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八幡紕芦史

Profile

日本におけるプレゼンテーション分野での先駆者として、企業や団体におけるプレゼンテーションの教育や支援、大学におけるプレゼンテーション技術の指導などを手がける。また、戦略コンサルタントとして、様々な企業や団体で、ビジネス・プロフェッショナルとして必要なリテラシーを支援、開発、養成、指導。主な専門分野は、ビジネスに不可欠な戦略的思考と行動、およびコミュニケーション能力。 著書に『話ベタでも100%伝わる「3」の法則―シンプルでわかりやすい話し方の技術』『三国志で学ぶ「勝つ営業」の法則』(ダイヤモンド社)、『仮説力を鍛える』(ソフトバンククリエイティブ)など。

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国際会議で認識した“プレゼンテーション”の本質



八幡紕芦史氏: そういったアルバイトをしていたこともあって、ほかの企業に入っても、今よりも給料が下がるし、昔からの夢もあったので、就職はしないことにしました。そして、「アルバイト料が悪くはないということは、雇用主はもっともうけているということ。それならば、自分で学校をやろう」と思ったのです。でも名前を“八幡学校”にしても誰も知らないし、面白くない。何かないかなと探していたら、スイスにあるフランチャイズの学校を見つけました。それで私はスイスまで行って、元締めに「日本のテリトリーを、私にくれ」という話をしました。すると相手は、それまで日本をあまり意識してなかったから、「いいよやるよ」と。それで、渋谷にちょっとしたスペースを借りて、始めることにしました。

――お客はどのようにして獲得していったのですか。


八幡紕芦史氏: お金を持っている会社=銀行へ営業に行こうと、最初に“銀行の大元締め”ということで(笑)、日本銀行に営業に行きました。話をした人が、たまたまそのスイスの学校で勉強したことがあって「じゃあ、うちの銀行員を出そう」と話がまとまりました。そこで評価を得ると、当時の日本輸出入銀行や、日本興業銀行や第一勧業銀行、三和銀行などからも生徒が来るようになりました。ある年「学校の国際会議を、今年はスペインでやる」と通知を受けて、私も出席することになりました。その当時は、日本人が海外旅行に行くような時代ではなく、会議には200人ぐらいいましたが、外国人ばかりで圧倒されて、後ろ隅っこの席に座りました。ドイツの人が開催宣言した途端、前の方にいた人が手を挙げて「この会議を何語でやるか決めよう」と言いました。当然、英語でやると思っていたので、カルチャーショックを受けましたね。そこからスペイン語や、イタリア語、といった意見が飛び交って、「国際的だな」とのんきに構えていたら、私の隣に座っていたイギリスの紳士が、私に「手を挙げろ」とつっつくのです。

――手を挙げて「ジャパニーズ」と言えと。




八幡紕芦史氏: 無茶ぶりですよ(笑)。でも何度もつっつかれるので、仕方なく手を挙げて「ジャパニーズ!」と言いました。会場に「ジャパニーズ」という声は響きましたが、案の定、私一人で却下されました。内心ドキドキしながら、「まあ、こんなもんだな」と思っていたのですが、その後、休憩になると、色々な人が私のところに来て、「あなたが、ジャパニーズと手を挙げたのは、素晴らしいプレゼンテーションだった」と言ってくれました。日本人である自分がここに参加して、自分の意見を述べる、要求を述べるということが、重要なんだと、自分のスタンスをしっかりと発信していくことが、プレゼンテーションなんだろうなと、その時に、おぼろげながらわかったわけです。それが、“プレゼンテーション”という言葉を初めて認識するできごととなりました。それに、「侍はいるのか?」とか「刀を持っているのか?」とか色々な質問を受けて(笑)、そこでもネットワークができました。

日本人の“プレゼン下手”を変える



八幡紕芦史氏: そうして学校業務をやりながら、だんだんと新たな取り組みに繋がっていきました。当時、日本の高度成長期で、日本の企業が海外進出していました。それに伴う色々な問題もあるので、コンサルを始めることにしました。海外でどう事務所を開いて、どう現地の人を雇って、それをどうマネジメントしていくかについて、海外に行く前にきちんと勉強させるということをやり始めたのです。海外に進出していった大手企業の多くは、私のお客さんでした。今も覚えているのは、12月の25日~27日の時期に、朝から晩まで研修していたということ。相手国がクリスマスの間に勉強させて、終わったらすぐに出そうという思惑があったのです。

――最初の本『国際ビジネスでのプレゼンテーション技術』へとつながっていきます。


八幡紕芦史氏: 日本人はプレゼンが下手だということを、コンサルの仕事をやり始めて感じました。日本の会社の方がクオリティの高い、素晴らしいサービスを提供するにもかかわらず、外国の企業に負けるわけです。外国の企業は70の力を、140ぐらいに見せますが、日本の場合は100持っていても、60ぐらいしか見せることができませんでした。そういった状況を打破すべく、プレゼンテーションに取り掛かることにしたのです。最初の本は、題名に“国際ビジネス”という言葉があるように、海外で仕事をする人、あるいは外国人と一緒に仕事をする人向けに書きました。でも時代が進むにつれ、色々な人があの本を手に取ってくれるようになりました。

ある時、青山の近くの居酒屋で飲んでいたら、お客のおっちゃんの一人が「昨日のプレゼンでね…」と話し始めたのです。“プレゼンテーション”という言葉が一般的ではなかった時代からすると、隔世の感がありましたね。今は、商品においても「誰が作っているのか」という“個人”が重要な時代になりました。「企画を立てた人が説明すべきだ」という風に、個人がプレゼンテーションを必要とする時代になってきました。さらに年齢もどんどん下がっていって、今は“小学校一年生からプレゼン”というものもやっています。ある時、文科省の学習要領の中に“自分の気持ちを伝える”という一文が入ったのですが、私たちが色々と意見を言うと、その翌年に“相手の立場を考えて伝えよう”という風に内容が変わりました。そういったように、昔に比べると、プレゼンテーションの裾野がだいぶ広がってきたように思います。

著書一覧『 八幡紕芦史

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