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すがやみつる

Profile

1950年、静岡県生まれ。『仮面ライダー』のコミカライズで漫画家デビューし、以後、児童漫画を中心に活動。代表作は漫画『ゲームセンターあらし』およびそのキャラクターたちが登場する学習漫画『こんにちはマイコン』(共に小学館)など。この2作は共に小学館漫画賞を受賞した。「菅谷充」名義で小説も執筆。デビュー作『漆黒の独立航空隊』(有楽出版社)をはじめ、架空戦記、自動車レース、ミステリーなど、ジャンルは多岐にわたる。2013年、都精華大学マンガ学部教授に就任し、キャラクターデザインコースを担当。

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たくさん描くことしか上達の道はない


――漫画家を目指されたのはいつごろからでしたか?


すがやみつる氏: 中学3年生の夏休みに、石ノ森章太郎先生の『マンガ家入門』という本を読んで、僕には漫画しかないと思ったのがきっかけです。それで中学3年生の終わりに、石ノ森先生に原稿を送って、弟子にしてくださいとお願いした。そのころは10代にデビューするのが当たり前でしたので、みんなが高校の受験勉強をしているとき「僕は高校へは行かない」と言っていました。うちは父親が寝たきりで、母親も一人で、高校に行くのは経済的にきつかったこともあります。母も早く独り立ちさせないといけないという思いがあって、二言目には「江戸時代までは成人式は15歳だった」と言われていたんです(笑)。だから、母親にも「承諾します」って一筆書いてもらって原稿と一緒に送りました。

――石ノ森先生から返事はありましたか?


すがやみつる氏: 返事は何にもなかった。石ノ森先生にはそういう原稿が山ほど来ていて、開けていないダンボール箱が天井に届くほどあったそうです(笑)。その後、石ノ森先生が名誉会長の漫画同人誌のグループを作ったというお知らせを雑誌の読者ページで見つけて、それに応募して、1回目は落ちたけど、人数が足りないから再募集するということで、もう一度原稿を送ったら、採用されました。実は同人誌の会員募集に応募された原稿がみんなうまくなくて、同人誌のメンバーが石ノ森先生宅に積まれていた段ボール箱を開けて、全国から送られてきた原稿をチェックしたそうです。何人かはそれでスカウトされたそうですが、僕はそこではひっかかっていない(笑)。あとから自分で送った分で、なんとか合格させてもらいました。せっかく描いて来て、かわいそうだから入れてやろうかということだったと思います。

――なにか光るものがあったのでは?


すがやみつる氏: いや、全然。同人誌の幹部は、「もう1回送りませんか」って、2、30人に手紙を出したんですけど、送ってきたのが2人だけだった。このしつこさが、僕の身上みたいなところがありまして(笑)。その後石ノ森プロに行っても、人よりも過剰にやることで仕事をもらうようなことの連続です。僕は自分がうまくないっていうのはわかっているので、数をこなした。石ノ森先生も、絶えず「うまくなりたければ量を描け。手を動かさなければダメだ」と言っていました。
石ノ森先生は高校時代から天才少年と言われていたんですけど、天才と言われるのは不満だったらしい。ものすごい練習をしているんです。いろいろな漫画の模写をして、パラフィン紙でほかの漫画家の絵を透かして、ペンタッチまでまねたものがご実家の押入の中に山ほどあったそうです。一昨年、石ノ森先生の弟さんとお話しましたが、先生の実家は切手も売っていて、切手がはりつかないように間に挟んでいるパラフィン紙がたくさんあって、それで漫画の練習をしたらしいです。

「電子で読む」ことへの興味が常にあった


――ITの業界には、すがやさんの『ゲームセンターあらし』『こんにちはマイコン』などに影響された方は非常に多いですね。


すがやみつる氏: 今明治大学ですがやみつる展をやっていて、2月と3月にトークイベントをやりました。2月が『ゲームセンターあらし』メインで、3月は『こんにちはマイコン』をやったんですけど、100人の教室に立ち見が出るぐらいの人が来てくれた。それで、「職業は?」って聞いたら、IT関係が6割、7割、あとはゲーム系といった感じでした。冗談で、「あの漫画で人生が変わった人」って聞いたら、ワッと手を挙げて、ドキドキしました。つい「みなさん今幸せですか?」って聞いてしまいました。不安だったものですから(笑)。

――新しい電子技術に常に注目されてきたすがやさんに、ぜひ電子書籍に関するお考えをお聞きしたいと思います。


すがやみつる氏: 僕自身は、電子文書に関して新しいものが出てくるたびにちょっかいを出してきていて、98年か99年ぐらいにAcrobatが日本語化されたときもすぐ買いました。それは、漫画もPDFでゲラのやりとりをできれば楽だろうなと思ったからです。僕はそのころ小説も書いていて、資料を集めるためにアメリカの国防省とか海軍のウェブサイトとかを見ていたんですが、アメリカの公文書はPDFがフォーマットになっていて、いつでも読めて、これはいいと思った。でも日本ではAcrobatで作っても受け取ってくれるところがなくて、最近やっとゲラのやりとりにPDFを使うのが当たり前になりました。ゲラが最初にPDFで来たのはインプレスでしたね。2000年ごろだったと思いますが、校正もAcrobatでやって返して、やっとできたみたいな感じでした。でも、こちらがおつき合いしていた範囲では、ほかにPDFを使うところがなくて、Acrobatも宝の持ちぐされでしたね。
パソコン通信が始まった85年くらいには、『PLAYBOY』のオンライン版も出始めていましたが、その当時は、画像もドットの集まりで、ヌード写真なんかもとても写真に見えない(笑)。それをレーザープリンターでプリントアウトしてとじるとか、一通り試して、CD-ROM版の辞書なんかも出るたびに使っていました。PanasonicのΣBookが出たときは、やっと本命が出たかと思って、書店まで買いに行ったんですが、そのときはデモで見た途端に、こりゃダメだと思って買うのをやめた。画面が紫色で安っぽかったのと、あまりにも重かったもので。

著書一覧『 すがやみつる

この著者のタグ: 『クリエイター』 『漫画』 『コミュニケーション』 『漫画家』 『教育』 『小説家』 『小説』 『絵』 『努力』

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