BOOKSCAN(ブックスキャン) 本・蔵書電子書籍化サービス - 大和印刷

世界中の本好きのために

小笠原喜康

Profile

1950年、青森県生まれ。 北海道教育大学釧路分校小学校教育養成課程卒業、東京芸術大学大学院修士課程教育学研究科修了、筑波大学大学院博士課程教育学研究科満期退学。 金沢女子大学専任講師等を経て、現職。 教育認識論、教育メディア論、博物館教育論、論文論等を専門とする、博士(教育学)。 『大学生のためのレポート・論文術』(講談社)、『就活生のための作文・プレゼン術』(筑摩書房)など、学生向けの論文術をまとめた著書も多く発表している。 博物館教育にも強い研究的関心を持ち、杉並区科学館基本構想策定懇談会会長なども務めた。

Book Information

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

電子が広げる社会で「知の交差点」になる



小笠原喜康さんは、「『知る』とは何か」との問題意識から、学校教育、博物館、図書館教育について考える教育学者です。また、情報通信技術の発展にも目を向け、技術を教育に生かす方策を提言し続けています。論文・レポートの書き方を指南する著書でも人気の小笠原さんに、人類の知を豊かにしてきた情報のインプット、アウトプットの意義について、電子書籍がもたらす影響を踏まえて伺いました。

すべての活動の根本は共通している


――早速ですが、小笠原さんの研究、また活動の内容をお聞かせください。


小笠原喜康氏: 私は専門を持たないことに決めたんです。それは、専門という程、教育学は成熟していないからです。また、教育はすごく広くて、いろいろなものにかかわってくるので、専門を持てば持つ程、教育は見えなくなる。ここのところ、ずっとやっているのは認識論で、「わかる」とはどういうことか、知識を持つというのはどういうことか、という様なことを考えています。教育認識論と言っていますが、実はそんな分野はなくて、自分で勝手に作りました。

――博物館教育などにも取り組まれていますね。


小笠原喜康氏: そうですね。博物館についてもやっていますし、全国と新宿区の「図書館を使った調べる学習コンクール」の審査員もやっています。かつ、学会でICT等の新しいメディアを使った教育の能力検定を作ろうとしています。そういったことをやりながら、片方で哲学をやっているのは変だと思うかもしれませんが、私にとっては、すべて完全に同じです。認識論は、プラトン以来、わかるって何だろうっていうことを考えてきましたが、ここ20年くらいの間の認識論とか知識論は、どうやったらより良く知識を組み立てられるか、という方向に行っているからです。

――そのほかの活動では、論文の書き方に関する本がロングセラーになっていますね。


小笠原喜康氏: 論文の書き方も同じです。今おそらく日本で論文の書き方の本で売れているのは戸田山和久さんと、河野哲也さんの本だと思うんですけど、私を含め3人とも認識論をやっています。それに気が付いて笑ってしまいました。戸田山さんは、「ネットを使ってどうやって知識を組み立てるかが、これからの認識論の問題」だと言っていますが、私もその通りだと思っています。

本物の論文はコピー&ペーストでは書けない


――教育に関する政策や行政についてはどのようにお感じでしょうか?


小笠原喜康氏: 自然科学に対する考え方が極端に遅れていると思います。自然科学の人がダメなんじゃなくて、政治家や行政の頭が古い。今ごろ、小学校のころからプログラミングを教えるというようなことを言っていて、バカじゃないのっていう気がするんです。最も大切なことは、自分で知識を組み立てる人間を育てることです。プログラミングを教えれば、良いコンピュータ・プログラムを書けるようになるなどということはありません。
私が携わっているICT検定も、学校の先生がメディアを使って知恵をどうやって組み立てるかという問題であって、コンピューターはただの道具です。そこのところは本末転倒にしてはいけない。インド人は数学ができるからプログラムが書けると言う人がいますが、プログラムを書くのに1番重要なのは忍耐力です。数学は全然関係ない。そして、インド人にプログラムを書かせているのはアメリカ人です。日本政府はアメリカ人を作りたいのか、インド人を作りたいのか、どっちなのかということです。文部行政も政治家も前近代的で、これでは日本の将来はアウトです。私が博物館や、調べる学習コンクールをやっているのも、そういう考えからです。

――調べることや書くことも、デジタル技術の発展で方法が変わっているのではないでしょうか。


小笠原喜康氏: よく新聞記者から「コピペで論文を書く人が増えたことをどう思いますか」と聞かれます。そして、最近、コピペを発見するプログラムができたということでそのことについてコメントを求められたりする。私は「コピペで書ける様なレポートをテーマとして出す方がおかしい」と言っています。「コピペはけしからん」って言ったって、学者が書いている論文も外国の論文を横書きから縦書きにしただけのコピペじゃないか、と言いたくなります(笑)

「教育」が反抗から研究の対象に


――小笠原さんは子どものころはどういったお子さんでしたか?


小笠原喜康氏: 私の子どものころは、『鉄腕アトム』、お茶の水博士の時代で、私も理科が好きでした。小学校3年生から高校3年生まで、理科クラブで実験ばっかりやっていたバリバリの理系です。高校時代は、現代国語は赤点ばかりで、40点以上取ったことはないと思います。

――それは意外ですね。


小笠原喜康氏: 私は、ひねた子どもでした。覚えているのが、私は放送部だったのですが、放送部に入ったのは脱脂粉乳が飲みたくないから、それと校長先生の長い話を聞くのが嫌だからでした。放送部なら脱脂粉乳を放送室の窓から捨てられるし、校長先生の話はマイクを設置してから後ろに下がっていればいいので聞かなくて済む。嫌な子どもでしょう(笑)。
高校時代は、学校に反発して、自分の気に入っている先生でなければあいさつもしないような生徒でした。それで2年生の時、あらゆる勉強を止めてテストを名前だけ書いて白紙で出しました。そうしたら365人中360番で、なぜ360番なのか先生に聞いたら、出さないやつが5人いて、私は一応提出しているから360番ということでしたね(笑)。

――教育学に進まれたのはどのようなきっかけなのでしょうか?


小笠原喜康氏: 高校のころ勉強しなくてクラブ活動、生徒会活動しかしていなかったので、入れる大学がなかった。就職しようと思ったけれど、就職先も良いのがなくて、先生に相談したら「お前でも行けるところあるぞ」と言って北海道教大に行きました。北海道教大は、1年生から好きな研究室に行ける大学だったので、化学研究室に行ってみたら、高校時代にやってきたことばっかりやっていたので、こりゃダメだと思ってやめたんです。それで、根本的にものを考えてみようと考えて教育学科に行きました。それで、教育大で教育学科に来たんだから教育研究をしてみようということで、研究室に行ったところ、今もずっと付き合っている先生とお会いして、人生を間違った(笑)。大学には、2単位足りなくて留年して、結局5年いました。大学時代は勉強よりも映画ばっかり作っていて、8ミリから始めて、デンスケっていう5キロ以上あるビデオの最初のタイプを担いで撮っていました。

デカルトのように「簡単」な文章を


――論文の書き方について本を出そうと思われたきっかけは何だったのでしょうか?


小笠原喜康氏: 昔から北海道に本がなかったから、東京まで出てきて、本屋とか国会図書館に通った記憶があって、もうちょっと合理的な方法がないのかをずっと思っていた。それに、論文の書き方、「てにをは」とか引用の仕方なんて誰も教えてくれないでしょう。それで、私の長く付き合っている先生に頼んだら、4人くらいに教えてくれたんです。その先生の組んでくれたやり方を見て、これはいいなぁと思って、まねをして段々詰めていったものを、教師になってから学生に毎年配っていたら、それを見たほかの大学の院生から、「本を書いてくれ」と言われました。彼女が私にそう言わなかったら、きっと書かなかったと思います。



――論文を書く方法として最も伝えたいことは何だったのでしょうか?


小笠原喜康氏: 人間は頭で考えているのではなくて目で考えます。人間は頭が悪くて、ものを外側に出して、目で見てからしか考えることができない。でも、それによって複雑な思考ができる様になった。そして外部に出すためには形式が必要になります。形式と言うと皆さんばかにされますけど、形式によって思考が作られる。だから、まず形式から入りましょうという話です。私の本には、「論文とは何か」ということは、書かないことに決めた。それは人それぞれ答えが違うからです。ただし、わかりやすい文章の書き方は絶対にあります。誰もがわかる文章を書かないと話にならないから、わかりやすいレポートを書きましょうということを書いています。

――誰でも読むことができる形式を持った文章が蓄積されることで、知の世界ができあがっていくんですね。


小笠原喜康氏: 例えば、デカルトは皆さん難しいって思っているかもしれませんが、読んでみたら、めちゃくちゃ簡単です。デカルトの偉いところは日常語で書いているところで、「われ思う、ゆえにわれあり」は、まさに近代の宣言ですよね。キリスト教から離れて、人間中心でいくんだ、って宣言したわけです。当時はガリレオの裁判とかがあって、いろいろな人が処刑されていて、彼もキリスト教はダメですよとは言えない。だから神は確実に存在すると言いながら、実は人間を宣言している。それが、読むとありありとわかる。『方法序説』なんて薄いですし、若い人にもぜひ読んでほしいですね。

私は電子書籍の「伝道師」


――小笠原さんは電子書籍をお使いになっていますか?


小笠原喜康氏: iPad miniを持っていて、電車の中でも本が読めるので、いつもかばんに入れています。私は昔からものをたくさん持って歩くのが嫌いで、どこへ行くのもこれ1つです。電子書籍は、最近ではマーカーが引けたり、ブックマークもできるので便利です。

――電子書籍は書き込みができないから敬遠しているという方も多いようです。


小笠原喜康氏: まだ知らない人が多いです。今は全部書き込めるし、大きさも変えられる。だから会う度に「改めなさい」と、伝道をしているんです(笑)

――紙の本をスキャンする、いわゆる「自炊」もされていますか?


小笠原喜康氏: ええ、スキャンスナップでやっています。iPadを買ってから、この2年くらいは、本を買ってくると、まずカッターで切ってしまう。実はずっとブックスキャンのような会社があればいいなと思っていました。手間がかかるので、100円でやってくれるなら頼んじゃおうかな、と思います。

――紙の本を裁断することに心理的な抵抗はありませんか?


小笠原喜康氏: 全くないです。私は、いつも「資料は汚して読め」と言っていますが、あくまでもデータですから、本自体を残すよりも、本とどう向き合って付き合っていくかが大切です。美装本みたいな、数百部、千部みたいな感じで本を出すことはこれからもあるかもしれませんし、それはそれで面白いと思うんですけど、データにして残せるなら、さっさとデータにしちゃえ、という感じです。私は、鎌倉に引っ越しする時に、本の4分の3を捨てたんです。買いたい本はネットで買える時代になっているし、図書館が充実してきていますので、もう要らない本がたくさんある。これから使いたいものだけ残して全部捨てたんですが、またそろそろ捨てたくなってウズウズしてきているところです(笑)。

膨大な情報への「攻め方」を確立せよ


――電子書籍は、教育の世界ではどのような影響を与えるのでしょうか?


小笠原喜康氏: 日本の電子教科書はひどい。ある学校ではネットにもつなげていない。情報流出事故を防ぐために先回りして、学校のパソコンもネットにつなげちゃいかんとか、先生方にもUSBもパソコンも学校に持ってきちゃいけないということをやっている。じゃあ何のためにあるの、と言いたいです。ただ、電子になったからと言って、基本的なものの考え方は変わりません。膨大にある知識にアクセスする方法として、技能ももちろん重要ですけども、基本的に自分のものの考え方、自分の好きなことがなければ、アクセスできないんです。知識にアクセスするっていうのは、技術的な問題ではなくて、人間性の問題というか、個性の問題です。自分のものの考え方があれば、自分の攻め方ができる。

――読書の機能は電子書籍になっても変わらないということですね。


小笠原喜康氏: 本を読むっていうのは知識を得ることじゃなくて、自分の考えをそこに見つけるということのはずです。よく、「月に20冊は本を読め」なんて言う人がいらっしゃるんですけど、私から見ると「だからあんたの論文ってつまんないのよね」という話です。たくさんものを知っているけど、主張は何もない。それでは面白くもなんともない。たくさん本を読むと、そこに引っ張られて自分の考えができなくなってしまいます。江戸時代の人は、たくさん本を読んでないだろうけど、考えがダメだったかと言うと、そんなことはない。今読んだって、すごいことを考えています。大切なのは、本の中に自分の考えを探すことだと思います。

人それぞれ違った読み方ができるのが良い本です。1つのことしか正確に伝わらない本は良い本とは言わない。絵も、その人なりの解釈がある不完全品だから良い絵なわけです。お風呂屋さんの絵みたいに、解釈がこれしかないっていうことは面白くもなんともない。自分なりの読み方や自分なりの見方ができるので、良い音楽も良い絵も、そして良い本も不完全です。もちろん、そういう本はなかなか書けないわけですけれども。デカルトの『方法序説』もまさに、あらゆること勉強して、もうこれ以上勉強することないと思ったけど、何にもわかってなかったというところから始まる。自分というものをちゃんと捕まえないと、学問ができないということを言っているわけです。

知の構築を手助けするのが教育者



小笠原喜康氏: 電子書籍になって、すぐデータが落とせるからと言っても、図書館という機能はどうしようもなく必要です。今の認識論は、図書館情報学みたいなものをどう取り込むかということが問題としてあります。図書館は本の収蔵庫ではなくて、人間がいて初めて機能するのであって、知のエキスパートみたいな人、つまり優秀な司書がいるかいないかで、まるっきり変わる。調べやすい、探しやすい図書館かどうかは、入ったらすぐわかります。図書館司書をちゃんと育ててないということは、大仏を作って開眼法会をしていないのと同じです。つまり「仏造って魂入れず」というのと同じです。

――博物館に関する取り組みなど、やはりすべての活動が一貫しているのですね。


小笠原喜康氏: 私は今、博物館で教材を作っています。今作っているのはバックパック教材というもので、リュックサックをしょって、その中にあるものを出しながら館内をめぐることができる教材です。博物館も、今まで知識の収蔵庫だったのですけど、これから知の交差点になっていきます。今は、ネット社会で、Googleの美術館のネットワークで、世界中どこでもめぐれてしまいます。私はアメリカにいた時に、日本にいる友達がメールを私にくれて、日本が昼間で、こっちは深夜なのに、私がすぐ返信するから「小笠原さん、あんた本当にアメリカに行ったの?」と聞かれました。そしてアメリカで真っ暗な窓の外を見た時、ネットワークの中に体が溶けていく感覚を持ちました。9.11のテロの時は、パリで『メディエイトする身体』っていう論文を書いていました。われわれは既にネットワークの中に生きています。この「世界がつながっている」という感覚を、若い人も感じてほしいと思っています。電子書籍になっても、本当の意味での「本」は絶対なくなりませんが、知識を並べただけの本は要らなくなります。コンピューターがあれば済むわけですから。知識を教えるだけの先生だったら確実に淘汰される。これからは子どもの知の構築を手助けできるということが重要になるでしょう。だから、私は、自分の体を、知の交差点にしなければいけないと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 小笠原喜康

この著者のタグ: 『大学教授』 『考え方』 『教育』 『プログラミング』 『図書館』 『コピぺ』 『論文』

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
著者インタビュー一覧へ戻る 著者インタビューのリクエストはこちらから
Prev Next
ページトップに戻る