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中川越

Profile

1954年、東京都生まれ。雑誌・書籍編集者を経て、執筆活動に入る。古今東西、有名無名を問わず、さまざまな手紙から「手紙のあり方」を研究し、手紙の価値や楽しさを紹介する著書を中心に執筆している。近著に『夏目漱石の手紙に学ぶ 伝える工夫』(マガジンハウス)、『仕事で使える 手紙力の基本』(日本実業出版社)、『文豪たちの手紙の奥義―ラブレターから借金依頼まで』(新潮文庫)、『だまし絵の不思議な心理実験室』(河出書房新社)など。東京新聞にて『手紙 書き方味わい方』、ウェブマガジン「salitoté(さりとて)」にて『近道にない景色 自転車に乗って今日も遠回り』を連載中。

Book Information

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専門家として手紙の本を書く


――昔から文章を書くのは得意だったのでしょうか?


中川越氏: 子供のころは読書が嫌いで勉強も好きではありませんでしたが、作文を褒められることはありました。五歳年上の怖い兄の革の野球のグラブを黙って借りて使った時、突然雨が降ってきたので、土砂降りの中、自転車の荷台にゴムバンドでグラブをしっかりくくりつけ、一目散に家路を急ぎ、家にたどり着いて荷台を見ると、兄の大事なグラブがありません。日も暮れて暗い中、もう一度自転車で戻り、雨の中を探し回ってようやく見つかったグラブは、ずぶ濡れで水を吸って重たくなっていました。きっと殴られると思いながら重い足取りでペダルをこぎ、家の近くまでたどり着いたとき、待ち構える傘をさした一つの影が。兄でした。……そんな作文を書いて、学校代表に選ばれたことがありましたが、自分が書くことが好きだとか、得意だとか思ったことは、ありませんでした。そんなことよりも、投げるボールが速いといわれることのほうが、子供の頃の私には、はるかに嬉しいことだったのです。

――手紙の文例集などの執筆のきっかけとは?


中川越氏: スポーツやレジャーの入門書や一般実用書を多く手掛けていた編集プロダクションに関わって仕事をするようになったとき、スポーツの本だけでなく、スピーチや手紙の例文集の編集を手伝いました。そして、スピーチのプロはいても、スピーチ原稿のプロというものはおらず、手紙の名手はいても、手紙のプロというものは、いないことを知りました。特に手紙についていうと、私が手紙の指導書に関わり始めた、今から三十年近く前、手紙の指導書は、新聞記者や雑誌・書籍の編集者、ビジネス界の社員教育の専門家、国語関係の教育者、あるいは作家などによって書かれていました。今でもそういうケースは多いはずです。しかし、手紙だけを専門にしているプロというものは、なかなかおられません。したがって、何もライセンスがなく、報道、文学、教育にも、仕事としてキャリアを積んで来たわけでもない私ですが、手紙というものをより深く勉強すれば、これまでのものより、よりよい指導書を構成することは、可能ではないかと思うようになりました。

――当時手紙の指導書は、形式について書かれた本が多かったのでしょうか?


中川越氏: 平安の昔から、往来物と呼ばれる手紙の書き方の指導書や文例集が数多く出版され、現在に至ります。私は手元に明治期から大正、昭和前期、中期、後期の手紙の指導書と文例集を数十冊取りそろえていますが、それらによって各時代の人々が何を学んだかというと、簡単にいってしまうと、各テーマ別の形式です。お祝いのあいさつは、何から始め、どんな内容を書き、どう締めくくるか。お見舞いの場合は、お悔やみのときはなど、生活の中で必要とされるあらゆる手紙の形式と内容構成について、例文を紹介しながら、そのオーソドックスな規範を示します。大昔は拝啓ではなく恐惶謹言で始め、敬具ではなくやはり恐惶謹言で締めくくったり、時候の挨拶はなかったりなど、時代によって形式も用語も様々変化してきましたが、明治以降の資料を見ると、候文から口語文への移行という大きな変化はあったものの、その形式においては、ほとんど今と変わっていないようです。そもそも、慣用語というものは、何が正しいということはなく、その時代の多数決によって正用、誤用が決まるものですから、なぜ拝啓がいいのか、謹啓ではいけないのか、などという議論は不毛であり、敬意の程度によって、拝啓と謹啓を使い分けるという現代の習慣だけを知っていればそれでいいわけですが、私は手紙の慣用句や形式の時代的な変遷やルーツを知ることにより、単なる記号としての手紙用語ではなく、より気持ちのこもった、相手の心を動かす手紙を書くための用語の利用や形式の選択ができるようになればと考えました。つまり手紙の指導書で学ぶ読者の気持ちを考えたとき、用語や形式を知るために読むわけですが、それはあくまでもメーンテーマの補助でしかなく、メーンテーマは、「心が心を押す」手紙の書き方を、知りたいと思っているのだということに気がつきました。その需要を満たすことができたとき、初めて「真の実用書」ということができるのだと思いました。

漱石の知性、品格、ユーモアそのものが洒落ている


――それが近代文学の文豪たちの書簡を研究されるきっかけとなったのですね。文豪たちの書簡にはどのようなことが書かれているのでしょうか?


中川越氏: 近代文学の文豪たちの生活書簡は、手紙の書き方の学びの宝庫といえます。日常生活での各種テーマの手紙のおける用語、形式、内容構成などの生き生きとした実例を、確認することができます。そして何よりも、「心が心を動かす」手紙についての多くの示唆が含まれています。夏目漱石、森鷗外、樋口一葉、島崎藤村、志賀直哉、武者小路実篤、石川啄木、有島武郎、谷崎潤一郎、立原道造、佐藤春夫、山頭火、中原中也などなど、彼らの作品がユニークであるのと同様に、彼らの生活手紙文も斬新でユニークでバリエーション豊かですが、共通した一点があります。それは、「まごころ」という言葉に集約することができます。彼らがそのまごころを手紙に盛るために、どのような手法を取ったかということを、それぞれの手紙の背後にある人間関係やそのときの状況を紹介しながら解説したのが、『文豪たちの手紙の奥義』(新潮文庫)でした。そして、とりわけそのまごころが、残された書簡の多くに強く鮮明に感じられたのが夏目漱石の手紙だったので、私はいつか夏目漱石の書簡だけで、生活手紙文の指導書ができないものかと考え、20年間企画を温め、3年ほど時間をかけて、現存する漱石書簡2500通余りに目を通し、エクセルを使って、年代別、宛先別、テーマ別、内容別、面白さ別などに分類整理、評価し、また、キーワードをピックアップして、キーワード検索もできるようにして、あらゆる角度から検索可能なデータベースを作り、それを資料として書き上げたのが、『夏目漱石の手紙に学ぶ 伝える工夫』(マガジンハウス)でした。
この人の書簡はこれまでいろいろな人が紹介していますが、生活手紙文という視点から紹介したものはありませんでした。

――今年の3月に出版された『夏目漱石の手紙に学ぶ 伝える工夫』は、どういった経緯で本になったのでしょうか?


中川越氏: 実はすでに2年ほど前に、原稿はすべて書き上げていて、それをどんな出版社から出そうかと考えていた時に、ある手紙のことを思い出しました。以前マガジンハウスで「ちゃんとした手紙とはがきが書ける本」というムックのお手伝いをしたことがあり、その担当だった方から送られてきた手紙でした。新装版の同書ができたのでお送りしますという実務的な内容でしたが、非常に優しい人柄とまごころが感じられる趣のある手紙でした。「この人だったら分かってもらえるかもしれない。若い人に伝えるためにはマガジンハウスがいい」と思いました。マガジンハウスには、「おしゃれ」というのが1つの大きなテーマとしてありますよね。私にとっては、漱石の知性、品格、ユーモアそのものが最高におしゃれで、100年前のものでありながら、決して古びないものだということを、今の世の中に伝えたかったのです。

著書一覧『 中川越

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