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世界中の本好きのために

渡邊啓貴

Profile

1954年、福岡県生まれ。東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業、同大学院地域研究科修士課程、慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程、パリ第1大学大学院博士課程修了(DEA)。国際関係論・ヨーロッパ国際関係史・フランス政治外交論・米欧関係論・広報文化外交等を専門とする。 2008年から2010年には在仏日本大使館公使を務めた。 著書に『シャルル・ドゴール:民主主義の中のリーダーシップへの苦闘』(慶應義塾大学出版会)、『フランスの「文化外交」戦略に学ぶ―「文化の時代」の日本文化発信』(大修館書店)、『米欧同盟の協調と対立 ―二十一世紀国際社会の構造』(有斐閣)、『ヨーロッパ国際関係史―繁栄と凋落,そして再生』(有斐閣アルマ)など。

Book Information

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真理を追究し、社会に還元する



パリ高等研究院・リヨン高等師範大学校東アジア研究センター客員教授、米国ジョージ・ワシントン大学院客員研究員、駐フランス日本大使館公使広報文化担当公使を勤め(2008~2010年)、日本外交における文化広報の重要性を認識。その方面での国内外でのプロモーションにも力を入れていらっしゃいます。1992年6月にはフランス・日本において、相手国の文化に関する優れた研究成果に対して贈られる渋沢クローデル賞を『ミッテラン時代のフランス』にて受賞され、仏語季刊誌『Cahiers du Japon』編集委員長を務め、2010年からは隔月刊雑誌『外交』の編集委員長として、立ち上げに成功されました。今回は政治学者の渡邊さんに、フランス時代にご自分たちで作られたメディアのことや文化外交について、そして、世界から求められている日本について、語っていただきました。

社会性の強いものへの興味


――先生のゼミではどのような活動をされているのでしょうか。


渡邊啓貴氏: 私のゼミは割と活発で、インターカレッジの泊まりがけのセミナーを年に2回行っていて、ゼミ独自の夏合宿も含め、2泊3日のイベントは年に3回位あります。それぞれのイベントのための準備は学生にとって大変な労力だと思いますが、半年も経つと皆しっかりしてきます。外国語を実際に使えるようになるには、まず中身がなければいけませんし、それをどう表現していくかということを考えなくてはいけません。その両方を備えるためには訓練が必要です。当たり前のことかもしれませんが、外国語を学ぶと同時に、母国語できちんと自分の意見をもち、説明することを学び、自分の意見を持つことがとても重要だと思いますので、学生にもそう指導をしています。モスクワ国際関係大学とのセミナーや日仏有識者交流シンポジウムなどの主催もします。そういったセミナーなどのお手伝いも、できるだけ学生にしてもらっています。外国の方が来られることもあるので、学生には良い経験になるかなと思っています。

――ご出身は福岡だそうですね。


渡邊啓貴氏: 生まれは北九州市の若松区というところで、中学生の途中までは八幡区に住んでいました。その後は父が仕事で東京に移ったので、千葉県市川市で生活しました。
私は小さい頃から寄り道ばかりして、なかなか学校から帰って来なかった子供でしたが、いまだに道草ばかり食っています。
本は長編ものが割と好きで、高校時代にはトルストイ、ドストエフスキー、ロマン・ロランなどの作品を読んでいました。時代に正面から向き合っていて社会性のあるものが好きでした。昔から漫画(劇画)も好きでしたが、日本の漫画や小説は諸外国のものと比べて社会性が乏しいように思います。ですから社会性の強い学問分野をもっと勉強してみたいなと、大学生位から思うようになりました。

――社会性を意識して考えることになったきっかけとは?


渡邊啓貴氏: 高校は県立船橋高校だったのですが、千葉県は成田闘争など学生運動が激しかったので、そういった時代の流れを肌で感じていたことがきっかけとなったと思います。学生運動は68年代だったので、私は少しあとの世代ですが、社会的問題に敏感だったのかもしれません。赤坂見附から日比谷公園にかけてが私たちのデモコースでしたが、道路の真ん中に今は分離帯がありますが、昔はありませんでした。「デモが行われる際に人が広がらないように作られたのだと思います。私たちがデモ行進するときには道いっぱいに広がっていました。あれはフランスデモというのですよね。
70年代の初めには日本が先進国第2位になり、社会が安定してきただけではなくて、高度経済成長が成功した稀少な国になりましたが、「この豊かな社会において、1人1人の人間がどのように社会に位置づけられるのだろうか」と次第に考えるようになっていきました。

フランスの現代政治の研究が、自分の使命のように思えた


――東京外国語大学を選ばれた理由は?


渡邊啓貴氏: 「海外経験を積みたいな」という思いが漠然とあったんです。普通の企業のサラリーマンはあまり自分には向いていないだろうと思っていましたし、人間や社会を観察したり書いたりするような職業に就きたいなと漠然と思っていました。
フランス語学科を選んだのは偶然なのです。漫画を描くのが好きで高校時代には漫研の部長をしていたこともあったので、そうした方面への興味があったのですが、そこからヨーロッパへの興味へとつながっていきました。それと、フランス語は外交用語なので英語以外の外国語の中でももっとも使われる言語だろうと思ったのです。今思うと、私は日本の主流とされる部分をもともと追いかけていなかったのかもしれません。

――大学ではどのようにしてフランスについて学ばれていたのでしょうか。


渡邊啓貴氏: 大学に入り「フランス、ヨーロッパの現代を知りたい」と思った時に、日本語で書かれている文献の数は圧倒的に少なく、特派員などの経験がある方が書いたものが出ているくらいでした。ですからフランスの現代がよく分かりませんでした。ヴァレリー・ジスカールデスタンという人が70年代の初めに大統領になったのですが、今のようにネット時代ではなかったので、彼がどういう人なのかということを調べることもできませんでした。英語の放送はVoice of America(ボイス・オブ・アメリカ)で聞けましたが、フランス語をメディアで聞く機会は余りない。私は短波ラジオを買って高いアンテナを立て、海外放送のフランス語を聞いたりしていました。“フランスの現代の研究を誰かがやらなくてはいけないな”と、半ば自分の使命のように思いました。今はBSでもフランスのニュース番組を流しているし、YouTubeなどもありますから、臨場感が当時とは全然違うと思います。

――現代のように情報が溢れる中では、自ら追求して学ぶべきことが重要になってくるのでしょうか。


渡邊啓貴氏: ですから本は大事だと思います。日本の社会科学全体に言えることですが、日本人は海外のことに関して、広い視野からどこまで取り組んでいるのかなとよく疑問に思います。私は中国は専門ではないのですが、フランスのクセジュ文庫の『中国の外交』という本の翻訳をしました。原著を書いたジュワイヨさんは私が留学していた時の先生なのですが、中国語も日本語もあまりできません。それでも新書本の中に、中国の外交の流れがきちんと書かれており、冷戦時代の中国のアフリカ外交なども全部入っています。日本でも、日中関係史や米中関係史という感じで、最近は少し本も出ていますが、基礎的な考え方や歴史などを、きちんと研究するという習慣が、日本の社会科学にはあまりないような気がします。

2番目の新聞を作ったフランス時代


――パリ第一大学へと行かれることになった理由は、どういったことなのでしょうか?


渡邊啓貴氏: 大学の卒業間近に「もう少し勉強がしたい。半年でも1年でもいいから、海外へ行きたい」と考えました。社会的地位や立場にとらわれず、現地の人たちとできるだけ同じ目線で生活してみたかったので、オーバードクター(博士だが定職に就いていない人)になった30歳くらいの時にパリ第一大学に入学しました。とても貧乏でした。留学は1年のつもりが2年半位になり、後半はアルバイトとして、週に限られた時間ではありましたが、日本人がやっていた会社で働いて生活をしていました。当時はちょうどバブルが始まる頃で、日本の企業が海外支店をたくさん出していました。フランス語も英語もできない人が、パリの支店に送り出されることも結構あったので「ビジネスに関係する毎日のフランスの情報誌を発行したら絶対に儲かる」とある人に話しました。その結果、日経コンサルティング企業からその企業の広報も兼ねて日刊の情報冊子を出そうということになりました。

――どのようなお仕事をされていたのでしょうか?


渡邊啓貴氏: 当時、まだインターネットがなく、FAXがようやく出てきた頃だったので、毎日15のニュースを選んで、A4の紙で2枚、契約した日系企業の駐在事務所に毎朝FAXで送っていました。私は編集長だったのですが、大学院の学生の身分でもあったので、午前中半日しか働かない、ということを条件に半ばサラリーマンをしていました。そのうち13個は三行記事で、あとは400字~600字位の解説記事。フランス日刊紙五紙の1面トップの記事から2つを少し長めに要約して、あとは政治・社会・経済の一般記事、芸能記事やスポーツ、ファッション・イベント関連の記事。当時は年間購読料を何十万円かで売っていました。雑誌とは違い、新聞登録にはお金がかからないということでこの冊子の正式な登録形態は「新聞」でした。当時の紙名は『メディアダイジェスト』です。海外で出ている日本語のメディアのうち、新聞登録をしているのは、かなり昔にシアトルで日本語新聞が出て以来だったそうなので、私たちが2番目の海外発行の日本語新聞となりました(笑)。その新聞は、タイトルは変わりましたが、今でもインターネット販売で存続しています。当時の私の同僚が中心になって運営しているそうです。パリには同時通訳や翻訳を専門とする会社がいくつかあり、そのひとつの大手企業でNHKや大使館の仕事を請け負い、設備も従業員の数も私の働いているところよりはるかに大きな企業がありました。そこが「(私たちのような小さな会社でやるぐらいなら)、うちも出す」と言いだして、ファックス送信メディアの競争が始まりました。その会社は人手もお金もあるから、厚い冊子で出していたのですが、あまり売れていませんでした。「忙しい人たちが相手なので詳しく読む時間はないだろう」と私たちは考え、2枚という少ない枚数と、「3行読んだらもっと読みたくなる」ということを売りにして、差別化を図ることにしたんです。実際には私たちのつくったものの購読部数の方がはるかに上回っていました。

「めったにないチャンス」を追いかける道へ


――最初の本はいつ頃書かれたのでしょうか?


渡邊啓貴氏: 実は、最初に書こうと思っていた本を、いまだに書けていません。それは第二次大戦勃発の原因論争についての本です。もう今では人生の最後に書きそうな気もしていて(笑)、自分にとっては痛恨の極みです。「3ヶ月もあれば書けるだろう」と思いながら、気付けば四半世紀経ってしまいました。研究をするためにフランスに行って、第二次世界大戦前の政治家や役人の直筆の読みづらい筆記体の文書を読んだりしました。最初は読めなかった今から80年以上も前の政治家や役人の書いた文字が1か月位経つとすらすらと読めるようになりました。そういった当時の首相や外務大臣などの資料を使った外交史の本がまだ出版できていないのです。「あと半年あれば本が出せる」と区切りをつけて日本に帰ってきたところ、大学院時代からお世話になっていた堀江湛先生(慶應義塾大学)の「還暦記念集を出すので一冊にまとめてほしい」という話がきました。それが最初の本の『ミッテラン時代のフランス』です。還暦記念に間に合うように、今まで書いてきたものの中からまとめ易い論文をアレンジすると同時に、半分は書き加えたりするなど、大急ぎでつくりました。ですから、今振り返ってみると踏み込みが弱かったような気もします。ただ、フランス政治の現代について、ジャーナリスティックな見方ではなく、社会科学を専門とする研究者の本は当時なかったので、意義はあるかなと思って書きました。



――次の本の構想などは、先生の中ではあったのでしょうか?


渡邊啓貴氏: 最初の本である『ミッテラン時代のフランス』を出す目処が立ったと同時に冷戦が終わり、それからは歴史(外交史)の本を書くか、冷戦後の予測不可能な世界を追っかけるかどうかで悩みました。でも「めったにないチャンスだ」と思い、冷戦後の10年を追いかけることにしました。15年ほど経てアメリカに行くことになり、次は米欧関係の歴史を研究しようと思っていたら、今度はイラク戦争になってしまった。私はワシントンのホワイトハウスのそばにあるジョージ・ワシントン大学の研究員をしていました。ですからブルッキングス研究所をはじめとする色々なシンクタンクが組織するセミナーやシンポジウムに出たりインタビューをしたりしました。ホワイトハウスに入ったりしたこともありました。そういった経験を踏まえて、帰国してから『ポスト帝国』と『米欧同盟の協調と対立』を出すことになりました。

「これこそが外交だ」という思い


――2013年には『シャルル・ドゴール』を出されましたね。


渡邊啓貴氏: 『シャルル・ドゴール』は評伝という形にしました。その人の生涯をたどりながら面白いところをピックアップするだけでなく、「ベーシックなものもきちんと書いて時代が分かるように」と考えながら書きました。私はそれをとても重要なことだと思っています。一点突破で書いてしまうと、時代と共に解釈が変わったり曲解されたりすることもあるので、そこが難しいところです。性格的に寄り道が多くてなかなか本題に戻れないこともありますが、色々な側面を集約した形にしたいなと思いながら本を書いています。ただ、この本も本当は10年位前に出ていなくてはいけなかった本だと自分でも思いますが、なかなか筆が進みませんでした。

――筆が進まなかったのは、なぜでしょうか?


渡邊啓貴氏: 結論が出なかったのです。ドゴールという人は、日本では「新しい時代を理解できなかった単なる硬骨漢だったのではないか」という声が一般にあります。それではフランス人は道を誤った指導者として彼を理解しているのかというとそうではありません。むしろ非常にポジティブに現代のフランスを創った人として評価しています。朝日新聞で保坂正康さんがこの本の書評をされていましたが、「ドゴールについてフランス人のジャーナリストが悪く言っている席で自分も一緒になって批判的なことを言ったら、『アメリカの庇護の下で安閑としている日本人に言う権利はないだろう』という趣旨のことを言われて逆に叱られた」と。それはドゴールが単にアメリカに対して言いたいことを言ったというような表面的な解釈ではなくて、自分の思う生き方をするために権利を担保しようとした、相手を説得しようとした、という意味での評価が高いのです。地球を何十回も爆発させられる原爆を持っている国に対して、フランスの保有する地上発射ミサイルの数はモスクワを叩くだけの目的でつくられた中距離ミサイルが13機。まるで張り子の虎のようだと思うかもしれませんが、そのことによって自分たちの意見を通すことができたのならば、フランスの核抑止力が誇張やはったりだとしても、それこそが外交なのだと私は考えています。言うべき時は身を挺しても言うべきだということ、それが外交なのだということをフランス人は分かっています。出版した後で「そこまで書き込めば良かったな」と思った部分がいくつかありました(笑)。研究したことを世間一般に上手に伝える、アピールするといったことが私はあまり得意ではないのかもしれません。

ヨーロッパやフランスの現実を知ってほしい


――そういった部分はどのように工夫されるのでしょうか?


渡邊啓貴氏: 編集者の力も大きいと思います。具体的ではなくても「これを書いてください」と言ってくれたり、「ここは切ってもいいですよ」などと言ってくれる編集者だと助かります。ドゴールの時は「先生の感想をできるだけ書いて下さい」と言われました。もちろんそういった要求の中には受け入れられるものと受け入れられないものがありますが、『シャルル・ドゴール』のときには編集者が良いアドバイスを随分くれました。それだけの自信を持っている編集者が必要なのだと思います。私が何か良い発想を持っていたとしたら、それを編集者に引き出してほしいと思っています。今私はパブリック・ディプロマシーの重要性をどのようにして一般に理解してもらうかということに関心があります。
私たちに求められているパブリック・ディプロマシー(広報や文化交流を通じて、民間とも連携しながら、外国の国民や世論に直接働きかける外交活動)とは、よりフェアで民主的なものだと私は思っています。それをどういう風にすれば、日本で伝えることができるのかと、ここ数年悩んでもいるのです。

――本を書いてこれを伝えたい、というものはありますか?


渡邊啓貴氏: 私なりのフランス論やヨーロッパ論を伝えたいと思っています。私はヨーロッパやフランスの現実を知ってほしいと思い、30年以上活動を続けてきました。「日本とは全く違う」と思っている人も多いかと思いますが、オイルショックの後のユーロスケプティシズム(ヨーロッパ懐疑論)などは、バブルがはじけた後の日本に似ている部分もあるのです。フランスの出生率が低くなった時期がありましたが、今はまた2人台に戻りました。子どもが3人いる家庭も多く、3人目以降については手当がぐんぐん高くなるなど、80年代から色々なことをやり始めて、15~20年位経ってから成果が出てきています。

文化外交を専門とする機関が必要


――『中央公論』の4月号で文化外交について書かれていらっしゃいますが、文化外交とは?


渡邊啓貴氏: 「広報合戦から文化戦争へ」という副題は私の言葉ですが、日本の広報を担当した時に、日本のことを本当に理解してもらい、私たちと同じような目線で見て、考えてもらうには文化を理解してもらう必要がある。それができなければ外交広報は十分ではないと私は思います。先日、拓殖大学の総長である渡辺利夫先生のところに行ってお話していたら、同じことをおっしゃっていて「トラディショナルな日本文化の紹介を英語で出せるように今、取り組んでいるんだ」とうれしそうにおっしゃっていました。広報と結びついた文化活動が文化外交です。国際交流基金というのは、平和で普遍的な日本のイメージを広げたという功績がありますが、それは、国際交流活動です。広報外交の一端を担う文化外交とは違います。そういった文化外交を専門として、多様な外交ネットワークを束ねる機関を作った方がいい。また外交官の中にそうした文化外交を専門とする人員を育成すべきだと考えます。文化は道具ではないという批判を受けることを覚悟の上で、日本文化における価値の体系化をして、序列を作るというような作業を地道にしていかなければいけないということを書きました。

――在仏日本大使館の公使をされていたご経験などで感じられたことも影響があるのでしょうか。


渡邊啓貴氏: そうですね。広報と文化を一緒にやっていたのですが、役人というのは自分や会社が儲かるわけではないのでディフェンシブなところもありますが、やはり現場ではいろいろと苦労するところも多い。パリは大きな文化都市だから助役が36人もいて、緑地担当や国際担当など、色々な担当があります。照明で有名な石井幹子・リーサ明理さんたちがパリでイベントを実施した時に、ライト・アップ・ショーのためにパリ市の街のライトを消したりしなければなりませんでしたが、そのためのパリ市との交渉を行ったことがあります。そういった人たちとも、私は大使館の人間だから電話を入れるとすぐに交渉ができたり、一緒に食事をすることができました。そんな機会に色々なことを教えてくれます。でも民間だとそれがなかなか難しい。他方で民間の良さもあります。フランスでは美術館の館長などもドクターを持っている学者も多いので、そういう人たちとの関係は楽でした。大統領府のスポークスマンと話していて、お互いに学者だということが分かると、仕事とは関係のない話で盛り上がるわけですが、結局は親しくなることで話はしやすくなった。

――論文も含めて、電子書籍の可能性についてはどのようにお考えでしょうか?


渡邊啓貴氏: インターネットで自分のPDFなどをアップしている人もいますし、知的財産権の問題が微妙になりますが、あれは基本的には電子ブックと同じです。とても良いなと思います。紙の本のように線を引けるようになる、とかそういった部分がクリアされたら私は便利だと思います。自分が使うのはまだ紙の本です。紙の本は飛ばして読むこともありますが、今のウェブサイト上のものは、長く読まない代わりに上から順序良く読みますよね。若い人はどうか分かりませんが、私は画面が2回くらい変わったら、長いなと感じてしまいます。他方で文章が短いと「文章を味わう」という感じにはなりません。逆に言えば、物事をこの程度の文章量で理解するというのは怖い気もします。人間は言葉で考えるわけですから、分かりやすく短くがあまりにすすんでいくと、深い思考をしなくなるということになります。それに比べると本は完成されたものなので、紙の本ならではの良さがあります。読むというのは考えること。だから、電子書籍と紙の本の距離を良い点を取り入れながらいかに近づけていくのかということを考えねばなりません。

世界から求められていることを、理解しなくてはいけない


――今後さらに力を入れていきたいと思っていることはありますか?


渡邊啓貴氏: 私は元々、常に1歩引いたところでものを見たいと思ってきました。そして、それを社会に還元していきたいと思っています。学者は皆、「何か良いことを言おう。次の時代に繋がることを言おう」と考えていると思います。大袈裟に言えば、“真理の追究と人類への貢献”というような、長期的な話に関心がありますし、次の時代に向けた動きを作って行くことも私たちの責任だと思っています。それは、時代に迎合するということとは違います。

――世界から日本はどのようなことを求められているのでしょうか?


渡邊啓貴氏: 日本の文化は周囲に合わせて少しずつ動いていくのを良しとする文化なのですが、日本が世界のリーダーシップを発揮できる国になるとしたら、それでは世界に通じません。その方が居心地が良いのか、外のことを自分のこととして主体的に考えようとしない傾向があります。それでは日本が元気だった明治時代の人たちはもっと世界的視野があったかというと、そうは思いません。先日、あるエッセイにも書いたのですが、彼らは生きるか死ぬかの瀬戸際だった。前へ出て行くしかないという時代だったのです。しかし今はそうではなくて、日本にも世界をリードする国になってほしいという時代です。それなのに「世界に対する使命などというものは、私たちにはまだ必要ない」と多くの日本人は考えているように思います。押し出されて、食うか食われるかという状況にならない限りは、日本はここまでの国なのではないかと私は思います。私たちはもう坂の上に登ってしまったのです。世界は決してその坂を下ってほしいとは思っていません。去年の8月にアベノミクスで、日本の年率換算の成長率が2.5パーセントという予測が出ました。日本人は「たいしたもんだ」という感じを持ちました。しかし、アメリカもヨーロッパも経済は良くない状況です。したがって日本に、「世界を引っ張っていってほしい」と考えていたため、世界の先進国は、たった2.5パーセントという成長率に失望感を強く持ちました。それだけ大きな期待をもたれているのだということを、日本人はもっと理解しなくてはいけません。



――一今後はどのような本を出版される予定ですか?


渡邊啓貴氏: 今後は1年間に複数冊ずつ本を出したいと思っています。フランスの外交史の本と、フランスの80年代以降の政治経済のトレンドが分かるものを本にしたいと思っています。今まで雑誌に書いてきた記事などを集めて大体のところ編集し終わっているものもあります。それからもう1つは、7、8年前に米欧同盟関係の通史を書く約束をしていたので、新書版ですが、そろそろ出版したいと思います。それを元に以前出版した米欧同盟論の本を補強して、日米同盟と比較した本を出版したいと思っています。米欧同盟を考えれば考えるほど、日本外交に対する新しい視角からの提言や感想は沢山出てきます。

(聞き手:沖中幸太郎)

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この著者のタグ: 『大学教授』 『海外』 『働き方』 『新聞』 『留学』

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