ばれて、難しいドイツ語の翻訳をなんなくこなせたことにより、ドイツ留学を射止めたという話があります。一生懸命やっていたら、おのずとそこへとつながっていくのです。そうやって、チャンスを自分でつかんでいってほしいですね。そのチャンスに繋がる行動の後押しができる本を、これからも皆さんに届けたいと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 横山信治

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