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世界中の本好きのために

村上宣寛

Profile

1950年、愛媛県生まれ。京都大学大学院修了。日本でも数少ない包括的な心理テストの教科書『臨床心理アセスメントハンドブック』の著者。認知心理学、統計分析、性格判定に関するプログラム開発等が専門。その他の著書に『心理学で何がわかるか』(ちくま新書)、『心理テストはウソでした 受けたみんなが馬鹿を見た』(日経BP社/講談社+α)、『IQってホントは何なんだ? 知能をめぐる神話と真実』(日経BP社)、『性格のパワー』(日経BP社)、『野宿大全 究極のアウトドアへの招待』(三一書房)、『主要5因子性格検査ハンドブック 改訂版』(共著。学芸図書)、『ハイキング・ハンドブック』(新曜社)等がある。

Book Information

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環境を整えるために、食費を削って書籍を買った時代


――富山大学に入られてからは、どのように過ごされていましたか?


村上宣寛氏: 大学に入ってから、一応は独立して生活しました。家庭教師を一つだけしましたけど、バイトは時間の無駄だからしませんでした。お金は親から貰いました。生活費を1万くらいと決めて、食費を削り本代に2、3万使っていました。頭の能力は皆変わらないのだから、少なくとも環境で負けないようにしないといけないと思い、本当にたくさんの本を買いました。本棚はもったいないので買わなかったです。置き場に困ったので、本を平積みして、本を壁がわりにしていていました。当時、岩波講座の世界歴史などの大講座本を買っていましたが、今だったらもう手に入らないでしょう。とりあえず、手当たり次第買って読みました。その当時、心理学関係で言うと、ヤスパースの『精神病理学総論』などの古典的著作も読んでいました。印象深かったので、今でもその本は持っています。数学専攻の学生がこんな本を読んでいるというのもあまりないでしょう。

入学してしばらくすると、激しい学生運動に巻き込まれました。小さい大学ですから、無関心派というわけにもいかず、自治委員とか選挙管理委員をやって、そこそこ関与しました。そのうち、大学はロックアウトになり、授業がなくなりました。若干の学生運動的活動のほかはずっと本を読んでいました。下宿は本だらけで、どうにもならない状況になりました。数学も全集的な本を10冊程度購入して、一人で読んでいました。また、友人と研究会を作って勉強していました。多少は抽象的に記号の推論ができるのですが、どうも自分には才能がなさそうでした。数学を一生やる気にはなれなくて、転向を考えました。当時、夏目漱石にもかぶれていて、高校の友人に頼んで立派な菊判の夏目漱石全集を手に入れてすべて読みました。漱石の研究書もかなりの数を集めて読みました。夏目漱石の評論を書いて、評論家になろうかとも考えました。

ある日、国文学に転向しようと思って、国文学の先生に相談に行くと、みっちりと草書体の文字が印刷された本を見せられて、国文学をするなら、これを読まないといけません、なんて言われました。正直言って、目が点になってしまいました。宇宙人の文字にしか見えないんです。まあ、マトリックスという映画に出てきた、訳の分からない記号の列でしたね。即、国文学から撤退です。

まあ、それで、数学はダメ、国文学はダメということになりました。どうにもなりません。数学と国文学の中間くらいの学問はないかと探すと、心理学がありました。それで心理学の全集的な入門書を10冊ばかり読んで、こちらに進むことにしました。さあ、富山大学はやめて、どこかの大学に入り直さないといけません。当時、編入学を認めていて、心理学の専攻がある大学は、あんまりなかったんです。関西では、甲南大学、立命館大学、同志社大学あたりだったと思います。私学となると、授業料が心配でした。同志社大学が一番安くて年10万円くらいだったです。

学園紛争も収まり、授業も始まったのですが、私は大学に行かず、心理学の勉強を続け、編入試験に必要なドイツ語と英語の勉強をしていました。本当は退学しないと他大学の編入試験は受けられなかったのですが、数学の先生が教授会で受験許可の特別決議をしてくれました。どうせ落ちるから、そのときに帰る場所がないとかわいそうだという理由です。まあ、期待を裏切って合格しちゃったんです。

同志社に編入学した時には、心理学を十分勉強ずみでした。心理学の15冊の専門的講座本もほとんど読んでいましたし、大学のレベルが低いと感じましたね。講義を聴いた後は、先生が紹介した文献を可能な限り読みました。卒業の時には評定尺度法の研究をしたんですが、これには因子分析法という統計解析が必要になるんです。それで、工学部のコンピュータを無理矢理使いました。理解は不十分でしたが、FORTRANというプログラミング言語を勉強しました。

面白いことに、後で聞いたら、富山大学の数学の友人もコンピュータのプログラミングをして行列式の解析をやっていました。私の因子分析法も行列式の解析です。場所は変わっても、皆、似たようなことをしているんです。時代がそうさせたんでしょう。

大学に就職となると京大が有利ということで、京大の大学院に進学しました。なんだかしらないけど、ここっていう時には強いんです。京大の大学院も入ってみると、そんなにレベルは高くなかったです。いくつか、論文を書いたら、目立ちました。博士課程の一年生の時、富山大学から公募があって、嫌な予感がして、雲隠れしたんです。ゼミの先生から電話がかかってきて、叱られて、どうしても応募しろというんです。いやいや書類をまとめましたね。そういえば、健康診断にも行っていなかったから、近所のお医者さんに書いてもらいました。嫌な予感は当たるんです。



――京都大学大学院を中退されて、研究者になられて、認知心理学、統計分析、性格測定に関するプログラムを開発されることになるわけですね。プログラム開発に関してはご苦労はありませんでしたか?


村上宣寛氏: やり始めると夢中になってしまうので、苦労とか、そんな感覚はないです。純粋に病的に凝り性なので、BASICのプログラミングを始めた時は本当に1日8~10時間くらいやっていました。朝8時前に大学に行くと延々とプログラミングをやる訳です。たいして授業をしていませんでした。5時になると、ぱっと止めて帰ります。次の日、またプログラミングします。それの繰り返しです。ついにBASICで夢まで見ました。数ヶ月すると、プログラムが書けるようになったので、『インフォメーションサイエンス』というパソコン雑誌に投稿したら、採用されたので、それから不定期に雑誌に投稿して、お金を貰いながら、プログラミングの練習をしました。

たまたま家内が当時の富山医薬大の精神医学教室で、ロールシャッハをやることになって、記号の集計処理が大変なので、BASICでロールシャッハのテストの整理プログラムを作ったんです。なんとか動く程度のできだったんですが、それに家内がいたく感激して、「『インフォメーションサイエンス』に売り込んでみてよ」と指示されました。いやいや東京まで出かけて編集者と会うと、即座に「標準となるテキスト」を書いて欲しいと言われました。なんとかなるだろうと適当に引き受けたんです。その後が大変で、頼りにしていた片口さんのテキストは役に立たず、ベック、クロッパー、エクスナなどの原典に当たり、全部、ゼロから調べ直して書きました。解釈ルールをドキュメント化すると、自動解釈も簡単だと分かり、販売と同時に自動解釈ソフトの開発に取り組みました。しばらくすると、ロールシャッハ解釈の妥当性(テストの正しさ)のエビデンスがほとんどないことに気づき、ミネソタ多面人格目録の翻訳と短縮版の作成、主要5因子性格検査の作成へと向かった訳です。

インフォメーションサイエンスという出版社が潰れ、日本文化科学社からロールシャッハの本とソフトを販売しなおす時に、BASICではとても心配だったので、保守性の高い信頼できる言語を探しました。Modula-2が良さそうだったので、3ヶ月でなんとかマスターして、1万5千行くらい書きました。それで、ミネソタ多面人格目録のプログラムもModula-2で書きなおしました。その後、Windowsの時代が来るんです。ところが、Modula-2のWindows版がありません。焦りました。類似言語としてはPascal、Adaがあったんですが、Pascalは設計が古くて非力、Adaはあまりにも難しく手に負えません。Visual Basicは嫌いでした。悩んでいると、幸い、Delphiという言語が現れました。PascalとModula-2を合わせたような言語です。結局、すべてのプログラムをDelphiで書き直しました。一つのプログラムが1万行くらいですから、十数万行書いた訳です。

なぜ、そんな言語を使っているかというと、ミネソタ多面人格目録や主要5因子性格検査ではマークカードリーダーを動かすソフトを書かないと実用にならないからです。一種の通信ソフトですから、低レベルのコマンドが使える必要があります。幸い、ライブラリを開発する人がいて、そのライブラリを使うと、マークカード等の機器をコントロールできるようになります。マークカードリーダーのプログラムが出来れば、それを使って、数百人、数千人のデータの自動処理が可能になります。性格検査は作成しただけではダメで、妥当性(テストの正しさ)、信頼性(テスト得点の安定性)の研究をして、数千人規模の全国標準化をする必要があります。性格検査は一つ作成して標準化まで5年ぐらい掛かりました。すべて妥当性と信頼性の研究をしてから販売しています。プログラミングが出来なければ、10人、20人の研究者が10年ばかりかかっても出来るか不明というレベルの大変な作業量です。しかし、分析ソフトを開発して、計画的に実行すれば、労力はかなり少なくて済みます。だから、自分ではあまり苦労した記憶はありませんね。凝り性というか、そういう病気なので、治らないですね。

著書一覧『 村上宣寛

この著者のタグ: 『大学教授』 『心理学』 『研究』 『教育』 『研究者』 『登山』 『アウトドア』 『ハイキング』 『編入』

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