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世界中の本好きのために

久米信行

Profile

1963年、東京都生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。 イマジニア株式会社、日興証券株式会社での勤務を経て、家業の三代目となる。 グリーン電力やオーガニックコットンを活かして自家工場で生産。「日本でこそ創りえるTシャツを世界に、未来の子供たちに」発信するのがモットー。 日経インターネットアワード、経済産業省IT経営百選最優秀賞などを受賞した。 著書に『メール道』(NTT出版)、『考えすぎて動けない人のための「すぐやる!」技術』(日本実業出版社)、『ピンで生きなさい』(ポプラ社)など。

Book Information

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“道”を究める



久米繊維工業株式會社会長の久米信行さん。家業のTシャツ創りを進めると共に、Tシャツを使用したプロジェクトやイベントを次々と立ち上げられています。観光、社会貢献、執筆、教育など多岐に渡る活動の原点は、“職住一致”の下町コミュニティーでした。「縁」を紡ぎ進まれてきた久米さんの“道”とは。

思いついたら即、発信


――様々な形で「すみだ発」のプロジェクトを発信されています。


久米信行氏: 今、日本中で同時多発的に「町おこし」をする面白い人が出ていて、新しいコンテンツや古典の見直しもされています。教育や水辺活用プロジェクトなど、色々な仕事をしていますが、それぞれの仕事を引きずらないように、頭の中をクリアにしてシンプルに“今”を大切にしながらやっています。

FacebookやTwitter、あるいは直接人と話すことでもいいのですが、頭の中をクリアにするためアウトプットを先行することが重要です。思いついたら発信し、その都度片づけてメモリ空間を広げる感じです。熟慮するより、まず発信して思いつきの在庫を一掃するのです。ミスやトラブルを恐れては不良在庫がたまります。十人いれば八人が批判的でもおそれません……。

――毒まんじゅうを食らうようなことも……。


久米信行氏: ありますが、僕はそのまま食べて飲み込んでしまいます (笑)。一人か二人でも「面白い」と言ってくれればいい、と僕は考えています。昔は、添加物の塊のようなお菓子もありまして、下に落としても「3秒ルール」で食べていましたし、ケガをしても消毒もしないで赤チンを塗っていた世代ですが、どっこい生きています。ホメオパシーという治療法もありますが、時々、毒まんじゅうを食べたほうが体が強くなるのです。僕の師匠である日下公人さんは「自分は失うものはないので『言うべき時に、言うべきことを言う』と心掛けてきた」とおっしゃっていました。だから僕も、思ったらすぐに言うようにしています。「見る前に跳べ」です。経験上、それによるリスクは、意外と少ないのです。



日本人は空気を読み過ぎるところがあるので、三カ月くらいは居心地が悪いかもしれませんが、そのうち「あの人は、ああいう人だから」と変人枠で認めてもらえるようになります。そこも日本のいいところかもしれません。だから問題は、その三カ月か一年の違和感を耐えられるかどうかですね。プロの集まる会議でも「斬新で、面白い」と言われるのは、案外素人の意見だったりします。だからそういう時こそ、変人枠で呼ばれた僕の「出番だな」と考えます。チャンスと捉え、捨て身で思いついた妙な意見を言いますよ(笑)。

“物知りのぶちゃん”の原点


――久米さんのトリガー(引き金)は、どうやって引かれるのでしょうか。


久米信行氏: 五木寛之さんも「若い頃はエッセイを頼まれても書けなかった。40歳、50歳になって、突然書けるようになった」と言っています。人間は日々感動して、忘れていくけれど、その感動は必ずどこかの見えない引き出しに入っている。それが4、50歳になると、富士山を見た時とか、キーワードとか何かがきっかけになって、その引き出しが二つ三つ、同時に開くのです。五木寛之さんも、「今は何を見ても、エッセイを書ける」と言っていました。だから、脳のパラボラ力=ありとあらゆることに感動するアンテナを増やした方がいいのです。すると、いつしか多くの引き出しに素材が詰まって、いざという時、ピッと取り出せるのです。

脳のパラボラアンテナを増やし知的好奇心を広げるツールとして、「本」はとても重要なのです。僕と本との出会いは保育園の頃までさかのぼります。同居していた父の妹や、保育園の先生が教えてくれましたので、僕は、早い段階で読み書きができるようになりました。保育園の横にあった緑図書館でお迎えを待つのが僕の日課でした。図書館には「空はなぜ青いの?」といった素朴な疑問がぎっしりつまった、「なぜなに」シリーズの本が何十巻もありました。これらの本が僕の原点です。読んでいるうちに、わかることがどんどん楽しくなっていきました。迎えに来た祖父母に「今日は何の本を読んだ」と聞かれて、「空はなんで青いか知っている?」などと話すと「凄いね~」と褒めてくれて、“物知りのぶちゃん”と言われるようになったのです。

小学校に入学してからは、月に一度、学研の図鑑が届くのを心待ちにしていました。図鑑を見ると、世界の扉がひとつずつ開かれていく感じがしたものです。幼少期に視野を広げる読書体験を身につけたのはありがたいことでした。国旗や国の名前を覚え、色々な写真を見て「こんな景色があるんだ」とか「こんな蝶がいるんだ」と好奇心を増幅させていました。

職住一致の下町コミュニティーが与えてくれるもの



久米信行氏: 僕の幼少期には、父は自ら配達をしていたので、よくトラックの助手席に乗せ「納品ドライブ」に連れて行ってくれました。自宅兼会社には勉強部屋がなかったので、楽しそうに仕事をする父の隣りで勉強をしました。父の書棚には松下幸之助の経営書など、ビジネス関係の本がたくさんありました。例えば日本マクドナルドの創業者、藤田田さんの本なども面白かったですね。頑張って成功していく起業家の本を読み、父の生き様と重ね合わせて、商売人も楽しそうだなと思いました。

僕が育った下町では、家は日本家屋で窓も開けっ放し。内と外の区別がありません。自分の部屋もなくプライバシーはゼロでした。昨今の子供たちは自分の個室にこもれますし、近所の人などと日々接することも少なくなっています。僕が子どもの頃は、おつかいに行ったお店の人や、銭湯でご一緒した人と話すのが日常茶飯事でしたので、気がつけばコミュニケーション力が磨かれました。街中が井戸端会議状態で情報が行き交っていました。あのおじさんが作っているメンチやはんぺんを食べているとか、街の人たちと自分の暮らしがリンクする部分も多かったのです。今はコンビニで売られているものが、どこで作られているかもわかりませんよね。

両親のみならず、街の働くおじさんやおばさんたちを先生として、僕は育ちました。もちろんカッコイイだけではなく、時には大変な失敗をして慌てている姿も見てきました。そんなリアルな生きざまを見ているのといないのでは、仕事観や人生観に大きな違いが生まれると思いますね。「なんの仕事をしたらいいか、わからない」と言う教え子が多いのは、職住一致の環境で働く元気なおじさんおばさんに触れてなかったからでしょう。それは子どもの教育に良くないと感じます。もちろんグローバル企業でバリバリ働くという世界も必要です。でも、生き生きとした下町の庶民の生活、昔ながらの顔が見える手仕事を見直す必要性も感じています。

日本の下町は多様な考えが身につく環境だったと思います。今の日本は、色々な人との接点が少なくなってきているように感じます。昔は近所に「寅さん」みたいな人がいても、周りが温かく見守っている余裕がありました。「あの人は、いつも何の仕事をしているかわからないけど、祭りの時だけは輝いて見える」とか(笑)「勉強はできないけど、かけっこが速い子を讃える」など、誰でも尊敬する文化があったわけです。お稽古から受験にシフトしたことも、子どもに良くない影響を与えていると思います。僕たちの小学生時代は受験塾ではなく、読み書きそろばんや、柔道、剣道。女子はバレエやピアノに通っている子供が多かったのです。共通しているのは、頭を動かすのではなくて、手や体を動かすものであるということですね。

――単純作業の反復練習ですね。


久米信行氏: 今の子どもたちが我慢強くない一因は、お稽古不足だと思います。脳の仕組みで三年も反復練習をすれば、無意識に体が反応できるようになるそうです。脳内麻薬のセロトニンも分泌され快感になります。昔は“三年、辛抱する”意義を誰もが体感していたのです。下町の工場で、生涯手仕事を続けているおじいさんはセロトニンが出ていて幸せなのです(笑)。さらに「十年後はもっとうまくなりたい」という目標や「一生続けられる」幸せがあります。スマホやゲームの規制も必要でしょうが、仕事を楽しむ大人の姿を子どもたちに見せることこそが必要だと僕は思います。脳の成長が著しい十四歳くらいまでに、コミュニティーの中で色々な人と出会い多様性とチームワークの大切さを知る。そして、一つのことを掘り下げてお稽古を通付け三年は辛抱する。この二つが重要だと思います。

――“物知りのぶちゃん”も、物事を探求し続けることでセロトニンが出ていたのではないでしょうか。


久米信行氏: セロトニンを出す快感を知ったし“物知りのぶちゃん”は、中学に進むと一瞬だけ“神童”と呼ばれます(笑)。探求し続けた挙げ句「宇宙の果て」や「死後の世界」などの難題に出くわしてしまいました。映画「猿の惑星」の核戦争も怖かったし、公害や温室効果の問題にも頭を抱えていました。とどめは『日本沈没』『ノストラダムスの大予言』など終末思想。人類の終わりばかり考えていた時期です(笑)。無意識にニュースの現実から離れてサブカルに逃げ込み、深夜放送やロックを聴くことで、危ういバランスをとっておりました。

高校、大学では、体を動かして悩みを忘れようと、日払い労働を中心に色々なアルバイトをしました。引っ越しや厨房の清掃、レタス畑の収穫までしていましたね。福沢諭吉先生の心訓に「世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です」ありますが、競馬場でガードマンをやった時に、まさに痛感……誰も道さえ聞いてくれないし、何一つトラブルが起きなくて辛かった(笑)。どんなに体がキツくとも、レタスを運んでいる方が楽だなと思いましたよ。一方、バイト先では、これまで会ったことの無い人たちにも出会えました。中年にさしかかったバイトの先輩が競馬新聞を読みながら「惜しい!ここで当たっていれば、2~3日仕事しなくて済んだのに」と聞いた時などは衝撃でした。「こういう遊牧民みたいな人がいるんだ」と、妙に気分が楽になったのです。アルバイトを通じて、下町とはまた違う人生の数々に触れました。お百姓さんであれ職人さんであれ「無名だけど、かっこいいなあ」と思える心が育まれたように思います。

“縁”を紡いで



久米信行氏: 大学を卒業して、松下政経塾出身の神蔵 孝之社長が創業したイマジニア株式会社で働くことになりました。入社すると、いきなりカーネギーの本『道は開ける』と『人を動かす』が、新入社員全員に配られました。それまで自己啓発本はあまり関心がありませんでしたが、社長のことも好きでしたし読んでみて「ああ、なるほどなぁ」と思うところが多々ありました。親父も夢を叶える経営者だったので、自然に教えを受け入れられたのかもしれません。「潜在意識でポジティブなイメージを持っていれば、だいたいの夢は叶うんだ」という気持ちを持てるかどうかが凄く重要なのです。その教えは、自ら企画制作に関わったゲームソフトがヒットしたことで、僕の心に刻まれました。その後、先輩からお声を掛けて頂き、日興證券にてAIを使った資産運用や相続診断のシステム開発にも挑戦します。ゲーム開発と同様にまったく未経験の領域でしたが、多くの達人のお力もいただいて成果を挙げることができました。以来、僕は、基本的にWhatよりもWho。面白い人と仕事がしたいと考えるようになりました。

――メールマガジンにも「縁尋奇妙」とあります。


久米信行氏: 僕はあえて“奇”にしていますが、正しくは“縁尋機妙”。「人は会うべくして、会うべき時に会うようにできている」という安岡 正篤先生がよく引用した仏教用語です。楽しそうにしていれば、楽しい人が寄ってくる(笑)。“縁”を意識して、大切に紡いでいくことが大切です。イマジニアの神蔵社長も、日興証券で出会った上司、稲葉喜一さん、笠 栄一さん、神戸 孝さんという方も、僕が知らない世界を見せて導いてくださる面白い達人でした。イマジニアはゲーム会社ですが、僕自身ゲームはそれほど好きではありませんでした。大学時代は、マルクス経済学のゼミに入っていたので、証券会社は敵というか(笑)。父は株が大好きでしたが、その父親でさえ「証券会社への転職はダメだ」と言っていました。でも、みんなから「やめろ」と言われると、やりたくなってしまうところもあって……天邪鬼なんですね(笑)。そのおかげで、視野を広げられて、縁に恵まれることになったのです。

証券会社での金融の勉強は、面白いものでした。なにしろ、バブル崩壊の前後を、証券会社の内側から見ることができたのです。昔から人間が欲に目がくらむたびに、同じような馬鹿げたことを繰り返すのです。そんな笑うに笑えない話がたくさん書かれてある『金融イソップ物語』という本も面白いですよ。お金は、幸せになるための必要条件ではあっても、十分条件ではありません。お金があまりにないと不幸せになるけれど、お金が一定以上あると、逆に不幸せになったりもするのです。そんな悲喜劇を、目の当たりにすることができました。

――その後、日興証券を辞めていよいよ家業を継ぐことになります。


久米信行氏: バブルも崩壊し、不況まっただ中。安価な海外製のTシャツが出回ったために国産のTシャツはなかなか売れませんでした。価格破壊と流通革命で、これまでの販売ルートも失われ、インターネットで宣伝するしかありませんでした。ご存知のように、ネットでのお客様とのやりとりは諸刃の剣。ちょっとした言葉遣い一つで、クレームにも感謝のお礼にもなるのです。僕の経験から得た『メール道』を、社員や縁者に向けてメルマガとして発信していました。それを知ったNTT出版の人から「本にしましょう」と話を持ちかけられました。題名もメルマガと同じ『メール道』にいたしました。同じお悩みをお持ちの方が多かったせいか、おかげさまで、Amazonで総合1位のベストセラーになりました。

僕が日興証券にいた時に「華道、剣道そして柔道があるように、相場にも『相場道』というものがある。あらゆるものに道がある」ということを教えてくれた師匠がいました。そこで僕もあらゆることで“道”を歩むことを意識し始めました。以前より、僕は老子や荘子の思想にも惹かれていたので、常にTAO(道)が気になるのです。ですから、拙著『メール道』と『ブログ道』を、師と仰ぐ日下 公人先生と日本財団の笹川陽平会長に差し上げた時に、日下先生から「これは、TAOだね」と言われたのが一番嬉しかったですね。もうひとりの師匠、『森を見る力』『企画書』著者である橘川 幸夫さんに「久米くんは何を書いても、道になるね」と言われたことも、僕の誇りです。

道歩きで人生を切り拓こう


――今日のシャツは何を着ていらっしゃるのですか。


久米信行氏: これはダイアログ・イン・ザ・ダークのTシャツですね。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク〜真っ暗闇のエンターテイメント〜」と題した活動のもので「眼を閉じる=日常を離れる×常識を忘れる」をコンセプトにしています。見る前に跳べる。真っ暗闇の中で、未知なる非日常に触れることで、新しい自分に出会うことができます。他にも、拙著『ピンで生きなさい』の出版記念のために創った「ピンで生きるための黄金律」をプリントしたTシャツもあります。そこには「∞=1×∞」とプリントされています。「ピンの道は無限に通ず」です。

今はLINEなどで、似たもの同士が集まって濃密なレスを繰り返すので、結局モノカルチャーになってしまいがちですよね。でも、仲良しサークルの外にひとり飛び出して、自分と違った感性や知性を持つ達人と接することで、自分の中に眠る“オタク”の部分が覚醒することがあるはずです。それを繰り返すほど、自分の無限の可能性も切り開かれていく。“ピンは無限に通ず”というのは、そういった意味なのです。似た者同士の仲良しだけでいる人生は、もったいないなと僕は思います。スキマ時間には、スマホを閉じて、本を読もう。見知らぬジャンルの達人の本にピンと来たら、ネットでつながって会いに行こう。「ググってウィキして会いに行け」と、僕は明大の教え子たちに言い続けています。スマホで似た者同士とレスばかりしていると世界も人生も閉じていってしまいます。



電車の中では、スマホより電子書籍に触れて欲しい。なにしろ無料の古典名作全集から最新ベストセラーまで片手で携帯できる素晴らしい時代になったのです。僕自身も、夏目漱石の『こころ』など、青空文庫で無料文庫本をたくさんダウンロードしています。『風立ちぬ』とか『人間失格』とか、昔読んだ本を歳をとってから読み返すと、その深みがさらにわかるものです。やっぱり古典は大切ですよね。Google元社長が実践していた「村上式シンプル英語勉強法」で知られる村上憲郎さんと明治大学のパネル討論でご一緒した時に、楽屋裏で読書の話になりました。お互い、トイレの書棚があるという共通点で盛り上がったのです。村上さんは「トイレに並ぶ本が一番大事な本。学生の頃は解けなかった物理などの古典が並んでいて、それを考えるのが一番幸せな時だ」とおっしゃっていました。僕の場合は旅が好きなので、トイレの書棚には『ことりっぷ』など旅のガイド本ばかりが並んでいます。トイレで空想の旅に出るのです。
あとは、地下室にも作り付けの大きな書棚が並んでいます。右側の壁の書棚は僕の右脳を表し、美術館で買い集めた展覧会の図録と楽譜、CD、DVDなど感性を動かすものが並んでいます。一方、左側の壁の書棚には、経営書、ビジネス書から、科学や宗教の本まで、理性や知性に関わる本が並んでいるのです。それとは別に、童話や絵本などの書棚もあります。僕の本棚を見れば、僕の人生が、脳の中身がわかります。本が“僕”を表すアイコンとなっているわけです。

僕の目標の一つに、最良の書やCDを棚に並べて、その解説集を作りあげることがあります。生涯をかけて、良い作品に出会い、それを後世に遺して広めるお手伝いをしたいと願うのです。最近、仲間内で「どういうお葬式をしたいか」という話になったので、僕はデジタル葬を提案しました。日々撮った写真、感じたこと、原稿など、Facebookやブログに刻んだ生きた証を、お墓の代わりに全てアーカイブとして遺してもらうのがデジタル葬です。弔辞の代わりにコメントを遺していただき、命日にはメールが親友に届きます。年に一度、親友の遺したアーカイブを見て懐かしむというものです。そのアーカイブに、書棚の目録と解説集も加えたいのです。

――久米さんとって本とは。


久米信行氏: 「脳のパラボラ力 × 心のズーム力 = 幸福感得力」を増強するツールですね。「脳のパラボラ力」でアルマ望遠鏡の如く、五感を働かせ楽しむ対象を増やし、「心のズーム力」ではハッブル望遠鏡の如く、対象を凝視して味わい尽くす。この二つのかけ算で、たとえ同じ日常を生きていても、美しいもの楽しいことを見つけ出し味わう力=幸福感得力は無限に広がります。

また、不得手な真逆の脳を鍛えて「脳幹の軸を」鍛えるトレーニングマシンとも言えます。僕の場合、科学書も読んだら、宗教書も読む。経営書を読んだら、童話を読む。そうして上下左右を鍛えるうちに「真ん中」が鍛えられ、どちらにも動けてぶれない「脳幹の軸」ができあがるのです。

そして、老人力も幼児力も同時に磨ける「タイムマシン」であるとも言えます。老人になって初めてわかる古典の意味を、電子書籍のデカ文字で読むことができます。また老人になっても幼児と同じもので楽しめる喜びを、マンガで味わうこともできます。

さらに、生涯の師を見つけてつながる「魔法の媒体」とも言えるでしょう。今は本を読んで感動したら、著者をネットで探してファンレターを出せる、友達にもなれる有り難き時代です。そこでは、本にはならない日々のネット発信や、勉強会に参加しての生の声にも触れられる喜びを味わうことが出来ます。著者=師匠に恵まれるほど、人生が豊かになることはありません。

本棚は脳ミソの中身です。読書でのインプットから始まり、自ら感じたこと考えたことをネット上にどんどんアウトプットすれば、著者とつながりを持てる信じられないほど恵まれた時代です。SNSの読書感想ログや交遊関係も脳ミソの中身と言って良いでしょう。毎日少しずつ読書での感動(微分)を重ねながら、生涯読書の感想ログ(積分)を充実させたいと思います。書き手として、また同じ読者の仲間として「スマホ歩きで 自ら世界を閉じるのは もうやめにしよう!」と言いたいですね。未知なる本と師匠に出会い、情報発信で人生を切り拓こうと。

――こちらにライフログの一部をご用意頂きました。


久米信行氏: ジョン・レノンとオノ・ヨーコが出会った頃の『レノン・リメンバーズ(回想するジョン・レノン)』という本です。訳者の片岡義男さんのあとがきにある「ジョンがジョンであることが最大の敬意で私を幸せにしてくれる」というオノ・ヨーコの言葉に衝撃を受けて『グレープフルーツブック』という彼女の詩集に出会いました。キャンバスに穴を開けて空にかざして、雲の流れるのを見ていなさい…といった前衛的な本です。僕はロックが好きで、ビートルズのファンでしたが、この本のおかげで前衛芸術にも興味を持つようになりました。

愛読書を一冊と言われたらサン=テグジュペリの『星の王子さま』です。この本に出会って、僕は童話作家になりたいと願うようになったのです。あとは『かもめのジョナサン』の作者、リチャード・バックの『イリュージョン-悩める救世主の不思議な体験』という本。「念ずれば花開く」という自己啓発のメッセージが童話仕立てになっています。誰にでも大きなポテンシャルがあって、自分の心を開くと奇跡と呼ばれるようなことも起きる、というような話です。若い頃は、読書をして「物知りになりたい」、つまり色々と鎧を着て武装していったような気がしますが、今となって興味を持つのは、鎧を脱ぎ、目から鱗を落として、我が身を削ぎ落としていけるような本です。もっと純粋な自分に出会いたいと思いますね。

「ちくわ」のようにやわらかな軸を


――色々なものを削ぎ落とすことで、「真ん中」を軸に多方面に動けるのですね。


久米信行氏: 善とか悪とか、右とか左と決めつけて、一方的にやるのは嫌いなのです。森政弘先生の、『「非まじめ」のすすめ』ではありませんが、「まじめ」でも「不まじめ」でもない「非まじめ」でありたいのです。性善説、性悪説とか、何もかも二分法でわけるゼロイチの発想が苦手なのです。「いいあんばい」とか「おさまり」というのが、日本の知恵だと僕は思っています。例えば右翼のことを勉強したかったら、左翼のことも勉強する。そろばんもアートも勉強して、やっと自分の軸が見えてくるわけです。“空”や“無”というのは仏教では、目に見えない言葉では言えない究極のもの、命の根源ととらえるそうですが、「全てのことがわかった上で、真ん中は空」「何もないけど、全部ある」という感覚が大切だと思うのです。森先生も「究極の人格は朝露だ。赤い花の上にいれば赤く見えるし、草の上にいれば緑色を映す。これが理想の人格だと」とおっしゃっていました。若い頃は「自分だけの個性的な色」にこだわっていましたが、今では「純粋で透明な何かになりたい」と願うように変わったのです。本当の達人は、凄くとんがった意見を言っても、逆の側の意見も理解するし、真反対の意見を持つ人達にも友達がいたりするものです。また時には、あえて自分の意見の反対を発言することさえあるのです。ですから、簡単に排除したり、決めつけたりせず、実際に意見を聞いて、自分も勉強した上で、自分がどこに立つかを決めたい。とらわれなき自由な心を持ちたいです。

これから、一著者としては、自己啓発や情報発信のテーマに限らず、観光地域づくりやNPO経営など、僕の経験を役立てていただける実践的な本を引き続き書いていきたいです。さらに、昔からの夢である童話はもちろん、ネットで発信している電線クラブ、葉っぱクラブなどの写真詩とか、自分が楽しめて書けるものも大切にしたいです。商業出版ではなくても、誰か一人が読んでくれたら嬉しい。そういう柔らかい作品の数々もバランスよく書いていきたいですね。また、リアルに話す方がわかってくれる場合が多いので、講演や講義も続けたいと思います。明治大学では、三、四年生を教えていますが、本来は人生の楽しみ方歩み方や、ネット発信や繋がり方を一年できちんと教えたい。その後、地域や企業と連携するプロジェクトをゼミ形式でしっかり三年がかりで教えれば、きっと社会人基礎力の高い素晴らしい人財を育てられると思います。たとえば「すみだ北斎美術館プロジェクト」など、僕が地域で取り組んでいる課題を教え子たちと解決できれば最高です。その歩みもぜひ本にしてみたいですね。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 久米信行

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