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世界中の本好きのために

藤井聡

Profile

1968年奈良県生まれ。 京都大学工学部卒業。同大学大学院工学研究科修士課程修了後、同大学助教授、東京工業大学教授等を経て現職。 公共政策に関わる実践的な人文科学及び社会科学全般を専門とする。 持論の列島強靭化論は第2次安倍内閣の掲げる国土強靭化政策の原型となり、2012年には第2次安倍内閣・内閣官房参与に任命された。 テレビなどのメディアにも多く出演する。 近著に『強靭化の思想』(扶桑社)、『レジリエンス・ジャパン 日本強靭化構想』(飛鳥新社)、『経済レジリエンス宣言』(日本評論社)など。

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「普通」の価値観を信じる


――藤井さんがどのようなお子さんだったか、読書体験を通してお聞きしたいと思います。


藤井聡氏: 取り立てて特徴はなかったような気もします。みんながやっていた程度にはけんかなどもしましが、非常に平均的な子どもだったと思います。自分が読書家だなどと思ったことはないですが、今から思い出すと、人よりはよく読んでいたのかもしれません。でも、ずっと図書館で本を読んでいる女の子もいましたが、僕はそういうタイプではありませんでした。

――どのような本がお好きでしたか?


藤井聡氏: 子どもの頃は、宇宙の本が好きでしたので、『星の一生』など、小学生用の天文学の本は、あらかた読んだように思います。それから、戦国物といいますか、『平家物語』や『太平記』などが好きでした。第二次世界大戦、太平洋戦争の本もその流れで読んでいました。漫画はあまり読みませんでしたが、『マカロニほうれん荘』を、小学4年の時に友達にもらって読んで、それがやたらと面白くて、死ぬほど好きになったので、何十回と読んで完全に台詞を覚えていました。今はうちの子どもも読んでいます(笑)。

でもやはり一番は『太平記』で、僕は戦記物では最高傑作だと僕は思っています。僕は別に歴史的な素養はあまりありませんが、楠木正成のすごさというか、『太平記』にものすごく共鳴しました。『太平記』を、うちの子どもたちに読ませていて、現在中2の兄の方は小学校6年の時に読ませました。最初は嫌々読み始めていましたが、読み終わった時には大変に感激していた様子で、今でも振り返って「面白かった」と口にしています。今は、小5の子どもに読ませようとしているんですが、まだ「わからへん」と言っていますね。自分が太平記を読んだのは小学校4年ぐらいの時だったんですが、その頃の小学高学年の本って今の中学生が読むくらいのレベルで、昔の中学生が読んでた本は、今の高校生が読むくらいのレベルになってるんでしょうね。だって明治時代には『学問のすすめ』なんて、小学生のために書かれた本なんですから、近現代の日本人の知的水準の劣化っていうのはかなり激しいんでしょうね。

――ご両親からの教育はどのようなものでしたか?


藤井聡氏: 僕は特別な英才教育を受けていたわけでもありませんでしたが、祖母や両親の台詞は信用していました。ただ、自分はどういう訳か、「一般的な世間の中にいる大人は基本的に全員嘘つきで、まともな大人はほとんどいない」という風に感じていました。例えば、親が「こいつ、うさん臭いな」と芸能人などを見て言っているので僕も一緒に見てみたら、「確かにうさん臭い」と同じように感じていました。学校に行くと、先生がぬるいことを言うので「格好つけてはるわ」と思っていました。あと、祖母や母親から戦争の時の苦労話や、父親からも戦争の時の話などを聞いたりしましたので、そのリアルなものと学校で教えられるものがあまりに違っていたので、小学校の先生達はウソをついていると感じました。さほど特徴もない一般の家庭でしたが、その価値観を僕は完全に信奉していましたので、家庭の価値観からずれているテレビや学校教育などを、嘘つきだと僕は思っていました。

消えてしまった、江戸の面影


――その感覚は今のお仕事にも通じていますか?


藤井聡氏: 今のやっている仕事に関しては、完全にその頃に培ったものではないかと思います。100%言えるのは、昔と比べたら普通の家庭は絶滅危惧種に近いということです。自分の家庭は普通で、今でも自分の家庭は普通にしようと思っていますが、日本国内では、そんな「普通の家庭」は随分少なくなっているのではないかと思います。今から思えば、自分の子どもの頃に家庭にあったような、ごく当たり前の「一般家庭の価値感」は「テレビや学校の価値感」とは、どの家でも乖離してたんでしょうね。家庭の価値感は伝統に根ざしたものでしょうが、テレビや学校は戦後、勝手に人工的に作りあげられたものですから。でも、今、戦後がこれだけ長くなると、「テレビや学校の軽薄な価値感に基づいてできあがった家庭」なんてのも増えているのかもしれません。ほんと、恐ろしいです。
 そういう意味で、大人になってから一番心地よかったと思うのは、スウェーデンに1年住んだ時です。僕は英語ぐらいしか話せませんが、スウェーデン人の友人達は皆、家族を大事にする、一緒にご飯を食べる、お客さんが来たらちゃんと大事にするなど、心地の良い普通の価値感を持っていました(離婚率の高さだけは、驚きましたが 笑)。レストランに行っても扱いが普通でした。日本のレストランなどは、高級レストランでも「ベルトコンベアー」のようにマニュアル的に客を扱うところもあるのです。つまり、日本では「社交」というものが壊れていると感じます。ヨーロッパにはちゃんと社交があり、ホントに心地よいものでした。ですから、当時は日本に帰るのがホントにイヤでした。



――日本の家庭、あるいは社会が「普通」ではなくなったのはいつからなのでしょうか?


藤井聡氏: 小泉八雲の『明治日本の面影』という明治27年に出版された本は、もともとは外人用に英語で書かれたもので、その中に「おばあさんの話」という章があります。僕が知っている一番素敵なおばあさんを紹介しようという話で、小泉八雲は、そのおばあさんがどれだけ美しかったかを書いている。それはミスユニバース的な美しさの話ではなく、1回も怒ったことがないような、ほとんど仏様に近い、彼女のたたずまいや精神の崇高さ。昔の日本人、江戸の女性はこうだったんです。小泉八雲は最後に「おそらくどの民族もこういう女性を生み出すことはできないだろう。この女性が生きていけるような社会的な環境はあらかた消えてなくなっている」と書いていました。明治維新は素晴らしいなどと、司馬遼太郎が言っていましたが、ろくでもないと僕は思っています。今ちょうど、NHKで『八重の桜』をやっていますが、会津を潰しておきながら弔いもしなかった長州のひどさ。日本人は基本的には亡くなったら仏になるので、どんな奴でも弔うものなのに、償うこともせず、弔うことすら禁止したから、会津藩は怒っているわけです。

――今でも続いていますよね。


藤井聡氏: 今でもです。そんなことをしてまでやり遂げたのが明治維新なのであって、そんな馬鹿な話はありません。今は西郷隆盛が好きだという日本人も、ほとんどいなくなっていますが、西郷も最後に「義がないから」ということで、明治政府と戦っているわけです。「勝てば官軍」という言葉がありますが、これは恥の言葉で、本来は長州側の情けなさを糾弾するための言葉なのに、最近は勝った方が喜んで言うので、そういうのを聞いていると「恥を知れ!」と叫びたくなってしまいます。小泉八雲は、明治に、江戸時代の面影を見て、いかに江戸時代が素敵で、明治がダメだったのかということを書いているわけです。

――そのような日本人はもう現れないのでしょうか?


藤井聡氏: 小泉八雲は、もう5万年くらいは生まれないだろうと言っています。もう一度ムー大陸のような、全く違う文明ができたら現れるかもしれない、ということでしょうね(笑)。でも、僕の家内の祖母はそんな感じでした。心は穏やかで、卑しくない、というか卑しいという概念すらなく、滅私で奉公するのが、人格として当然なんです。自意識をもたないのが昔の感覚だったのではないでしょうか。

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この著者のタグ: 『大学教授』 『考え方』 『価値観』 『防災』 『災害』

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