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世界中の本好きのために

久世番子

Profile

1977年生まれ、愛知県出身。
2000年2月、投稿作品『NO GIRL,NO LIFE!』で『月刊ウィングス』(新書館)にてデビュー。
書店でのアルバイト経験をもとにしたエッセイマンガ『暴れん坊本屋さん』(新書館)では、本屋や出版界の内情を詳細に描き、注目を集めた。現在は専業漫画家。
大崎梢原作『成風堂書店事件メモ』シリーズなど、小説のコミカライズも手掛ける。
代表作は『神は細部に宿るのよ』(講談社)、『よちよち文藝部』(文藝春秋)など。

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女性は結婚して家庭に入ると、プライベートな本棚を持てなくなっていく


――書き手として、読者が先生の本を電子媒体で読む、ということに関してどのようなお考えでしょうか?


久世番子氏: 自分が今電子媒体で本を読んでいないので、特に何も思いません。私はどうしても職業柄、本棚があるということを当たり前だと思ってしまいますが、中高生の時に漫画がすごく好きだった地元の友達が、結婚して子供ができると、漫画から離れてしまう。たとえ漫画が好きでも、自分の本棚が置けないというか、家に本棚自体を置くことができなくなってくるようです。そういう人たちにとっては、本棚を置けないということは本が買えない=本をストックしておくことができないということで、そういう人たちにとって電子書籍はいいのかなとは思います。本棚があっても、そこは子供の絵本を置いておくものであって、自分の趣味の本は置けないし、置いておきたくないと言う友達もいます。
本はとてもパーソナルなものなので、私のような職業の人は、自分の本をけっこう平気で置けるし、人に見られてもそんなに恥ずかしくないけれど、普通の人は、自分のパーソナルな本を、子供や配偶者、急にやってきた姑・舅に見られるのをとてもストレスに感じるそうです。その時に電子書籍があると、とってもパーソナルな本棚として持てていいかなと思います。ただ、こういう自由な職業をやっていると、場所とお金さえ許せば紙の本が一番手っ取り早いので、そんなに必要ではないと思ってしまって、あまりピンときません。

――漫画に関しては、小説と違って、1冊単位というよりもシリーズで読むという感じですね。


久世番子氏: それもあるから余計にスペースの問題が出てきます。私は電子でも紙でもこだわりはありませんが、家庭の事情で本から離れる人がけっこういると聞いた時に、そういう人たちが、ストレスを感じずに本を持ち、読書ができるというのはいいなと思いました。本を持つというのはとてもぜいたくなことで、昔の貴族の部屋には図書室があった、という状態に似たようなことが今起こっている。東京では本屋さんに行けばたいていの本が買えますし、業界にいると本に対してお金をかけることに対して鈍感になります。1冊2000円の本というのはなかなか買えないという人たちが、本から離れてしまうということがもったいないと思います。

電子書籍は資料をたくさん持ち歩く人よりも、本棚を持てない人に活用してほしい


――電子書籍はそういう意味では可能があるのでしょうか?


久世番子氏: そうですね。でも最近、テレビやメディアで見る電子書籍は、資料がたくさんある人がそれをスマートに見るっていう風にとらえられている。でもビジネス最先端の人が資料を持ち歩くよりは、子供がいて部屋が散らかってしまって本棚を持てない、あるいは親と同居だか趣味の本をたくさん本棚に置いたりできないし、読めないという人が、電子書籍で読めたらとても楽しいだろうなと思います。

――もともと本が好きだった人が本に戻ってこられるということですね。


久世番子氏: 自分と同年代の女性は、結婚や家庭の事情で離れていっています。男性だったらまた別の考え方があるかもしれない。東京だったら通勤時間に読むという文化がありますが、田舎だと車で移動するから、基本的に電車の中で電子書籍を読むという文化がありませんので、都会と田舎では利用の仕方がやはり違ってくるのかなとも思います。

――確かに今まで、資料のスマート化に焦点が当てられていた気がします。


久世番子氏: おそらくそちらの方が利用者の金払いがいいんでしょう。主婦は電子化したら必ず参入するかといえば、そうとも限らないので、消費としては小さいかもしれません。もともと本離れしつつあるという風潮に対して、また生活にお金がかかるなどということがまた加速して、本を持つということが、二の次三の次になってしまう。

端末が安定しない限り、漫画の描き方はまだ流動的


――書き手の活躍の場という面ではどうでしょうか?


久世番子氏: 電子で書くっていうことに関してはよくわからないです。電子書籍の取り次ぎをやっている人と話してみると、「特に漫画は端末が変わってくると表現方法が変わってくる」と言われました。いわゆるコマビューだったのが、ページビューが今は主流だと聞くと、まだ固定できないと思いました。ガラケーの時はコマビューでしたが、今はスマートフォンだからページビューのようです。ということはこれからスマホの次に何かまた新しいものが出てきたら、それに合わせた表現方法が出てくるということで、これからも変わる可能性があるってことですから、「流動的すぎてついていけないから、怖い」と思いました。

――書き手として、書いた時点での思惑というものがあると思いますがいかがですか?


久世番子氏: 私は紙の漫画で読ませるというメソッドで育ってきました。いわゆる「とじ」があって「めくり」で構成していく。でも、コマビューで描かれている方は、コマで見せるという技術でやっていらっしゃるみたいで、そういう方の作品をページビューにすると、また違ってくるみたいです。技術の高め方が違ってくるということも聞きました。野球でいうと硬球か軟球かの違いのようなもので、一般の人には同じに見えるけど、やっている本人にとっては全然違うといった風に、なんとなく微妙に違うジャンルをやっている感じがします。そうなると、まだ端末が安定しておらず、これからいったいどんな端末が出てくるかもわからないとなると、そのわからなさだけが増しています。

著書一覧『 久世番子

この著者のタグ: 『漫画』 『漫画家』 『本棚』 『きっかけ』 『パーソナル』 『活用』

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