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金子達仁

Profile

1966年、神奈川県横浜市生まれ。法政大学社会学部を卒業後、日本スポーツ企画出版社に入社。『スマッシュ』『サッカーダイジェスト』編集部勤務を経て、95年にフリーとなる。スペインに移住した96年、「叫び」「断層」が「Sports Graphic Number」に掲載され、その年の「ミズノ・スポーツライター賞」を受賞。97年には処女作「28年目のハーフタイム」が、一躍ベストセラーに。第二作「決戦前夜」もベストセラーとなり、稀代のノンフィクション作家として注目を浴びる。現在はサッカーに限らず、スポーツライター、ノンフィクション作家として活躍するほか、ラジオパーソナリティ、サッカー解説など多数メディアにも出演。08年からJFL所属のFC琉球のスーパーバイザーを務めるなど多方面で活躍している。

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テレビでしゃべることになるとは夢にも思わなかった


――Jリーグも開幕して、サッカーのライターとして一躍注目されることになりましたね。


金子達仁氏: 大学を卒業した段階では、日本にJリーグができるなんて思っていないですから「俺は誰からも注目されないけど、面白いサッカーの世界でほそぼそと生きていくんだろうな」っていう覚悟はありました。自分程度の人間が何をやったって、東大法学部とは勝負のしようがないですから。自分が好きな道に逃げ込んだ。それが今、スポーツノンフィクションが売れて、スポーツライターが金になるって思ってもらえるようになったのはちょっと信じられないような気もします。

――それまでになかったこととして、金子さんはテレビの実況席で解説するライターであるということが挙げられますね。


金子達仁氏: 僕が会社に入った当時も、時々ワールドカップやトヨタカップが日本で放送されていましたけど、解説をするのは100%、元日本代表選手かセルジオ越後だったわけです。ですからまさか自分もそこでしゃべるようになるとは夢にも思わなかった。今スポーツライターがサッカーの試合でしゃべるのはごくごく当たり前になりましたが、プロ野球の解説は今もみんなプロですからね。

――確かに野球界に金子さんのような方はいませんね。そう考えると、スポーツ界で誰も行っていなかったことをされているのですね。


金子達仁氏: ただ自分で語り出した時点で、終わりだと思うんですよね。目標がなくなって、後ろを振り返るしかなくなったら「俺が作ったんだ」って自慢を垂れながら生きて行こうと思いますけど(笑)。

――ところで、ひとつ気になっていたのですが、金子さんは解説のお立場でも肩書が「ゲスト」となっていますね。何か理由があるのでしょうか?


金子達仁氏: ちっちゃなこだわりなんです。スポーツって、娯楽だと思っているんですよ。「解説」、「解いて説明する」必要はない。教育テレビっぽいじゃないですか。それがすごく嫌いなんですね。それに解説というと、どうしてもサッカーコーチとかサッカーマニアに対してしゃべりたがる傾向があるじゃないですか。松木安太郎さんを除いてですが(笑)。やっぱりサッカーは娯楽だと思っていますから、僕も楽しむし、ご覧になっている方も楽しんだり突っ込んだり、一緒に騒ぎましょうっていう感覚なんですね。

――注目が増すに連れて、書かれたことや話されたことへの批判も増えるのではないですか?


金子達仁氏: はじめはサッカーダイジェスト時代、当時26歳くらいかな。オフト監督の指揮をダメだと書いたことがあったんですが、その時に、「何様だ」っていう意見がものすごい数来ました。でも賛否両論にさらされるのは慣れていますし、耐性は普通の人よりあると思います。それに、賛否両論なくして、オピニオンを出す意味はないと思っているんですね。賛成ですっていう意見であれば、ただ手を挙げるだけでいいじゃないですか。

アジアのパワーを沖縄に取り込む


――さて、金子さんの新しい試みとして、沖縄のクラブチーム「FC琉球」のスーパーバイザーをされていますね。


金子達仁氏: はい。FC琉球のフロントとして昨日は沖縄に行って試合を見て、監督とちょっと酒を飲んで、これからどうしようか、というような話をしてきました。

――これからのチームの課題はどういったところにありますか?


金子達仁氏: 今は3部リーグですから、全く無名の存在ですけれども、公開前のヤフー株Yahoo!株だと思っていただければ(笑)。もちろんJFLのチームはJ2に上がるのが夢ですし、J2のチームはJ1に上がるのが夢ですけど、僕らはまず、日本一の人気チームにしたい。そのためにはどうしたらいいかっていうのを逆算して色々やっていこうと思っています。

――よろしければ、その方法を少し教えていただけますか?


金子達仁氏: 日本の金だけで勝負すると、レッズやガンバにはかなわないので、アジアのお金を引っ張ってこようとしているんですね。Jリーグって、全部日本の企業に運営されているじゃないですか。でも、沖縄には地場産業がないですから、絶対に勝負できない。なので、海外の資本を入れる。例えば、三浦知良がイタリアに行ったおかげで、日本人がイタリアのサッカーを見るようになった。今まで日本でプレーしたことのないアジアの選手を日本に連れてきて、そのアジアのお金と感心を引っ張ることをやっていこうと思っています。地方のチームが日本国内で40億、50億を集められるわけがないんですが、日本の経済は停滞してもアジアの経済は上がっていきますから、それを根こそぎ頂いちゃおうかなと。強いチームにするにはまず資金が必要ですから。GDPで中国に抜かれて3位になりましたが、インドのお金とか人口を引っ張ってきたら、中国の13億人をはるかにしのぐマーケットができます。不景気だからダメだっていう空気が、サッカー界にもものすごくあるんです。Jリーグができたころだって、経済的なバブルは終わっていたわけですが、サッカー界が感じている景気、勢いは今と比べて100:1ぐらいな感じがするんですよ。誰一人大物を連れて来ないですから。そこもぶっ壊したいですよね。その可能性は沖縄にだけあると思います。

沖縄には世界的クラブチームの土壌がある


――沖縄にその可能性を見いだした、要因はどういったことですか?


金子達仁氏: 僕はプロスポーツが成功する一番の要因は、地域に対するロイヤリティーとか熱狂だと思っています。沖縄は高校野球の視聴率が90%を超える県で、しかも沖縄の人口が130万人で、那覇から半径20km圏内に80万人、人口密度は横浜市より上なんです。この人たちが一気に熱狂する。宮里藍ちゃんが勝つと、空港に垂れ幕が出ますし、内地ではほとんど誰も関心を持っていないですけど、bjBJリーグっていうバスケットのプロリーグの沖縄チームが非常に強くて、勝つ度に新聞の一面です。もし、Jリーグで勝つ沖縄を演出できた時にはえらいことになる。

僕はバルセロナに住んでいましたけれども、バルセロナの熱狂なんか勝負にならないぐらい沖縄は熱いです。それから、ほかの地方では、地元は盛り上がっても日本のニュースになることはないと思うんですよ。沖縄くらい地方都市の中で、良くも悪くも全国紙の新聞の1面を飾っている県ってないと思うんですよね。その関心を生かしたいと思います。沖縄からの移民はハワイにもたくさんいるし、南米にもたくさんいるので、その人たちをも熱狂させて、あこがれるチームにしていきたいですね。

――金子さんご自身の、クラブチームに携わられることの目的やモチベーションはどういったことですか?


金子達仁氏: 単純に、面白そうだからとしか言いようがないですね。基本的に物書きは口先番長なわけじゃないですか。無責任な立場からえらそうなことを言って、外れても知らんぷりという部分はあるんです。でも信念を持って正しいと思って言っていることもいっぱいあるわけです。これまで、「こうすれば強くなる」とか、「だからダメなんだ」って色々書いてきましたから、それがウソかホントか、口先番長じゃないところを証明したかったというところも自分の中ではあります。でも基本はやっぱり、面白そうだからですよ(笑)。

――最後に、金子さんが今までにないジャンルを作り、新しいことにチャレンジし続けてこられたのはなぜだと思いますか?




金子達仁氏: 陳腐な言い方になるけど、「Impossible is nothing」ってことなんだろうと思います。不可能なことなんて何もない。アディダスのCMのコピーでしたけど(笑)。一番いけないのは自分で限界を決めちゃうことなんだなっていうのは思いますね。面白いことには素直に身を委ねようというのが、40歳半ばになって確信を持てるようになってきました。

(聞き手:沖中幸太郎)

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この著者のタグ: 『スポーツ』 『ライター』 『子ども』 『表現』 『子育て』 『手段』 『サッカー』

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