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世界中の本好きのために

金谷俊一郎

Profile

1967年生まれ、京都府出身。 予備校「東進ハイスクール」の日本史講師として活躍し、数々の衛星放送講座を担当。「世界一受けたい授業」(日本テレビ系)、「ネプリーグ」(フジテレビ系)などテレビにも多く出演。現在は、一般財団法人日本普及機構の代表理事として、「日本」「歴史」のすごさを人々に伝える活動を行っている。 近著に『今の日本がここから見える! 「米中韓」と日本の歴史』(朝日新聞出版)、『日本人なら知っておきたい日本史の授業』『日本人の美徳を育てた「修身」の教科書』(PHP研究所)など。 『センター試験 日本史B 出題者の意図がわかれば正解が見える』(KADOKAWA/中経出版)など参考書も。

Book Information

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日本人の精神の根源にあるものを伝えたい



日本普及機構を設立し、日本の歴史や文化、その素晴らしさを伝える金谷俊一郎さん。今までの予備校講師や、執筆、講演活動の根底にあるものも「日本人の美徳や精神を伝えたい」という想いでした。幼少期より親しんだ古典芸能の話から、日本の現状、重要な役割を果たす本の可能性について、金谷さんの想いを伺ってきました。

日本人の美徳や美意識


――代表理事を務められている日本普及機構での活動についてお伺いします。


金谷俊一郎氏: 日本の歴史と、日本の良さを人々に伝える活動をしています。私たち日本人はおもてなしの気持ちを持っていて、そういった部分ではすごく長けている民族だと思います。例えば、日本のホテルサービスは世界に冠たるものだし、飲食業界での接客も、訪れた外国の方に驚かれています。

――諸外国は日本の姿勢を積極的に学ぼうとされていますね。


金谷俊一郎氏: ええ。「おもてなし」という概念に代表される、日本人の根底に流れる美徳や美意識を伝えたいのです。そのような意識が端的に表れたエピソードがあります。東日本大震災の後、都内でタクシーに乗ったときのことでした。タクシーの運転手さんは69歳。元商社マンの彼は、脱サラして気仙沼で工場を経営していました。家族で一生懸命経営されていた矢先、震災が起こったのです。

当時盛岡にいた彼は無事でしたが、工場は津波に流され、従業員2人以外は奥さん娘さんも、亡くされました。自分が脱サラすると言わなければ……、昼間から酒を飲む生活を送るようになり、落ち込んで打ちひしがれていたそうです。

――大変な状況だったのですね。


金谷俊一郎氏: そんな時に、彼は11歳と9歳の震災孤児に出会うことになります。彼の手元には工場も何もありませんでしたが、この子どもたちの養育費を支援しようと東京に出てきてタクシーの運転手を始めたのです。そういう話が終わったところで、東京駅に着いてしまったので、彼のその後は分かりません。確か、大和タクシーだったかなと思います。

――自らが苦しい中で、手を差し伸べる……。印象的な出来事ですね。


金谷俊一郎氏: 大変な状況下で他人に手を差し伸べる人を目の当たりにしました。私であっても「日本人だから、同じ状況になっても同じようにできます」と言い切る自信はありません。ところが彼は単身、東京に出て来てタクシーの運転手を始めました。69歳で何故そういうことを考えられるのか、原動力はなんだろう、と思いましたね。外国にもボランティアをしている人はいらっしゃいますが、ある程度財をなして、財団を作ってやっている方も多いのです。

極限状態のような例をお話ししましたが、この前のワールドカップのコートジボワール戦の時にも、そういったことがありましたよね。試合に負けてバスが20台燃えた国もある中で、日本は負けたけどサポーターはゴミを拾って帰った。やはり日本人の根底にはそういう美徳、美意識があると思うのです。



古典芸能と伝記に親しんだ幼少期


――金谷さんのそういった美徳や美意識を感じる素地は、どのように培われたのでしょうか。


金谷俊一郎氏: もともと2、3歳の頃から長唄や三味線をやっていて、6歳から日本舞踊をやっていました。そういう形で歌舞伎の世界にはずっといたので、歌舞伎の脚本や能の謡曲を書きたいと思っていました。本は偉人の伝記を読み漁っていましたね。平凡社とポプラ社が2大巨頭でしたが、私はポプラ社のタッチが好きでしたよ。伝記を伝えたいというのが、もう1つの夢でした。

当時、家の本棚には松下幸之助や豊田佐吉とかロックフェラーやアンドリュー・カーネギーなどの伝記がありました。家の本を読み終えてしまうと、学校の図書館、それでも飽き足らず市の図書館、と読みあさっていきました。京都の府立図書館の書庫にある、戦前の木村長門守、武内宿禰神や神功皇后というところまで全部読みました。

高校時代はラジオが一番盛り上がっていた頃でした。MBSの「ヤングタウン」という番組が人気で、月曜日が鶴瓶師匠で、火曜日が飛鳥さん。水曜日がさんまさん、木曜日が紳助師匠、金曜日が谷村新司さん、そして土曜日が当時、大人気のあのねのねさんという布陣の豪華な番組でした。その裏番組で、ある日、今は脚本家をされている先輩から「コーナーのネタを考えてください」と言われました。それで何本か考えてみたら、「面白いから、ちょくちょく来なさい」と言われるようになって、放送作家みたいなことをしていました。ハガキ職人というわけでなく、ちゃんとお給料も頂いて……。だから受験勉強はきちんとやっていなかったように思います(笑)。

真の姿を伝えたい


――現在の「伝える」活動の根の部分は、そこから今に繋がっているのですね。


金谷俊一郎氏: 歌舞伎の脚本を書きたいという想いも、ポプラ社で伝記を編纂したいという願いも、予備校で日本の歴史を教えていたことも、根底に「日本人の美徳や精神を伝えたい」という想いが流れていて、その伝える場所を求めてその時々で出来ることをやってきました。

――講演会もとても反響が大きいと聞きます。


金谷俊一郎氏: 子どもたちには、講演会で日本人の偉人の話をしています。世界的な大慈善家のヘレン・ケラーが人生の目標にしたのは、江戸時代のとある日本人のおじさんなのです。そういう話をしていくと、子どもたちはキラキラした目をして話を聞いてくれます。しかも、彼らの中に、その人の名前はずっと残っていくのです。

また伊能忠敬の話もします。伊能忠敬は西洋並みの地図を作ったと皆さん思っているかもしれませんが、実は違います。シーボルトもそれを持ち帰ったほど、西洋よりも正確な地図なのです。

伊能忠敬の目的は、地球の大きさを知ることで、地図を作ることはそのための手段だったのです。ですから外国の人が誤差範囲と判断するところも、伊能忠敬は妥協しなかったのです。

――今までの視点とは違う形で人物像や逸話を伝える事によって、真の姿が見えてくるように思います。


金谷俊一郎氏: 東郷平八郎のイメージも今までだと「軍人」だとか「戦争」だとかいったキーワードが出てきます。しかし彼は「相手を殺すと、必ず遺恨が残り、それは次の戦いの火種となって、いつまでも戦いは終わらない。」と言っています。原爆を使って相手にダメージを与えるのではなく、スマートに戦いに勝って戦いを終わらせなければいけないということです。「バルチック艦隊を破って危地を救ったから」というだけでなく、東郷平八郎の理念に共感したからこそ戦前の人たちは神様のように崇め奉ったのです。その辺りが、勘違いされているように感じています。

また戦後の歴史教育にておいては、科学技術や、自然科学など、様々な分野において頑張った人たちに焦点を当てなさすぎると私は思うのです。ヨーロッパやアメリカの大学生は、理系であっても自国の歴史、文化、芸術についての基本的な知識は全部持っている。でも日本人の場合は文系、時には文学部の学生でもそういうことについて知らない。そういうことを知らないのはあまりにも悲しいことです。

――教科書にも問題がありそうですね。


金谷俊一郎氏: 私が読んだ、中国の中学校で使われている歴史教科書は1200ページあります。情報量はほぼ日本の教科書と同じくらいで、細かく書いてあるわけではありません。ではなにが違うのか。例えば「日清戦争」の場合、見開き2ページの最初の5行くらいは、どちらも同じようなことが書かれています。しかし中国の場合は、中国のために日本と敢然と戦って命を落とした武将の話が載っていたりします。それは、日本人が読んでも中国のことが好きになるような内容のものでした。それを手放しに良いとは言いませんが、中国というのはアジアの中心で素晴らしい国なのだという気持ちが、子どもたちに組み込まれます。そういう人たちと対峙して話をしていることを分かっていないといけません。

――日中間だけでなく、国際社会で自国の歴史を知らずに渡り合うことは出来ませんね。


金谷俊一郎氏: 隣人なので、近さが故のトラブルもたくさん抱えていますが、それはしょうがないことで、諸外国の例を見ても隣国同士、仲が良いのは稀だと思います。これは、隣人トラブルと同じことで、4キロ離れた人とトラブルになりませんし、隣の家に住んでいるからこそ色々あるのです。ただ、その中で対話をしようにも「何も知らない」では済まされないのです。予備校の講師としてテレビに出演して、講演をして、財団も作っていますが、私の根底にあるのは、「日本のことを知るべきである」という想いなのです。

本は書き手の魂 伝承者として想いを込める


――その想いが、本にもなっています。


金谷俊一郎氏: 私の場合は自分で一からというより、日本にある素晴らしいものを現代の人に分かるように伝える、思想を現代に伝える、『修身』の考えを伝える、『古事記』を子どもたちに伝える。その想いを伝える大切な媒体「本」は書き手の魂だと思います。自分の人生の中で命をかけて伝えたいものを届けるのです。例えば職人が自分の持っている技術を、一子相伝というか、弟子や息子に伝えるというのがありますが、書籍もそれに値するものです。その人が人生をかけて、考えたことや思いを受け継ぐ。そのお手伝い、仲介役と考えて書いています。

私はもともと紙の「本」がいいなと思っていた人間ですが、最近「電子書籍も、いいじゃない」と思うことがありました。電子書籍の特性は、「いつでも、どこでも」。自分の人生の中で転機になったとか、希望の光が灯ったとか、そういう本や詩集、または画集などは一冊ではないと思います。そういうもの何十冊という本を自分の手元に置いておく時にとても重宝します。フォルダに入れておいて、何かあった時にパッと取り出せる。本自体は家にもある。両方あってよいと思うのです。

紙の本の文化もグーテンベルクの頃から数えても、600年近く続いているので、10年20年で覆して、「すべて、電子書籍に」とするのはなかなか難しいと思います。座右の書とそうでないものの棲み分けという感じでしょうか。

――金谷さんの座右の書とは。


金谷俊一郎氏:西国立志編』です。これは、スマイルズの『自助論』を中村正直が翻訳したものです。中村正直は明治時代初期の学者で、この本はヨーロッパで成功した人の伝記を集めたものです。イギリスの功利主義で「自らが一生懸命になることによって社会が輝く。社会が輝くことによって自分も輝く。これこそが自分の道である。」と書かれていますが、西国立志編では「自らの利益のために働く者は滅びる。公の利益のために働く者は栄える。」と言っています。私はこの考えに深く共鳴したので現代語訳に直して「現代語訳 西国立志編 スマイルズの『自助論』」( PHP新書)として出しました。

――近現代の日本の歴史を見ても、その気概が国を発展させてきたと感じます。


金谷俊一郎氏: 幕末の志士たちや、明治の人たちも同様です。最初に話したタクシーの運転手さんも、自分の利益だけを考えるのであれば、震災孤児を養う必要はないわけです。社会を輝かせるために自らが頑張る。頑張ることによって社会が輝く。輝いた社会によって自分も輝いてかみ合っていく。これが、ペリー来航から50年足らずで世界の3大国になった、戦後の焼け野原からわずか23年でGNP第2位になった日本の源泉じゃないのかと思うのです。

――それが金谷さんの座右の銘にもなっていると。


金谷俊一郎氏: 伝教大師最澄の言葉で「自利とは利他をいう」という言葉です。自らが一生懸命打ち込めることで、それが他人の利益になることであれば、それはあなたがやるべきこと、つまりは天職なのです。自らが一生懸命打ち込むということ。だから嫌なことを無理にやる必要はありません。もちろん、他人の犠牲になる必要もありません。

蜘蛛の糸にしがみついてはいけない



金谷俊一郎氏: 企業のセミナーで西国立志の話をする時によく言うのは、今の平成不況は大多数の中流がいて、一部が成功するけどいつかは凋落していく。するとまた誰かが盛り上がってきて、凋落していく。根本から変わっていかないから、日本は閉塞しているのです。昔の日本の考え方というのは、「自分を殺すということじゃないか」という意見もありますが、そうではありません。社会を根底から良くしていくことで、自らも輝かせていこうとしているのです。地獄にたらされる1本の蜘蛛の糸ではないわけです。

――誤解されて解釈されているのは、問題ですね。


金谷俊一郎氏: 修身の考え方もそうですね。「お国のために命を捨てましょう」と言っているわけではないのです。靖国神社の問題もその一端だと思います。神様は数える時に1柱2柱と数えますが、靖国神社に祀られている神様は246万柱です。日本の神道においては、戦争でも病気でも、死ぬとみんな神になります。八百万の神の発想ですよね。等しく戦死者を祀っているのが靖国神社なのです。

――戦勝国が決めた「A級戦犯」という発想も、見直す必要があると思います。


金谷俊一郎氏: 一方的な発想で決められるものではないのです。ヨーロッパには全知全能の神がいて、「1つの神が全てのものを創りたもうた」という発想です。その発想から、日本を戦争に導いた人間を神様と崇めているということで、分祀しろといった反発が起きます。でも日本の神道は死ぬと神になるのです。外国の人はそういう発想が根幹にないので、そういった違いをしっかり伝えないとおかしくなるわけです。もちろん靖国の問題はそれだけではありませんが、まずは発信者側がそのことを十分に認識する必要があると思います。

――先ほどのW杯の話も、それで説明がつくような気がします。


金谷俊一郎氏: ワールドカップのコートジボワール戦のあとゴミを拾って帰るのは、そこに神がいるという発想のもと、そこを汚すことは冒涜であるという考えの表れなのではないでしょうか。「12、3歳くらいから神話を教えないと、その民族は滅びる」というトインビーの言葉もありますし、竹田恒泰先生などもよく言っています。日本普及機構という財団は日本人の根底にある考え方を子どもたちに伝える、『古事記』と『修身』を子どもたちに伝えるために作りました。

日本を当たり前の国に戻したい


――日本普及機構の活動も含め、どのように展開されていきますか。


金谷俊一郎氏: 『修身』の精神や『古事記』や日本の神話を子どもたちが普通に知っている、そういう国にしたいという思いで昨年、財団を立ち上げました。そして今、9月から本格的に古事記の読み聞かせの授業を始めようということになり、今、協賛などを集めているところです。『古事記』や修身の読み聞かせは、色々なところでやっていきたいですね。読み聞かせができる人を育てて、地元の公民館や、学童保育の場などでやりたいと思っています。

埋もれているものをお伝えするという役割として、今後も著述活動を続けたいと思っています。そのための財団であり、書籍、執筆活動であり講演であると思っています。先ほどの話にもあった、歴史教科書のようなものも作りたいですね。

――当たり前の国にしたい、と。


金谷俊一郎氏: 自分の国を愛することは、他国を侵害するのではありません。むしろ正しく尊重できる正常な国際関係に必要だと思います。私は常々「私の本が売れなくなったら、初めて日本はまともな国になる」と考えています。竹田恒泰先生も同様のことをおっしゃっていました。当たり前になって「もう大丈夫です」となるか、日本が変な方向にいって、「金谷は要らない」となるか。もちろん前者のようになって、70歳で悠々自適に暮らすのが理想ですが(笑)。日本が良い国になってほしいと願い、これからも活動を続けます。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 金谷俊一郎

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