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世界中の本好きのために

高田貴久

Profile

1973年生まれ、大阪府出身。東京大学理科Ⅰ類中退、京都大学法学部卒業。アーサー・D・リトル、マブチモーター株式会社、ボストン・コンサルティング・グループを経て、株式会社プレセナ・ストラテジック・パートナーズを設立。ビジネススキルを体系化し、だれでも使える身近なものへと広めるべく事業を展開。20余名の社員と共にトヨタ自動車・三菱商事などの大手企業へサービスを提供する。著書『ロジカル・プレゼンテーション』(英治出版)は、版を重ね外国語にも翻訳されるベストセラーとなる。『PRESIDENT』(プレジデント社)や『Think!』(東洋経済新報社)など、雑誌にも多く寄稿する。

Book Information

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受け売りではない、自ら発見した法則を伝えたい



1973年生まれ、大阪府出身。東京大学を中退し、京都大学法学部へ。世界最古の戦略コンサルティングファーム、アーサー・D・リトル(ジャパン)でプロジェクトリーダーを勤める。マブチモーター株式会社へ転職。経営企画部で事業基盤改革を推進。その後、ボストン・コンサルティング・グループを経て、2006年にプレセナ・ストラテジック・パートナーズ設立。元グロービス・マネジメント・スクール「クリティカルシンキング」「戦略マーケティング基礎」講師、現・早稲田大学エクステンションセンター「問題解決」「ファクトベース思考」「企画立案」講師。東洋経済新報社「Think!」、プレジデント社「プレジデント」などへの寄稿多数。著書に10版増刷のベストセラー「ロジカル・プレゼンテーション」など。常に自らの経験の中から世の中の法則を導き出す。高田貴久氏に新しい価値観、物の見方を語っていただいた。

腹落ちしないと納得がいかない


――ロングセラーとなった『ロジカル・プレゼンテーション』を出したのはどういったきっかけからでしたか?


高田貴久氏: 勤めていたコンサルティング会社の社内トレーニングで使っていた資料の評判が良くて、「本にしたらいいんじゃない?」という話をもらったのが1番最初です。時代背景もあったのでしょうね。私が新卒でコンサル会社に入ったのが1997年。ちょうどWindows95が出てPowerPointを使ってプレゼン資料を作る人が出始めたころだったのです。当時はまだ、確立されたPowerPointの作り方がそれほどあったわけでもなく、いろいろな人から資料を作れと言われて、自分なりに研究して資料を作成していったというのが最初です。
実際に本を書いたのは、コンサル会社を辞めた後、マブチモーターに転職してからです。コンサル会社に新卒で入ると、前職がマッキンゼーや、ボストン・コンサルティングだなどいろいろな人たちがいて、それぞれから違うことを言われる。例えば「論理的って何なの?」「問題を解決するって何なの?」ということに関しても、それぞれに違うので、わけが分からなくなってしまいました。『ロジカル・プレゼンテーション』の中で「いい資料とは?」という話を書きましたが、「いいね」と言う人もいれば「全然だめ」と言う人もいて、「なら、いいって何ですか?」ということがたくさんありました。それで、コンサル会社を辞めた後に、いろんな人に言われたことを自分なりに整理してまとめたらどうなるかなと思って、本を書いたんです。

――普遍的な物の見方、考え方を追求されましたか?


高田貴久氏: 私は、自分で考えて本当に腹落ちしないと納得がいかない。この『ロジカル・プレゼンテーション』を書く時も、他のロジカルシンキング本は全く読んでいないんです。コンサル会社にいた時には、ロジカルシンキングの大御所の本がありますから、どうしてもピラミッドストラクチャーなどの話になるわけです。特にグローバルトレーニングなどに行くと大抵「Why pyramid structure?」みたいな話から始まる。でも、私からしたら「誰もピラミッドストラクチャーのことなんて言ってない」という感覚。必要なのは、日常生活の中で「論理的ってこういうことかな」と感じるボトムアップ思考、それで本当に納得して「だからピラミッドストラクチャーがいるんだ」っていう腹落ちの仕方をしないと、いきなりトップダウンで「こういうものです」と言われても理解できないですよね。

――その考え方は昔からですか?


高田貴久氏: 私にはそっくりな娘がいますが、見ていていつも自分を思い出します。私は、好きにやりたいので教えられるのが嫌で、自分で考えて自分で納得したいという性格でした。「人と同じは嫌、変わっていて何が悪い?」とも思っていました。親も「普通はこうだ」とあまり言わず、結構好きなようにさせてもらっていました。「勉強しろ」などと言われたこともなく、東大を1年でやめた時にも特に何も言われませんでした。また、何かをやると言った時に「だめ」と言われたことはほとんど記憶にありません。

――本はよく読まれる方でしたか?


高田貴久氏: 実はあまり読まないんです。唯一好んで読むのは伝記物。例えば孫正義やマイケル・デルなど、「誰が何をした」という話は、人生が書かれているので面白い。ノウハウ本や知識本は仕事上必要な時ぐらいしか読まないです。

――高田さんにとって読書とはどのようなものですか?


高田貴久氏: 読書の目的は大きく2つに分かれます。1つは手っ取り早く知識を仕入れるため。コンサル会社にいる時は、本を読まないとやっていられませんので、プロジェクトが始まった時にはネットで検索して、お客様に関する本や業界に関する本を買い集めて全部読んでいました。
もう1つは、世の中の法則や社会のルールなど考えていく上で、ネタになるようなものを仕入れるため。例えば孫さんの本を読んだら「どうしたらあんな人になるのか」をサイエンスする。何を考えてどう育って、どこでどんなビジネスチャンスをものにしたらああなるのか、それを解明したい。仏教本も結構好きですが、なんだか分かるようで分からないようなことが書いてあって、すごく考えさせられます。「世の中は全て空である」、「“空”ってなんだ?」というようなことを考えるのが好きなんです(笑)。

好きにやってみたかった


――現在、プレセナ・ストラテジック・パートナーズの代表ですが、独立した時はどんなお気持ちでしたか?


高田貴久氏: 後輩からも「起業してどうですか?」と聞かれますが、必ず言うのが「夢がないと起業しない」ということ。夢だけじゃ飯は食えませんが、夢を持って起業したのだから、最後はやはり夢に戻ることが大事だと思っています。

――起業するにあたってどんなことをお考えになりましたか?


高田貴久氏: 1つは「これからずっと働く」ということ。私は転職を繰り返してきましたから、転職する時は過去を全部捨てるんですよ。コンサル会社で頑張って人脈もできて実績もついて、でも転職したらまた「初めまして」なんです。その後、転職してまた同じことを繰り返すのが馬鹿らしいなと思いました。20代のころは目先の3年、5年をガリガリ働いて「とにかく立派になるぞ」とやっていたんですが、30代になった時に、ふと「俺あと何年働くのかな?」と思ったんです。「60歳定年とするとあと30年」、それを考えた時に向こう30年間働くなら自分の努力を捨てない環境で働きたいと考えました。転職人生を繰り返してきた空しさから、どうせ30年働くなら、自分の努力が蓄積される自分の会社で、自分の器でやりたいと思いました。

2つ目は、人に何か言われるのが嫌という性格ですから、1度は自分で好きにやってみたいということ。コンサル会社にいる時は、企画書を書いて役員の方にプレゼンして「やってください」という話で、私に権限があるわけではないから、相手が「やだよ、知らないよ」と言えば終わりです。次のマブチモーターへは「コンサルではなく、事業会社に行って、自分でやる側にまわりたい」と思って転職しましたが、結局、役員・社長にプレゼンをしてという基本は一緒なんです。ただ、役員がイエスと言わなくても現場を走り回って仕事をお願いすることができるだけ動きやすかったです。その時にも「絶対した方がいいのに、なんで役員はうんと言わないの?」ということはありました。結局、「出る杭は打たれる」ではないですが、あまり協調性がないというか、言うことを聞かないタイプなので浮いてくるわけです。だから、自分で好きにやってみたかった。

――独立当時、ご結婚はされていらっしゃいましたか?


高田貴久氏: ちょうど結婚したタイミングでした。子どもができたらもう絶対起業は無理かなと思ったのですが、嫁には反対されました。「結婚式の時に無職はやめて」と言われましたので、結婚式の時はボストン・コンサルティング・グループ所属でなんとか体面を保ちました。でも、途中からは「どうせ1回の人生だしやってみれば?」と言ってくれるようになりました。嫁の理解はやはり大きいですね。起業した半年後に子どもが生まれましたが、そのころは会社が潰れかけの大変な時期でした。ですから、娘の年齢と会社の年齢がほぼイコール。嫁には本当に、いろいろ支えてもらっていると思います。

著書一覧『 高田貴久

この著者のタグ: 『コンサルティング』 『ビジネス』 『起業』 『ルール』 『MBA』 『知識』 『転職』 『スキル』

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