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世界中の本好きのために

田中優子

Profile

1952年生まれ、神奈川県出身。法政大学文学部日本文学科卒業。同大学院人文科学研究科修士課程修了、博士課程単位取得満期退学。法政大学社会学部教授、社会学部長等を経て、現在は法政大学総長。江戸近世文化・アジア比較文化を専門とする。1986年、著書『江戸の想像力』(筑摩書房)により芸術選奨文部大臣新人賞受賞。「江戸ブーム」の一翼を担った。また『江戸百夢』(朝日新聞社)ではサントリー学芸賞、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。2005年に紫綬褒章。 近著に『カムイ伝講義』(ちくま文庫)、『鄙(ひな)への想い』(清流出版)、『降りる思想: 江戸・ブータンに学ぶ』(大月書店)など。

Book Information

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生きていくための判断力を、培っていく



日本の江戸文化研究者。のりこえねっと(ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク)の共同代表も務める。法政大学社会学部教授、社会学部長を経て、2014年4月、法政大学総長就任。江戸時代の文学、美術、生活文化、海外貿易、経済、音曲、東アジア・インド・東南アジアと江戸の交流・比較研究などをされています。最初の単著『江戸の想像力』により芸術選奨文部大臣賞を、そして『江戸百夢』では芸術選奨文部科学大臣賞・サントリー学芸賞を獲得。2009年には『週刊金曜日』の編集委員に就任。また江戸時代の価値観から見た現代社会の問題に言及することが多く、「サンデーモーニング」でも不定期のコメンテーターとして活躍。「暗く陰惨なだけの時代」とされていた江戸時代像を転換し、「江戸ブーム」の一翼を担った田中優子さんに、江戸文学との出会い、電子書籍化や執筆に対する想い、そして大学、日本のこれからの課題についてお伺いしました。

「本が読みたくてしょうがない」というワクワク感


――本との最初の出会いとは?


田中優子氏: 「砂山」などの昔の童謡の本を、いつも持っていた記憶があります。西條八十さんの「かなりあ」などの詩が書いてあって、その背景に絵が描かれていました。それがとても好きで、絵本を見ながら童謡の言葉を覚えていきました。
1950年代は今と違って新刊書の本屋はあまりなく、高価だったので貸本屋に行っていました。貸本屋は漫画中心で、物足りなくなり、親について行って古本屋にもよく行くようになりました。当時の古本屋というのは一般書と児童書を特に区別して置いていなかったので、自分の好きなように本を手に取って買ってもらっていました。だから、子どもの頃からエドガー・アラン・ポーの本やフランス詩集なども読んでいて、親の本棚の中の読みやすそうで面白そうなものを自分なりに一所懸命探していましたね。4、5歳の時に、1度だけ交通事故に遭ったことがあって、オートバイに引っかけられて転んでしまったのですが、私は貸本屋に行くための5円玉を右手に握りしめていて離さなかったそうです(笑)。

――漫画はあまり読まれなかったのでしょうか?


田中優子氏: 小学校の高学年ぐらいになると雑誌も出始めて、少女漫画月刊誌を読むようになりました。月刊は結構厚くて、付録なども入っていました。新刊書の本屋が近所にできたので、その少女漫画を親が予約をしてくれて、毎月届けてもらうようにしました。発売日は学校に行っていてもドキドキして、早く家に帰りたかったですね(笑)。今はもう本が溢れすぎていますが、本が読みたくてしょうがなくてワクワクするという感覚は時々思い出します。少女漫画の初期の頃の作品は、歴史に根ざしていたり、素晴らしい漫画家の方々が書いていて、良い作品が多かったように思います。一緒に売られている食べ物が身体に良くないのではないかと母が気にしていたため、紙芝居屋さんの紙芝居を見に行くのは禁止でした。でも禁止されると余計に行きたくなりましたね(笑)。やっぱり、面白い物語を求めていたように思います。

――印象に残っている本はありますか?


田中優子氏:星の王子さま』が出た時に有隣堂で買った記憶があります。その頃からベストセラーの本というのが注目されるようになったと思います。五木寛之さんなどは母がよく読んでいた記憶もありますが、そういった本は子どもとはあまり関係がありませんよね。子どもが関係していて、すごく良く売れて評判になった最初の本が『星の王子さま』だったのではないでしょうか。小学校6年生ぐらいだったと思いますが、素晴らしい文学だったので、はっきりと記憶に残っています。作者であるテグジュペリ本人が挿絵を入れていて、絵の楽しさというのもあったので、ずっと読んでいましたね。大好きな本です。

――昔から「作家になりたい」と思われていたのでしょうか?


田中優子氏: かなり早い時期から物書きになりたいと思っていました。私は、私立の中学校に受験で入ったのですが、勉強を全然せずに本ばかり読んでいました。星の観察をするようになってからは、星関係の本も読むようになりました。当時『天文と気象』という雑誌を兄がとっていたのですが、それを読むのが楽しかったです。あとブルーバックスなども読み始めたので、その流れでSFを読むようにもなりました。本を読むのと星の観察をするので忙しくて、勉強をしないせいか成績はどんどん落ちていき、「このままではいけない」と、自分で本を禁止していた時期もありました。高校では、雑誌を作るための編集部のメンバーが募集されていたので、そこに入り、編集部員となりました。自分でも記事を書きましたし、小説を書いて載せたこともあります。掲載には先生の許可が必要だったので、高校生の頃には書くことの勉強ができたと思います。写真も自分で撮っていたので、自分で写真部も作りました。私は好奇心が強いのもあって、高校時代は星や写真という理系のコースと、それから文学、文章を書くという、文系の両方に没頭していました。



大学の先生の本を読んで感動。高校在学中にゼミを決めた。


――その後法政大学の文学部に進まれたわけですが、その理由とは?


田中優子氏: 高校生の頃には物書きになろうと決断をしていましたが、まだ分野を決めていたわけではありませんでした。編集部の顧問をやっていらした国語の先生は私の文章力を認めてくださっていて、「益田勝実という素晴らしい古事記や源氏物語の先生がいるから、ここがいいんじゃない?」と先生が勧めてくださったのが、法政大学でした。すごい先生がたくさんいるということが分かり、その先生たちの本も岩波新書などで読んで感動しました。それで法政大学に入る時には、既にどのゼミに行くかまで全て決めていました(笑)。

――ゼミのほかに興味があったのは、どのようなことでしたか?


田中優子氏: 大学に入ってからはゼミだけではなくて、アルバイトなど、本当に色々なことをやりました。記憶に強く残っているのは大学1年生の時にチョムスキーの本と出会ったこと。世界的な言語学者であるノーム・チョムスキーの生成文法の分厚い本を手に取って「すごいな」と思い、「言語学」という、新しい私の好奇心の対象がまた増えてしまいました。言語学というのは国語学と違い、かなり理論的にできているので、理科系の思考法が必要です。大学でも文学的なものと、理系的なものが私の中で両立していたのだと思います。それからフランス語の教室にも通っていました。『星の王子さま』もそうですが、フランス文学は子どもの頃から読んでいて、すごく好きだったのです。言語学はフランスの構造主義言語学という領域でしたが、まだあまり翻訳されたものが出ていませんでした。翻訳が出ていない本を読むためにきちんと勉強をしたいなと思ったのです。

文学を理解するためには、文化やその背景を学ばなくてはいけない


――大学当時、心を打たれたような本はありましたか?


田中優子氏: 物書きになりたかったので、現代文学のゼミに入りました。色々な本を読んでいた時に出会ったのが、石川淳という、昭和10年代に出てきた芥川賞作家でした。この方は中国文学に詳しい人で、またフランス文学の翻訳者でもあり、そして江戸文学の研究者でもあったのです。それで全集を買って、片っ端から読みました。『江戸人の発想法について』というとても短いエッセイを読んだ時は、「ついに出会ってしまった」と感じました。学者ではなく小説家が書いた研究的エッセイで、江戸時代の人の頭の中はこうなっているのだということが鮮明に分かるような文章でした。

――それまでも江戸時代のものを読まれていたのでしょうか?


田中優子氏: 研究書はあるけど、本当に本質を突いたような文章というのがあまりなかったのか、読んだことはあっても江戸文学には全く関心が起こりませんでした。石川淳さんの本を読んで、「江戸時代の人って変だな」と思いました。私たちの自我意識とか個人の一貫性など、すごく真面目になってしまうような人間観を全く持たない人たちなのです。彼らのように「笑う」ということがすごく大事だと思う人たちが、日本にいたのだということに初めて気が付いたのです。その本に出会い、頭で理解はできないけれど、深く感動して全身で納得したという感覚、「知的体感」が存在するのだということが分かりました。そして江戸文学の背景を知るために江戸文学の勉強を始めることにしたのです。でも、学部の勉強だけでは足りないことが分かり、大学院の入試の準備を始めました。一緒に入った人たちは、それまでも江戸文学をやってきた人たちなので、私はとても遅れていましたが、それでも「やりたい」という思いが強かったですね。

――江戸時代は270年と、長いですし、研究する文献の量もかなり多いのではないでしょうか。


田中優子氏: 江戸時代に関してはいくらやっても全体像は分からず、いまだに掴めていません。膨大な文献が残っていますが、それをただ読めば分かるというものでもなく、その背景にあることも知らないといけません。修士論文などを書いている時に分かったのは、江戸文学を理解するためにはさらに遡った古典が分からないとだめだということ。江戸文学には平安時代や中国の文学のパロディ的要素がものすごく多いので、それぞれの文学も知らないと理解できません。そのために本を読みましたし、勉強のために中国にも行きました。「中国文学が分かれば、もっと分かるのではないか」と考えているうちに、研究の対象がどんどん広がっていきました。古典の研究者の多くは、私とは逆のタイプかもしれません。ある作家しか研究しないとか、ある作品を徹底的に分析されている方もいますし、それはそれでいいとは思います。でも私自身は、そんなことをやっても江戸文学は分からないのではないかと感じているので、これまでに文学以外の、博物学、本草学とか、それから貿易のことなど、そういう様々な文化現象、それから美術や出版のことなども勉強してきました。

本を書くことで、世界と繋がる


――本を出版することになったきっかけとは、どのようなことだったのでしょうか?


田中優子氏: 色々な論文集に出していただいていたので、28歳の時には大学教員になりました。実は、当時は話すのが苦手で、慣れるまでにとても苦労しました。そんなある時、先輩でもある同僚の先生から「『平凡パンチ』と『流行通信』の連載をやらないか?」と言われたのです。『流行通信』は月刊で『平凡パンチ』は週刊誌でしたが、その両方の連載を引き受けました。それが出版社の方の目にとまり、「現在の大学生の気質について書いてください」というものや、「アメリカについて書いてください」といった複数のアプローチがありました。私の専門には全然関係のないものが多かった中で、筑摩書房からは「江戸文学について書いてください」という話がきて、それが『江戸の想像力』という本へと繋がっていきました。たまたま北京大学に行くことに決まっていて、どうしても4月1日には出発しなければいけなかったので、「日本を出てしまう日までに書き上げなくては」と、超スピードで書きました。あとがきも校正も中国でやって、店頭に本が並んでから日本に帰ってきました。小さい頃からずっと物書きになりたかったので、書店で自分の本を見た時は、本当にうれしかったです。

――本の魅力とは?


田中優子氏: 本を出すことはとても大事なことだと思っています。先ほども申し上げた通り、私は喋るのが苦手で、人間関係を築いていく中で、世界をなかなか広げていけませんでした。でも、とにかく書いているのが楽しかったので、「ひょっとしたら本を書くことで世界とつながることができるかもしれない」と思えましたし、実際に本を出版してみて、それを実感しました。音楽やスポーツといった色々なジャンルで世界とつながっている方もいますが、本もとても大事なツールだと思います。本を出すと、それに対して何かが返ってきますよね。悪い評価でも、「ここが間違えていた」ということでも構いません。そこで対話が始まるということが重要なのです。そうやって本を媒介にして人と人とが繋がるのです。それまで江戸時代には全く関心のなかった方が、私の本で関心を持ってくれるので、私が何かを伝えることができたかなと思えます。「こんなこと、知らなかった」というものが本の中にはたくさんあります。そうやって世界が広がっていくので、読書は人生に欠かせないものだと思います。

――先生にとって、編集者の存在とは?


田中優子氏: 本当に大事な存在です。著者が考えている本のイメージと、編集者が考える本のイメージは違います。例えば編集者の方から「こういう本を書いてみませんか?」と提案された場合。売れるような本を書いたら「またああいった本を書きませんか?」と言うのではなくて、「次はこっちの方向じゃありませんか?」というのを見抜いて提案してもらえると、また次の本に取りかかる意欲が出てきます。編集者は著者とは違う視点を持っているから、全体状況の中で「この著者は、次にこういう本を書いた方がいい」というような発見の仕方をしてほしいと私は思います。そうすれば必ず著者はそれに応えます。また、本作りは共同作業ですから、編集者は意見をバシバシ言った方がいいと思います。それから、著者の方から「こういう本を書きたい」という場合は、「市場に出していくのだから、こういう風にした方がいいのではないか」ときちんとアドバイスをしてくださるとうれしいです。ベテランの校正者はどんなに偉い先生でも間違うということを知っているので、年代の間違いまで見つけてくれる方もいます。そういうことを、勇気を持って指摘してほしいと私は思います。

――電子書籍の登場により、その役割は変化していくのでしょうか?


田中優子氏: 編集者は私と世界をつなげてくれる人だと私は思っていますし、そうであってほしいと思います。だから、完全に電子書籍の時代になったとしても、絶対に編集者だけは必要です。今後は、編集者の役割がむしろ増えていくと思います。インターネット上のものでもきちんとしたものもありますが、書いた本人の勘違いや間違いがそのままブログなどで出てしまっていることもあります。学生はそこから情報を得ることもあるので、私は必ず「本はどうやって成り立っているのか」ということを話すようにしています。本を書くことが決まっても、編集会議を通らないといけないし、編集者と校正者がいて、初稿、再稿、そして第三稿があってそれでようやく本が出る。本というのはそれだけコストがかかっていて、人の能力でできているのだということ。そのインターネットと本の違いをきちんと知っておくことが大事なのです。ですから「インターネットできっかけを掴んで本で確認する、といった使い方をしてくれ」と学生に話します。私自身も電子書籍やインターネットが好きですが、自分が目利きになって、きちんとものを選んでいくことがすごく大事だと思っています。

スペース代のいらない電子書籍を活用


――書評委員も長くやってこられたそうですね。


田中優子氏: いい情報に関しては「きちんとした情報だ」と言わないと、きちんと仕事をする人たちがいなくなってしまいますので、書評も必要だと私は思っています。毎日新聞、そして3月31日まで朝日新聞の書評委員をやっていたので、もう10年ぐらい続けてきたでしょうか。たくさんの本が送られてきましたが、読もうと思うものだけでも相当溜まっていって、本を置くために家まで建てましたが、それでも間に合いませんでした(笑)。定年を迎えた先生たちから、「研究室から本を出さなくてはいけないけど、家の中もいっぱいだからどうしよう」といった話をよく聞きました。あと、私は長距離通勤なので、「読み終わっちゃったらどうしよう」と不安になり、重くてもつい何冊も持ってしまうのです。出張の時は、10冊くらい持っていきたくなってしまいます(笑)。そう困っていたところに電子書籍が登場しました。私は「どんな本でも電子書籍で買えるのかな」と非常に期待しましたが、私が本当に欲しい本は電子書籍で出ていないのです。だから、たまたま欲しいものが電子書籍で出ていれば、電子書籍の方で買うというスタンスです。

――電子書籍をどのように使われているのでしょうか?


田中優子氏: SONY Readerをまず買って、かなり電子書籍を入れていました。iPadもそうですが、途中まで書いた自分の原稿も入れられる、ということに気が付きました。私は開高健ノンフィクション賞の審査員もやっているのですが、最終審査に残った5、6人分の原稿というと、かなりのボリュームになるので、持ち歩けませんよね。それである時、データで送ってくれるようにお願いしました。自炊は自分でやるのは大変だし、題名をつけたり、整理しないといけないから、時間もかかるなと思っていたところ、何人かの方から「そういう会社に頼んで、やっているよ」という話を聞いて、実は私はBOOKSCANを利用しています。今私は、ずっとためておいた本の中から、「この本はもう二度と読まないだろう」とか、「これは売却しよう」とか「また読むからBOOKSCANに頼もう」などと、頭の中を整理している状態なのです。全集など、まとまった形で取っておいた方が分かりやすいのもありますし、『石川淳全集』などは、「物」としての思い入れがあるのだと思うので、取っておこうと思います。それから古典籍(明治頃以前の書写あるいは印刷された資料)、江戸時代に出された本なども現物として取っておくというように、頭の中を整理しながら本を分類しています。そうやっていると、自分の中での本の存在も再確認することができます。

――江戸文化という、古き良きものを研究されていらっしゃいますが、電子書籍化に心理的な抵抗はありませんでしたか?


田中優子氏: 私は、執筆に早くからワープロを使っていましたし、パソコンも新しいものが出てくると使ってみたくなるのです(笑)。それに悩みの方が大きいから、抵抗は全くありませんでした。スペース代が高いですから、本を持とうと思ったら都心で暮らせません。2階に書斎があるから、補強なども大変でしたが、結局電子書籍の時代を迎えるのならば、なにも家を作ることはなかったなと思いました(笑)。どんどん本を増やせるし、ドロップボックスなどにも入れておけますから安心ですし、Kindleで読みたくなったらKindle版にすればいいので、読むメディアが変わっても大丈夫というのも安心ですね。
江戸時代のものは、きちんと「物」として古書店で買って、一種の財産として大事にしています。でも、内容は大事だけれど本という形が重要ではないものも多くあります。自分自身の中ではそういう風にはっきりと分かれているので、読めればいい、というもののために苦労する必要はないなと思っています。しかも、電子書籍の形で最初から出ているものはいくらか安いですよね。でも私は、安くなくても電子書籍で買うと思います。

――電子書籍と紙の本。それぞれの良さがあると私は思っているのですが。


田中優子氏: 値段は変わりませんが、朝日新聞がデジタル化した時にすぐにデジタルにしました。紙だと古紙回収に出さないといけないという、「物」としての面倒がありますが、デジタルだとそういうことから解放されますし、どこでも読めるというのもいいですね。でも、書籍の「物」としての感触。そして、本棚に並べていると背表紙の位置をなんとなく覚えていて「そこにあれがあったな」と記憶を辿ることができる、といった良さも確かにあります。本が並んでいると知らない本と出会ったりもするし、そういう面白さやワクワク感というのも、本ならではのものだと思います。電子書籍だと、自分で「この本だ」と選べないと買えませんよね。
「紙対電子」という論争は、ナンセンスだと私は思っています。それは社会が決める問題ではなく、個人が決めることなのです。だから私はもちろん両方があっていいと思います。辞書などは物として執着するような対象ではないので、電子辞書でいいと思います。百科事典は平凡社が電子化した段階で切り替えました。電子百科事典を色々なパソコンに入れておけば、検索もできるし便利です。

伝える力が重要


――総長としてのスピーチで「まさか私がここに立つことになるとは思いもしなかった」とおっしゃっていましたね。総長として、これから力を入れてやっていきたいなと思っていることはありますか?


田中優子氏: 「大学がなぜ必要か」ということをきちんと伝えていきたいと思います。今「反知性主義」、つまり「知識なんていらない」というような考え方があります。自分が納得するまで調べようとか、他の人の意見を聞こうとか、読もうと考えることで知性は磨かれていくのですが、それなしで毎日暮らしていると、自分というものがなくなってしまい、本当にちょっとした噂話に流されてしまうのです。でもそれでは選挙もできないから、民主主義社会は成立しません。今の時代において、生きるためには選ぶ力が必要なのです。これからの学生は世界のどこに行っても生き抜いていかなくてはいけません。語学力だけではなく、違う価値観を持った人ときちんと意思疎通ができる力、理解力。そして、自分のことや日本のことを聞かれた時にきちんと話せること。つまり本当の意味での伝える力が必要となります。だから大学ではそういう訓練をするために、ゼミの中でプレゼンテーションをさせたり、私が以前ゼミを持っていた時には、文章力を培うために毎週レポートを提出させ添削していました。学生たちは自分の言葉を作ることによって自分ができていくので、それはすごく大事な作業なのです。

――任期は3年ということですが、長期的な展望としてはどのようなことを描かれているのでしょうか?


田中優子氏: 大学はこれから非常に厳しい時代になるので、細かいビジョンが必要だと思っています。例えば、留学生をどのぐらい増やすとか社会人にどのぐらい入ってもらうか、カリキュラムをどういう風にするか、それから少人数教育をどうやって進めていくか、そして教授会の組織をどうするかということまで含めて、これから綿密に長期ビジョンを作ろうと思っています。そのためにも社会全体を見て、2030年まで、あるいは2040年ぐらいまでの社会展望を持たないといけません。環境破壊や少子高齢化がもっと進みますが、もし日本がそれを乗り越えることができれば、すごいノウハウを蓄積することになりますし、それを留学生がアジアに持って帰るという循環もできるはずです。最初に困った状態に陥る人は、最初に乗り越える機会が与えられたということ。日本は超高齢化社会のパイオニアになれるかもしれません。そういう風に考えれば、明るい展望を抱くことができます。そのためにもそれぞれの知性を結集しなくてはいけないと思っていますし、法政大学はそれができる大学だということを、しっかり伝えていきたいと思います。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 田中優子

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