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川西諭

Profile

1971年、北海道生まれ。 横浜国立大学経済学部卒業後、東京大学にて経済学博士を取得、 現在、上智大学経済学部教授。主な研究分野は、応用経済分析・金融論。 行動経済学会理事も務めている。 2009年の「ゲーム理論の思考法」(中経出版)をはじめ、「経済学で使う微分入門」(新世社)、 「図解よくわかる行動経済学」(秀和システム)、翻訳書に「行動ファイナンスの実践投資家心理が動かす金融市場を読む」(共訳、ダイヤモンド社)ほか、精力的に執筆している。

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非難し合っても、前に進めない



川西諭氏: 未来志向と多様なステークホルダーが関わることを、なぜ大事だと思ったかということとも関係しますが、やはり組織の中にいると保守的になってしまうんです。ほかの色々な組織もそうだと思いますが、自分の既得権を守るというところに固執してしまって、現状のままで自分の取り分をどう増やすか、といったパイの奪い合いになっているところがあるんです。大学も例外ではなく、学部、学科があって、学科の中にそれぞれ担当科目のようなものがあって、その中で自分はなるべく楽をしたいなど、そういう思惑が出てきてしまう。お互いの利害関係の中で、自分たちに都合のいいような物事の進め方をしたいというエゴとエゴのぶつかり合いになってしまう。それだと前向きな議論にはならず、問題は全然解決しない上に、人間関係もどんどん悪くなってしまいます。

――大学には具体的にどのような問題があるのでしょうか?


川西諭氏: 本来、大学は教育機関ですから、教員も職員も、学生がいかにこの4年間、また卒業してからも成長できるか、学生たちが力をつけて巣立って活躍していくのを最大限応援するというのが仕事なのですが、教員と職員が本当に協力して教育が提供できているのかを考えた時、やはり対話する機会がないことが問題となります。教員としては、教えやすい環境を作ってくれという要求ばかりが職員に対して出てくる。教員に言われるがままやりながらも、先生方がちゃんと授業してくれないとダメなんだけど、といった思いが職員にはある。対話がないとお互いの考えを勝手に想像するのですが、大概ネガティブな想像ばかりしてしまって、お互いに不満ばかりがつのってしまうのです。学生と職員や、学生と教員の間も同様で、学生たちは何かあると「職員の対応が悪い」「お役所仕事だ」と言い、職員は「今の学生は態度が悪い」と言う。ゼミならある程度は対話があるけれど、教員と学生の間でもお互い分かり合えない部分があり、教員は「学生は単位だけ欲しい」と思っている、学生は「先生は教える気がない」と思っている。そういうように、お互いに対話する機会がないから、悪い方に解釈して、お互いを非難し合って、前に進めないんです。だから、対話する機会として、ワークショップのようなものは絶対大事だと思っていました。



――お話をお聞きすると、日本社会全体で、同様の問題が様々に起こっているように感じます。


川西諭氏: 特に気になっているのは公共事業の問題です。外環道という道路を作ろうとしていて、すでに埼玉県の三郷から大泉まではでき上がっているんですが、そこから千葉の方、東京の方は、相当な時間がかかっているにも関わらずまだでき上がりません。千葉の方は用地買収の達成率が今では99%に至ったのでもう時間の問題だと思うんですが、そこに至るまでには、その案に賛成しない人たちがたくさんいて、なかなか話が進められなかった。民主党の時に問題になった八ッ場ダムの問題もそうですが、やっぱり反対する人たちがいる。環境の問題や地権者の利害の問題などがあって、全員がハッピーになれるとは限らない。今までの日本のやり方だと行政が決めて、タウンミーティングをしたりしていたのですが、それは「すでに決定済みなので、納得してください」という形なので、不満のある人はどうしても受け入れられないんです。

成熟社会の意思決定はどうあるべきか



川西諭氏: 国土交通省などもそういうことが分かってきているので、住民参加、パブリックインボルブメントということで、意見を反映させる公共事業、ということを言っていますが、ヨーロッパの公共事業の進め方と比べるとまだまだ行政主導で、住民の意見は十分反映されていないように感じます。東日本大震災の被災地で新しく町を作るという問題で、閖上地区のかさ上げをするかしないかという話も、首長は地域の方のことを考えればこれがベストだと考えて提案しているけれど、地域の人には「我々が本当に求めているのはこういうものではない」という想いがある。そういう意見の違いは、色々な考えの人がいるのだから当たり前なのです。もし、イギリスやフランスなどで同じ問題が起こったとしたら、決め方がおそらく違うと思うんです。

――問題は、トップダウンかボトムアップかということになるでしょうか?


川西諭氏: トップダウンで決めなくてはいけないことも、もちろんあると思うんです。ただ、自分たちのことは自分たちで決めようという、当たり前のことが実際どれぐらいのレベルでできるかということが問題なのです。戦後の復興などの場合は、それこそお国の偉い人たちに任せておけば上手くいくというような、行政に対する信頼もおそらくあったと思います。おそらくヨーロッパでも同様で、かつて経済学者のジョン・メイナード・ケインズはそういう国を引っ張るリーダーに信頼をおいていましたし、実際に素晴らしいリーダーたちが当時の社会を引っ張っていました。社会のインフラを整えて社会がある程度まで成長するところまでは、国のリーダーと言われる人たちが、基盤を作っていくことが必要だと思いますし、それで先進国はここまで発展したわけです。だけど物質的にある程度豊かになった段階では、人々がいったい何を求めているのかということが、だいぶ分からなくなってきている。

――価値観が多様化しているだけに、議論がまとまらないということもあるのではないでしょうか?


川西諭氏: ですから問題をちゃんと直視した上で議論していく必要があると思います。原発の問題もそうで、我々は安い電力が欲しいのか、それとも安全安心が欲しいのか。その両方は取れないので、今は究極の選択を迫られているわけで、安全安心を求めている人たちは、少し高い料金を受け入れられるのかということを考えなければなりません。原発を廃炉にして、クリーンエネルギーにスイッチしていくことは可能だと思いますが、そうなった時はコストがかかります。すぐにできない場合は化石燃料にも頼らなければいけないし、料金を高くすることによって電力の消費を抑えるという形で対応することもできるでしょう。また電力会社の利益を削れば、電気料金はもっと安くなるんだと思う人もいるかもしれないので、そういうことを1つ1つ見ながら議論しなければいけません。

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この著者のタグ: 『大学教授』 『デザイン』 『経済』 『教育』 『経済学』 『金融』 『ワークショップ』 『価値』

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