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山崎亮

Profile

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院および東京大学大学院修了。博士(工学)。建築・ランドスケープ設計事務所を経て、2005年にstudio-Lを設立。地域の課題を地域に住む人たちが解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりのワークショップ、住民参加型の総合計画づくりなどに関するプロジェクトが多い。「海士町総合振興計画」「マルヤガーデンズ」「studio-L伊賀事務所」でグッドデザイン賞などを受賞。 著書に『コミュニティデザイン(学芸出版社:不動産協会賞受賞)』『コミュニティデザインの時代(中公新書)』『ソーシャルデザイン・アトラス(鹿島出版会)』『まちの幸福論(NHK出版)』などがある。

Book Information

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ハードとソフトが両方必要


――大学ではどのようなことが印象に残っていますか?


山崎亮氏: 大学3年生の時に阪神淡路大震災が起きて、日本造園学会経由で神戸市に現地調査をしてくれと言われた時、見渡す限り全壊で、川にみんな集まって励まし合っている姿に、人とのつながりで何か新しいことが生まれる気がすると思いました。災害があっても、人とつながりながら「生きていこう」という気持ちの中から本当の復興が始まる。東日本大震災の時もそうでしたが「みんなで力を合わせよう、頑張ろう」と、災害が起きた時だけユートピアのような気持ちが優しくなる状態が生まれるんですが、普段から人のつながりを構築することをやれないのかなと思い、ハードの復興だけではなくて、ソフトをセットで考えていきたいと考えるようになりました。

――留学をされたのはその後ですか?


山崎亮氏: 1995年の1月に震災があって、7月からメルボルン工科大学に行ったのですが、学生10人が1人2万円ずつ払ってスタジオを借りて、模型を作ったり、図面を描いたりしていました。これがすごく楽しくて、建築学科の人、グラフィックをやっている人もいれば写真学科の子もいる。その経験があるからか「スタジオ」という言葉に対する愛着が今も強くあります。メルボルン工科大学の学生たちが、たくさん本を読んでいたので、スタジオには天井まで届くぐらいの本棚がありました。僕は日本にいる時は、専門書は全然読まなかったので、現地で買いました。当然英語ですから、すごく読みにくかったので時間をかけながら読みました。日本に帰ってきたら、かなりの量の専門書が訳されていたので、大人買いして、まとめて読みました。妹島和世さんという建築家とメルボルンで会ったことも大きかったです。先ほどの「ハードとソフト」の話をしたら、「ハードもいいけど、あなたの場合はソフトのマネジメントを意識して、集中してやってみたら」と勧められたのです。



――帰国後は大学院に進学されますね。


山崎亮氏: もっと日本語で勉強したいと思ったので大学院に行くこと決め、ソフトとハードの両方を勉強しました。大学院時代に2つぐらいにコンペを取っていないと、デザイナーとしてやっていけないと内藤廣さんが書いていたので、それを目標にしていました。コンペで1個賞を取って、もう1つ佳作に入ることができたので、その後デザイナーになるために設計事務所に入りました。

本棚で埋め尽くされたスタジオを作りたかった


――設計事務所ではどのようなお仕事をされたのでしょうか?


山崎亮氏: 最初の仕事はパークマネジメントというもので、新しい公園の作り方を模索していくということをしていました。そこで、ワークショップを繰り返すうちに集まってくれた人たちが組織化されていくのに、設計が終わってしまうと解散するのがもったいないと思い、アイディアを形成するのと、コミュニティを作っていくのを同時に進めていくのが必要かなと思いました。ユニセフパークプロジェクトというプロジェクトは、世界の子どもたちが集まって、森の中に遊び場を作っていこうというものなのですが、その時に、チームをどういう風に導けば、ケンカをせず、やる気をもち続けてくれるのかというマネジメントをして、ファシリテーターと呼ばれる人たちをたくさん育てました。設計事務所では、だいぶ鍛えられたと思います。

――独立されたきっかけをお聞かせください。


山崎亮氏: 2001年ぐらいから日本造園学会が主催するワークショップがあって、僕はチューターとして呼ばれました。会議の時に、それぞれの集まりをチームと呼んでいたのですが、メルボルンにいた時のスタジオのような、好きな本を見せ合ったり、相談し合ったりできるような雰囲気を思い出して、生態、生活、風景、時間、地形と5つのスタジオに分けて、学生たちが参加するというようなことを始めました。僕らのチームは、僕がジョン・ラスキンの「生活」という言葉が好きだったので、「生活スタジオ」として、それがstudio-Lという名前に変わっていきました。当時はスカイプなどが出た頃で、わざわざ事務所を借りずに自宅で仕事をして、打ち合わせはファミレスでやろうと最初は言っていたのですが、どうも話が伝わっていない気がして、事務所を借りることにしたのが2006年です。メルボルンのスタジオそのままのイメージで、壁面に本棚のある事務所を作りたかったので、事務所を借りてからまずしたことは、本棚を作って、自分の家にあった本を並べていくということでした。

――どのくらいの本を運ばれたのですか?


山崎亮氏: 3000冊ぐらいの本が自分の家にあって、それを事務所に持っていこうとしたら、2トン車が段ボールでいっぱいになったのですが、エレベーターがなかったので、それを階段で運びました。友達や、当時教えに行っていた大学の学生などに「焼き肉に連れていくから」と言って、手伝ってもらいました(笑)。今はもう1万冊ぐらいになっているのではないでしょうか。

――1万冊の蔵書はすごい量ですね。


山崎亮氏: 本は借りないで買うと決めました。設計事務所の時に、図書館に行って、例えば20ページぐらい必要なページがあると、10円でコピーすれば200円で手に入れたことになるから、得した気分になっていたのですが、よく考えたら、わざわざ図書館まで行ってコピーをして戻ってくるとすると、移動と探す時間を含め4時間ぐらいかかるので、時給2000円ならばコピー代と合わせて8200円。本が手元にあれば、それ以外の時間を全部仕事に使えるので、必要な本は、生活を切り詰めてでも買おうと考えるようになりました。「どこかで見たことがある」と覚えている本が、必ずこの空間の中にあるというのは自信になります。図書館にあった本だったかな?誰かに借りた本だったかな?ということになると、探しても見つからない気がしてきます。紙で読んだことを思い出せれば、必ずこの部屋の中にあるはずだという自信がないと作業効率も落ちてしまいます。

――蔵書の電子化を考えられたことはありますか?


山崎亮氏: 軽くなると便利だなと思って、自炊的なことを1,2回したことがあります。でも、パソコンの画面で見たか紙の本で見たかは、だいたい覚えているので、それが全部パソコンの画面になると、本かウェブ画面のどちらだったのかが判断できなくなる危険性があると思って、結局スキャンスナップはあまり使わないままホコリをかぶっています。ただ、どう考えてもPDFになっていた方が、iPadなどに何百冊と入れられたりして魅力的なので、悩ましいところです。

――電子ファイルで本などを読まれることはありますか?


山崎亮氏: CiNiiでキーワードで論文検索すると、有料でほとんど読めるようになっているので、論文はほとんどPDFで読んでいます。大学院の頃は、PDFをコピーしては出力していましたが、今はパソコンの画面だけで読んでいます。去年、博士論文を書いた時も、東京の大学だったので遠いし、図書館で論文をコピーするのも面倒くさいなと思って、CiNiiの論文をパソコンの画面で2つに分けてずっと読んでいました。ただ、僕の場合、まだ紙のくせは残っていると感じます。CiNiiならば、読んだ後にページを閉じて、もう一回検索すれば出てくるはずですが、必ずダウンロードして、タイトルをファイル名にしてフォルダの中に格納しています。これからの世代の人たちは、電子書籍ならではの使いこなし方がたくさん出てくるのでしょうが、我々の場合は少しアナログな感じが残っている気がします。

――山崎さんの本が、電子化して読まれることに抵抗はありますか?


山崎亮氏: ないです。電子書籍を知らない頃は、紙ならではの、線を引いたり、パラパラッと見る感覚などがなくなるから、頭に入らないのではないかと言っていましたが、線も指できれいに引けるし、蛍光ペンにも赤ペンにもなる。付箋も貼れたり、メモもすぐ書けるといったように、実は紙よりはるかにいろんなことができるので、良いなと思っています。自分の本をスキャンしてまでiPadの中に入れて持ち歩いてくれるというのは、むしろうれしいです。

著書一覧『 山崎亮

この著者のタグ: 『考え方』 『音楽』 『ファッション』 『コミュニティ』 『つながり』 『デザイナー』 『地域』 『モデル』 『ファシリテーター』

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