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世界中の本好きのために

寄藤文平

Profile

1973年 長野県生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科中退。2000年12月有限会社文平銀座を設立。R25の表紙や大人たばこ養成講座での仕事でお馴染みのイラストレーション。イラストレーションとグラフィックデザインを中心に、広告のアートディレクション、企業や番組のロゴ開発、アニメーション制作、最近はブックデザインでもたくさんのヒットを飛ばし、多方面で表現活動を展開し、その独自のデザイン観で注目を集めている。
【文平銀座】 http://www.bunpei.com/

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どんなデバイスで読んでも、作者の気持ちが伝わればいい


――電子書籍についても伺いたいと思います。寄藤さんは、電子書籍をどう思われますか?


寄藤文平氏: 本のテキストは、本来はどんなデバイスで読んでもいいものだと思います。例えば、本の活字を電子音声化して、美声で読んでくれる機械があったなら、それで聞いてもいい。本に書かれている内容は、書いた人の伝えたい想いを活字で表現しただけのものです。それを紙の本で読むのと、電子書籍としてデバイスで読むのと、音声で聞くのとでは、質的には少しずつ違うとは思いますが誤差の範囲ではないでしょうか。例えば、川端康成を本で読んでも電子書籍で読んでも、感じ方が全く違うということはない。だから僕は、どんな形でも、作った人の気持ちや、書きたかったことが読者へ伝わっていけばいいと思います。

――読者が選択できる形式が増えただけということでしょうか。




寄藤文平氏: もちろん、個々の感じ方に違いはあると思います。でもそれはデバイスが違うからではなく、読む人の動機そのものが違うからだと思います。まずその本を読むまでのストーリーが違う。本で読む人はやはりきちんと読みたいという気持ちがある人でしょう。電子書籍で読む人は、もう少し軽い気持ちで「まあ、川端康成だし、すぐに読めるなら軽く読んでみるか」と思って読み始めたら結構良くて最後まで読んでしまったりする。そういった違いなのではないかと思います。今後、デジタルデバイスをみんなが持つようになって、紙に近い、目にストレスの少ないデバイスになって普及していった時には、本で読みたいと思う気持ちと同じプロセスで、デジタルデバイスを手に取る人が当然増えてくるでしょう。そうなった時、あるメッセージが伝わっていく時の質的な変化はそれほどない。そのうち、物理メディアではないエレクトリックなメディアとして読むこと自体が特別なことではなくなってくる。電子書籍も日常の中で普通に読まれていくと思います。

――寄藤さんご自身は電子書籍を利用されていますか?


寄藤文平氏: iPadが出た時に「面白そうだ」と思って、すぐに買って読みました。でもあまり楽しくなくて、読まなくなってしまいました。今は、ビジネス書などを、「買うには高いな」と思う時に電子書籍でパッと読みます。研究論文や非常に短くて優れたレビュー、そういうものをサッと読みたい時には、とてもいい。そこが電子書籍の良さだと思います。

本という形の終着地点


――電子書籍が普及していった時、ブックデザインをされる上で何か変化はあるとお考えですか。


寄藤文平氏: 電子書籍のアイコンを作るなら、装丁の仕事はしたくない。表紙の第1ページを作ることに僕は興味がありません。装丁をする人たちの仕事がどんどんなくなって、みんなトップページの一枚絵を作る仕事になってしまったら寂しく感じます。デジタルなものは、年を取らない。古びないし、劣化もない。
実は、そのことをすごく考えさせられた出来事がありました。僕が親しくしていた編集者の方が亡くなられた時、その方はずっとブログを付けていたのですが、奥さんが閉じたくないという希望があり、今でもインターネットのサイトにブログが残っています。それで、サイトを見ると、当たり前ですが亡くなられた日付で更新は終わっている。それを見た時に「デジタルというものは、こういうことなんだ」とすごく感じました。時が止まるというか、年を取らない、古くもならない。いつまでもそこに同じようにある。遺族がブログを残したい気持ちは分かりますが、僕はそこにアクセスしてブログを見るたびに、やはり読むことができなくて閉じてしまいます。デジタルとは、そういうところがあるなと思いますね。

――永遠になくならないということでしょうか?


寄藤文平氏: そうです。何かずっとそこにあるという。このブログが、もし本になって書籍化された形で自分の手元にあったなら、全く違うと思います。ですから、文章は本にまとめて、ブログは閉じてあげたい。きちんと終わって、物質化させる。その人の残した文章が本になったことで、それはきちんと年を取れるんです。自分と一緒に死ねる。紙の本の価値というのは、手持ち感とか手触りとか、そういう話だけではなく、「死ねる」ということが、ものすごく大事なことのように思います。燃やしたり、お棺に一緒に入れてくべることができる。そういう生々しい部分がある。モノとして必要であるのはそういうことであると僕は思っています。ですから、デジタルのアイコンを作る、トップページを作るだけの仕事には何の魅力も感じません。



本とは、ある人が生きて色々と考えたことが体系化され、死んでいくことだと思います。「これはこういうことだ」と自分なりに結論がついた時、「本に残したい」という思いが生じる。そういう意味では本という形の終着地なのではないでしょうか。それはデジタルでも同じだと思います。生き生きとした情報は、ウェブやデジタルメディアを中心にこれから発展していくでしょう。そこである結論が出て鮮度を失った情報や、逆に熟成されたものは、本という形できちっと形を与えられていいと思います。形を与えたいと思う心の動きが、人間の中にはある。例えば、お墓参りをなぜするのか。そこには、合理性など全くないと思います。墓石は、終わったものを残された人たちが受け継いでいくためにある。本もそれと同じです。エレクトリカルなものとフィジカルなものに決定的な差があるとしたら、フィジカルなものは死んでいく、消滅できるということですね。
本の装丁というのは、そういう意味で一つの終着地点を飾るものです。その本を大事にしたいと思った人たちにとって、時間が悪いものにならないよう、装丁をきちんとする。それが今の僕のスタンスです。

著書一覧『 寄藤文平

この著者のタグ: 『クリエイター』 『ディレクター』 『こだわり』 『イラストレーター』 『クリエイティブ』 『きっかけ』 『アート』 『デザイナー』

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