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世界中の本好きのために

岩崎日出俊

Profile

1953年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、日本興業銀行入行。 スタンフォード大学経営大学院で経営学修士(MBA)を取得。J・P・モルガン、メリルリンチ、リーマン・ブラザーズの各投資銀行でのマネージング・ダイレクターを経て、経営コンサルタント会社「インフィニティ」を設立。現在に至る。 近著に『残酷な20年後の世界を見据えて働くということ』(SBクリエイティブ)、『気弱な人が成功する株式投資』(祥伝社)、『65歳定年制の罠』(KKベストセラーズ)など。

Book Information

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「成長」「チャレンジ」「攻めの姿勢」



インフィニティ株式会社代表を務める、経営コンサルタントの岩崎日出俊さん。そのキャリアは夢に描いた外交官ではなく、銀行マンとしてスタートしました。凄腕のアルバイト学生時代のエピソードから、読書について、最新刊のお話まで、岩崎さんの想いをたっぷりと伺ってきました。

共に成長する喜び


――インフィニティ株式会社のお仕事について伺います。


岩崎日出俊氏: 経営コンサルタントとしてあげた収益をベースに、スタートアップと言われる未公開会社への投資を行っています。コンサルタントとしては、上場体制を整えるサポートや、M&Aのアドバイスをやっています。海外展開の相談にのることもあります。なかには十年以上契約していただいているお客様もいて、私も社長さんと一緒に悩んで、役員会に出席して意見を言います。取締役の方々や部長クラスの人々が言いにくいことも社長の目を気にせずに、本当に思ったことをバンバン言います(笑)。私はそういう役割なのだと納得しています。

自分でゼロから会社を立ち上げたので、やはり紆余曲折はありました。リーマンショック直後は厳しい状況でした。投資銀行を辞めて始めた同業の仲間たちも、リーマンショックで会社がうまくいかなくなった人たちが結構いたように思います。しかし一方で一年以上前から兆候があり、会社としてはそれに備えていましたので、お客様にもそういう情報はきちんと提示できていたと思います。

――どういうところにやりがいを感じていますか。


岩崎日出俊氏: 私は日本興業銀行(以下:興銀)時代、五年ほど審査部にいて、ギリギリの経営をしている企業をたくさん見てきました。私の例ではないのですが、YKK創業者の吉田社長が「興銀の富山支店から融資を受けることができて、当時の最新鋭の機械を導入することができた。興銀の富山支店長のおかげで、今のYKKがある。興銀に足を向けて寝られない」と『私の履歴書』にも書いていました。これから成長したいとか、倒産の危機に直面している会社を救うとか、そういう会社の手伝いをすることにやりがいを感じています。

印刷工場にデパ地下、アルバイトをしながら目指した外交官


――銀行マンとして、そのキャリアがスタートしたということですが。


岩崎日出俊氏: 高校生の頃は、生きる目的や自分の存在意義というようなことを考えていました。加藤諦三さんの本も結構読みましたし、早稲田の哲学の先生で、樫山欽四郎さんが書いた『哲学概説』という本も読みました。それで「自分の死後も、自分が考えていたことや、成し遂げたことは実は残っていくのだ」と思うことができて、少しは心が落ち着きましたね。

日本と太平洋戦争について考えたりもしていました。その中で、軍部に対抗して当時の外交官の人たちは、外交ルールに則って最後まで戦争を防ごうとしていたことを知ったのです。それで、将来日本が道を踏み外すようなことがあっても、外交の世界にいれば食い止めることができるのではないかと。そこに自分の存在価値を見出して、早稲田大学では政治経済学部に進みました。政治学科に行って外交官になろうと思ったのです。

学生時代はずっとアルバイトをしていました。いろんな職種をやりましたよ(笑)。印刷工場では、製本された本を全部手でダンボールに詰め込んだり、いらなくなったダンボールを2秒くらいで平らにする作業は、誰よりも早くできました。休憩のサイレンが鳴った時のうれしかったこと……それから百貨店で、派遣の店員さんもやっていました。今でもテープを一切使わない贈答用の包装はプロ級ですよ(笑)。

デパ地下で、おでんを売っていたこともあります。一つ一つおでんの値段を見て計算してレジ打ちするのですがそれが苦手で苦手で……、売り場に長くいる女性に助けてもらっていました。デパートのあるコーナーでは、発注から在庫管理まで一人でやっていたこともあります。通訳案内業の試験に合格して、免許証を取得して外国人のガイドや通訳もやっていました。これだけアルバイトをやっていたので、興銀に入行した時は、給与が三分の一くらいに減りました(笑)。

――外交官試験の勉強はいつやっていたんですか(笑)。


岩崎日出俊氏: 大学三年の後半から半年間は、ちゃんと外交官試験に向けて一日16時間近く勉強しましたよ(笑)。おかげで合格したのですが、最終面接で面接官や外務省の考えと意見が合わなくて、自分の思うところを正直に話していたら、通りませんでした。長年思い描いた外交官への道が閉ざされてどうしていいかわからなかった時に「興銀に行けば、すぐに留学させてもらえる」と聞いて、勉強させてもらおうと思って興銀を受けました。面接試験は全部英語で、「国連の理念と現実について、英語で話してください」という内容でした。でも私はガイドもやっていたし、外務省の試験対策で国連憲章も覚えていたので、問題ありませんでした。

興銀に入社してすぐの五月に、留学生試験を受けてスタンフォード大学に留学しました。留学当初は大変でしたね。スタンフォードのビジネススクールは発言の貢献度で評価されます。発言に関してはさほど苦ではなかったのですが、英語を読むことがとにかく大変でした。一冊の本を三十分間で読んだ後にディスカッションをするのですが、みんなと読むスピードが全然違って、自分は半分くらいしか進んでいませんでした。十月下旬に行なわれた最初のミッドタームの試験の時は、怖くて寝られませんでしたよ。でも最初の試験で成績がとれると、様子もわかってきて、後は楽になりました。

学生時代は外交官になって世の中に貢献したいと思っていましたが、アメリカで二年間勉強してみて、役所や国が主導していくやり方は、それほど正しいことではないと思うようになりました。むしろ個々人が創造性を発揮して頑張る。国の役割は、そういう頑張る土俵を作ることだという意識に変わっていったのです。それで、外交や政治の世界というより、マーケットの世界でやっていきたい、と思うようになりました。自分が市場主義なり資本主義の中で、どう頑張って付加価値を出していくか、ということに興味を持つようになりました。



「成長」「チャレンジ」「攻めの姿勢」



岩崎日出俊氏: 留学前を含め、興銀では二十二年間働いていました。留学から帰ってきて二年半は、当時の外国部。その後五年間はシカゴ駐在員。帰国後は、審査部や営業部といった感じでした。バブル崩壊の過程で、貸し倒れるようなところでも簡単にお金を貸すようになって、興銀がだんだん違った方向に行っているように感じました。量を拡大するということで、銀行は一生懸命やっていましたが、本来金融の世界はそういった世界ではありません。株主から預かっている資本を最大限使って、株主に対して価値を高めるという発想に立つのであれば、量を拡大するという発想にはなりません。

ところが、貸せるのであれば目一杯どんどん貸す。貸せない先は縮小していく。私が色々言ってみても通じなかったし、このままでは一緒に沈んでしまうだけだと思いました。
「自分の一生だし、もう少し本当の金融を極めるような、活躍できる場所が他にある」と思って、外資に移る決断をしました。個人的には住宅ローンもありましたし、経済的にどうなるか不安もありましたが、アルバイト経験も豊富ですし(笑)、いざとなれば何とかなるだろうと思っていました。

――その後J.P.モルガン、メリルリンチ、そしてリーマンを経て、独立されます。


岩崎日出俊氏: 投資銀行部でM&Aをやっていましたが、勝ち負けの結果がくっきりと出る世界です。負けると、若い人は経験も積めないということで、辞めていきます。するとチームはどんどん弱くなってしまうので、とにかくやっている間は勝ち続けなくてはいけない。全世界から入ってくる情報を自分でこなして、最先端で自分が突っ走って勝たなくてはいけない。それができる年限として、私は45歳で始めましたけれど、50歳になる前には辞めようと思っていたのです。

――ずっと継続して進んでいける秘けつはなんだと思われますか。


岩崎日出俊氏: 「成長する」「チャレンジする」「守りに入らない」この三つが大事だと思います。どんなことでも、「もうこれでいいや」と思って守りに入ってしまうと面白くないですよね。「面白い」と思えることが大切だと思います。

この人たちのために、という思いを込めて


――そうした想いをブログや本にまとめられています。


岩崎日出俊氏: 早稲田大学高等学院の時の仲間たち10人から15人くらいで「みんなどのような仕事をやっているか」などと月一回、勉強会をやってきました。講師を招いたり、他の分野の人も参加してもらったりしていました。そこで幹事に「お前、外資で面白そうなことをやっているので話せ」と言われて、自分の経験や、金融、経済のことを話しました。その時、祥伝社の編集長が勉強会に来ていたのです。翌日になって「昨日の話が面白かったので、本にしてください」と言われたのがきっかけで、最初の本『サバイバルとしての金融』が出たのが始まりです。

講演では、自分が話したいことを話せました。ところが編集者の人は「それでは困ります。読者が読みたいことを書いてください」と言うわけです。「発想を変えないといけない」と言われた時は、結構びっくりしました。本によって違うと思いますが、読者層をイメージして、失敗談も含めてその人たちに参考になるようなことを書くということなのです。ストレス発散のために、書きたいことはブログに書いています(笑)。ブログは読みたい人が読んでくれればいいけれど、本の場合は、お金を払って読んでいただくので、それに対する対価をきちんと提供しないといけない。そういうつもりでやっています。

――最新刊『残酷な20年後の世界を見据えて働くということ』が好評です。


岩崎日出俊氏: 『残酷な20年後の世界を見据えて働くということ』の想定読者層は、出版社の人に言わせると、“本を売るのが難しい世代”だという、20から40代くらいの人をターゲットにしています。今、日本の人口の三分の一以上が六十歳以上で、この人たちが1600兆円と言われる日本の個人金融資産の80%以上を持っているとも言われています。一方で、五十九歳以下は住宅ローンを抱えている人も多く、日本の個人金融資産の20%以下しか持っていない。若い人は貧しくて、高齢者がお金を持っているのです。だから、『週刊現代』にしても『週刊ポスト』にしても購読者は六十歳以上が多いのです。ここをターゲットにすれば本は売れますし、編集者の人からは「売れる本を」という依頼がくるのですが、今回は「私は20から40代くらいの人たちにメッセージを残したい」と言って編集者の人も納得してくれました。そういう意味では、今までの本と違った思い入れがありますよね。

高齢者が優遇され過ぎてしまって、このままでは日本の若い人がどんどんやる気がなくなって、社会が衰退していくという危機感がありました。だからそこを変えていかなくてはいけないと思い、筆をとりました。飛行機の国際線に乗っても、ツアー客のほとんどが六十歳以上の方々です。2〜30代の人が、バックパック背負って、一週間程度の海外旅行に行くことができる。そういう社会でないとおかしいと思いますよ。選挙も高齢者の投票率が高いのですが、若い人のことを考えて政策を立ててほしいと思います。そういったことをメッセージとして込めています。

私は小さい頃から、ずっと本によって、自分の知らないことを知ってきました。ウォーレン・バフェットという人のことを書いた本を何冊か読んで、投資の世界に興味を持つようになりました。買収ファンドのことを書いた『Barbarians At The Gate』(日本語訳 『野蛮な来訪者』)は、原著で読みましたが、この本は非常に面白くて、投資銀行とか、そういう世界に自分も入りたいと思うようになりました。高校の時は、『20カ国語ペラペラ』という本を読んで、語学に関心を持ちました。種田輝豊さんという、本当に20カ国語を話せる人が書いた本で、この本がきっかけで英語を一生懸命勉強しようと思いました。私の場合は、自分の人生の節目に本があり拓けてきたので、皆さんにもぜひ色々な本を読んで糧にしてほしいですね。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 岩崎日出俊

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