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小林源文

Profile

1951年、福島生まれ。小学校低学年より東京の下町で育つ。高校卒業後、弱電関係と冷凍ユニットの整備員を経て、24歳、『壮烈!ドイツ機甲軍団』(立風書房)で漫画家デビュー、35歳よりフリーとなる。日本における戦争劇画の第一人者であり、戦争を題材とした作品を描く。登場人物の台詞にも印象的な台詞回しを特徴とする。 著書に『黒騎士物語』(日本出版社)、『Cat Shit One』(ソフトバンククリエイティブ)など多数。

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何度も挫折した劇作家への道


――就職して仕事をしながら、描いていたんですね。


小林源文氏: 20歳の頃は持ち込みとかも始めていて、何度も挫折して、実際は大変でした。「中西先生のようなイラストレーターになりたい」とも思っていましたが、この頃の出版界では『少年サンデー』に始まる週刊誌の時代に移っており、月刊誌は淘汰されてました。月刊誌の頃はたくさんあった仕事も、印刷技術が進化して写真を使う事が多くなり、絵描きの仕事がなくなりつつありました。プラモデルのブームもあったのでそのパッケージを描いたり、中西先生の仕事も歴史考証画や日本のお城、鎧なんかの方に移っていってしまいました。図解の仕事はずっとやっていましたね。中西先生から『壮烈!ドイツ機甲軍団』を描くのを手伝わないかと言っていただいて、モノクロ部分は私が全部描いたんです。それで共著として出したのが1975年、24歳の時でした。

そのあと、25歳で『X戦車図鑑』を出した後に、1回中断しました。その頃、ちょうど結婚して、弱電関係の仕事をしていたのですが、それだけでは給料が安くて食べていけないので、大井ふ頭の方で冷凍コンテナやガントリークレーンのメンテナンスなどをやっていました。ダメサラリーマンで、「休みは多く仕事は楽で給料はいっぱいほしい」という、間違った考えでした。「半年で辞めてやる」と思っていたのが、だんだんとその仕事が面白くなってきたんです。

そして、2年目辺りに全体のシーケンスが分かるようになってからは、故障修理なんかを1人でやっていても、周りの誰からもうるさいことを言われなくなってきたんです。最初はあんなに「早く辞めてやる」と思っていたのが、結構面白いから「じゃあもうちょっといようかな」と、結局そこでは10年間仕事をしていました(笑)。派遣で下請けだから立場は低いし、最初の頃は仕事を知らなくて怒鳴られて辛かったなぁ。職場環境も最悪(笑)。夏は照り返しで40度以上だけど、コンテナを船の中に積むので、ハッチを被せると中は60度以上。だから出てくると、体中に塩の結晶が付いて、お風呂に入っても簡単に取れない。もう絶対やりたくはないけど、あの仕事は好きだったし面白かった。

そういうきつくも楽しい仕事のおかげで、全く絵を描かなかった時期が2年間ほどありました。ちょうどその頃に友だちから「ホビージャパンの仕事をちょっと代わってよ」と言われ、2年ぶりぐらいに絵を描いて連載されることになるのですが、それがヒットしました。漫画を描くようになったのは、それからさらに1年ぐらいあとです。最初は4ページの絵物語だけで描いていました。1年ちょっとしてから絵物語でドイツ軍を描いていたらだんだん人気が高くなってきて、「漫画を描かないか?」と言われ、「じゃあもうちょっと漫画っぽいやつにしよう」と思いました。ずっと絵物語でしたから、最初は話が作れなくて、非常に悩みましたね。

30代半ばからの決断。劇作家として独立


――その後会社員を辞め、劇作家一本で。


小林源文氏: やめてフリーになるきっかけはバイク事故。自損事故で途中、出版社に寄ったのですが、あの時に止めてくれればよかった(笑)、なんて人のせいにもできないけれど、その時に骨折してしまって、やっとサラリーマンを辞めることができました。半年前から退職願を出していて「辞めさせてくれ」と頼んでいたのですが、仕事が忙しくなって、毎日睡眠時間が3、4時間っていうのが4、5年も続いていたので、怪我はつらかったですが、辞められたときは本当にほっとしましたよ。

当時会社員としての給料より、原稿料の方が多くなっている時でした。とはいえ、家族もいる中で何年食べていけるか分からず心配でしたが、やってみたかった。さらにフリーになって40歳を過ぎてからは「これは何か戦略的に考えないといけないな」と、“ただ使われるだけじゃ終わってしまう”という思いが出てきました。

――ご自身で発信する媒体『GENBUN MAGAZiNE』を発行するきっかけもそこにあったのでしょうか。


小林源文氏: そうですね、40歳を過ぎてから、10年先を考えるようにしたことかな。普通の会社の経営者でも、10年先を考えると言うでしょう。だから自分で『GENBUN MAGAZiNE』の出版を始めたんです。自分が考えて好きなものを発信できる媒体を持ちたいなと。

直接のきっかけとなったのはある編集者との打ち合わせの時でした。子供の頃『月刊少年〜』ってあったでしょ、それの『442連隊戦闘団:進め!日系二世部隊』のイラストを描いたのが中西先生なんです。それを10歳の頃に見たんですが、その時からずっと忘れられなかった。中西先生に「その時の表紙をください」と言ったら、「これは絶対にあげられない」と言われてね(笑)。あの絵が好きだったな。文章を書いたのは矢野徹さんでした。ハイライトシーンだけは歴史的事実と合ってはいるけれど、内容的には半分ぐらいがフィクションです。それでも冒険小説的な内容で面白かったんです。

だからそれを、今度は自分で、歴史に忠実に描いてみたいと思いました。だってあれこそ本当に日本中を元気にする話で、あの部隊がアメリカ軍の中で一番勲章をもらった部隊ですから。

それでその話を編集者の方と打ち合わせをしたところ「なんですか、それ?」って言って聞くんです。歴史ものを担当としてやっているのに知らないんですよ。「いや、そんなの売れませんよ」とも言われました。だからこっちも意地になって(笑)、その日系部隊を描きたい、それなら自分で媒体を持とうと思いました。するとそのうち、新しい人をデビューさせるために、連載させてくれという話が出版社から来るようになりました。

著書一覧『 小林源文

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