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世界中の本好きのために

田中洋

Profile

1951年名古屋市生まれ。京都大学博士(経済学)。(株)電通マーケティング・ディレクター、法政大学経営学部教授、コロンビア大学客員研究員などを経て現職。経済産業省・内閣府・などで委員会座長・委員を務める。日本マーケティング学会副会長。マーケティング論専攻。多くの企業の戦略アドバイザー・研修講師を勤める。日本広告学会賞を三度、中央大学学術研究奨励賞、白川忍賞、日本マーケティング学会ベストペーパー賞を受賞。翻訳サービスの(株)言コーポレーション顧問。主著に『ブランド戦略・ケースブック』『マーケティング・リサーチ入門』『消費者行動論体系』『企業を高めるブランド戦略』他。

Book Information

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電子書籍がメディアとしての本を変える



マーケティング、消費者行動、ブランド、広告分野の研究者で、特にブランド分野では日本有数の研究者として知られています。1975年に電通に入社し21年間の実務を経験した後アカデミズムに転じ、城西大学経済学部助教授、法政大学経営学部教授などを経て、2008年より中央大学大学院戦略経営研究科の教授となりました。実務経験を活かし、多くの企業でマーケティングやブランドに関する戦略アドバイザー・研修講師を勤められ、その著作・研究活動により、日本広告学会賞を3度、2008年度には中央大学学術研究奨励賞、2012年に東京広告協会から広告業界への貢献を認められ白川忍賞、2013年には日本マーケティング学会からベストペーパー賞を受賞されました。日本マーケティング学会副会長も務める田中洋さんに、これまでの道のり、現在の活動、電子書籍への意見などをお聞きしました。

現場、現実を見ることが大切


――様々な分野でご活躍されていますね。


田中洋氏: 電通には21年ほど勤めまして、大学に移ったのが1996年ですので、それから約17年大学にいます。城西大学、法政大学などいくつか大学を変わり、2008年から中央大学のビジネススクールで社会人の方を対象に教えています。担当はマーケティング戦略論、ブランド戦略論、国際マーケティング、マーケティング・コミュニケーションの4つ。自分としては一般的なマーケティングの中で特にブランドに関心を持っています。

――現在の活動について、お聞かせ下さい。


田中洋氏: 大学での講義のほか、今、ブランドについて本を書いているのですが、なかなか進まないです。研修に関しては、IT関係や食品会社など色々な業種にわたって行っており、キリン、井村屋製菓、マイクロソフト、それから今度ホンダにも行きます。あと、僕はNTT東日本の社内誌に13年ほど、マーケティングの成功事例を連載しています。毎月あるので、取材や原稿の執筆が結構大変ですが、色々な会社に行くので、いい勉強になります。実務的なマーケティングも大事なのですが、研究としてのマーケティングは少し違っているところがあるんです。

―― 具体的にどのような違いがあるのでしょうか?


田中洋氏: 人が想像するようなマーケティングと研究は少し違うのです。例えば、消費者行動というと「これから売れるものが何か予測できますか」と聞かれますが、そうした研究をマーケティング学者はほとんどしないのです。消費者の意思決定についてなど、実際にはあまり役立たないと見える研究をやっているので、研究と実務は実際のところかけ離れている感じを与えるのです。それを融合させようと思っているわけではないのですが、僕はブランドの研究をしているので、ブランド管理、ブランド戦略、ブランディングを考えるにあたって、現実に起こっていることを取り入れないと、リアリティがないと思っています。今書いている本は、そういういったことを伝える本にしようと思っているんです。

――リアリティを高めるためには、どのようなことが必要なのでしょうか?


田中洋氏: 事例を聞いただけで学べることというのは、実はそれほど多くはないんです。事例を聞けば面白いし分かったような気になりますが、“じゃあ、あなただったらどう応用するの”と言われれば迷ってしまうことが多い。実際、応用するのはすごく難しいですし、業界が同じなら応用できるかというと、そうでもない。エッセンスを学んでそれを応用することはできるけれど、エッセンスだけ取り出して学ぶことはなかなか難しい。事例だけでも、コピーだけでもダメなのであって、やはり、現実を見ることが重要なんです。消費者やマーケティングを研究するなら、その現場を良く見てそこの現実から何かエッセンスを掴み取ってこないといけない。一方、マーケティングの研究を見ると、数量的な研究が非常に多い。統計や数理分析、ビックデータも確かに大事ですが、やはり現実が分からないとデータをどう読んでどう解釈し、どう応用するのか分からないのです。結局のところ、研究と実務とは本来両方理解する必要があるのですが、この二つができるということは非常な困難を伴うのです。



一生懸命やる方を選んだ


――小さいころはどのようなお子さんでしたか?


田中洋氏: 出身は愛知県名古屋市で、小さいころは平凡な子供だったと思います。地元の公立の小学校を出て、兄と同じカトリック系の南山中学・高校に通いました。英語に力を入れている学校で、アメリカ人の神父さんに鍛えられました。ビートルズが好きでよく聞いていたので、ビートルズから覚えた英語も多いです。そういう意味で、英語は割りと昔から好きな科目で、今でもかなり役立っています。

――どのような学生時代を過ごされましたか?


田中洋氏: 僕が高校から大学へ進学する6、70年代はちょうど大学紛争の頃。当時、よしもとばななのお父さんの「戦後思想界の巨人」と呼ばれる吉本隆明がすごくはやっていて、一時相当影響を受けました。その後、柄谷行人の著作、最近では『世界史の構造』などに影響を受けて、それが僕の思想、哲学というか、自分の考え方の根本のようなものになっています。

――電通では、どのような仕事をされていましたか?


田中洋氏: 電通には約 21年勤めて、前半は新聞広告の仕事を、後半はマーケティング局でプランニングなどをしていました。最初が三重県の四日市支局、次が名古屋支社、その後、東京に異動しました。本社の新聞局にいましたが、当時の幹部や社長は、みんな新聞局の出身だったんです。当時の僕の上司も社長になって、最後は会長になっています。営業が持ってきた仕事を新聞社に取り次いで、スペースを取ったり原稿を送ったり交渉したりする、という仕事だったんですが、その仕事も、2年ぐらいで飽きてしまいました。それで、合法的に仕事をサボる方法を探した結果(笑)、海外留学があることが分かったんです。何度かチャレンジして、1983年に南イリノイ大学のジャーナリズムの大学院に入りました。

――現地での勉強は楽しかったですか?


田中洋氏: 何をどう勉強すればいいのか全く分からなかったので、毎日与えられたリーディングマテリアルをひたすら読んでいました。そのうちに段々と「こういうことか」という方向が見えてきました。当時、汎用コンピューターを使ったデータ分析もあったんです。今でこそコンピューターは普通ですが、当時はパソコンもなかったので、初めての経験でした。留学は1年2ヶ月くらいでしたが、僕の人生の中で一番勉強したのは、あの時だったと思います。

――マーケティング分野に興味を持たれたのは、どういったきっかけからでしたか?


田中洋氏: 修士課程を修了して留学から戻った時、マーケティング局にたまたま配属されたのですが、自分ではすごく嫌でした。留学前にいた新聞局は代々幹部や社長を出すエリート部署でしたので、「オレたちが会社を支えている」といった感じだったんです。当時、マーケティング局は会社の盲腸のようなところだと僕は思っていましたので、「自分がそこへ行くのは考えられない」と、がっくりして、嫌々行きました。33、4歳で僕は、プランニングも企画書の書き方も分からないといった新入社員同様になってしまったので、情けない、という気持ちになりました。1年間マーケティング局でクライアントのためのプランニングをしていましたが、突然、調査部に行かされることになり、そこは暇というか仕事があまりない部署でした。ちょうどTVドラマの「ショムニ」のような感じの部署です。そこで僕が与えられたミッションは、1年でクリエイティブリサーチをまとめなさいというものでした。クリエイティブリサーチとは、広告のCMや素材をオンエアーする前に有効かどうか行う消費者テストのことです。1年でまとめればいいので、別に急ぐ必要はなく、5時半になると仕事がないので、すぐ帰っていました。

――どうやってモチベーションを保ったのですか?


田中洋氏: 同期に「この部に来たら、ふてくされて寝ているか、一生懸命やるか、どっちかだ」と言われて、それならば一生懸命やるか、と決心し、クリエイティブリサーチという、割りと厚い報告書をまとめました。その報告書がきっかけで、91年に『新広告心理』というタイトルで本を出すことになったので、『新広告心理』は僕が真面目に仕事をした副産物なのです。
その後、調査部から外資系企業担当のマーケティングディレクター部門に移って、ネスレやアメリカンエクスプレス、ユナイテッドエアラインズ、ユニリーバ、フィリップモリスなど、有名な外資系の企業とお付き合いすることが多くなりました。そういった会社はどこも、マーケティングのメソッドをきちんと持っていますから、その部門にいる間に、リサーチ方法やプランニング、広告の考え方を学びました。英語も使いましたので、いい勉強になりました。

電子書籍は本の「長さ」という概念を変える


――広告業界からアカデミックな世界に移られたきっかけは?


田中洋氏: 僕は、会社にいる以上は出世を目指さないとダメだと思うんです。目指さないとダメな世界ですが、自分が本当に目指したいかと考えたところ、ちょっと違うような気がして、それが会社を辞めようと思った理由の1つです。そういった時に、たまたま知り合いの城西大学の先生から、「来ないか」と言われたのがきっかけで、96年に大学へ移ることにしました。

――今度は研究の分野でまた一から。その当時はどのようなお気持ちでしたか?


田中洋氏: 教えることは自分としてはあまり抵抗がなかったので、割りとすんなり入りました。外から見ると大学の先生は、教える人、研究している人ですが、実は大学での大きな仕事は、アドミニストレーションの部分。あまり外から見えないので分からないですが、俗に雑務と呼ばれている仕事、例えば入試問題を作る、入試の監督をする、科目の編成を考えるといった仕事がたくさんあるわけです。学部長くらいになれば学部のあり方を考えるとか、もろもろの仕事、問題も増えてきて、そうした仕事に追われていると、自分が何をやっているのか分からなくなってくることもあります(笑)。

――大学のお仕事で、今、力をいれていることは?


田中洋氏: 冒頭にお話した、ブランドの本を書くことに力を入れています。自分としては、「体系化された完璧な本を作りたい」という気持ちがあるんです。以前、消費者行動論についての色々な知見をまとめた『消費者行動論体系』という本も出しましたが、僕は、まとめをするのが好きなんです。世の中には色々な知識がバラバラに散っていて、それを個々に研究されるわけです。それらの研究を1個ずつ見ていくのも好きだし、部分的な研究を自分なりにやるのも嫌いじゃない。でも、それを集めて全体がどうなっているのかを見てみたい、という欲望が僕にはあります。ブランドに関して言えば、ブランドとは、人間が生活し経済活動をする中でどういう役割を果たし、どういう働きをしているのかをはっきりさせたい。そうなると、人間の脳の働きなどを含めて色々なことを総合化して考えないと分からないのですが、それを僕は追求したいと思っています。

――書物についてどのようなことを考えておられますか?


田中洋氏: 本は、歴史的に形成されてきた1つのメディアのあり方だと思います。例えばテレビは昭和28年くらいから今に至るまで4、50年ほど放映している。その前はラジオ、その前は新聞。媒体にはそれぞれ始まった時期があり、ある程度存続していく。でも、ラジオは昔から比べるとかなり衰退しているし、今では冠婚葬祭にしか使われない電報などの媒体もある。メディアの盛衰はあると思いますが、本もある意味、歴史的な産物なので、電子書籍に置き換わる可能性もあります。
本には、ある程度のボリュームが必要です。僕は最近、本の「長さ」とは一体なんなんだろうと、つくづく思うんです。本には、1ページが1,000字だとすると、20万字ぐらいは書かなきゃいけないといったように、ある程度の長さが規定されます。それが電子書籍になると、長さに関しては自由なので、長いのもあれば短いものもあるということになるので、そうなると思考の形態が、変わるんじゃないかと思っているのです。例えば、大学は今、単位を1単位取るために、90分授業を15回やる必要がある。90分×15回じゃ足りないという科目もあれば、そんなに長くやることないというものもあるかもしれないけれど、全て90分×15回と決められている。本もそれに似たところがあって、200ページくらいのボリュームがなきゃダメという前提になっているというか、本はそれぐらいの分量の情報を詰め込むものだという概念が我々の中に長くあったと思うんです。電子書籍になるとそれがなくなるから、読み方も変わってくるのかもしれない。



――書き方も変わってくると思いますか?


田中洋氏: 本は、初めにという序文から始まって終わりに至る、一種のフォーマットのようなものがありますが、それは、歴史的にできてきた本が作り上げたフォーマットなのです。それも、電子書籍によって変わるかもしれない。色々なところにリンクが繋がって、目の前の本だけが全てではなく、繋がりの全体が本だという風になる気がします。
PDFでも本を読めますが、あれもまだ本の形態をそのままPDFに電子化しただけです。でも、電子書籍という形態が成立すると、今の本のあり方からかけ離れてしまって、それこそ2ページでも本になるという場合もあれば、1000ページでも本になる、といったように色々な形態のものが、本として認められるようになるんじゃないかと思います。

電子書籍が本の読み方を変える


――そういったように概念が変わりつつある中で、出版社、編集者の役割はどういったところにあると思いますか?


田中洋氏: 編集者の専門性とは何か、というところが問われてくると思います。書籍の編集者だとすれば、何を知っているのかということです。売れる本のコンセプトを考え、著者に依頼して、原稿をもらって、表紙のデザインを依頼して、製本して、印刷して、最終的に本屋さんに並べるというのが普通の出版社の仕事です。それが、電子書籍になると作業過程が変わってきます。
では、電子書籍になったらどのような本が売れるのか。少し前に、アメリカで『ハリーポッター』より売れた『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』という、少し軽いポルノ小説のような本がありました。なぜ売れたかというと、店頭で買ったり持っているのは恥ずかしいけれど、タブレットなら何を読んでいるのか誰にも分からないから、という理由からでした。紙の本では持ちたくないから電子書籍で売れるといった面もあると思いますが、まだ過渡的であって、電子書籍でなければいけないコンテンツが何かということが、まだあまり分かっていないのが現実です。

――電子書籍にふさわしい読書のスタイルなども、できてくるのでしょうか。


田中洋氏: 僕の家にはたくさん本があって、部屋が本で埋まって困っているんです。研究室にも本はたくさん置いてあって、「これを全部読んだんですか」とよく聞かれますが、本には、最後まで全部読まなくてもいいものもあると思うんです。僕は本を読んでいるのではなく、本に有用な情報があるかどうかを見て、つまみ食いのような読み方をするので、本を利用している、といった感じかもしれません。小説はもちろん最初から最後まで読まないとだめでしょうが、研究書に関しては別の読み方がある。電子書籍になれば、当然読み方も変わってくると思うんです。

――電子書籍で自著を読まれるということに対して、思うことはありますか?


田中洋氏: 読み方は人によっても違うし、色々な読み方が許されるようになると思います。講談社の現代新書から10年ほど前に出した『企業を高めるブランド戦略』が、最近、大学の入試問題に使われて、ある文が引用されて、著者はこれで何が言いたいのか50字以内にまとめよといった問題でした。この設問も、ある種の伝統的な本の読み方から由来するんじゃないかなと思うんです。
テレビの見方も、今、すごく変わってきている。若い人の中には、「毎週月曜夜9時から1時間、テレビの前にいるのが嫌だ」という人が多く、そういった人は録画してつまみ食いして見るそうです。家に帰るとシーンとして寂しいので、とりあえずテレビをつけて音を鳴らせておくといった、テレビを環境物として置いている人も多い。それも今のテレビの見方の1つとなっているのです。だから、本の読み方も、最初から最後まで読んで大事なところに線を引いて、これは何が言いたいのか考えるといった読み方だけではない本へのアプローチ方法が出てくると思うし、それが許容されていくのだと思います。

――電子書籍のメディアとしての可能性は?


田中洋氏: まだ我々は、その可能性に気づいていないのではないでしょうか。日本は、テレビにしても新聞にしても、なかなか変わりづらいんです。出版も同様に変わりにくいところがあって、伝統的なやり方が、まだまだ残っている。諸外国が変わっているのに日本だけ変わらない。でも、だからこそ、スマホのように急に状況が変わることがありうるように思うんです。ただ、電子書籍を読むカルチャーが、上手く形成されないとだめでしょうね。電子書籍ばかり読む人たちがある程度出てくると、ドッと変わるきっかけになるんじゃないかと思っています。

――読み手の影響が、やはり大きいですか?


田中洋氏: そうですね。あとは、本がメディアだということで言うと、メディアはプラットフォーム、コンテンツ、デバイスというエレメントで成り立っている。最近はこれに、インフラというエレメントが加わり、この4つが合わさったものをメディアと呼ぶ。例えば映画は、映像があり、映画館があり映画会社がある。テレビは、テレビ番組というコンテンツがあり、受像機というデバイスがあり、テレビ会社というプラットフォームがあり、電波というインフラがある。今、何が起こっているかというと、これがバラバラになっているのです。デバイスだけ見ても、テレビならテレビ受像機だけでなく、スマホ、パソコンなど様々なもので見られますので、もはや、通信と放送の融合ということだけではないんです。テレビ受像機を作っている会社が、独自の編集をしたりすることもありますし、今アメリカは、世帯の視聴者に合わせてコマーシャルを変えるということをするデバイスが出回ろうとしています。例えば、20代の男性しかいない世帯なら、それに合わせたコマーシャルばかり流す。これは、テレビ会社からしたら困る話ですが、それをデバイスレベルでやってしまう。それと同じことが本の世界でも起こっています。出版社というプラットフォーム、紙というデバイス、本屋という流通が一体になって本と言っていたものが壊れて、Amazonが出てきて本屋が減る。紙というデバイスがなくなって電子書籍に置き変わる。プラットフォームの出版社に関しても、出版社じゃなくても本が作れるようになる。そういった風にメディアが変容するきっかけを、まさに電子書籍が作っているわけなのです。しかしかといって、従来の書籍は決して無くなりません。テレビが出てきてもラジオや新聞雑誌が健在であるのと同じことです。

――そうした変容の中で、教育者として、執筆者としての今後の展望をお聞かせください。


田中洋氏: 変化はしていくと思いますが、自分が本を書く時は、昔ながらのルールにのっとってやっていくと思います。ある程度の長さを書いてまとまったものにして、体系化してするという、そういう昔ながらのスタンダードが、使えるものだと僕は思っているんです。だから、昔ながらの体系も、重要な部分として生き残っていくと思います。
ただ、それとは違うメディアの可能性も、絶対にあります。本も、1冊の中に全て納まるのではなく、リンクで繋がったりして変わってくる。1ページから読まなきゃいけない本が全てだとは思わないほうがいいと僕は思います。

(聞き手:沖中幸太郎)

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この著者のタグ: 『海外』 『マーケティング』 『クリエイティブ』 『メディア』 『留学』

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