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本間正人

Profile

1959年8月東京生まれ。82年東京大学文学部社会学科卒業、ミネソタ大学公共政策大学院に学び、戦略プランニングの修士号(Master of Planning)取得。在学中にミネソタ州政府貿易局日本室長に任命され、東京・大阪に代表部を開設、州の知名度向上キャンペーンを指揮し、知事特別表彰を受ける。その後、松下政経塾研究部門責任者を経て、93年に独立し、数多くの企業・自治体で管理職研修を担当している。テーマは、政策形成、独創力開発、部下の指導育成、国際感覚養成、など多岐にわたる。2001年「学習学協会」がNPO法人として認可を受け、代表理事に就任し、現在に至る。

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その後、国際関連の仕事でキャリアを積む


――政経塾に入り、その後でまた節目があったかと思います。大学卒業して5年後くらいですか。


本間正人氏: 5年いましたからね。3年目に半年、ウィーンの国連で、いまで言えばインターンシップみたいなかたちで仕事をしました。その後に2年間、民間人で外務大臣をされた大来佐武郎先生のアシスタントをやりました。いまね、日中関係や日米関係が難しい時期に、本当に大来先生みたいな人がいればなと思います。

――その2年間はどうでしたか?


本間正人氏: 普通だと「情報ください」って、頭を下げてもらいにいかなきゃいけないような情報が、大来先生のところは黙っていても来るんです。外務省顧問だし、経済企画庁参与だし、それから国土庁顧問、環境庁顧問かな。文部科学省の留学生10万人計画の委員長とか、郵政省の情報通信の国際化の審議会とか委員会の資料が全部来て。「本間君、目を通しといて」みたいにいわれるんです。で、「先生、この資料のここが大事です」みたいな感じで、ブリーフィングしたり、静岡新聞の原稿を校正したりという、仕事をしてましたね。

――その時のインプット、アウトプットというとすごい膨大な量ですね。


本間正人氏: そうですね。本も読んでいましたし、それから役所の政策過程っていうのを、生で触れることができたのは良かったですよね。

今、本当の外交ができる人材がいない



本間正人氏: 大来先生のポストっていうのは、不思議な役回りなんですよ。元公務員なんだけど、254日間だけ外務大臣をやって。当時は民間人で、政府を代表しないけど、代弁して色々な国際会議に、日本を代表して出る。日本はこういう政策を持ってるんですよっていうことを非公式に伝える役割を、色々なかたちで大来先生が果たされてたんですね。ああいう人がいまいないんですよ。それは余りにも残念過ぎますよね。日中関係だってね、やっぱりもう少しトップの人たちのところに行って、例えば中国が過剰な反応した時に、「あなた方、これ中国のためにならないから、もうちょっとこうした方が良いですよ」っていうのを、指導者の耳元でささやける人っていうのが必要だなと思いますよ。それが、どこの政党にもいないんだもん。それはもう困ったもんです。日本は潜在的な国力はあると思うんですけれども、広義の外交力が弱い。

――活路はどんなところにあると思いますか?


本間正人氏: 活路はね、外交に関してはやっぱり少し長い目で見て、どこの政党になっても外務大臣を変えないっていうくらいのことが大事。首相は政党の代表だけど、外務大臣は日本の代表だから、どの政党になっても10年くらい変えないというような仕組みでないと安定的な人間関係ができないですから。

――そこで大事になるのは、やはり人間関係なんですね。


本間正人氏: そりゃそうですよ。アメリカの国務長官はヒラリークリントンなんですよ。元大統領夫人、元首夫人。だからヒラリーが日本に来ると天皇陛下にお目にかかれるんですよ。普通はプロトコル上あり得ないんだけど、元・元首夫人だからあの人は別格なわけです。あの方だけは別にしても、やっぱりもうちょっと長くやらせないと、それ誰?って話になっちゃうんですよ。いちいち「初めまして」「Nice to meet you」って言ってた日にはね、実質的な話に入れないじゃないですか。



ハーラン・クリーブランドの弟子になりにミネソタへ


――話を松下政経塾のところから戻させていただきます。政経塾で5年すごした後、アメリカに留学されたんですね。


本間正人氏: そうなんですよ。ミネソタ大学。大来先生も日本の代表的なメンバーをつとめていたローマクラブっていうのがあります。これは「成長の限界」とか「限界なき学習」っていうレポートを出した世界の賢人会議。国連っていうのはやっぱり国益のせめぎ合う場所になる。ローマクラブっていうのは、地球益、地球人益っていうのを考える場なんです。それのアメリカの有力なメンバーでハーラン・クリーブランドっていう素晴らしい先生がいて、彼の弟子になろうと思ってミネソタに行ったんですよね。

――ミネソタ大学に行こうじゃなくて、その先生の弟子になるために行かれたんですね。


本間正人氏: そう。ハーラン・クリーブランドの最後のゼミ生になれたっていうのは、僕にとって大変光栄なことでしたね。松下幸之助、大来佐武郎、ハーラン・クリーブランドっていう、20世紀を代表する巨人である彼らから直接教えを受けることができたっていうのは、僕の人生の中で本当にラッキーなことですよね。僕は彼らに借りを返し様がないわけです。もう死んじゃってるしね。でも彼らから学んだことを次のジェネレーションに伝えていく。「知恵の鎖」をつなげていくっていうのが僕の役割なんだろうなっていうのはすごく思いますね。

構想は「学習する地球社会」


――そういう意味では、正しく知恵の鎖をつないでいくというのが1つのライフワークなんでしょうか?


本間正人氏: そうですね。本当にライフワークだと思っています。僕自身は、地球社会がLearning Planet、「学習する地球社会」に進化していくべきだと考えています。普通の教育学では個人が学ぶ。最近経営学の世界では「学習する組織論」っていうのがあって、組織が学ぶっていうのがあるんだけれども。やっぱり社会が学ぼうよっていうのはすごく大事だし、国が学ぶっていうのもすごく重要。悪い例の方で言うとね、やっぱりジョージ・W・ブッシュというのが本当にアホで、アメリカは色々な国と戦争してその国を占領しているわけですよ。占領政策で1番うまくいったのは、第二次世界大戦の後の日本を占領したのが1番うまくいってる。これ原爆2発落としても、占領に来たアメリカ人で日本人に殺された人っていうのは、多分限りなくゼロに近かったと思うんですね。事故や病気で死んだ人はいると思うけど、日本人に殺されたっていう人は、ほとんどゼロに近いんじゃないかな。もちろん沖縄とかでは、複雑な気持ちをお持ちの方いるのはよく分かるけど、しかし、その沖縄でも米兵が殺されたって話をあんまり聞かないですからね。ですから、それはね、統治政策、占領政策として非常にうまい前例があったんですよ。そこから学ぶけきだったと。イラク戦争で、戦闘中はほとんど巡航ミサイルで主な軍事拠点を破壊したから、アメリカ兵はあんまり死んでないわけです。でも終わってから、占領してから5000人以上、いまもう6000人とか亡くなってるわけで。

――そうですよね。戦闘時期を上回って。


本間正人氏: 上回ってる。はるかに上回ってるんですよ。いまだに死んでるんだから。それはね、もうへたくそな占領政策以外の何者でもない。基本は何かっていうと、統治機能を破壊しなかったってことなんですね、日本では。天皇制も含め、官僚機構を温存して。また日本人が進駐軍の言うことを素直に聞いたっていうのもあるんですけど。でもイラクの場合にはバース党を解体し、そしてサダム・フセインは処刑しちゃったと。それね、やっぱり怨念を残しますよ。

――まとまりを切っちゃうわけですね。


本間正人氏: そう。で混乱を招き、治安を悪くする、もうその通りになってるわけで。それはやっぱり愚かな政策です。学習能力が低いと愚かなことをしてしまう。

著書一覧『 本間正人

この著者のタグ: 『コミュニケーション』 『政治』 『言葉』 『学習』 『コーチング』 『留学』 『本質』 『認識』 『政経塾』

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