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世界中の本好きのために

金子由紀子

Profile

1965年生まれ。大学卒業後、出版社に入社し書籍編集に携わった後、フリーに。暮らし方から健康、旅行、教育まで、幅広い分野で取材・執筆・編集に関わる。10年に及ぶひとり暮らしの経験の中で、「少ないモノでゆったり暮らす」ことの心地良さに目覚める。二児の母となった現在もシンプルライフを実践している。 総合情報サイトAll Aboutの「シンプルライフ」ガイドを務める。 著書に『お部屋も心もすっきりする 持たない暮らし』『お金に頼らずかしこく生きる 買わない習慣』(アスペクト)『毎日をちょっぴりていねいに暮らす 43のヒント』(すばる舎)など。

Book Information

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紙と電子の相互補完で、本は永遠の命を得る



金子由紀子さんは、身の回りに物をため込まない生活「シンプルライフ」を提唱するフリーライター。経済的に豊かになり、急速に物があふれていく社会に対して幼い頃から感じていた違和感が作家活動の原動力となっています。物と人の心の関係を考えることで、生き方を見直す金子さんの生活哲学を、元編集者、書き手から見た「物としての本」についてのお考えを踏まえてお聞きしました。

つながりを切り捨てると、ゴミが出る


――早速ですが、金子さんの近況をお聞かせください。


金子由紀子氏: ライターとして活動しておりまして、All Aboutというポータルサイトで「シンプルライフ」というサイトをやらせていただいて、もう10年以上になります。

――「シンプルライフ」には、コラムやインタビューなど、様々なコンテンツがありますね。


金子由紀子氏: そうですね。ちょうど今日は、ブラジル大使館で行われる『ヴィック・ムニーズ ごみアートの奇跡』という映画の試写会の取材に行ってきます。ブラジルのアーティストが巨大なゴミの山の中から作品を作り上げる過程を描いた作品です。シンプルライフと言うと、物をやたらと捨てるという言われ方をされがちですが、今の世の中、大量の廃棄物の見方を変えていかに活かすか、ということがテーマになると思っています。

――金子さんのシンプルライフのルーツについてお聞きしていきます。金子さんは、幼少時どのようなお子さんでしたか?


金子由紀子氏: 私は1965年生まれで関東出身ですが、当時は周りに人が住んでないようなところに住んでいましたので、本を読むしかすることがなかったのです。

――どのような本を読まれていましたか?


金子由紀子氏: 家にあるものならなんでも読んで、読む物がなくなったので、幼稚園児なのにフランス料理のマナーや、借金の申し込みの手紙の書き方などのハウツー本まで読んでいました(笑)。でも、そういうのが面白くて、借金の申し込みの本は今でもすごく心に残っています。まず最初に、親族に借金を申し込む時の書き方、「おじ様、この度は」といった内容が載っているのです(笑)。それを読んで、借金というのは知っている人に頭を下げて頼むもので、こんなに長々と書かなければいけないくらい、大変なことだということが分かりました。今はATMで誰の顔も見ないで一発で借りられます。世の中がそういう風になったことと、ゴミがいっぱいになってしまったことは、はっきりつながっていると私は思っているんです。

――どのようにつながっているのでしょうか?


金子由紀子氏: 何に頼るかと言うとお金なのです。つまり、人から借りたり自分で作ったりせず、なんでも買えば済むので、要らなくなったら捨てていけば良い。そうしていくとゴミの山ができることは、子どもでも分かるはずです。人間の面倒臭いつながりを切り捨てた時に、その代わりに生み出されたのがゴミだということなのです。

詰め込むこと、捨てること


金子由紀子氏: 私が生まれた1965年は、前年に東京オリンピックがあって、多くの学者や研究者が日本の風景が全く変わってしまった、という風におっしゃっている時代です。内山節先生は『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』という本をお書きになっていますが、まさに私が生まれた昭和40年が、日本人がキツネにだまされなくなった、つまり日本人と自然との関わり方が変わった境の年だとおっしゃっています。同じ位の世代の人と、下の世代で意識が変わっているのを私も感じます。

――子どもの頃に、生活が大きく変わっていることはお感じになりましたか?


金子由紀子氏: 私が子どもの時は、昔の農家の作りの家に住んでいて、前面の扉、裏の扉を全部取っ払うと、柱4本しかないような、がらんとした家でした。家具などは母親の嫁入り道具のたんすがいくつかあるだけで、後は全部押し入れに入っているといったように、片付けるほど、ものがなかった。日本は、そういう時代が長かったんです。たんすという物が庶民の家庭に入り込んだ時期も、明治時代ではなかったかもしれません。たんすは高級な家具で、一般の庶民はそんなに物を持っていなかったはずなんです。ものを持っていない日本人が、1960年代の高度成長期に大量のものが買えるようになった。つまり、所得が上がったということで、食器なども母親はうれしいからどんどん買うし、電化製品も新しいものがどんどん出てくるので、生活も忙しくなってくると、調理も洗濯も楽にしようという方向になりました。でも、それまでは片づけなくても済んでいたので、片づける技術はない。どんどん買うと今度は家中にものがあふれ出す。うちも、父親が自家用車を買った頃から、家にものが増え出したんです。それを付け焼き刃で小さいたんすを買ってきて片付けるようになると、家の中が非常に散らかった感じになります。子ども心に、それが嫌で嫌でたまらなかったんです。

――「豊か」になっていくことに、喜びよりも違和感があったんですね。


金子由紀子氏: 道路脇にゴミがぽいぽい捨てられるようになって、醜いものがたくさん周りにあふれ出したのも嫌でした。大人になったら、絶対に家の中に何も置かないんだと思っていたんですが、1人暮らしになったらやっぱりため込んでしまって片付けられませんでした。大学生くらいから、社会人のバブルの数年間は、服が5色あれば5色全部買って、要らないのは着なければいいというような風潮でしたが、それはどう考えても気持ちが悪い。その後、ビックリマンチョコのチョコを捨ててカードだけ取ったりすることが問題になりました。CDの音データだけをパソコンに入れて、ディスクは捨ててしまうなど、そういう世代が出てきた時はびっくりしましたが、考えてみると、それはそうなるよな、とすごく思います。

――ものがあふれたことで、不要なものをため込むこと、逆に野放図に捨てることが並行して起こったのですね。


金子由紀子氏: BOOKSCANからのインタビューを受けておられた、辰巳渚先生も1965年生まれです。辰巳先生の『捨てる技術』がヒットしましたが、あれより前は、出版界で「捨てる」というタイトルは、ネガティブなものととらえられていたと思います。私も、「シンプルライフ」や「捨てる」など、そういうタイトルで持ち込んだりしていましたが、マイナスな言葉に取られてしまうからか「それじゃ売れない」という風に言われました。その頃は、私がテーマとして書かせていただいている整理整頓的の話のメインは「詰め込む」ということだったんです。家中の隙間という隙間にぎっしり物を詰め込む。詰め込んだら最後、取り出せなくなってしまいますが、それをなんとか取り出すという「1個も捨てないで取り出す」ということが当時の整理整頓術だったんです。

――ものを持たない生活を、意識され始めたのはいつごろでしょうか?


金子由紀子氏: 結婚して所帯を持つようになって、なんでこうなんだろうなと、自分の生きてきた過去を振り返ったんです。私が「ものを持たない」ということを意識し出したのは、私が片付けがすごく下手だからなのです。ライターの仕事をやっている人にはそういう人も多くて、新しいジャンルを見つけて興味を持つと、夢中になって集めてしまったりするんです。自分は、それほどものを持っている方ではありませんでしたが、それでも散らかってしまって、私は、ものを持たないことにしないと片付かないと、やっと思い始めました。

母の一言で、出版の世界へ


――金子さんは出版社で編集者として活動されていましたが、出版社に就職されたきっかけをお聞かせください。


金子由紀子氏: 子どもの時から本に関わる仕事をしたいなとは、なんとなく思っていたのですが、大学4年の秋位ぐらいまで「なんでもいいや」と思って就職活動をせずにだらだらしていたんです。別にフリーターでも食えるという甘い考えでいたんですが、母親に就職するように言われて、休みが多そうなところばかりを受けてみたら、売り手市場でしたから受かったわけなのですが、今度は母親に「本当にそれで良いの?」と言われました。親というのは、9割方間違っていることしか言わないような気もしますが、後の1割がすごく正しいのです。私がそこに就職したら絶対に続かないだろうと見抜いていたんです。それで、やっぱり子どもの時からやりたかった方に進んでようと思って出版社を受けたんです。

――出版社への就職活動はいかがでしたか?


金子由紀子氏: 色々と落ちたりしましたが、採ってくれた会社がありました。それは当時が売り手市場だったからで、今ならば無理だったかもしれません。私たちの頃は、会社が即戦力を採るのではなく、見習いとして採るという傾向がまだあった。今は小さい会社がコストをかけて人を作るなんてことは考えられませんが、まだその当時は、先輩について仕事を覚えるというやり方で、新入社員を育てくれた時代でした。神保町に行ったり、著者の先生のところに連れて行ってもらって、色々と話を伺ったりなどしました。

同じ悩みを持つ人に向けて書く


――独立されてからは、どのようなお仕事をされていたのでしょうか?


金子由紀子氏: 本の編集をしていましたが、書籍だとまとまったお金が入るのが後になるから、ライターで地道に稼いで、命をつないできた結果が今です。ライターとして、生活が成り立つようになるまではバイトもやっていました。私は早起きが得意だったので、朝5時から10時まで現像所でバイトをして、午後は出版関係の仕事を自分でやって、夕方からは日本料理屋で皿を洗ったりしました。朝と夜のバイトで家賃と光熱費を払うという算段だったんです。

――本の企画を持ち込んだりされましたか?


金子由紀子氏: 出版社に持ち込みもしましたが、全然だめで、最初に企画が通ったのは、ウェブでした。当時ウェブは稼げるところではなかったんですが、自分がやりたいことを表現する場をもらえたということが、すごくうれしかったです。

――文章を書かれる時に、使命感のようなことは感じられていますか?


金子由紀子氏: 使命という風には考えていません。他の人も大体同じようなこと考えていると思うし、大して変わったことを言っているわけではありません。ただ、読んで何かを感じてくれる人がいるのならば、それは需要があるということなのです。自分がやりたいことをやって、そこに需要があれば、それが使命なのかもしれません。私と同じように悩んでいる人がいるかと思って書いたら、案の定悩んでいる人がいた結果、書くことで生活できている。だから、私と同じような人のため、自分のために書いています。

――読者の方から、反響、感想などをお聞きになることはありますか?


金子由紀子氏: ウェブだとダイレクトに返って来るので、怖いと同時にすごく面白いです。著書の感想も、ウェブで直に送っていただいていますが、出版の世界では絶対にないことです。たまに、出版社が書籍にはさみこんだはがきを書いてくださる方もいらっしゃいますが、はがきだとタイムラグもあります。作家の方も「立ち読みして、置いて出ていった人なら見たことある」と、皆言いますが(笑)、自分の本を本屋さんで買って行く人は、あまり見たことはないと思うんです。その位、自分の本への反応を知るのはすごく大変なことなので、ウェブはその点はすごいなと思います。

電子書籍で、自分だけのアンソロジーを


――金子さんは電子書籍を利用されていますか?


金子由紀子氏: まだ利用はしていませんが、ウェブ上でデータになった物を読むことはあるので、それは電子書籍の一形態とは言えるかもしれません。Kindleを買おうか、どうしようかと色々と悩みながら、まだ買っていない感じです。

――金子さんのご著書が裁断されて、電子化されて読まれることには抵抗はありますか?


金子由紀子氏: 特にないです。私は編集者時代に、ビジネス書の編集をやっていましたが、ビジネス書は、調べたいジャンルのことを3冊読んで、そのうちの1行だけに感銘を受けることがあるわけです。後は、あまり自分には関係ないので、3冊も無駄に読んだとも思うんですが、逆に言うと全部読まないとその1行の意味はないのです。小説や詩とは違って、ビジネス書は自分の人生にすぐに活かしたいことを読むわけなので、いつまでも抱えていたいという物ではなく、読んだらさよならして、1行だけをずっと大事に持って行くという読み方になります。そういう本に抵抗がある方もいらっしゃるかもしれませんが、私にとっては仕事の対象だったので、本を捨てて電子化することには全く抵抗がないんです。

――現在は電子書籍をお使いになられていないそうですが、こういった物があればすぐに使いたい、という物はありますか?


金子由紀子氏: 人文書やビジネス書など、利用価値の高いコンテンツが、紙と電子と同時に発売されるという前提があれば、両方買うと思います。理想は、紙の本に例えばプラス200円、300円でURLやQRコードが付いて、データも同時にダウンロードできるような物です。近い感じのことをおやりになった版元さんもあるというのは聞いています。

――紙とは異なる電子データの使い道としては、どのような可能性があるでしょうか?


金子由紀子氏: 私は人文系、社会学系の本で、翻訳書だと文章のつながりが分からなかったりするので、線を引きながらじゃないと読めないんです。これを電子書籍上で、自分で編集できたらどんなに分かりやすい本になるだろうといつも思います。例えばマイケル・サンデル教授の本を読むうちに、自分にとってのサンデル教授の本が出来ていく。小説は侵しがたい領域ですからまったく別ですが、私の本のような内容の物でしたら、その方にとって必要なところだけを切り張りして、本を作っていただく。今は、みんなそれを心の中でやっているわけです。さらに、それを紙にプリントアウトして、自分の好きな装丁で、自分の好きなバージョンの本を作るなど、そういうサービスもやっていただけるところがあれば最高だなと思います。例えば、お子さんの就職の記念に、素敵な装丁の本を作るとか、ブックデザインや写真の職人仕事と融合すると、自分だけのアンソロジーのような、宝石のような本になるんじゃないかなと思います。読者が直接その本の中に入り込んで本の中身を変えることに関しては、著者のあずかり知れぬところなので、どんどんやっていただいても良いと思うんです。ただ、それと同時に、著者の権利も守られるような形で活かしていかなければならない。著者の「書く」ということを尊重した上で、「読む」ということも同時に尊重する方向に電子書籍を活かしていければいい。だから、紙もあってデータもあって、相互補完関係だと思います。



全ての本が電子化されて欲しい


――ものを持たない生活という観点からも、電子書籍には可能性があるのではないでしょうか?


金子由紀子氏: 私が書いているジャンルで言いますと、本は重くてかさばるし、非常に邪魔になります。本当に取っておきたい1冊以外はなるべく外に出したいんですが、資料としては残しておかなければならないものも多く、本をいっぱい抱え込んでしまっています。初版と言うか、本の形では国会図書館のようなところで、きちんと宝物のように取っておきつつ、データにもしておけば永遠になくならないわけです。もし、古代エジプトにこの技術があったら壁画などが読み放題です(笑)。いつでも取り出せるという意味では、紙の本よりもデータの方が取り出せるし、今だったらクラウドでいくらでも出来ます。

――紙で持っておきたい本というのもあるのではないでしょうか?


金子由紀子氏: 絵本や小説など、本当にその本の世界が本の形も含めて好きという物を取っておくということはすごく良いことで、そういう本とたくさん出会えた人は幸せだろうなと思っています。ただ、時々思うんですが、たくさん本を持っていることと知性は別物だと思っています。呉智英先生が昔「本をいっぱい並べて『俺は知識人だ』みたいに思っているやつは片腹痛い」ということを書かれていて、それを読んだ当時、私は学生でしたが、目からうろこが落ちました。本は必ずしも、後生大事に取っておくものではない。読んだ本を持っていることに安心してしまっては意味がないんですね。
時々、年上の作家さんに「ものをやたら捨てると、自分に返ってくるから、やっぱり持ってなければだめだ」と言われることもあります。確かにそれはそうなのですが、そういう先生はすごく立派なお宅に住んでいて、「図書室を作った」などとおっしゃっているので、私にはそれは無理だし、出来たところで探し出す自信がありません。私たちのような普通の大きさの家に住んでいる人だったら、紙の本は他の方にお任せして、自分はデータでその本といつまでも切れないようにしていく方がいいのではないかと思います。そういう意味では全ての本が電子化されて欲しいと思います。

――電子書籍はコンテンツ不足との指摘もありますが、どのような本が増えて欲しいと思われますか?


金子由紀子氏: 私はできるだけ本は新刊で買うようにしていますが、どうしても手に入らない物があるので、そういう本は古本屋さんに助けられています。それでも埋もれてしまって絶版になってしまった本があるのが悲しいことです。復刊ドットコムでリクエストして、復刊されて買った本も何冊かあります。だから、電子書籍で絶版本をもう1回作るということには期待をしてます。紙で出版してもペイしないようなものであっても、ちょっとずつ買ってもらうことで出来るのかもしれない。

異質なものが触れ合って1冊の本になる


――本の書き手、作り手として電子書籍をどのようにご覧になっていますか?


金子由紀子氏: 技術的には、誰でも本が出せるような状況にあるわけなので、リスクを負わずに自分が好きなことを書いて、世に問うことが出来る。それは素晴らしいことですが「タイトルで買ったけど、なんだこれは」というものも絶対あるわけです。自分が編集者だったから言うわけではありませんが、自分が著者として編集者のお世話になって、はっきりと思うようになったのは、編集者がいなくて本は出せないということです。これは、電子でも同じで、著者が全部やるのは絶対に無理なんです。例えば、オーケストラのファーストバイオリンだけで全部のパートを弾いたら、オーケストラにならない。異質なものがあって、雑味があってそれが合わさった時に初めて、人を感動させるものが出来ます。いろんな価値観と触れ合って、上手くいかないこともありますが、でもそうやって出来たものは素晴らしいんです。著者1人の思い込みで書いたものは、すごく読みにくいし、美しくないという風に私は思います。

――編集者は金子さんにとってどのような存在ですか?


金子由紀子氏: もう1人の著者と言っても良いくらい大きな存在です。編集者がいないと印刷物にはなるけど、本にはならないと思います。それは「音」と「音楽」が違うのと同じです。相容れないものとも触れ合って、お互いにたたき合いながら出てきたものに初めて価値が生まれる。日本刀もたたいて、たたいて出来るわけで、きれいな型にはめて作っただけでは切れない。こんな良い小説が書けた、アップロードして皆に読んでもらおうというのもあるのかもしれませんが、なかなか難しいのではないでしょうか。ですから、すごい編集者がどんどん育って欲しいと思います。その編集者はどこから育つかと言うと、読者の中から育っていくのです。最近、編集者でも本を読んでない人がいるので、話を聞くと驚きます。頭は良いのだと思うんですが、それと本を作ることは違うと思います。

――たくさんの人の手が入って作りこんだ本が、1000円程度で買えるのであれば、安いものですよね。


金子由紀子氏: 中野重治が詩の中で、「本がいかに安いか」ということを書いています。本は高いと思われるかもしれませんが、誰かが読んで、さらにその家族や友達が読んで、その本から受けた影響が、ほかの人の人生の中で展開するかもしれないわけなので、それでこの値段は安いと私は思います。

――最後に、書き手として今後の展望をお聞かせください。


金子由紀子氏: 今、皆が生き辛い状況にありますので、今後は、読んだ人が少し楽になるようなものを書ければ良いかなと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 金子由紀子

この著者のタグ: 『ライター』 『出版業界』 『可能性』 『独立』 『つながり』 『コンテンツ』

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