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世界中の本好きのために

菅原裕子

Profile

1977年より人材開発コンサルタントとして、企業の人材育成の仕事に携わる。 企業の人育てと自分自身の子育てという2つの「能力開発」の現場での体験をもとに、子どもが自分らしく生きることを援助したい大人のためのプログラム-ハートフルコミュニケーション-を開発し、1999年には有限会社ワイズコミュニケーション設立。企業を対象とした研修や企業文化変革のコンサルティングやプログラムを提供するかたわら、ハートフルコミュニケーションの活動にも力を入れる。 著書に『子どもの「やる気」のコーチング』『子どもの心のコーチング』『思いを「伝える」技術』(PHP研究所)、『ひびわれ壺 子育てに大切なことがわかる小さな物語』(二見書房)など多数。

Book Information

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成功ではなく、成長を



NPO法人「ハートフルコミュニケーション」代表を務める菅原裕子さん。人材開発、子どもやその親たちの支援活動を続けられています。節目節目に棚卸しをし、できることとやりたいことの接点を紡ぎ、形にしてこられました。「成功ではなく、成長を目指したい」という菅原さんに、活動に込めた想いを伺ってきました。

知識を知恵に「通訳」する。


――ハートフルコミュニケーションの活動について伺います。


菅原裕子氏: 会社勤めをしながらやっていた、ハートフルコミュニケーションの活動が広がり始めて今に至ります。1999年からビジネス関係のワイズコミュニケーション、2006年からNPO法人ハートフルコミュニケーションとしてやっています。独立してからの16年はアッと言う間に過ぎましたね。不安も特になかったです。一番大きなテーマとして、どこまで世の中のお役に立てるかということを考えていましたが、逆に世の中に助けられたような気がします。

「人生の節目節目で私は何を生きたいのだろう」と探究した時、常に私は「通訳」というキーワードで動いてきました。言語的な通訳もそうですが、子どものころから、自分や人の考えていることを、どうしたらもっと分かりやすく、受け取りやすく伝えられるだろうということを、よく考えてきました。今やっていること、世の中にある様々な知識を、分かりやすくすぐに使える知恵として伝えていくことも、やはり通訳だと思っています。一見関係のないように思われる事象を、子育てや部下の育成にどう生かしたらいいかを分かりやすく翻訳して伝えるか。今のキャリアを求めていたわけではなく、海外に行って英語を勉強した。そして通訳の仕事を探して人材開発のコンサルティングに出会った。何かの意思でそこに運ばれたと思うので、それに従って、できるところまでやろうと思いますね。

自分で人生を切り開くために


――昔から、どう「通訳」したら分かりやすく伝えられるかを考えていたんですね。


菅原裕子氏: 5、6歳のころ、ふと「普通のお母さんになりたくない」と思ったことを覚えています。別に専業主婦である母に反発を持った訳ではなかったので、どうしてそう思ったのかは謎です。後の解釈ですが、当時の女性の生き方は、結婚して子どもを産んで家庭の主婦。子どもと夫の世話をして生きていく。私はたぶんそのことを思ったのでしょうね。

高校2年生のころは、その時の成績を維持すれば、希望する大学に行けるくらいの成績でした。でも、そのころから「終わったな」というか、このまま近くの大学に行って、小学校か中学校の先生になるのかな、と思ったのです。かといって、自分のやりたいこともないので、この大学ではなくて、こういう道を進みたいと親を説得もできない。勉強する意欲もわかなくて、高校3年生になるころは、成績は普通よりも下くらいになっていました。

受験の直前になってやっと、4年間勉強しようと決めました。ただし、2年は日本で勉強して、2年は海外に出ようと決めました。2年で英語が話せるようにしてくれる可能性のある学校を探して、京都の精華短期大学(現:京都精華大学)に進みました。ところが、海外に行くことについては、事前に親から許可をもらっていたのですが、卒業していざ行くとなると、とんでもないと言われて……(笑)。大反対で、お金も出ず、働きながら留学の準備をしていました。

――念願の渡英中はどのように過ごされていたのですか。


菅原裕子氏: お金もそんなに余裕がないので、イギリス人の家で、お手伝いをしながらホームステイさせてもらっていました。男の子を幼稚園に送って行ったり、学校から帰ってきたお兄ちゃんと留守番したり。私はその間学校に行きました。土曜日には家の中を掃除したり、軽いお手伝いをして一緒に暮らしていました。休日は、プライベートレッスンを取って、とにかく勉強していましたね。

自らの棚卸しで、仕事を生み出す



菅原裕子氏: 日本に帰国してから、ジャパンタイムズの求人欄で通訳の仕事を探しました。1社1社電話して。その中で、「働く意欲があり、尚且つ働くことによって成長することを望んでいる人」という求人があったのです。「成長を望んでいる」これが1番いい、面白いと思いました。それで、面接を受けたのですが、一緒に受けた人たちと話していて、海外経験の豊富さに「ああ、もうダメだ」と思いましたね(笑)。それでも一応、面接を受けました。すると次の日に「いつから始められますか」と電話がかかってきたのです。

――どうやって突破したのでしょう。


菅原裕子氏: 「どうして私を採用していただいたのですか」と恐る恐る聞いてみたのです。答えは、「面接に来た人の中で、日本語が1番うまかった」ということでした。その会社は、アメリカの人材開発のコンサルティングの会社で、営業マネージャー向けの教育プログラムを販売していたのです。そこで日本人に販売するために日本語が上手でなければいけなかったのです。「そういうことか、なるほど」と思いましたね。だから、面接官が日本人とアメリカ人だったのかと。



通訳をしながら、欧米人のコンサルタントたちが行っている内容は、日本語で説明したらもっと伝わると思いました。それである日、社長に面接をお願いして「私にこの仕事をする資格があるだろうか。やってみたい」と言ったのです。アメリカ人の社長の答えは「日本じゃ女子は通用しない」ということでした。当時私はまだ24、25歳で、日本もそういう社会でしたからね。そうしていたら、ある仕事に入る時に社長から「君は今回通訳だけど、もう一つの役割として、見習いコンサルタントの立場で入りなさい」と言っていただけたのです。

人に教える立場になって、色々なことを考えました。仕事にしても、生きることにしても、色々なことをなんのためにと考えて、結局「世の中の、何かお役に立てるようなことができたら」と、そのために働きたいと思うようになったのです。

半歩先の知恵を書く



菅原裕子氏: 出版社に「菅原さん、本を書きましょう」と声をかけていただいたのです。でも、何を書けばいいのかわかりませんでした。独立したころ、講演の時にでも買っていただこうと思って作った、ハートフルコミュニケーションの小冊子を持っていたので、「これですか」と聞くと、「今やっていることを書きなさい」と言われたのです。初めてなので、本の書き方も分からず、不安でしたが、編集者に書いては見せて、直してもらって、という作業を繰り返してできあがりました。それから間もなくして、講談社現代新書から「コーチングの本を書きませんか」という話が来て、二冊目の『コーチングの技術』を書くことになったのです。

――本を書く時、どんなことを意識していますか。


菅原裕子氏: 大事なことは、人々が何を聞きたいか、どんな知恵を求めているかだと思います。私が学んできて思っていることをみんなが知れば、もっと色々なことが簡単にできると思うのですが、あまりに全部を書いても、みなさんが喜んでくださるかというと、そうでもない。半歩くらい先のことであれば、「これは面白い」「簡単に読めました」「やってみたいと思います」というような反応です。だから『子どもの心のコーチング』は、まさに半歩先の本だったので、たくさんの方に読んでいただけたのだと思います。

――半歩先というのはどういう感覚なのでしょう。


菅原裕子氏: 身近に感じるということでしょうか。読んだ人が「私もこう思っていたけど、言葉にするのは難しかった。それをこの人は言葉にしてくれている。ありがとう。私、やってみるわ」となるような感じが一番いいのかなと思います。

編集者に励まされて


――そういうふうに導いてくれるのが編集者ですね。


菅原裕子氏: そうですね。よく、言葉が難しいと言われます。私は仕事の世界で生きてきた人間なので、ビジネス用語を使ってしまいます。ビジネス用語は、聞く人にとって硬くて難しくて冷たい。『子どもの心のコーチング』とか、子育ての本にビジネス用語を使ってもね。だから、1冊の本を書くのにすごく時間がかかって、嫌になりますけど、編集者に励まされながら書いています。編集者は、読者が読みたがっているものを教えてくれたり、だからこういうことを書きましょうという指針を示してくれます。それに私の言いたいことを合わせれば、世の中に出せる。そういうアイデアをいただけます。間もなく、3月17日ころ、次の本が出る予定です。今回の本は、今まで私が書いてきた本から、色々なテーマをピックアップして、それぞれを深めていくような本です。この本も、編集者から「こういう本を作りましょう」というアイデアをいただいて実現しました。

3歩進んで、2歩下がる読書


――読み手としてはいかがでしょう。


菅原裕子氏: 色々ありますけれども、今は河合隼雄先生の本を読んでいます。分かりやすく書かれていますが、それを翻訳できるほどに理解しようとすると、やはり難しいです。理解して、自分の言葉で説明するために、あるフレーズを何度も何度も読みます。だから全然進みません。老子を読んでも、「だめだ、まだ私はこれを理解するに至っていない」と思います(笑)。通訳としては元を入れないと通訳ができないので、一生懸命吸収して、なんとか分かりやすくと考えて書いています。ですから、私の書いた本が「1時間で読めました」「2時間で読めました」と言われると、「ああ良かった」と思います。

電子書籍にも興味はありますが、まだあわてなくていいと思って。こうしてページをめくって読むのが好きなので。「こんな本もある」と発見があって、書店はいいですよね。でも、買ったのに読んでいないと罪悪感を感じるので、衝動買いには気を付けています(笑)。河合先生や老子の本のように、私の本棚にも「読めていないコーナー」があって、そこを見る度に対峙している感覚というか、「待っていろよ」と。そこが紙の本の良さかもしれません。

――仕事で読まれる本などには、書き込んだりするのですか。


菅原裕子氏: 私は書き込みができないたちなので、メモを取ります。本に関しては親から「教科書に書き込んではいけない。教科書はきれいに使いなさい」と教育を受けてきたものですから。父が教育者だったので、家には当時私には絶対読めないような本がたくさん並んでいました。その片隅に子どもたちが読める『世界少年少女文学全集』があって、夢中になって読みました。

――本はどんな存在ですか。


菅原裕子氏: 本は冒険です。考えられないほどの冒険が詰まっています。『世界少年少女文学全集』で、『十五少年漂流記』を読んで、自分が本当に島に行ったらどう暮らすか考えましたね。私の知らない世界を教えてくれます。

世の中に恩返しを


――知らない世界見せてくれる本、菅原さんはどんな想いを届けてくれるのでしょうか。


菅原裕子氏: まだまだコミュニケーションの世界は、理解されていないことが多く、よりたくさん「通訳」し、伝えたいと思っています。そのために、ハートフルコミュニケーションの本を、もっと書いていきたいと思っています。子どもの問題で悩んでいる親たちが多いので、その悩みが解決できるような分かりやすい本を書いていきたいですね。

また最近、本当に日本語の使える、賢い子どもたちを育てていかなければいけないと思っています。グローバル社会で英語が話せないと仕事にならないと言われていますが、まず母国語をしっかりと話せないと、英語も話せません。鍛えなければいけないのは、思考をつかさどる言語なのです。それをどうやって教えればきちんと伝わるかなと考えています。

『子どもの心のコーチング』が10万部20万部となった時に、「ハートフルコミュニケーション一つに絞ってやっていきますか」と聞かれたことがあります。私としては、ビジネスとハートフルコミュニケーションの両方を続けていきたいと思っています。世の中から、「もう要らないよ」と言っていただけるまで、企業や世の中のお役に立ちたいですね。「成功ではなく成長したい」と思っています。私自身の成長を、世の中に還元していきたいと思います。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 菅原裕子

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