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門田隆将

Profile

1958年、高知県生まれ。大学卒業後、新潮社に入社。週刊新潮編集部で政治・経済・歴史・事件などの様々な分野でスクープをものにする。特に、少年事件においては、神戸で起きた酒鬼薔薇事件の被害者遺族の手記を発掘するなど、少年法改正に大きな役割を果たした。2008年4月にフリーのジャーナリスト、ノンフィクション作家として独立。NHK土曜ドラマ「フルスイング」の原案となった「甲子園への遺言」や、光市母子殺害事件を描いた『なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日』は、共に10万部を超えるベストセラーになっている。

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上原VSビラフロアの真実



門田隆将氏: 上原とビラフロアの試合は、ホノルルで行われたんですが、実はホノルルという場所は、上原が若い時に修行していたカラカウアジムがあるところなんです。上原が世界のトップ挑戦者になって、再びカラカウアジムに現れた場面から佐瀬さんのレポートは始まっている。上原に注がれる元の仲間たちからの羨望、嫉妬の視線を佐瀬さんが描写しているんです。その雰囲気を感じて、上原自身が気負った練習をする様になる、それが普段の冷静なトレーニングと違っていて、その様子に懸念を感じたそうです。そして、いざタイトルマッチのリングに上がった時に上原はすごいスピードでシャドーボクシングを激しくおこなった。それで、「これは…」と佐瀬さんも感じたと。上原にパンチ力があるにしても、最初から打ち合ったら相手の思うつぼになるわけですから。
佐瀬さんは、彼を普段の上原と違うものにしていた雰囲気と上原の気負いを、レポートで淡々と書いていくわけです。試合自体の描写は少なくて、上原の心理描写と、佐瀬さんが試合前に上原自身にインタビューした時の様子が書かれていて、ビラフロアにノックアウトされてレポートは終わる。その文章を読んだ時に「ああ、すごいな」と。同じ試合を見ても、見る人の力やセンス、感性によって全く違うものが、つまり“真実”があぶり出せるということを、その時私は知りました。1つの光の当て方、そして感性、それこそが1番重要なことなんだと。中学生のころでしたが、それはあまりに強烈なものでしたね。

あこがれの佐瀬氏に会って、伝えたこと



門田隆将氏: 私が『週刊新潮』に入ってからね、佐瀬さんと1回お会いしたことがあるんです。その時に、「私はあなたを目標にしているんです」と言ったら、「え!」と驚かれて。「ベン・ビラフロアと上原の試合のレポートを読んで、初めて上原がああいうノックアウト負けをした理由というものもわかったし、色々な物事を見る視点というものを教えられました」って言ったら、にやーっとされてね(笑)。
私は彼の「金属バット殺人事件」を含めて、色々な本を読んでいますが、彼にとっても初期にあたるそのレポートの感想をそこまで詳しく、時間が経っているのに言う人は少ないでしょうから。その時佐瀬さんは「僕は物事を見る時に、こういう見方で良いのだろうか、ほかには何かないのだろうかっていつも思っているんですよ」っておっしゃってね。すごくうれしそうな顔をしてくれたのを覚えています(笑)

ノンフィクションのライターは言葉を飾らない



門田隆将氏: 『週刊新潮』では、デスクが特集記事を書くんですが、私がそのデスクになった時、当時の山田彦彌編集長に、「お前の文章はくどい、文章は、飾ったらダメだ。お前は森鴎外を読め」って言われました。私は、どちらかというとスクープを取ってくるタイプの記者だったんですが、文章がくどくて、これでは読者がつかないと案じられたのでしょう。森鴎外の作品は『高瀬舟』や『阿部一族』『舞姫』も素晴らしい作品なので昔から読んでいたんですけれど、あらためて読み直しました。そうしたら、たしかに森鴎外は文章を飾っていないことに気づきました。

――そうなのですね。




門田隆将氏: 山田編集長は、とにかく「わかりやすく、読者に易しく、言葉を飾らず書いていけ」と仰った。私は最年少で山田さんにデスクにしてもらったので、そのために700本を越える膨大な数の特集記事を書く様なことになったんですが、それからは、くどい文章がないように、徹底的に気をつけました。だから、「だーっと一気に読みました」という読者の感想が、私は一番うれしいですね。昔、『週刊新潮』全盛のころは特集記事でも、6ページくらいの記事が多かったんですけれど、そういうものを私が担当していました。文章は淀んだらいけないんです。だから言葉を飾らずに、あるがままに表現するということをずっと続けてきたんですね。

取材がうまく行った時には、できるだけ自分を殺す



門田隆将氏: ノンフィクションは一人称ノンフィクションと三人称ノンフィクションがあるのですが、取材が詳細にできた場合は、できるだけ自分を殺して三人称ノンフィクションで描きます。主役はあくまで題材として取り上げた当事者その人であり、そしてもう1人の主役は読者です。その間に自分というライターが入るわけですが、そこで「私が私が」とライターが前面的に出てきたら、両方に不親切になってしまう。読みやすく、直接感動が読者に伝わる様に事実を客観描写していくという手法を私はとっています。しかし、取材がいつも完ぺきにできるとは限らない。例えば、取材対象者にその時の情景や心理などを具体的に聞いていきます。きちんと聞けた場合は、描写はもちろん細かくなります。けれども必ずしもそこまで取材ができなかった場合は、どうしても一人称の私が出て来ないともたない。「その時、私はこう思った」式に、違うところで盛り上げていかないといけない。私ももちろん一人称ノンフィクションを書きます。でもその時は、「ああ、これは取材が詳細にできなかったな」ということかもしれませんね(笑)。

――何人称かを見ると、それがわかるわけですね。


門田隆将氏: 取材というのは魂と魂の揺さぶり合いですので、自分の全人格を懸けて相手にぶつかっていって心を開いてもらわないと心の奥底は聞けない。それができた時はいいのですが、それには様々な条件があるし、時間的な制約もある。だから私はノンフィクション作家の方が書かれているレポートを「いやぁ、ご苦労されたんだなぁ」と思いながら読みます(笑)。

著書一覧『 門田隆将

この著者のタグ: 『ジャーナリスト』 『ノンフィクション』 『現場』 『取材』 『テーマ』

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